ここがゲームではないと気づいたとき、オレは壊れる   作:お嬢様執筆中

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8 居心地の悪さしか感じない

 オレは、ユウとキバに両腕をがっちりとホールドされたまま、宿屋の食堂へと向かって歩いていた。

 正直、暑苦しいことこの上ない……。だが、これを振りほどこうとすれば、また面倒なことになるのは目に見えている。

 はぁ……。

 

 結局、あの「深淵(しんえん)迷宮(ラビリンス)」で死にかけたあの日から今日まで、オレは何度も死ぬチャンスがあった。

 昨日のエルムウィンド村を襲った魔獣グラドギオルムとの戦い。あれだって、オレとしては「今度こそ確実に殺してくれるだろう」という、切実な期待を込めての行動だった。

 結果は……またしても生き残ってしまった。

 まったく、どうしてこうも上手くいかないんだ……! オレは、本気でログアウトしたいのに……!

 そのために、死ぬ必要がある。ただそれだけのこと……のはずなのに。

 本当なら、とっくに自分の手で命を絶ってログアウトし、現実世界に戻っているはずだった。

 ……大切な約束を果たすために。

 それなのに、このクソリアルな痛覚が、そして、いざとなると震えだすこの臆病な身体が、それを許さないのだ。

 以前、本気で自害しようとした時も、刃を首筋に当てた瞬間、全身を駆け巡った悪寒と、想像を絶する激痛への恐怖に手が動かなくなった。

 あの時、脳裏をよぎったのは、剣で斬られた時の生々しい感触、骨が砕ける鈍い音、そして、これがもしゲームではなかったら……という、普段は心の奥底に押し殺している最悪の予感だった。その途端、体が鉛のように重くなり、無様に失敗した。あの時の情けなさは、今思い出しても虫唾が走る……。

 だからこそ、強大な敵に殺されるという、ある意味他力本願な方法に頼らざるを得ない自分が、心の底から恨めしい。

 

 死んでログアウトする。

 それが、このVRMMO「アークスフィア・オンライン」から脱出するための、今のところ唯一にして、オレに残された最後の手段だと信じている。……いや、信じなければならない。

 もし……万が一にも……ここがゲームなんかではなく、本当に異世界だったとしたら……?

 その思考が頭をかすめるたび、全身から血の気が引くような感覚に襲われる。

 そんな馬鹿げた可能性を考えるだけで、吐き気がする。

 そんなこと、絶対にありえない。あってたまるか。

 そうだ、ここはゲームだ。

 そう、ここはゲーム。

 ……ゲームなんだ。

 だって、もしここが異世界なら、オレの「死んでログアウト」という試みは、ただの無意味で滑稽な自殺行為になってしまう。

 そうなったら、現実の約束を破るどころの話じゃない。オレは、ただの取り返しのつかない馬鹿だ。

 それだけは、絶対に避けなければならない。

 だからこそ、ここはゲームなんだ。

 ゲームなんだと、信じ続けるしかない。

 この確信だけが、オレの唯一の希望なんだから……。この希望があるからこそ、まだ正気を保っていられる……。

 

 そんなことをつらつらと考えていたせいか、オレはふと足を止めてしまった。

 視線の先には、宿屋の入り口付近に集まっている人影があった。

 見覚えのある顔が、いくつか……。

 

「あっ……! アスマさん……!」

 

 最初にオレに気づいたのは、数日前に冒険者ギルドに駆け込んできた、あの少女だった。

 エルムウィンド村の出身で、母親を人質に取られたと訴えていた彼女だ。

 少女はオレの姿を認めるなり、わっと泣き出しそうな顔で駆け寄ってきた。

 その隣には、おそらく彼女の母親らしき女性と、数人の村人たち、そして……ひときわ立派な身なりの、初老の男性が立っていた。あの人が、エルムウィンド村の村長さんだろうか。

 

「アスマさん……! 本当に……本当に、ありがとうございました……!」

 

 少女は、オレの目の前まで来ると、深々と頭を下げた。その肩は小刻みに震え、嗚咽が漏れている。

 母親らしき女性も、涙を浮かべながら何度も頭を下げてくる。

 そして、村長と思しき男性が、ゆっくりと前に進み出て、厳かな口調で言った。

 

「アスマ殿……。この度は、我々エルムウィンド村を救っていただき、誠に……誠に、言葉もないほど感謝しております。貴殿の勇気ある行動がなければ、我々は今頃……」

 

 村長は言葉を詰まらせ、ハンカチで目頭を押さえた。

 他の村人たちも、皆、感極まった表情でオレを見つめ、口々に感謝の言葉を述べてくる。

 NPCの、プログラムされた反応……のはずなのに。

 その涙も、感謝の言葉も、あまりにも真に迫っていて……オレは、どうしようもなく居心地の悪さを感じていた。

 いや、居心地が悪いなんてものじゃない。はっきり言って、迷惑だ。

 別に、彼らに感謝されたくて魔獣と戦ったわけじゃない。

 オレはただ……グラドギオルムなら確実にオレを殺してくれるだろうと期待して、死に場所を探していただけだ。

 あわよくば、あの強大な魔獣に殺されて、ログアウトできるんじゃないかと……そんな、身勝手な理由でしかなかった。

 それを、英雄扱いされても困る。まったく、いい迷惑だ……。このNPCたちの過剰な演技は、オレの決意を鈍らせようとする罠としか思えない。

 

「いえ……オレは、大したことはしていませんから……」

 

 咄嗟に、そんな当たり障りのない言葉が口をついて出る。早くこの場を終わらせたい。

 村長は、そんなオレの言葉に、いえいえと首を横に振った。

 

「ご謙遜なさらないでください、アスマ殿。貴殿は、我々エルムウィンド村にとって、命の恩人でございます。つきましては、ささやかではございますが、お礼をさせていただければと……」

 

 そう言って、村長は革袋を取り出し、オレに差し出そうとした。中には、おそらくかなりの額のお金が入っているのだろう。

 だが、オレはそれを素直に受け取る気になれなかった。……というより、必要ない。

 

「……いえ、結構です。オレが勝手にやったことですから……」

 

 オレは、静かにそう言って、差し出された革袋を押し返した。

 

「では、討伐したグラドギオルムの素材を持ち帰ってください。換金すればそれなりの額になるでしょう」

 

「そちらも結構です。ぜひ、村の復興に使ってください。オレには不要なものですから」

 

 お金なんて、このゲームから今すぐログアウトしたいオレには何の価値もない。

 オレの言葉に、村長や村人たちは、一瞬きょとんとした顔をしたが、やがてその意味を勝手に良いように解釈したのか、さらに深く感動した様子を見せた。

 

「アスマ殿……! なんと、お心の広い……!」

 

「本当に、あなたは私たちの英雄です……!」

 

 口々に称賛の言葉が飛び交う。

 だから、違うんだって……。こいつらNPCは、本当にこちらの意図を汲み取るのが下手だな。

 その言葉は、オレの胸には少しも響かなかった。

 むしろ、ズキズキと痛むだけだ。英雄なんかじゃない。

 オレは、現実の約束を守るために、このゲームからのログアウトを目指しているだけだ。

 彼らの評価など、どうでもいい。むしろ、早くこの鬱陶しい状況から解放されたい。

 

 隣では、ユウがオレの横顔を心配そうに見つめていた。その琥珀色の瞳には、どこか不安げな色が浮かんでいる。

 

「アスマっち……無理してるんじゃ? 少しぐらいご厚意に甘えてもよかったんじゃ……?」

 

 か細い声でそう呟くユウの言葉は、的を射ているようで、やっぱり的外れだ。

 このNPCは、本当に世話焼きだな……。だが、その優しさが、今のオレには重荷でしかない。

 キバも、むすっとした表情で腕を組み、オレと村人たちを交互に見ている。その獣耳がぴくぴくと動き、何かいいたげだが、言葉が出てこないようだ。こいつの勘の良さは、時々NPCとは思えないほど鋭いが、今回はどうだろうか。

 リティカは……やれやれといった感じで小さくため息をついた。その紫色の瞳は、オレの頑なな態度を値踏みするように細められている。

 

「……まあ、貴方がそういうなら、それでいいんじゃないかしら。私にはどうでもいいことよ」

 

 いつもの皮肉めいた口調だが、その声色には、どこか棘のない、むしろ……いや、それも気のせいか。NPCの感情の機微なんて、深読みするだけ無駄だ。

 

 彼女たちの視線が、さらにオレを苛立たせる。

 違うんだ。オレは、お前たちが心配するような、そんな殊勝な人間じゃないんだ。

 早く、この茶番から立ち去りたかった。

 村人たちの純粋すぎる感謝も、仲間たちの気遣わしげな視線も、今のオレにはあまりにも重く、そして不快だ。

 その後、なんとか村人たちからの感謝の言葉の嵐をやり過ごし、オレたちはようやく宿屋の食堂へとたどり着いた。

 騒がしいはずの朝食の席は、どこかぎこちない空気に包まれている。

 ユウもキバも、チラチラとオレの様子を窺っては、何か言いたそうに口をもごもごさせている。リティカは、いつも通りすまし顔でスープを啜っているが、その視線は時折、鋭くオレに向けられた。

 

 オレは一人、先程の出来事を反芻する。

 結局、オレは何をやっているんだろう……。

 ログアウトするという目的から、どんどん行動がかけ離れていっている気がする。

 NPCを助け、感謝され、そして仲間たち(という設定のNPC)に心配される……。

 こんな、まるで本当にこの世界の一員であるかのような状況。

 それは、オレが最も恐れていることのはずなのに……。

 この居心地の悪さ……いや、もしかしたら、ほんの少しだけ、この状況に慣れ始めている自分がいるのかもしれないという恐怖。それが、どうしようもなく気持ち悪かった。

 早く……早く、ログアウトしなければ……。

 あんなNPCたちのリアルすぎる感情に絆されて、この世界に甘えてしまう前に……。

 オレは帰らなければならない。

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