ここがゲームではないと気づいたとき、オレは壊れる   作:お嬢様執筆中

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27話 嘘つきの鎮魂歌

 無気力だった。

 魂が肉体から綺麗に抜け落ちてしまったみたいだ。思考は鉛色の霧に閉ざされ、何も感じない。何も、考えられない。世界から色が消え、音が遠のき、ただ、心臓だけが義務のように惰性で鼓動を刻んでいる。

 

 魔女になったユウ……。

 親友だったキバの死……。

 老婆になったリティカが語る、数十万の命の喪失……。

 その一つ一つの事実が、オレの世界を支えていた全ての柱を根こそぎ粉砕し、瓦礫すら残らない虚無に変えてしまった。あまりに巨大すぎる現実は、もはや悪夢でさえなく、ただの無だった。

 

 ユウに会って、どうするんだ……?

 何を言えばいい……?

『お前を殺しに来た』とでも言うのか……?

 違う。殺されるのは、きっとオレの方だ。そうだ、それでいい。それがいい。

 死ねるなら、まだマシだ……。

 この、胸の内側から魂をじりじりと焼き尽くす、途方もない罪悪感から解放されるというのなら……。

 

 オレは、意思のない操り人形のように、リティカにされるがまま、絶望の戦場へと引きずられていった。

 オレを担ぐ老婆の姿をしたリティカと、その背後で茨に拘束されたままのオレを見て、屈強な兵士の一人が忌々しげに吐き捨てた。

 

「おい、婆さん。そいつ、自分の足で歩けねぇのかよ。ただでさえ足手まといだってのに、お前さんの負担にまでなるとはな」

 

 その言葉に、リティカは枯れた声で、しかし鋼のような意志を込めて答えた。

 

「この男は、我々が魔女を討つための、唯一にして絶対の切り札(ジョーカー)。作戦が完了するまで、この男に指一本でも傷をつけるわけにはいかないの。だから、私が運ぶ」

 

 切り札……。

 その言葉が、まるで遠い異国の響きのように、オレの耳を虚しく素通りしていく。

 

 そして、作戦は始まった。

 精鋭部隊は、城壁から飛び降り、黒い影の津波の中へと身を投じる。

 そこは、阿鼻叫喚という言葉すら生温い、純粋な地獄だった。

 四方八方から殺到する影の軍勢。剣戟の音、魔法の炸裂音、肉が裂け骨が砕ける生々しい音、そして、人のものとは思えぬ断末魔の叫び……。

 オレは、リティカの背中の上で揺られながら、ただ、虚ろに、その光景を見つめていた。

 茨に拘束されていなければ、何かできたんだろうか……。いや、きっと何もできやしない。この絶望を前に、オレにできることなんて、何一つ……。

 

「ぐあああああっ!」

 

 リーダー格だった、顔に傷のある男が、影の獣に脇腹を食い破られ、夥しい血飛沫を上げて倒れる。

 

「団長ぉっ!」

 

「構うな、進めッ! 婆さんと切り札を、魔女の元まで送り届けろッ! 俺たちの死を、無駄にするなァッ!」

 

 傷の男は、最後の力を振り絞ってそう絶叫すると、故郷に残してきた妻子の名を呟き、自らを食らう影の獣ごと、懐の魔道具で爆散した。閃光と轟音が、一瞬だけ地獄を白く染め上げる。

 一人、また一人と、屈強な兵士たちが、オレを運ぶためだけに、名もなき肉塊へと変わっていく。

 彼らの死に顔は、苦悶に歪み、絶望に染まっていた。

 オレは、ただ、それを見ていることしかできない。

 

 やがて、幾多の尊い死によって切り開かれた道の先に、ソレは見えた。

 天を衝き、空を覆い尽くすほどの、巨大で、冒涜的な肉塊。

 無数の触手が冒涜的に蠢き、おびただしい数の眼球が、憎悪と虚無を湛えて虚空を睨んでいる。かつてユウだったものの面影など、どこにもない。優しかったはずの歌声が、今は魂を削る不協和音となって、戦場に響き渡っていた。

 あれが……魔女……。あれが……ユウ……?

 

「ユウッ! アスマを連れてきたわよッ!」

 

 リティカが、老婆とは思えぬほどの声量で、天に向かって叫んだ。

 その声に応えるかのように、魔女が咆哮する。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■ッ!!!!」

 

 それは、声ではなかった。

 聞くだけで正気を失いそうな、魂を直接削り取るような、不快な音の塊。

 魔女は、オレたちのことなど覚えていない。

 ただ、目の前に現れた矮小な存在を、塵芥のように排除しようとしているだけだ。

 巨大な触手が、オレたち目掛けて振り下ろされる。

 

「どうなってやがる! 話が違うじゃねぇか、婆さん!」

 

 生き残っていた兵士の一人が、絶望の声を上げる。

 それでも、リティカは諦めなかった。

 

「ユウ! 目を覚ましなさい! あんたが、ずっと会いたがっていた男よ! アスマよッ! 思い出して! リードブルムの街角で、みんなで食べたあのケーキの味を! 甘すぎて笑ってしまったでしょう!? くだらないことで言い合いながら、夜通し語り明かした宿屋での一夜を!」

 

 リティカの悲痛な叫びが、戦場に木霊する。だが、魔女の攻撃は止まらない。

 

「キバと出会った、あの獣牙の森でのことも忘れたの!? アスマが無茶をするたびに、私たちがどれだけ心配したか! あんたが泣くたびに、私たちがどれだけ心を痛めたか! お願いだから……思い出してよ、ユウ! 私たちのパーティー、『アークブレイバーズ』を! あんたが、アスマが、キバが……私がいた、あの輝かしい日々をッ!」

 

 何度も、何度も、叫び続ける。

 その声は、もう届かない。

 どうすればいい……。どうすれば……。

 本当に、これが……ユウ、なのか……?

 信じられない。信じたくない。

 あの、太陽みたいに笑っていた少女が、こんな……。

 

 魔女の、おびただしい眼球の一つが、ふと、オレを捉えた。

 視線が、交錯する。

 その、濁りきった絶望の瞳の奥に……ほんの一瞬だけ。

 ほんの、一瞬だけ……。

 涙に濡れた、琥珀色の瞳が、見えた気がした。

 

「……ア……スマ……っち……」

 

 魔女の咆哮に混じって、そんな、か細い声が聞こえたような……。

 幻聴だ。都合のいい、幻だ。

 オレの心が、まだ見捨てきれない希望が見せた、ただの夢……。

 

 それを証明するかのように、魔女から振り下ろされた巨大な触手は、一切の躊躇なくオレたちを薙ぎ払った。

 

 ドゴォォォォンッ!!

 

 凄まじい衝撃波が、オレの体を地面に叩きつける。リティカも、残っていた兵士たちも、木の葉のように吹き飛ばされた。

 

「なんで……なんで、わからないのよ……ッ! これ以外に、もう……もう、どうすればいいっていうのよ……ッ!」

 

 地面に倒れ伏したリティカが、血を吐きながら絶望の声を絞り出す。

 その顔は、老婆のそれではなく、ただの無力な少女の泣き顔だった。

 そうだ……。もう、終わりなんだ……。

 攻撃の衝撃で、オレを縛っていた茨は砕け散っていた。

 だが、オレは動かなかった。いや、動けなかった。

 目の前で、再び巨大な触手が振り上げられる。

 もう、いい。

 避ける気力も、立ち向かう意思も、残ってはいない。

 これで、やっと……。

 

<固有スキル死線踏破(しせんとうは)足跡(そくせき)が発動条件を満たしました>

 

 また、か……。

 また、この声が聞こえるのか……。

 その無機質な声と共に、脳裏に、数々の記憶が奔流となって流れ込んできた。

 

 そうだ……。

 オレには、絶対的にどうしようもない悪癖があった。

 何度も死のうと決意して、死ぬためだけに危険な場所に飛び込んで……。

 それなのに、いざ死の淵に立つと、どうしてか、この体は勝手に生きるために戦ってしまう。

 本能が、生存しろと叫んでしまう。

 そんな、オレの、どうしようもない、悪い癖……。

 

 レベルに見合わない高難易度ダンジョン「深淵(しんえん)迷宮(ラビリンス)」で、ボスの巨大な百足(ムカデ)に殺されかけたあの時も……。

 災害級の魔獣「グラドギオルム」に殺されるためだけに単身で村へ向かったあの時も……。

 「森熊(フォレストベア)」からキバを助けた、あの時でさえ……。

 いつだってそうだ。オレは、本気で死ぬつもりだった。ログアウトするつもりだった。

 それなのに、いつも奇跡的に生き残ってしまう。

 そして、生き残って、ボロボロになったオレの元に駆けつけてくれるのは、いつだって……。

 

「……本当に、馬鹿な男……」

 

 リティカの、呆れたような呟きが聞こえた。

 ああ、そうだ。

 オレは、なんて馬鹿なんだよ……。

 

 気づけば、オレは倒れていた兵士が落とした長剣(ロングソード)を拾い上げ、大地を蹴っていた。

 スキルによって強制的に引き上げられた身体能力が、オレの意思とは無関係に、生存のための最適解を導き出す。

 影の軍勢の隙間を、まるで踊るように駆け抜ける。

 迫りくる影の爪を屈んでかわし、その体勢のまま回転し、背後の別の影の首を刎ねる。

 剣が砕ければ、槍を拾う。槍が折れれば、斧を掴む。

 まるで、手足のように馴染んでいく。

 死にたいはずなのに、この体は、驚くほど雄弁に生きるための戦いを演じてみせる。

 

 そして、思い出す。

 この、矛盾した戦いの果てに、いつも待っていた光景を。

 

 生き残るたびに、ユウがオレのことを心配して、駆け寄ってきてくれた。

 その琥珀色の瞳を、涙でぐしゃぐしゃに濡らして。

 『よかった』と、心の底から安堵して、オレに抱きついてくれるんだ。

 あの温もりを、オレは……。

 『迷惑だった』なんて、吐き捨ててしまったのか……。

 

「待ってろ……ユウッ!」

 

 それが、贖罪になるのか、それともただの自己満足なのか……。

 そんなことは、もう、どうでもいい。

 ただ、オレは……もう一度、あの子と話がしたかった。

 たとえ、それが、オレの最後の瞬間になったとしても。

 

「ユウッ!!!!」

 

 オレは、魂の底から、その名を叫んだ。

 どうすればいい……? 何をすれば、お前をこの地獄から救い出せる……?

 わからない。わかるはずもない。

 けどな、ユウ。オレにも、たった一つだけ、得意なことがあるんだ。

 それは、どんな絶望的な状況でも、どんなに死にたくても……絶対に死なないことだ。

 この、忌々しいまでの生命力だけが、オレの唯一の武器なんだ!

 

「ユウッ!!!!」

 

 オレは再び叫び、魔女が振り下ろす絶望の嵐の中へと、単身で突っ込んだ。

 天を覆うほどの触手が、意志を持った津波となって殺到する。一本一本が、攻城兵器に匹敵する破壊力を秘めていた。

 オレは、スキルによって超常的に強化された身体能力を限界まで引き出し、その猛攻をただひたすらに凌ぎ続ける。

 右から迫る一撃を、地面を滑るようにして回避。直後、頭上から叩きつけられる一撃を、バックステップで紙一重に見切る。

 大地が砕け、衝撃波が全身を打ち据えるが、構わない。

 無数の眼球から放たれる呪詛の光弾を、倒れていた兵士の盾を拾い、受け流す。盾が熱で溶け、腕が焼けるが、構わない。

 

「ユウッ!」

 

 耐える。耐える。耐え続ける。

 攻撃はしない。ただ、この身が砕け散るまで、この猛攻を受け止め続ける。

 それしか、オレにはできない。

 お前の絶望が、憎しみが、悲しみが、この嵐なのだとしたら……。

 オレは、その全てを、この体で受け止めるしかないんだ!

 

「ユウ! 初めて会った時のこと、覚えてるか! お前がくれたパン、めちゃくちゃ美味かったんだぞ!」

 

 叫ぶ。叫ぶ。何度も。何度も。数え切れないほど。

 

「ユウ! キバと初めて会った時、お前、すごく嬉しそうだったよな! 仲間が増えたって!」

 

 一時間が過ぎ、二時間が過ぎ……。戦いは、終わりの見えないまま続いていた。

 オレの体は、とうに限界を超えていた。全身は切り傷と打撲で原型を留めず、おびただしい出血で意識が何度も遠のきそうになる。

 だが、その度にスキルが強制的に肉体を稼働させ、オレを死の淵から引き戻す。

 

「ユウ! リティカの意地悪な冗談に、二人で笑ったこともあったよな!」

 

 後方で、リティカが息を呑む気配がした。生き残った兵士たちが、信じられないものを見る目で、この常軌を逸した光景を見つめている。

 もう、声は掠れ、血の味しかしない。

 それでも、オレは叫ぶのをやめなかった。

 それが、オレをこの場に繋ぎ止める、唯一の楔だったから。

 

「ユウ……! アクアリーフの海、綺麗だったな……! また、行こうって……約束、しただろ……!」

 

 どれだけの時間が経っただろうか。

 魔女の動きが、ほんのわずかに、鈍ったように見えた。

 今だ……!

 オレは、最後の力を振り絞り、触手の壁を駆け上がった。

 そして、おびただしい眼球がオレを睨みつける、魔女の本体の目の前へとたどり着く。

 もう、武器は何も持っていない。体はボロボロで、立っているのがやっとだ。

 オレは、血を吐きながらも……穏やかに、微笑んでみせた。

 ずっと、言えなかった言葉。

 ずっと、目を背けてきた、オレの本当の気持ち。

 

「ユウ」

 

 愛おしい、その名を呼ぶ。

 

「お前のことが、好きだ」

 

 その言葉が、戦場に響き渡った瞬間。

 魔女の、絶え間ない咆哮が、ぴたりと、止んだ。

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