ここがゲームではないと気づいたとき、オレは壊れる 作:お嬢様執筆中
いい加減に、認めよう。
オレが、どうしようもない――世界で一番の、愚か者だったってことを。
ここはゲームの世界なんかじゃなかった。
オレの目の前にいる人間は、血の通った人間で、作り物の
街で起こる出来事は、決められた筋書き通りのイベントなんかじゃなくて、人々の生活そのものだった。
そうだ……。オレはずっと、この世界を勘違いしていたんだ。
都合のいいファンタジー世界に転移したと思い込んでいた。ありがちな設定、ありがちな展開。まるで、誰かが作ったゲームの中を歩いているような感覚だった。
だから、何もかもが軽く見えていた。
人が死んでも、どうせリセットされるイベントの一環だと。
誰かが悲しんでいても、そういう設定のキャラクターなんだと。
ユウが……。
あいつが、何度も助けを求めていたのに。
オレは、それが「ヒロインの好感度を上げるためのイベントフラグ」くらいにしか思っていなかったんだ。馬鹿だよな。本当に、救いようのない馬鹿だ。
震えるユウの手を、オレは「演技がうまいな」なんて思いながら、振り払った。
涙を流すユウの瞳を、オレは「よくできたグラフィックだな」なんて考えながら、見下していた。
全部、ゲームだと思っていたから。
だって、ゲームだと思い込まないとオレはおかしくなってしまいそうだったから。
でも、違った。
ここは、現実だ。
やり直しのきかない、たった一度きりの現実だったんだ。
オレがそれに気づいたのは、なにもかもが手遅れになった後だった。
だけど……。
だからこそ、今度こそ……!
「リティカ! オレはもう迷わない! ここは現実なんだって、ようやく理解できた! だから、オレならユウを助けられるはずだ! あいつを元に戻せるはずなんだ!」
目の前に立つリティカに、オレは決意を叫んだ。そうだ、ゲームじゃないと分かった今なら、きっと……!
だが、リティカの瞳は、まるで氷のように冷たかった。
彼女は、静かに、しかし刃物のように鋭い言葉を、オレの心臓に突き立てた。
「……手遅れよ、アスマ」
その声は、全ての希望を否定する、絶望の響きをしていた。
「ユウは、もう助からない。だって……あんたのせいで、絶望して、
魔女……?
なんだ、それ。ゲームでよく聞く、魔法使いの上位職か何かか……?
そんなオレの甘い考えを、リティカは嘲笑うかのように、事実を叩きつけてくる。
「魔女っていうのはね、ただの魔法使いじゃないわ。世界の理から外れて、魂を悪魔に売り渡した成れの果てよ。人の心も、かつての記憶も、全てを失って、ただ破壊と絶望をまき散らすだけの災厄……それが魔女。一度契約したら、もう二度と人には戻れない。死ぬまで、いいえ、死んだ後も、その魂は救われないの」
リティカの言葉が、脳を殴りつける。
そんな……。
「ユウはね、あんたに見捨てられたあの日、『
彼女は、一度言葉を切ると、心の底からの軽蔑を込めて続けた。
「―――推定、二十万人」
……は?
にじゅう……まんにん……?
「今日まで、ユウが殺した人類の数よ」
嘘だろ。そんな……。ユウが……? あの、どうしようもないほど優しい、ユウが……?
オレが絶句していると、リティカの体が、ふっと揺らめいた。
「……そして、これが代償よ」
さらり、と。
彼女の透き通るように白かった肌が、まるで乾いた砂のように、ぱらぱらと崩れ落ちていく。艶やかだった金色の髪は色を失って白髪となり、瑞々しかった頬は急速にこけて、深い皺が刻まれていく。
ほんの数秒で、オレの目の前に立っていた美しい少女は、腰の曲がった、年老いた老婆の姿へと変わり果てていた。
「リティカ……お前、その姿……」
「ユウの魔法を止めるために、私の寿命のほとんどを使ったわ……。でも、止められなかった。アイツを止めるには、殺すしかないのよ」
老婆の姿になったリティカが、震える手でオレを指さす。
その瞬間、オレの足元の影から、無数の黒い茨が伸び、オレの身体を瞬く間に拘束した。
「ぐっ……! 何をするんだ、リティカ!」
「言ったでしょ、アスマ。これは、あんたが始めた物語。だから、終わらせるのも、あんたの役目なのよ」
老婆は、昏い瞳でオレを射抜き、宣告した。
「これが、たった一つだけ残された、ユウを殺すための方法よ」
「……は?」
「魔女になったユウには、もう何の感情もない。けれど……ただ一人、あんたの顔を見れば、あいつは絶対に動揺する。魂の奥底に刻み込まれた絶望《それ》が、一瞬だけ、あいつの動きを止めるはず」
老婆は、しわがれた声で、残酷な真実を告げた。
「―――その隙に、私が、ユウを殺す」
◆
黒い茨による拘束は、少しも緩むことはなかった。
老婆の姿となったリティカは、抵抗すらできないオレの身体を、まるで汚れた荷物でも運ぶかのように引きずり、無骨な馬車の荷台へと乱暴に放り投げた。
ゴッ、と鈍い音がして、背中を強かに打ち付ける。痛みに顔を歪めるオレを、リティカは冷たい目で見下ろしていた。
「……騙したのか、リティカッ!」
喉の奥から、絞り出すように叫んだ。オレを心配するような素振りも、共にユウを助けようとしたあの言葉も、全てが……!
「最初から、オレを餌にするつもりで……!」
その問いに、老婆は深く刻まれた皺を歪め、嗤った。
それは、かつての彼女が浮かべていた可憐な笑みとは似ても似つかない、乾いて、ひび割れた嘲笑だった。
「そうよ。私の演技、うまかったでしょ? まるで、あんたを信じてるみたいだった?」
その言葉が、毒矢のように突き刺さる。
オレが、ユウの涙を「演技」だと思い込んでいたことへの、あまりにも痛烈な皮肉だった。
「……あんたが、こっちでいなくなって、違う世界でのうのうと生きている間に、全部壊れたのよ。あんたが守るべきだったもの、ぜんぶ」
ガタガタと音を立てて、馬車が走り出す。
荷台から見える空は、鉛のように重く、暗かった。
やがて馬車が辿り着いたのは、活気に満ち溢れていたはずの商業都市リードブルム……の、見る影もない姿だった。
高い城壁には無数の傷が刻まれ、かつては陽気な商人の声が響いていたであろう門は、重々しい鋼鉄の扉で固く閉ざされている。城壁の上には、憔悴しきった表情の兵士たちが、槍を片手に空を見上げていた。
「ここは……。どうなってるんだ……」
「目を開けてよく見なさい、アスマ。これが、本当の町の姿」
鋼鉄の門が、地響きのような音を立てて開かれる。
その先に広がっていたのは、市場の賑わいなんてものはオレの幻想だった。
鋼鉄の匂いと、血の匂い。飛び交う怒号と、武器のぶつかり合う金属音。
そこは、巨大な軍事要塞だった。
屈強な鎧に身を包んだ騎士たちが隊列を組んで駆け抜け、射手たちが矢筒を補充している。
鍛冶師が休むことなく槌を振るい、獣人の斥候が傷だらけで報告に戻ってくる。
広場では、治癒士たちが血を流して倒れる負傷者たちに治癒魔法をかけ続け、その淡い光が絶え間なく明滅していた。
誰もが、絶望的な戦いを続けている兵士の顔をしていた。
「商業都市リードブルムの本当の姿……。それは、対魔女用の
最後の……砦……。
この、絶望的なまでの光景が。この、終わりなき戦いが。
ユウ一人のせいで……? いや、違う。オレの、せいで……。
「やめろ……。やめてくれ……!」
オレは、荷台の上で無様に暴れた。茨が体に食い込み、血が滲む。だが、そんな痛みなどどうでもよかった。
「こんなの嘘だ! キバはどうした!
そうだ、キバがいる。
オレなんかよりもずっと強くて、頼りになる、たった一人の親友。あいつさえいれば、こんな絶望的な状況だって……!
だが、その最後の希望を、リティカは、容赦なく踏み砕いた。
彼女は、ただ、静かに事実を告げた。
「……キバは、死んだわ」
ひゅっ、と喉が鳴った。
時間が、止まった気がした。
「王都が滅ぼされたあの日……。ユウを止めようとして、真っ先に駆けつけて……。そして、ユウの、手によって殺された」
ぴしり、と。
オレの中で、何かが砕け散る音がした。
「……それで、まだ抵抗する気?」
老婆の声が、やけに遠くに聞こえる。
身体を縛り付けていた茨の力が、ふっと緩んだ。だが、オレはもう、暴れることさえできなかった。
キバが、死んだ。
ユウに、殺された。
その事実が、鉛の塊のように、オレの全身を地面に縫い付けていた。
ああ……そうか。
もう、なにもかも……。
本当に、手遅れなんだ……。
オレの瞳から、光が消えるのがわかった。