ここがゲームではないと気づいたとき、オレは壊れる 作:お嬢様執筆中
オレは、ユウとキバに両腕をがっちりとホールドされたまま、宿屋の食堂へと向かって歩いていた。
正直、暑苦しいことこの上ない……。だが、これを振りほどこうとすれば、また面倒なことになるのは目に見えている。
はぁ……。
結局、あの「
昨日のエルムウィンド村を襲った魔獣グラドギオルムとの戦い。あれだって、オレとしては「今度こそ確実に殺してくれるだろう」という、切実な期待を込めての行動だった。
結果は……またしても生き残ってしまった。
まったく、どうしてこうも上手くいかないんだ……! オレは、本気でログアウトしたいのに……!
そのために、死ぬ必要がある。ただそれだけのこと……のはずなのに。
本当なら、とっくに自分の手で命を絶ってログアウトし、現実世界に戻っているはずだった。
……大切な約束を果たすために。
それなのに、このクソリアルな痛覚が、そして、いざとなると震えだすこの臆病な身体が、それを許さないのだ。
以前、本気で自害しようとした時も、刃を首筋に当てた瞬間、全身を駆け巡った悪寒と、想像を絶する激痛への恐怖に手が動かなくなった。
あの時、脳裏をよぎったのは、剣で斬られた時の生々しい感触、骨が砕ける鈍い音、そして、これがもしゲームではなかったら……という、普段は心の奥底に押し殺している最悪の予感だった。その途端、体が鉛のように重くなり、無様に失敗した。あの時の情けなさは、今思い出しても虫唾が走る……。
だからこそ、強大な敵に殺されるという、ある意味他力本願な方法に頼らざるを得ない自分が、心の底から恨めしい。
死んでログアウトする。
それが、このVRMMO「アークスフィア・オンライン」から脱出するための、今のところ唯一にして、オレに残された最後の手段だと信じている。……いや、信じなければならない。
もし……万が一にも……ここがゲームなんかではなく、本当に異世界だったとしたら……?
その思考が頭をかすめるたび、全身から血の気が引くような感覚に襲われる。
そんな馬鹿げた可能性を考えるだけで、吐き気がする。
そんなこと、絶対にありえない。あってたまるか。
そうだ、ここはゲームだ。
そう、ここはゲーム。
……ゲームなんだ。
だって、もしここが異世界なら、オレの「死んでログアウト」という試みは、ただの無意味で滑稽な自殺行為になってしまう。
そうなったら、現実の約束を破るどころの話じゃない。オレは、ただの取り返しのつかない馬鹿だ。
それだけは、絶対に避けなければならない。
だからこそ、ここはゲームなんだ。
ゲームなんだと、信じ続けるしかない。
この確信だけが、オレの唯一の希望なんだから……。この希望があるからこそ、まだ正気を保っていられる……。
そんなことをつらつらと考えていたせいか、オレはふと足を止めてしまった。
視線の先には、宿屋の入り口付近に集まっている人影があった。
見覚えのある顔が、いくつか……。
「あっ……! アスマさん……!」
最初にオレに気づいたのは、数日前に冒険者ギルドに駆け込んできた、あの少女だった。
エルムウィンド村の出身で、母親を人質に取られたと訴えていた彼女だ。
少女はオレの姿を認めるなり、わっと泣き出しそうな顔で駆け寄ってきた。
その隣には、おそらく彼女の母親らしき女性と、数人の村人たち、そして……ひときわ立派な身なりの、初老の男性が立っていた。あの人が、エルムウィンド村の村長さんだろうか。
「アスマさん……! 本当に……本当に、ありがとうございました……!」
少女は、オレの目の前まで来ると、深々と頭を下げた。その肩は小刻みに震え、嗚咽が漏れている。
母親らしき女性も、涙を浮かべながら何度も頭を下げてくる。
そして、村長と思しき男性が、ゆっくりと前に進み出て、厳かな口調で言った。
「アスマ殿……。この度は、我々エルムウィンド村を救っていただき、誠に……誠に、言葉もないほど感謝しております。貴殿の勇気ある行動がなければ、我々は今頃……」
村長は言葉を詰まらせ、ハンカチで目頭を押さえた。
他の村人たちも、皆、感極まった表情でオレを見つめ、口々に感謝の言葉を述べてくる。
NPCの、プログラムされた反応……のはずなのに。
その涙も、感謝の言葉も、あまりにも真に迫っていて……オレは、どうしようもなく居心地の悪さを感じていた。
いや、居心地が悪いなんてものじゃない。はっきり言って、迷惑だ。
別に、彼らに感謝されたくて魔獣と戦ったわけじゃない。
オレはただ……グラドギオルムなら確実にオレを殺してくれるだろうと期待して、死に場所を探していただけだ。
あわよくば、あの強大な魔獣に殺されて、ログアウトできるんじゃないかと……そんな、身勝手な理由でしかなかった。
それを、英雄扱いされても困る。まったく、いい迷惑だ……。このNPCたちの過剰な演技は、オレの決意を鈍らせようとする罠としか思えない。
「いえ……オレは、大したことはしていませんから……」
咄嗟に、そんな当たり障りのない言葉が口をついて出る。早くこの場を終わらせたい。
村長は、そんなオレの言葉に、いえいえと首を横に振った。
「ご謙遜なさらないでください、アスマ殿。貴殿は、我々エルムウィンド村にとって、命の恩人でございます。つきましては、ささやかではございますが、お礼をさせていただければと……」
そう言って、村長は革袋を取り出し、オレに差し出そうとした。中には、おそらくかなりの額のお金が入っているのだろう。
だが、オレはそれを素直に受け取る気になれなかった。……というより、必要ない。
「……いえ、結構です。オレが勝手にやったことですから……」
オレは、静かにそう言って、差し出された革袋を押し返した。
「では、討伐したグラドギオルムの素材を持ち帰ってください。換金すればそれなりの額になるでしょう」
「そちらも結構です。ぜひ、村の復興に使ってください。オレには不要なものですから」
お金なんて、このゲームから今すぐログアウトしたいオレには何の価値もない。
オレの言葉に、村長や村人たちは、一瞬きょとんとした顔をしたが、やがてその意味を勝手に良いように解釈したのか、さらに深く感動した様子を見せた。
「アスマ殿……! なんと、お心の広い……!」
「本当に、あなたは私たちの英雄です……!」
口々に称賛の言葉が飛び交う。
だから、違うんだって……。こいつらNPCは、本当にこちらの意図を汲み取るのが下手だな。
その言葉は、オレの胸には少しも響かなかった。
むしろ、ズキズキと痛むだけだ。英雄なんかじゃない。
オレは、現実の約束を守るために、このゲームからのログアウトを目指しているだけだ。
彼らの評価など、どうでもいい。むしろ、早くこの鬱陶しい状況から解放されたい。
隣では、ユウがオレの横顔を心配そうに見つめていた。その琥珀色の瞳には、どこか不安げな色が浮かんでいる。
「アスマっち……無理してるんじゃ? 少しぐらいご厚意に甘えてもよかったんじゃ……?」
か細い声でそう呟くユウの言葉は、的を射ているようで、やっぱり的外れだ。
このNPCは、本当に世話焼きだな……。だが、その優しさが、今のオレには重荷でしかない。
キバも、むすっとした表情で腕を組み、オレと村人たちを交互に見ている。その獣耳がぴくぴくと動き、何かいいたげだが、言葉が出てこないようだ。こいつの勘の良さは、時々NPCとは思えないほど鋭いが、今回はどうだろうか。
リティカは……やれやれといった感じで小さくため息をついた。その紫色の瞳は、オレの頑なな態度を値踏みするように細められている。
「……まあ、貴方がそういうなら、それでいいんじゃないかしら。私にはどうでもいいことよ」
いつもの皮肉めいた口調だが、その声色には、どこか棘のない、むしろ……いや、それも気のせいか。NPCの感情の機微なんて、深読みするだけ無駄だ。
彼女たちの視線が、さらにオレを苛立たせる。
違うんだ。オレは、お前たちが心配するような、そんな殊勝な人間じゃないんだ。
早く、この茶番から立ち去りたかった。
村人たちの純粋すぎる感謝も、仲間たちの気遣わしげな視線も、今のオレにはあまりにも重く、そして不快だ。
その後、なんとか村人たちからの感謝の言葉の嵐をやり過ごし、オレたちはようやく宿屋の食堂へとたどり着いた。
騒がしいはずの朝食の席は、どこかぎこちない空気に包まれている。
ユウもキバも、チラチラとオレの様子を窺っては、何か言いたそうに口をもごもごさせている。リティカは、いつも通りすまし顔でスープを啜っているが、その視線は時折、鋭くオレに向けられた。
オレは一人、先程の出来事を反芻する。
結局、オレは何をやっているんだろう……。
ログアウトするという目的から、どんどん行動がかけ離れていっている気がする。
NPCを助け、感謝され、そして仲間たち(という設定のNPC)に心配される……。
こんな、まるで本当にこの世界の一員であるかのような状況。
それは、オレが最も恐れていることのはずなのに……。
この居心地の悪さ……いや、もしかしたら、ほんの少しだけ、この状況に慣れ始めている自分がいるのかもしれないという恐怖。それが、どうしようもなく気持ち悪かった。
早く……早く、ログアウトしなければ……。
あんなNPCたちのリアルすぎる感情に絆されて、この世界に甘えてしまう前に……。
オレは帰らなければならない。