京阪沿線で育った二人の幼少期は、冒険に満ちていた
真夜中の淀川、間違えて降りてしまった寝屋川駅、京阪デパートの地下のたこ焼き屋、枚方パーク、藤森神社、丹波橋のコープ、夜の伏見稲荷神社で撮ったブレた写真。
でもすべては壊れてしまった。
あんなに浮かれた気持ちはどこへ消えたのか。
なぜ自分は頑張れないのか。
なぜあの子は命を燃やすほど努力するのか。
夜に見た夢のせいなのか。
美しいものはすべて死んでしまったのか。
もういっそ。
もう一度、京都へ。
雨が降る。
ホテルの部屋が、水であふれる。
目覚めると、何かが変わっていた。


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あいまいな時間、ユビキタスな過去

 

ホテルにチェックインするとすぐに秦谷美鈴はベッドに横たわった。

長旅につかれたバックパッカーがそうするように、深呼吸する。

かといって、身体が疲れているわけではなかった。

疲れ果てているのは心だった。

中学の3年間、友人たちとユニットを組んでアイドル活動をしていた。

だが、それは壊れてしまった。

まるで、美しい白磁の陶器を落として割ってしまったようなものだ。

壊れ、粉々になり、元には戻らない。

高校に上がる直前の春休みのある日、気が付くと新幹線に乗り込んでいた。

行動的な人間ではなかったはずなのだが。

それだけ、どこかおかしくなっていたのだろう。

何処で降りるかすら決めていなかったが、名古屋を通り過ぎて、次は京都の表示が見えた瞬間、京都で降りることを決めた。

それは、自分が小学生までの間育った街だった。

月村手毬と一緒に。

京都駅は、外国人観光客であふれかえっていた。

ほんの10年ほど前は、こんなことはなかったのだが。

真っ黒な伊勢丹の階段をのぼり、京都タワーを見つめる。

同じようで、街は変わり続けている。

こんな街だっただろうか?

美鈴は、つぶやいた。

別に行く当てはなかった。

生まれ育った町で、今更観光も何もない。

実家を見に行く?

まさか。

今更親と会ったって意味なんてない。

とりあえず、祖父母が眠る大谷本廟に向かった。

土の下にいる先祖と会うのは、面倒がなくていい。

死者に口はないのだから。

墓に花を添えると、もう手持ち無沙汰になり、京阪の清水五条駅まで歩いた。

京阪電車は、子供の頃の思い出にあふれている。

京都出身と言えども、洛中ではなく京阪沿線の郊外の町の育ちだ。

いっそ、この電車に乗ってしまおうか、やはり実家に帰ろうか。

そんなことが頭をよぎるが、そこまでの踏ん切りはつかなかった。

面倒だという気持ちが勝つ。

美鈴は、清水五条でホテルを取ることにした。

インバウンドのおかげでホテルの値段は高騰していた。

大阪万博も、この値段高騰に一役買っているらしい。

なるほど、コンパクトな関西だ。

京都に泊まっていても、翌日万博に行けるのだろう。

夢洲なんて駅、美鈴は知らなかった。

南港には子供の頃に行ったことはあるが。

夢洲なんて、ゴミ捨て場じゃなかったか?

夢の島といい、どうして行政は、ゴミの埋め立て地に夢と名付けたがるのだろう。

夢というものの性質が、基本的にはごみのように捨てられていくからか。

わたしの夢だって、今じゃすっかりゴミのように地面に捨てられてしまったわけだし。

フロアにたたきつけられた気分だ。

そう考えると、ゴミ捨て場に夢ってのは、本質的なのか。

ストリート・オブ・ドリームは、トラッシュのストリートなのだ。

そんなことを考えながら、ホテルの部屋の鍵を開け、何をするともなく美鈴は眠りについた。

眠ることが、好きなのだ。

夢の中で美鈴は、小学生になっていた。

京阪の寝屋川市駅を見上げていた。

時刻は、21時45分。

隣には、手毬がいる。

同じように、小学生だ。

 

「ね、ねぇ、どうしよう。帰れるの?」

 

手毬が不安そうな声を上げる。

そうだ、思い出した。

これは本当にあったこと。

美鈴と手毬は、小学4年生の時、塾の帰りに間違えて淀屋橋行きの急行に乗ってしまったのだ。

慌てて降りた寝屋川駅は、なんだか都会の駅っぽくて、ガラス張りで、大きくて怖かった。

 

「これ、すっごくおいしい!」

 

場面が飛んだ。

ここは、どこだろう?

カウンターだけのたこ焼き屋で、手毬がソースのついていないたこ焼きをほおばっている。

 

「ほら、美鈴も早く。冷めちゃうよ」

 

そうか、ここは京阪デパートの地下のたこ焼き屋だ。

寝屋川市駅から無事に帰れたことで調子に乗った手毬に後日、「今度はもっと冒険しようよ!」と誘われて、さらに先の守口市駅で降りてみた時の記憶だ。

日曜日のお昼過ぎのたこ焼き店は、のどかで心地よかった。

たこ焼きを食べた後、向かいのジューススタンドでミックスジュースまで飲んで、帰りの電車賃がなくなってしまった手毬が結局大泣きしたんだっけ。

それから、記憶は丹波橋のコープに飛ぶ。

親に連れられて、ここでよく食材を買った。

 

「何にしようかしら」

「えっと、まりちゃんが好きなとんかつがいいな」

 

手毬が止まりに来てくれる日のことだ。

夜まで、布団の中でおしゃべりしたっけ。

何を話したのか、もうほとんど覚えていないけれど、そうだ、アイドルの話をした。

アイドルのライブを見た後の二人の会話は、そのことで持ちっきりだった。

大阪城ホールでやっていた、アイドルのフェスティバルを見に行った日以来、わたしたちは、アイドルにあこがれ続けていた。

 

「懐かしいなぁ。大阪城ホール。デヴィッドボウイやザ・フーのコンサートを若いころ見に行ったよ。デカいから音は良くないけどさ。あぁ、そうだ。2000年、ミレニアムの年越しコンサート。エアロスミスを見たなぁ。バックチェリーとミスタービッグが前座だったんだ」

 

父親のそんな声が聴こえる。

父は、ロックが好きだった。

ロックンロールってのは、アティチュードが大事なんだ。

アイドルなんてこびてるだけじゃないか、そんなんビジネスだぜ、まぁ最近のはロックも全部ビジネスだけどな。

そんなことを言う父とは、そりが合わない。

だが、美鈴は、反発や反抗を正面からするというよりは、するりと距離を置いて避けるタイプだ。

だから、中学になって初星学園の寮に入って上京して以来、親とは極力関わりを断ってきた。

 

「ね、ここ! 勝負ごとに強い神社なんだって!」

 

また、手毬の声が聴こえる。

そうだ、これは、藤森神社だ。

初星学園の中等部に入学するための試験を受けに行く少し前。

合格祈念に、二人で訪れたんだった。

父親は、不服そうながらも、ちゃんとお守りを買ってくれたっけ。

 

「やったぁ! 頂上だ!」

 

また、手毬の声。

ここはどこだろう。

薄暗い真夜中。

神社っぽい階段と、向こうには鳥居。

あぁ、そうだ、伏見稲荷の境内だ。

ちょっとした小高い丘にあるので、上ってきたんだった。

息が少しあがっている。

 

「さ、一緒に写真を撮ろうよ!」

 

手毬と一緒に、上京する直前の春休み。

関西にいる最後の記念にと、真夜中の伏見稲荷に参拝したんだ。

 

「いくよ」

 

声を掛けられ、慌てて、アイフォンを構える。

二人同時に、神社を写真に撮った。

 

「あ、美鈴のだけブレてる」

 

手毬が笑う。

確かに、同時に同じ被写体を撮った二枚の写真は、美鈴のものだけ妙にブレてしまっていた。

美鈴も、思わず笑った。

笑ったのに、なぜか涙があふれてきた。

 

「ちょ、ちょっと美鈴、どうしたの?」

「なんでもない……なんでもないんです」

 

理由は、今なら分かる。

美鈴は、手毬と、まったく同じ写真が欲しかったのだ。

二人、同じものを同じように見つめていたかった。

なのに、自分の写真だけ、ブレてしまった。

そのヴィジョンのずれは、まるで暗示的で、3年後、ユニットは崩壊した。

瞳からあふれる涙は、止まらない。

それはやがて、地面を水浸しにして、洪水を引き起こす。

鳥居が崩れ、参道は滝のようになり、山の斜面は雪崩を起こす。

大きな波に飲み込まれ、手毬に手を伸ばすが、彼女も流されて離れてしまう。

なんてことだ。

手を放すべきじゃなかったのに。

 

「まりちゃん!!」

 

叫んだ瞬間。

今度は、遊園地にいた。

穏やかな秋の日。

美鈴は、手毬と手をつないでいる。

もっと幼い日、まだ、小学一年生ぐらいの時の出来事だ。

枚方パークで、二人は、手をつないで遊んでいる。

 

「ね、ね、いっしょにコーヒーカップにのろうよ」

 

舌足らずに、手毬が言う。

美鈴は、嬉しさに、涙を流しながらうなづく。

 

 

そして、目が覚めた。

不思議な夢だった。

ここは、ホテルの一室。

時間は、深夜の一時だ。

外の雨は、いつの間にか止んでいた。

もう、窓から雨音は聴こえない。

確かめるように、カーテンを開ける。

洪水も起ってはいない。

真夜中の交差点で、信号機だけが静かに点滅していた。

美鈴は、深く息をついた。

もう一度、眠ろう。

眠ることしか自分にはできないから。

もう一度眠って目覚めるときっとホテルの部屋は、正体不明の水で溢れてわたしは溺れているのだ。

 


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