ここがゲームではないと気づいたとき、オレは壊れる 作:お嬢様執筆中
「ああ、リティカ……。おはよう」
オレが声をかけると、リティカは壁に寄りかかったまま、優雅に片手を上げた。
「ええ、おはよう。昨晩は……ええと、そうね、形容するなら『嵐のようだった』かしら。ユウもキバも、貴方のせいでそれはもう大変だったのよ?」
リティカはくすりと優雅に微笑むと、オレのボロボロの姿を一瞥し、やれやれと肩をすくめてみせた。
その言葉には、いつものような軽い皮肉が込められていたが、その瞳の奥には、やはり心配の色が滲んでいるように見える。
「……ああ、まあ、色々迷惑をかけたみたいだな」
「みたい、ではなくて、かけたのよ。自覚はあるのね? よろしい」
リティカは小さく頷くと、壁から背を離し、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってきた。
彼女の歩き方は、まるで水面を滑るかのように静かで、優雅だ。
「ユウは、貴方が目を覚ますまで一睡もせずに看病していたわ。本当に、健気な子よね。……まあ、そのせいで魔力も体力も限界だったみたいで、貴方が目を覚ます少し前に、ようやく力尽きて眠りについたけれど」
「そうか……。ユウには、本当に悪いことをした……」
「キバもよ。貴方が一人で飛び出したって聞いて、それはもう凄い剣幕だったわ。今朝も早くから、何かを決意したような顔で出て行ったけど……貴方、何か心当たりは?」
リティカの紫色の瞳が、じっとオレを見つめてくる。
まるで、オレの心の奥底まで探ろうとしているかのように。
「……特訓してくると言っていたな。くわしいことはよくわからんが」
「ふぅん……? まあ、いいわ。キバの猪のように唐突なのはいつものことだもんね」
リティカは小さくため息をつくと、オレのすぐそばまで来て立ち止まった。
ふわりと、彼女が使っているのだろうか、どこか落ち着くハーブのような香りが鼻腔をくすぐる。
「あなた、また無茶したんだって?」
改めて、リティカがじろりとオレを見上げてくる。
「あぁ、そうだな。悪い、心配かけたみたいで」
オレが素直に謝ると、リティカはフンと鼻を鳴らした。
「謝る必要はないわ。わたしはあなたを心配なんかこれっぽっちもしてないのだから。黙ってさっさと死んでいればよかったのに。そうすれば、ユウもキバも少しは落ち着いたでしょうね」
「うっ……」
相変わらず容赦のない言葉だ。だが、これがリティカなりのコミュニケーションなのだ。
「ただ、まあユウとキバはもう限界かもね。ユウなんか、あなたが単独で村へ向かったと気づいた時の取り乱しようったら……あははっ、ホント、傑作だったわ。あの顔、あなたにも見せてあげたかったかも」
リティカは楽しそうに肩を揺らす。こういう意地悪なところは、本当にブレない。
だが、その言葉の端々から、結局はオレのことを心配してくれていたのが透けて見える。
「そうか、リティカもやっぱり心配してくれたみたいだな。ありがとうよ」
「なっ……! な、なんで私が心配したことになっているのよっ! 私はどうでもいいって、今言ったばかりでしょうがっ!」
リティカが顔を真っ赤にして抗議する。
「はいはい、そう言いつつも、いつもオレたちのこと、的確にアドバイスしてくれるだろ? なんだかんだで、一番見てくれてるじゃないか」
そう言って、オレはリティカの髪をわしゃわしゃと撫でてやった。
「な、なにするのよ、この無礼者っ! や、やめなさいったら! 髪が乱れるでしょうがっ!」
リティカはむきーっとなってオレの手を振り払おうとするが、その抵抗はどこか弱々しい。
うん、やっぱりリティカはただのツンデレさんだ。しかも、そのデレが超絶わかりにくいから、初見の人間はだいたい誤解する。
このパーティー、面倒くさいけど可愛いNPCばっかりだな、本当に。
やがて満足したオレが手を離すと、リティカはぜぇぜぇと肩で息をしながら、それでもキッとオレを睨みつけた。
しかし、その頬はまだほんのり赤い。
「……っ、コホン。と、とにかく、エルムウィンド村の人たちは、みんな喜んでいたよ。貴方がグラドギオルムを倒してくれたおかげでね。後で、
咳払いを一つして、リティカは真面目な顔つきに戻る。
「そうか……」
村人たちの感謝。それは素直に受け止めたい気持ちもあるが、同時に、オレの心には複雑な感情が渦巻く。
オレはただ、ログアウトしたかっただけだ……。
「もし、貴方が戦わなければ、あの村は全滅していたっておかしくなかったわ。だから、この村にとって貴方は紛れもなくヒーローよ。ギルドに助けを求めに来た少女なんて、貴方の無事を知って、それはもう泣きながら感謝していたわ」
「そうか……」
また、同じ言葉しか出てこない。
NPCとはいえ、人が助かったのは良いことだ。それは間違いない。
だが、オレの目的はそこじゃない。
「あなたって、いつもそうよね」
リティカが、ふと呟いた。
その声は、いつもの皮肉めいた響きではなく、どこか静かで、それでいて底が見えない湖面のような……そんな印象を受けた。
「誰かを助けるためなら、自分の命なんてこれっぽっちも顧みないくせに……いざそれを達成しても、ちっとも嬉しそうじゃない。むしろ、どこか辛そう」
「…………」
オレは黙り込む。
相変わらずリティカは鋭い。
彼女の言う通りだ。オレは、この世界で英雄になんてなりたくない。
ただ、現実に戻りたいだけなんだ。
「まあ、私はあなたが何を考えていようと、どうでもいいのだけれどね」
リティカはそう言って、ふいと顔をそむけた。
いつもの突き放すようなセリフ。
ああ、またいつものリティカだな、とオレが思った、その瞬間だった。
「……ぐすっ……」
え……?
微かに、本当に微かにだが、鼻をすするような音が聞こえた。
まさか、と思ってリティカの横顔を窺うと、彼女は俯いたまま、必死に何かを堪えているように肩を震わせていた。
そして、ぽつり、ぽつりと、言葉にならない嗚咽が漏れ始める。
「……うっ……ひっく……」
嘘だろ……。
あの、常に冷静沈着で、皮肉屋で、心配してたなんて一言も発しないリティカが……泣いている……?
「おい、リティカ……? どうしたんだよ、急に……」
オレが戸惑いながら声をかけると、リティカはさらに強く顔を背け、決してこちらを見ようとしない。
その白い首筋が、ほんのりと赤く染まっているのが見えた。
「……なんでも、ないわ……。あなたの、気のせいよ……。私は、泣いてなんか……ぐすっ……ないんだから……っ」
強がる言葉とは裏腹に、彼女の声は震え、途切れ途切れだ。
そして、その小さな肩は、抑えきれない感情の波に揺られている。
「本当に……本当に、無事で……よかった……なんて、思ってないんだから……っ。あなたが……あなたが死のうが生きようが……私には、関係ないことなんだから……うぅっ……」
言葉と感情が、完全に裏腹だ。
いつもは理路整然とした彼女からは想像もできないほど、その言葉はしどろもどろで、幼子のように取り乱している。
「……でも……もし……もし、あなたが本当に……いなくなってしまったらって……考えたら……なんだか、胸が……苦しくなって……っ。なんで、あなたごときにこんなこと思わなきゃいけないのよ……っ」
リティカは、必死に涙声をごまかそうとしているのか、何度も咳払いをするが、その効果はまったくない。
むしろ、余計にしゃくりあげてしまっている。
「……大丈夫か、リティカ」
オレは、そっと彼女の肩に手を伸ばした。
すると、リティカはビクッと体を震わせ、さらに強く抵抗するように顔を背ける。
「い、嫌っ……! 見ないで……! こんな、こんな顔……あなたなんかに、絶対に見られたくないんだから……っ!」
その声は、もはや悲鳴に近い。
普段の彼女からは想像もつかない、剥き出しの感情。
そして、その言葉の裏にある、あまりにも深い……そして、おそらく彼女自身も持て余しているであろう、オレへの想い。
いつも冷静なリティカが見せる、予想外の脆さ。
それは、ユウのストレートな愛情とも、キバの不器用な献身とも違う、もっと屈折していて、だからこそ……どうしようもなく心を揺さぶられる何かがあった。
ああ、もう……。
このパーティー、本当にどうなってんだ……。
NPCの感情表現のリアルさにも程があるだろ……。
このままじゃ、本当に……オレの心が、この世界に囚われてしまう。
早く、早くログアウトしなければ……。
そう思うのに、目の前で泣きじゃくる彼女を、どうしても放っておけない自分がいる。
オレが、泣きじゃくるリティカをどうしたものかと途方に暮れていると、その時だった。
「ああぁぁぁぁぁぁーーーーっ!! どうしようっ! アスマっちがいないぃぃぃーーーーっ!!」
宿屋の廊下に、鼓膜を劈くような、ユウの絶叫が響き渡った。
リティカも、オレも、思わずビクッと肩を震わせ、声のした方――オレたちがさっきまでいた部屋の方向――を振り返るのだった。