ここがゲームではないと気づいたとき、オレは壊れる 作:お嬢様執筆中
ゲームでプレイヤーが死ねば、普通は「ゲームオーバー」って表示が出て、タイトル画面に戻されたり、セーブポイントからやり直したりする。
この「アークスフィア・オンライン」がVRMMOである以上、例外ではないはずだ。
死ねば……強制的にログアウトして、現実に戻れる……!
その結論に至ったオレは、まるで天啓を得たかのように、気分が高揚するのを感じた。
そうだ、なんでこんな簡単なことに今まで気づかなかったんだ……!
いや、気づいてはいた。ただ、心のどこかで躊躇していただけだ。
だが、もう迷ってはいられない。
オレは懐から、ユウに買ってもらった
銀色に鈍く光る刃を、自分の首筋にそっと当てる。
ひんやりとした金属の感触が、やけに生々しい。
……あとは、これを、一気に……!
ごくりと唾を飲み込む。
頭ではわかっている。これはゲームだ。死んでも、痛いのは一瞬で、すぐに現実に戻れる。
そう自分に言い聞かせ、短剣を握る手に力を込めた。
……しかし。
できない……! どうしても、体が言うことを聞かない……!
指先が震え、呼吸が荒くなる。心臓が、警鐘を乱打するようにうるさく鳴り響いている。
ダメだ……怖い……。
この世界は、VRMMOのくせして、何もかもがリアルすぎるんだ。
剣で斬られれば血が噴き出し、骨が折れれば激痛が走る。
その痛覚が、本能的に「死」を拒絶させている。
なんて臆病なんだ、オレは……。
こんな簡単なことすら、できないなんて……。
結局、オレは短剣を握りしめたまま、その場にへたり込んでしまった。
情けない……。本当に、自分が情けない……。
……こうなったら、もう、自棄だ。
自分で死ねないなら、誰かに殺してもらうしかない。
幸い、この街の近くに、熟練の冒険者でも苦戦するという高難易度のダンジョンがあるという噂を耳にしていた。
確か……「
レベル1のオレなんかが足を踏み入れれば、間違いなく瞬殺されるだろう。
それでいい。いや、それがいいんだ。
オレはふらりと立ち上がり、ほとんど何も考えずに、そのダンジョンへと向かって歩き出した。
ダンジョンの入り口は、不気味なほど静まり返っていた。
まるで巨大な獣の顎のように開いた洞窟の奥からは、冷たく湿った空気が流れ出してくる。
中からは、時折、得体の知れない獣の呻き声のようなものが聞こえてきて、背筋がぞくりとした。
……よし、これなら死ねる。
オレは深呼吸一つすると、覚悟を決めて洞窟の中へと足を踏み入れた。
中は、予想通り真っ暗で、じめじめとしていた。
壁からは水滴が滴り落ち、足元はぬかるんでいる。
しばらく進むと、最初のモンスターが現れた。
鋭い牙と爪を持つ、狼に似た黒い獣だ。目が赤く光っていて、明らかに凶暴そうだ。
レベル1のオレでは、到底敵う相手ではない。
……よし、これで楽になれる……!
そう思ったのに……!
黒い獣が猛然と襲いかかってきた瞬間、オレの体は、勝手に反応していた。
短剣を抜き放ち、咄嗟にその攻撃をいなす。
そして、カウンター気味に、相手の喉元を切り裂いていた。
グギャッ、という短い悲鳴と共に、黒い獣は血飛沫を上げてどうと倒れる。
……なんで……? なんで、倒しちまったんだ……?
手を抜けばよかった。わざと攻撃を受ければよかった。
それなのに、オレの体は、生き残るために最適化された動きをしてしまった。
ユウとの訓練の成果が、こんなところで発揮されるなんて、皮肉にもほどがある……。
その後も、オレは無我夢中でダンジョンの奥へと進み続けた。
次々と襲いかかってくるモンスターたち。
巨大な蜘蛛、毒々しい色のキノコのお化け、硬い甲羅を持つ亀のような魔物……。
その全てを、まるで何かに憑かれたかのように、なぎ倒していく。
おかしい。オレは死にに来たはずなのに……。
なぜ、こんなにも必死に戦っているんだ……?
わからない。ただ、目の前の敵を排除しなければ、という強迫観念にも似た感情が、オレを突き動かしていた。
そして、どれくらいの時間が経っただろうか。
気がつけば、オレはダンジョンの最奥らしき、広大な空間に辿り着いていた。
そこには、ひときわ巨大で、禍々しいオーラを放つ魔物が鎮座していた。
それは、まるで巨大な
全長は十メートルを優に超え、全身は黒光りする甲殻で覆われている。無数の足がうねうねと動き、頭部からは鋭い鎌のような大顎が二本突き出ている。そして、尻尾の先には、バスケットボールほどもある巨大な毒針が、不気味な光を放っていた。
こいつが、このダンジョンのボスか……!
見るからに、とんでもなく強そうだ……!
今度こそ、本当に死ねるかもしれない……!
オレは、最後の力を振り絞るように、魔物に向かって突進した。
魔物は、巨体に似合わぬ俊敏さで反応し、鋭い大顎でオレを薙ぎ払おうとする。
オレはそれを紙一重でかわし、懐に飛び込む。
だが、奴の攻撃はそれだけではなかった。無数の足が、まるで槍のようにオレを突き刺そうと襲いかかってくる。
避ける! 斬る! また避ける!
オレは、ユウに教わったヒットアンドアウェイ戦法を、無意識のうちに展開していた。
持ち前の速度と精度を最大限に活かし、相手の攻撃の隙を縫って、甲殻の薄そうな関節部分を狙って斬りつけていく。
しかし、奴の甲殻は想像以上に硬く、オレの短剣では大したダメージを与えられない。
逆に、奴の攻撃が掠めるだけで、オレの体には深い傷が刻まれていく。
左肩を大顎で抉られ、激痛と共に腕の感覚が鈍くなる。
右足には毒針が突き刺さり、焼けつくような痛みと、全身を巡る痺れがオレを襲う。
それでも、オレは戦うのをやめなかった。
手を抜けばいい。死ねる。
そう思うのに、体は、まだ生きようと必死にもがいている。
この矛盾が、自分でも理解できない……!
どれだけ戦い続けたのか……。
オレの体は、もはやボロボロだった。
全身からおびただしい量の血が流れ出し、意識が朦朧とし始める。
視界は赤く染まり、呼吸もままならない。
だが、その時だった。
魔物が大きく口を開け、強力なブレス攻撃を放とうとした瞬間――そのがら空きになった口の中に、オレは最後の力を振り絞り、折れかけた短剣を投げつけた。
それは、奇跡的にも、奴の喉の奥深くに突き刺さった。
ギャオオオオオオォォォンッ!!
魔物は断末魔の叫びを上げ、その巨体をゆっくりと横たえた。
おびただしい量の、紫色の血が、まるで噴水のように吹き出し、オレの全身を濡らす。
……や、やった……のか……?
オレは、その場に崩れ落ちた。
全身から力が抜け、指一本動かせない。
ドクドクと、自分の体から血が流れ出ていく感覚が、やけにリアルだ。
ああ……今度こそ、本当に死ぬ……。
これで……これで、やっとログアウトできる……。
痛い……苦しい……でも、これで……。
<スキル:
ふと、頭の中にそんな無機質なメッセージが流れ込んできた。
……スキル?
はっ……くだらない。
今のオレには、そんなもの、どうだっていい……。
早く……早く、ログアウトさせてくれ……。
「アスマっちぃぃぃぃーーーーっ!!!!」
その時、鼓膜を劈くような、聞き慣れた少女の絶叫が、ダンジョンの奥に響き渡った。
ユウ……!? なんで、お前がここに……!?
「もぉぉぉっ! なんで、なんでこんな無茶するんだよっ! すれ違った冒険者の人が、アスマっちが一人でこのダンジョンに入っていったって教えてくれなかったら、どうなってたと思ってんのよっ!!」
血相を変えたユウが、オレの元に駆け寄ってくる。
その琥珀色の瞳は、怒りで染まっていた。
彼女は、震える手でオレの傷口に治癒魔術の光をかざそうとする。
やめろ……!
そう言おうとした。
やめろ……! オレを、放っておいてくれ……!
このまま、死なせてくれ……! そうすれば、オレは……!
だが、言葉が出てこない。
声を発しようとした瞬間、とてつもない不安が、オレの心を鷲掴みにした。
……あれ……?
この世界は……本当に、VRMMOなんだろうか……?
もし……万が一……これがゲームじゃなくて……。
本当に、どういう因果か、異世界に転生してしまったのだとしたら……?
だとしたら、オレの死は……?
ただの、無駄死に……?
現実で果たさなければならない約束を破るどころか……こんなところで、無意味に死ぬ……?
そんな……そんな馬鹿なことがあるはずが――。
でも……もし、そうだったら……?
その、拒絶したいはずの可能性が、あまりにも鮮明に頭をよぎり、オレは金縛りにあったように口を開くことができなくなってしまった。
ユウの治癒魔術の温かい光が、オレの傷を包み込んでいく。
意識が、急速に薄れていく……。
ダメだ……死ななきゃ……ログアウトしなきゃ……。
それなのに……。
気がつけば、オレはユウの腕の中で、なすすべもなく生かされていた……。
最悪だ……。本当に、最悪の気分だ……。