ここがゲームではないと気づいたとき、オレは壊れる   作:お嬢様執筆中

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3 皮肉屋

「ああ、リティカ……。おはよう」

 

 オレが声をかけると、リティカは壁に寄りかかったまま、優雅に片手を上げた。

 

「ええ、おはよう。昨晩は……ええと、そうね、形容するなら『嵐のようだった』かしら。ユウもキバも、貴方のせいでそれはもう大変だったのよ?」

 

 リティカはくすりと優雅に微笑むと、オレのボロボロの姿を一瞥し、やれやれと肩をすくめてみせた。

 その言葉には、いつものような軽い皮肉が込められていたが、その瞳の奥には、やはり心配の色が滲んでいるように見える。

 

「……ああ、まあ、色々迷惑をかけたみたいだな」

 

「みたい、ではなくて、かけたのよ。自覚はあるのね? よろしい」

 

 リティカは小さく頷くと、壁から背を離し、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってきた。

 彼女の歩き方は、まるで水面を滑るかのように静かで、優雅だ。

 

「ユウは、貴方が目を覚ますまで一睡もせずに看病していたわ。本当に、健気な子よね。……まあ、そのせいで魔力も体力も限界だったみたいで、貴方が目を覚ます少し前に、ようやく力尽きて眠りについたけれど」

 

「そうか……。ユウには、本当に悪いことをした……」

 

「キバもよ。貴方が一人で飛び出したって聞いて、それはもう凄い剣幕だったわ。今朝も早くから、何かを決意したような顔で出て行ったけど……貴方、何か心当たりは?」

 

 リティカの紫色の瞳が、じっとオレを見つめてくる。

 まるで、オレの心の奥底まで探ろうとしているかのように。

 

「……特訓してくると言っていたな。くわしいことはよくわからんが」

 

「ふぅん……? まあ、いいわ。キバの猪のように唐突なのはいつものことだもんね」

 

 リティカは小さくため息をつくと、オレのすぐそばまで来て立ち止まった。

 ふわりと、彼女が使っているのだろうか、どこか落ち着くハーブのような香りが鼻腔をくすぐる。

 

「あなた、また無茶したんだって?」

 

 改めて、リティカがじろりとオレを見上げてくる。

 

「あぁ、そうだな。悪い、心配かけたみたいで」

 

 オレが素直に謝ると、リティカはフンと鼻を鳴らした。

 

「謝る必要はないわ。わたしはあなたを心配なんかこれっぽっちもしてないのだから。黙ってさっさと死んでいればよかったのに。そうすれば、ユウもキバも少しは落ち着いたでしょうね」

 

「うっ……」

 

 相変わらず容赦のない言葉だ。だが、これがリティカなりのコミュニケーションなのだ。

 

「ただ、まあユウとキバはもう限界かもね。ユウなんか、あなたが単独で村へ向かったと気づいた時の取り乱しようったら……あははっ、ホント、傑作だったわ。あの顔、あなたにも見せてあげたかったかも」

 

 リティカは楽しそうに肩を揺らす。こういう意地悪なところは、本当にブレない。

 だが、その言葉の端々から、結局はオレのことを心配してくれていたのが透けて見える。

 

「そうか、リティカもやっぱり心配してくれたみたいだな。ありがとうよ」

 

「なっ……! な、なんで私が心配したことになっているのよっ! 私はどうでもいいって、今言ったばかりでしょうがっ!」

 

 リティカが顔を真っ赤にして抗議する。

 

「はいはい、そう言いつつも、いつもオレたちのこと、的確にアドバイスしてくれるだろ? なんだかんだで、一番見てくれてるじゃないか」

 

 そう言って、オレはリティカの髪をわしゃわしゃと撫でてやった。

 

「な、なにするのよ、この無礼者っ! や、やめなさいったら! 髪が乱れるでしょうがっ!」

 

 リティカはむきーっとなってオレの手を振り払おうとするが、その抵抗はどこか弱々しい。

 うん、やっぱりリティカはただのツンデレさんだ。しかも、そのデレが超絶わかりにくいから、初見の人間はだいたい誤解する。

 このパーティー、面倒くさいけど可愛いNPCばっかりだな、本当に。

 

 やがて満足したオレが手を離すと、リティカはぜぇぜぇと肩で息をしながら、それでもキッとオレを睨みつけた。

 しかし、その頬はまだほんのり赤い。

 

「……っ、コホン。と、とにかく、エルムウィンド村の人たちは、みんな喜んでいたよ。貴方がグラドギオルムを倒してくれたおかげでね。後で、村長(そんちょう)さんが直々に、お礼に伺いたいと言っていたわ」

 

 咳払いを一つして、リティカは真面目な顔つきに戻る。

 

「そうか……」

 

 村人たちの感謝。それは素直に受け止めたい気持ちもあるが、同時に、オレの心には複雑な感情が渦巻く。

 オレはただ、ログアウトしたかっただけだ……。

 

「もし、貴方が戦わなければ、あの村は全滅していたっておかしくなかったわ。だから、この村にとって貴方は紛れもなくヒーローよ。ギルドに助けを求めに来た少女なんて、貴方の無事を知って、それはもう泣きながら感謝していたわ」

 

「そうか……」

 

 また、同じ言葉しか出てこない。

 NPCとはいえ、人が助かったのは良いことだ。それは間違いない。

 だが、オレの目的はそこじゃない。

 

「あなたって、いつもそうよね」

 

 リティカが、ふと呟いた。

 その声は、いつもの皮肉めいた響きではなく、どこか静かで、それでいて底が見えない湖面のような……そんな印象を受けた。

 

「誰かを助けるためなら、自分の命なんてこれっぽっちも顧みないくせに……いざそれを達成しても、ちっとも嬉しそうじゃない。むしろ、どこか辛そう」

 

「…………」

 

 オレは黙り込む。

 相変わらずリティカは鋭い。

 彼女の言う通りだ。オレは、この世界で英雄になんてなりたくない。

 ただ、現実に戻りたいだけなんだ。

 

「まあ、私はあなたが何を考えていようと、どうでもいいのだけれどね」

 

 リティカはそう言って、ふいと顔をそむけた。

 いつもの突き放すようなセリフ。

 ああ、またいつものリティカだな、とオレが思った、その瞬間だった。

 

「……ぐすっ……」

 

 え……?

 微かに、本当に微かにだが、鼻をすするような音が聞こえた。

 まさか、と思ってリティカの横顔を窺うと、彼女は俯いたまま、必死に何かを堪えているように肩を震わせていた。

 そして、ぽつり、ぽつりと、言葉にならない嗚咽が漏れ始める。

 

「……うっ……ひっく……」

 

 嘘だろ……。

 あの、常に冷静沈着で、皮肉屋で、心配してたなんて一言も発しないリティカが……泣いている……?

 

「おい、リティカ……? どうしたんだよ、急に……」

 

 オレが戸惑いながら声をかけると、リティカはさらに強く顔を背け、決してこちらを見ようとしない。

 その白い首筋が、ほんのりと赤く染まっているのが見えた。

 

「……なんでも、ないわ……。あなたの、気のせいよ……。私は、泣いてなんか……ぐすっ……ないんだから……っ」

 

 強がる言葉とは裏腹に、彼女の声は震え、途切れ途切れだ。

 そして、その小さな肩は、抑えきれない感情の波に揺られている。

 

「本当に……本当に、無事で……よかった……なんて、思ってないんだから……っ。あなたが……あなたが死のうが生きようが……私には、関係ないことなんだから……うぅっ……」

 

 言葉と感情が、完全に裏腹だ。

 いつもは理路整然とした彼女からは想像もできないほど、その言葉はしどろもどろで、幼子のように取り乱している。

 

「……でも……もし……もし、あなたが本当に……いなくなってしまったらって……考えたら……なんだか、胸が……苦しくなって……っ。なんで、あなたごときにこんなこと思わなきゃいけないのよ……っ」

 

 リティカは、必死に涙声をごまかそうとしているのか、何度も咳払いをするが、その効果はまったくない。

 むしろ、余計にしゃくりあげてしまっている。

 

「……大丈夫か、リティカ」

 

 オレは、そっと彼女の肩に手を伸ばした。

 すると、リティカはビクッと体を震わせ、さらに強く抵抗するように顔を背ける。

 

「い、嫌っ……! 見ないで……! こんな、こんな顔……あなたなんかに、絶対に見られたくないんだから……っ!」

 

 その声は、もはや悲鳴に近い。

 普段の彼女からは想像もつかない、剥き出しの感情。

 そして、その言葉の裏にある、あまりにも深い……そして、おそらく彼女自身も持て余しているであろう、オレへの想い。

 

 いつも冷静なリティカが見せる、予想外の脆さ。

 それは、ユウのストレートな愛情とも、キバの不器用な献身とも違う、もっと屈折していて、だからこそ……どうしようもなく心を揺さぶられる何かがあった。

 

 ああ、もう……。

 このパーティー、本当にどうなってんだ……。

 NPCの感情表現のリアルさにも程があるだろ……。

 このままじゃ、本当に……オレの心が、この世界に囚われてしまう。

 早く、早くログアウトしなければ……。

 そう思うのに、目の前で泣きじゃくる彼女を、どうしても放っておけない自分がいる。

 

 オレが、泣きじゃくるリティカをどうしたものかと途方に暮れていると、その時だった。

 

「ああぁぁぁぁぁぁーーーーっ!! どうしようっ! アスマっちがいないぃぃぃーーーーっ!!」

 

 宿屋の廊下に、鼓膜を劈くような、ユウの絶叫が響き渡った。

 リティカも、オレも、思わずビクッと肩を震わせ、声のした方――オレたちがさっきまでいた部屋の方向――を振り返るのだった。

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