毀剣終生伝   作:ジエンドオブザラストファイナル

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10.絶怨

 先生こと毀剣の負傷は瞬く間に国中に知れ渡り、多くの憶測を生んだ。大王祭を運営する裏で悪の組織と戦っていたとか、潰された組織の関係者の報復とか、帝国からの刺客にやられたとか。

 

 いずれにせよ、剣王国が誇る最強格の剣士の負傷を世間は放っておかず、孤児院には連日見舞いの客が訪れ、それに倍する数の手紙と物品が届いた。孤児院宛ての寄付金も増え、経営担当者は目を回す忙しさに見舞われた。

 

 一方、当の本人はそんな騒ぎを気にする余裕はなかった。

 

 利き腕の喪失は剣士としてあまりに大きな痛手だ。先生の目的のためには、隻腕のままある程度戦えるよう調整する必要がある。

 

 自身の借家で一人、傷の痛みに耐えながら剣を振り、体を慣らして一週間。

 

「よし」

 

 先生は借家を引き払い、約束を果たしに向かった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 剣王国王城、剣王の私室。

 

 剣王の他にはごく数名の侍従しか立ち入れないそこの椅子に、先生は我が物顔で腰掛けていた。

 

「こんにちは、剣王様」

「……驚いたな。君の方から私を訪ねてくれるとは」

 

 城内に不確かな気配を察知し、臨戦態勢で私室に入った剣王は、毒気を抜かれたように目を丸くした。

 

 かつて最強たる自分を下した、灰髪の少女。毀剣、先生と呼ばれている彼女からすれば、ここへ侵入することは造作もないだろう。

 

 ただ、好き好んでやってくる相手ではない。剣王の方から構いにいくことはあれ、彼女の方から訪ねてくるのは慮外のことだった。

 

 彼女の対面に腰掛け、鷹揚に言葉を待つ。

 

「大した用件じゃないんです。ちょっと挨拶をしたくて」

 

 先生は一度目を伏せてから、ぺこりと頭を下げた。

 

「いろいろ気にかけてくれて、ありがとうございました」

 

 顔を合わせるたび、剣王は地位や立場をちらつかせ、先生の根無し草で場当たり的な生き方を諫めてきた。そのことを言っているようだ。

 

 思いがけない感謝の念に剣王は困惑し、しかし先生が顔を上げると、得心したように首肯した。

 

「行くのかね」

「ええ」

 

 先生の青い瞳には、清冽な覚悟の色が浮かんでいる。

 

 死地を定めた戦士の顔だ。自身の力と矜持のすべてをかけて、戦いに臨もうとしている。

 

 先生の右腕に目をやった。ワンピースの袖が付け根で結ばれており、当然中身はない。先の大王祭で後方の指揮を取っていたにもかかわらず、彼女はなぜか腕を失う重傷を負った。

 

 その傷はまだ癒えていない。抜き差しならない戦いに臨むなら、せめてもう少し容態が落ち着いてからにするべきだ。

 

「……」

 

 喉元まで出かかった助言を呑み込んだ。

 

 そんなことは分かり切っていて、それでもなお今しかない。先生の覚悟に野暮な口出しをするのは、剣王の衷心が許さなかった。

 

 名残惜しそうに、くしゃりと表情を歪める剣王。

 

「報恩も果たせず、ただ見送るしかないとはな。君ほど剣王泣かせな者はこの先いまい」

「はぁ……恩? むしろ恨まれてるのでは?」

 

 怪訝に見返す先生の言う通り、彼女は剣王の息子であるブレイディア王子を勢いで手にかけており、剣王は恩どころか恨みを抱いていてもおかしくない。

 

 先生の疑問に、剣王は首を振って答えた。

 

「恨みなどあるものか。いつしか剣よりも小賢しい策謀に耽るようになったバカ息子に、私は何もできなんだ。無辜の民が非道な扱いを受けていると知っていながら、いずれ改心すると都合よく思い込み、親の責任から目を背けた。故にこそ、君が奴を討ったと聞いて、私は安堵したのだ」

 

 王子の非道を知りながら、剣王は親子の情から王子を咎められずにいた。政に長けた王子は衛兵や他の大貴族にさえ狡猾に根回しをしていて、誰にも手出しできなかった。

 

 そうして人の道を外れた王子を唐突に誅伐したのが、暇を持て余した先生だった。

 

 訃報を受けた剣王は息子を失った悲しみよりも、息子を手にかけることがなくなった安堵の方が大きく、浅ましい心根を恥じた。先生を気にかけるようになったのは、ともすれば息子に引導を渡す大役を押し付けた負い目があったからかもしれない。

 

 苦渋に満ちた顔で黙り込む剣王に、先生はあっけらかんと言った。

 

「お父さんの気持ちなんてよく分かんないですけど、私は何にも気にしてませんよ。元気出してください」

「……ははっ」

 

 複雑な内心などなんのその、あくまでも先生らしい能天気な返答に、剣王が噴き出した。

 

 別に笑いを狙ったわけではないのに、と口を尖らせる先生。その態度により笑みを深くして、肩を揺らす剣王。

 

 しばらくして先生と向き直った剣王は、皺の刻まれた顔に寂寥と慈愛を浮かべている。

 

「力になれることはないか」

「ありません。これは私の戦いです」 

「君の毀剣をいつか打ち破ってみたかった。それだけが心残りだ」

「私だって、二大流派だけであなたに勝ってみたかった。勝ち逃げですね、お互いに」

 

 くつくつと、二人が静かに笑い合う。

 

「ふいー……それでは」

 

 ひとしきり笑うと、先生が席を立ち、折れた剣を抜き放つ。

 

 すると次の瞬間には、先生の姿は忽然と消えていた。

 

 ぽつねんと残された最強の剣士は、消えた先生の姿を追うように手を伸ばし、力なく俯いた。

 

 

 

ーーー

 

 

 

7月1日

 あいさつ回りは断念した。腕一本なくなって体力が結構きつい。本当は友だち全員と会いたかったんだけど、仕方ない。

 

 今夜、クロネに真実を伝える。

 

 利き腕を失った私と、今のクロネはほぼ互角だ。剣を交えるには今をおいて他にない。

 

 あいつの成長じゃなくて、私の弱体化で対等になるのは想定外だったけど、ちょうどいい。これ以上の幸せは、胸糞悪いだけだから。

 

 私は家族の仇を討った。あいつも家族の仇を討とうとしている。どちらも正しくて、でもどちらかが死なないと筋が通らない。

 

 公平に、尋常に、決着をつけよう。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 深夜、孤児院の裏庭。道場と聖堂に挟まれた小さな空間で、先生は火を焚いていた。

 

 集めた枯れ葉に魔術道具で火をつける。煙が上がり、ある程度の火勢になったところで、小さな手帳を投じた。手帳は火に呑まれ、すぐと黒い炭に変じる。

 

「先生、おはよう」

 

 程なく燃え尽き、下火になり始めた頃、クロネがやってきた。焚火の跡を不思議そうに見つめている。

 

 質問に先んじて、先生が答えた。

 

「おはよう。ちょっとゴミを燃やしてただけだ。それより、行くぞ」

「うん」

 

 二人は肩を並べ、孤児院を後にした。

 

 クロネは動きやすい服装に、父の形見である魔剣を腰に下げている。一方、先生はいつも通り簡素なワンピースと腰には折れた直剣という装いだが、左肩に布でくるんだ棒状のものを担いでいた。小さな体を押しつぶしそうな重量感があり、見ていると不安を覚える。

 

「先生、それ持とうか? 重いでしょ」

「問題ないよ。ありがとな」

 

 汗一つなく微笑むので、まあ先生なら平気か、とクロネは納得した。

 

 魔術灯で照らされた王都は深夜でも明るいものの、人通りは少ない。静かな通りを進む。

 

 しばらくすると舗装が途切れ、家屋がまばらになってきた。更に歩を進めると、道の左右にさえぎるもののない平原が現れる。先日の大王祭で主戦場となった南方平原だ。暗闇に目を凝らせば、抉れた地面や地割れのごとく穿たれた斬撃の痕などが散見される。

 

「先生、もうここで……」

「もう少しだ」

 

 しびれを切らしてクロネが言うが、先生はにべもなく首を振る。じれったい思いをこらえ、クロネは後を追う。

 

 クロネの親の仇について教える、と先生が言ったのは昨日のことだ。仇に返り討ちにされない実力を身に着けてから教えてもらう約束だった。先生はその場で教えることはせず、深夜、誰の目も耳もない場所で教えると言って、クロネを連れ出している。

 

 秘密の話といえばあまり人が寄り付かない孤児院聖堂が定番だが、先生はそこでの話をパナピアに盗み聞きされている。だから用心のため、人気のない王都の外へ向かっているのだろう。

 

 クロネの想像が膨らんでいく。これほど漏えいを避けようとするということは、仇の正体は国の要人か何かかもしれない。公になると衛兵に捕まるとか、弱みを知っている者を暗殺しに来るとかの恐れがある。実力がつくまで教えられないというのは、そうした事情もあったのだろう。

 

「このへんでいいか」

 

 クロネが想像をたくましくしていると、周囲の風景は林に変わっていた。

 

 平原に小島のごとく密集する木立の中に、二人は足を踏み入れていた。街道から外れた位置にあり、もし誰かが通りかかっても目撃されることはない。

 

 先生が背を向けたまま、大きく息をついた。半月の光が、亀裂のような枯れ枝の影を投げかけている。

 

 いよいよだ。三年間待ち望んでいた瞬間がやってくる。唯一の肉親をむごたらしく殺した外道の正体を暴き、身を焦がすほどの憎しみを叩きつけに行くことができる。

 

 憎悪が身を焼き、呼吸が荒くなる。先生の口から仇の名前が出るのを、今か今かと待ちわびる。

 

 が、先生の返答は言葉ではなかった。

 

 肩に担いでいた棒状の何かから、片手で器用に布をはぎ取る。

 

「えっ?」

 

 呆けた声が出た。

 

 布の下から現れたのは、魔剣だ。柄に魔力の石がはめ込まれ、刀身は青白く発光している。持ち手の魔力を刃に纏わせ、自在に形を変える特性があり──クロネが腰に下げている、父の形見と瓜二つ。

 

 当然だった。父は二刀流の剣士であり、形見の魔剣は二刀一対。クロネが受け継いだ一振りの片割れは、仇が持ち去っていった。

 

 すなわち、その片割れを手にしている先生こそが、仇ということになる。

 

「そ、そっか、そういうことか! もう、ひどいよ先生!」

 

 そんなことはありえない。

 

 ありえない状況を成立させるために、クロネの思考が高速で回転する。

 

「その魔剣、どこかで売られてたんでしょ? 私のために買っておいてくれたんだよね? あっ、それとも、そっくりなものを作ってくれたの? 二刀流になった方が強くなれるからって……分かった! 先生が私の仇を見つけて倒してくれたんでしょ! そうだよ、私たちと会う前に帝国と王都で大暴れしてたんだから、そのときに私の仇も──」

「バラバラだったろ」

 

 ばっさりと両断するような、断定的な口調だった。

 

「お前の父親はバラバラにされていただろ。手足を根本から切り落とした。胸から腹にかけて、たしか三十か四十個所の刺し傷があったはずだ」

 

 あの日がフラッシュバックする。

 

 物言わぬ骸になって帰りを出迎えた父親。今でも夢に見る、恐ろしい死にざま。

 

 その様子を誰かに聞かせたことは、一度もない。口に出そうとすると恐怖に苛まれ、何も言えなくなってしまう。

 

 なのに、どうして先生が知っているのだろう。

 

「な、なん、で……」

 

 先生は答えず、魔剣を地に突き立てる。

 

 腰から下げた剣に手を添え、ゆっくりと抜く。半ばから折れ、毀れた刃が月光にきらめく。

 

「その時に折れたんだ、これ。大分ガタが来てたからな。でも私は不安だった。手足を切り落として肺と心臓を穴だらけにしたくらいで、この外道が死ぬはずはない。だから今度は顔を殴ったんだ。最初は拳で、次は石で。ぐちゃぐちゃになるまで」

「はっ、はっ……」

 

 原型を留めていない父親の顔が脳裏に過る。優しい笑顔との落差に、気が振れそうな憤怒と喪失感を覚えた。

 

「そしたらやっと安心してさ。あー、やり遂げた、やってやったぞってしばらくぼーっとして。後はよく覚えてないな。これ拾ったのも無意識だったみたいでさ」

 

 これ、と視線で魔剣を示す先生。

 

「びっくりするほど弱かったよ、お前の親。拍子抜けだった。私の十三年返せって思ったね」

 

 嘲るように魔剣を一瞥してから、クロネに向き合う。

 

「滑稽だったよ。親の仇を先生、先生と慕うお前の姿は」

 

 そう言って、不敵に笑った。普段は頼もしいその笑みが、クロネには何よりも恐ろしく、腸が煮えくり返るほど癪に障る。

 

「さて、話はこれくらい。後はもう、分かるよね?」

 

 嫌でも分かる。先生の突きつけた事実と、自分がやるべきことの両方が。

 

 魔剣を所持しているだけならば、まだ良かった。

 

 しかし、誰にも話していない、話せなかったあの日の詳細な状況。弔ったクロネと、仇本人しか持ちえない情報を知っているなら──疑う余地はない。

 

「──ろ、す」

 

 クロネは魔剣を抜いた。

 

 憎悪、悲嘆、激憤、絶望、あらゆる激情の奔流が理性を押し流す。

 

「殺す殺す殺す殺す殺すっ! 絶対に殺してやる!」

 

 光り輝く魔剣を手に、獣のごとく斬りかかっていく。先生な笑みを浮かべたまま、折れた剣で迎え撃つ。

 

 譲れない二つの復讐が、真っ向から衝突した。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 青く輝く刃が、瞬きの間に十、二十と振るわれる。

 

 濁流が如き剣戟を、折れた剣が捌いていく。受け流し、突き崩し、間隙に身を滑り込ませ、巧みにやり過ごす。

 

 かと思うと、青い刃は時折形を変え、不定形の刃が斬撃の軌道とは関係なく先生を襲う。槍、鉤、鎌、針、自在に形を変え、不規則なタイミングで襲い来る。一振りの剣の影に、もう一人の剣士が潜んでいるような、変則的な連撃だった。無論、一撃ごとが必滅の意思を込めた剣王流の術理に支えられている。さしもの先生も防戦一方だった。

 

(これでいい)

 

 殺意に浮かされた頭とは別に、クロネの脳裏で冷徹な思考が働く。

 

 勝ちはすぐそこだ。利き腕のない先生は、片手間で大王流の技を放つかつてのような無茶はできない。このまま体力の消耗を強いれば勝つのはこちらだ。

 

 毀剣だけは気がかりだが、あの理不尽にして必殺の剣は、数秒の準備がなければ使えない。万が一使う兆候が見えれば止めに行けばいい。

 

 そうして確定した勝利に気が逸ったのだろう。

 

 わずかにぶれた剣筋に、先生が反応した。

 

「剣王流・朧」

 

 輪郭が滲み、先生の姿が消える。

 

 刹那、悪寒。首筋が総毛立ち、全力で前に転がる。

 

「毀剣・一の型──『無刃』」

 

 斬る。純粋な概念が、横一閃の斬撃として出力された。

 

 先ほどまでクロネの首があった高さで、周辺一帯の木立が両断される。

 

 先生はクロネの背後に回り込んでいた。折れた剣を腰だめに構え、その場で数度、振るう。

 

「くっ……!」

 

 クロネも朧を使い、木立の間を縫うようにしてかく乱した。

 

 毀剣は間合いと防御を無視する反則技だが、狙いは絶対ではない。ほんの直前までクロネが存在した座標に斬撃の概念が現れ、木立を次々に両断していった。

 

 やがて倒れた木立と土煙で姿を見失ったのか、毀剣の連続が途絶えた。

 

「はあああっ!」

 

 その機を逃さず、クロネが跳ぶ。枝の上を朧の歩法で踏み抜き、先生の頭上へ。すべての魔力を刃に乗せ、全力で振り下ろす。

 

「大王流・山断ちっ!」

 

 大地が爆ぜた。木立が根こそぎにされて宙を舞い、地面が板切れのようにまくれ上がる。先生の姿が見えなくなった。

 

 とはいえあの威力だ。跡形もなく吹き飛んでいてもおかしくない。

 

 そう考え、わずかに気を緩めて着地した瞬間、クロネは反射的に上段を受ける体勢を取る。

 

「剣王流・脈断ち」

「っつぅ!?」

 

 土煙の中から、ほれぼれするほど美しい突きが放たれた。すんでのところで軌道を逸らし、首の皮一枚を斬られるにとどまる。

 

 しかし体勢の崩れは致命的な隙だった。凄まじく練り上げられた剣王流の技の数々が、クロネの急所を襲う。次はクロネが防戦を強いられることになった。

 

 姿を現した先生は、頭から血を流しているだけで他にダメージはない。あの一撃をどのように切り抜けたのか。いつかのように天裂きで相殺したのか。

 

 クロネはじきに考えるのを辞めた。

 

 その余裕がなくなったのだ。先生の技は容赦なく、剣王流の術理に従い、一撃で勝負を決する急所だけを狙っている。目線、呼吸、手首、足運び、あらゆる要素でフェイントをかけ、読み合いを仕掛けるのも忘れない。

 

 わずかでも対応を間違えれば即死。極限の緊張がクロネに途方もない集中力を与え、月光の中に舞い散る血と汗が止まって見えた。

 

 しかしそれほどの集中は長続きしない。応酬が始まって数秒後、均衡が崩れた。

 

「なっ」

 

 先生が刺突を放つ。

 

 クロネが払う。

 

 その払いの軌道に絡めるように、折れた刃を巧みに操る。

 

 同時に踏み込みながらクロネの魔剣を絡み取り、手首を極める。

 

 いくら殺意があろうとも、関節の可動域は変わらない。あっけなく魔剣が地に落ちる。

 

 先生は肩でクロネを押し飛ばし、間合いを開けた。丸腰で体勢を崩しているクロネに、必殺の一撃を叩き込む。

 

「──」

 

 そのとき、クロネは何も考えていなかった。

 

 ただ、伸ばした手先に覚えのある感触があった。

 

 だからそれを引き抜いて、何も考えずに振り下ろした。

 

 先生の目が驚愕に見開かれ、動きが止まる。

 

 そしてゆっくり目を閉じて、言った。

 

「やるじゃん」

 

 血を噴き上げ、先生が倒れる。

 

 クロネの手には、魔剣があった。

 

 先生が父から奪い、戦いの前に地面に突き立てた、もう一本の魔剣だった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 力なく膝を折り、血だまりに倒れ伏す先生。

 

 それを目にしたクロネの胸中を満たしたのは、勝利の快感でも達成感でもない。取り返しのつかないことをした、激しい後悔だ。

 

「先生っ!」

 

 考えるよりも早く駆け寄り、先生の小さな体を抱き起こす。

 

 想定外の反撃だったのだろう。右肩から左の脇腹にかけて放たれた斬撃は、何の妨害もなく十全に体に刻まれていた。

 

 しかし片手持ちだったのに加え、不安定な体勢からの一撃だったからか、肋骨の上で滑り、臓器の損傷には至っていない。止血処置をして今すぐ王都に運べば助かる可能性がある。

 

 無我夢中で、血で汚れた先生の衣服に手をかけた。手当の邪魔になる。

 

「何してる……やめろ……」

 

 弱弱しく震える先生の手が、クロネの手を掴んだ。今にも閉じそうな瞳に、非難の色を湛えている。

 

「やっと、終わった、終わらせたんだろ……絆されちゃ、ダメだ……」

「何それ……意味分かんない……!」

 

 先生の手を振り払い、手当を始めた。汚れた衣服を取り除き、比較的清潔な自分の肌着を裂いて、傷に押し当てていく。

 

「先生が何考えてるのか全然分かんない! 私の仇が先生だって、最初から知ってたの!? だったらどうして私を強くしてくれたの!? 殺すつもりならいつだってできた! メルと一緒に浚われたときも、ついこないだの大王祭でだって、見捨てればよかったのにっ! どうして、どうして──」

 

 先生の行動は矛盾だらけだった。いずれ自分を殺す相手を育てたかったのか。強すぎるあまり、対等に戦える相手が欲しかったのか。

 

 違う。先生は剣術や戦いそのものに興味がない。それに、尋常な勝負がしたかったのなら、利き腕を失い弱体化した今を選ぶはずがない。

 

 先生が父を殺した仇であることは間違いないのだろう。しかしなぜ、山奥で木こりを営んでいただけの父を殺したのか。

 

 先生は何を望んでいたのか、何を考えていたのか。数えきれない「どうして」がとめどなく湧いてくる。

 

「全部教えてもらうまで、絶対死なせない!」

 

 ほとんど半裸になるまで衣服を裂き、傷口を塞いだ。この場で出来る処置は終わった。後は王都の病院に運ばなければ。

 

 そうして具合が良くなったら、たくさん話をしよう。すべての疑問に答えてもらって、それから──

 

「この、バカ」

 

 考える前に体が反応していた。

 

 先生の体を放り出し、後ろへ飛び退る。

 

「この期に及んで……全部元通り、仲良しこよしに戻れるって……そう考えてるのか?」

 

 先生は片膝をついた姿勢で、折れた剣を横一閃に振り抜いていた。わずかでも反応が遅れれば、クロネは首を落とされていただろう。

 

 折れた剣を杖代わりにして、緩慢に立ち上がる。血で汚れた前髪の間から、焦点の合わない目がクロネを見据えた。

 

「しっかりしろ。私に向ける情、恩。全部、まやかしだ。お前の父を殺さなきゃ、そもそも私たちは出会わなかった」

 

 クロネは唇を噛み、俯いた。

 

 事実なのだろう。父の死がなければ、クロネは人さらいに遭うこともなく、剣術を鍛えることもなく、パナピアやヒミカ、メルたちと出会うこともなく、先生とも縁がないまま、山奥の村で幸せな一生を送っていたかもしれない。先生がくれた優しさはみんな、父が殺されたことから始まっている。

 

 だとしても。クロネは顔を上げ、腹の底から叫ぶ。

 

「それでも! きっかけが過ちだったとしても! みんなと出会えたこと、あの孤児院で過ごした時間が全部間違いだったなんて、私は思わない! 思いたくないっ! だから──」

 

 先生に、手を差し伸べた。

 

「帰ろう。私はきっと先生を許さない。でもお別れなんてもっと嫌だ。だから一緒に帰って、たくさんお話しよう?」

 

 憎い仇を殺したい気持ちと、大切な友だちで恩人でもある人を失いたくない気持ち。包み隠さず内面を吐露した。

 

 先生は何を言われたか分からないというように、目を丸くする。

 

 そして、泣き出す寸前の幼児のようにくしゃりと顔を歪める。

 

「ふざけるな」

 

 血で汚れた髪の間から、青い瞳が覗く。その奥底で、湖底の汚泥を思わせるどす黒い殺意が燃えている。

 

「ふざけるなよ……失ったものはもう戻ってこない。お父さんも、お母さんも、ルゼアも……なのに」

「先生、やめて! そんな体で動いたら、傷が……!」

 

 滂沱と流れる血潮を気にも留めず、先生は折れた刃──毀剣の切っ先を、クロネに向けた。

 

「大切なものを奪った当人は、のうのうと生き延びて、幸せになる……そんな理不尽、あってたまるか……っ!」

 

 瀕死の体でふらつきながら、身に纏う気迫は衰えるどころか増している。景色が歪むほどの憎悪と怨嗟を滾らせて、血を吐くように叫ぶ。

 

「全部失って、空っぽになったのを憎しみで埋めて、それもまた空っぽになって。ずっとそのままでよかったのに……あったかくて、やさしいので、いつのまにか心がいっぱいだった。ぬるま湯みたいな毎日が悪く無いって、思ってる私がいた」

 

 いつかの先生の言葉がクロネの脳裏に蘇る。

 

 大切な人を失った虚無を憎悪で埋めて生きていく。仇を討ち、憎悪のなくなった先生は再び虚無を抱え、しかしそれもまた何かに埋められたという。

 

「こんな幸せ、認められるか」

 

 心底からの嫌悪を込めて、先生が吐き捨てる。

 

「そんな理不尽許せない……!」

 

 言うや否や、濃密な殺気が大気を軋ませた。

 

「他の誰が許しても、私が……っ!」

 

 これまで鍛錬や実戦の場で見せたそれとは比べものにならない、気を抜けば失神しかねない莫大な殺意。それが初めて目にする先生の本気だった。

 

 絶句するクロネの前で、先生は毀剣を顔の前で水平に構え、身を沈める。

 

「毀剣・終の型──」

 

 同時、クロネは踏み込んだ。

 

 毀剣は発動すれば防ぐ方法のない必殺剣。ましてや初見の型など対処のしようがない。

 

 剣士としての本能的な判断に従い、魔剣を腰だめに構え、吶喊する。

 

 手加減の余裕は、なかった。

 

「……っ」

 

 ずぶり、と。

 

 最速の刺突が、薄く細い体を突き通す。剣王流の術理に則り、刃は肋骨をすり抜け心臓を穿っていた。力なく、クロネの体に寄りかかる先生。

 

「る……ぜ、あ……」

 

 不意に耳元で呟かれた言葉に、呼吸を忘れる。

 

『ルゼア』

 

 人さらいの拠点で初めて会ったあの日。鉄格子の向こうで先生はそう呟いて、こちらを見つめていた。今にも泣き出しそうに顔を歪めて。なぜ今になって思い出すのだろう。

 

「せ、せん、せい……」

 

 手が震え、魔剣を持っていられない。支えを失った先生の体が傾き、クロネともつれるようにして倒れ込む。

 

 うつぶせになった先生の目はうつろで、もう何も見えていない。

 

 その表情は不敵でも、不遜でも、無頼でもない。

 

 無垢な少女のように微笑みながら。

 

「お姉ちゃん、がんばったよ」

 

 最期の言葉を、そう紡いだのだった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 いつの間にか夜が明けていた。

 

 抱き合って倒れる二人を、眩い曙光が照らし出す。

 

「先生」

 

 呼びかけに返答はない。先生の開ききった瞳孔は朝日を受けても動かない。傷口から溢れる血はとめどなく、止まる気配がない。

 

 それは父を失って以来、ずっと願ってやまなかった光景だった。家族の仇をこの手で討つ。そのために今まで生きてきた。

 

 なのに成し遂げた今、頭に浮かぶのは過去の記憶だ。

 

『おいしいだろ。なんたってお母さんのレシピだからな』

 

 気まぐれにお菓子を焼いては、子供たちに振舞っていた。

 

『へたくそ、スカタン、頭大王流。もっと考えて剣振れ』

 

 手ぬるい剣を振るえば容赦ない罵倒が飛んできた。特にクロネに対しては厳しく、おかげで誰よりも上達できた。

 

『子供は成長が早いよな……おい、なんだその生暖かい視線は』

 

 孤児院の小さな子供たちに身長を追い抜かれたのを、ひそかに気にしていた。本人は隠しているつもりだったけど、背伸びして頭を撫でるとき毎回口を尖らせるから、丸わかりだった。

 

『私みたいにはなっちゃダメだよ』

 

 クロネの復讐心を肯定しながら、その後のことを心配していた。力しか取り柄のない自分のようにはなるなと。そのおかげか、クロネは力以外にたくさんのものを手にしている。

 

 いつだって誰かの幸せのために生きている人だった。クロネにとって大切な恩人で、師匠で、友だちで、姉みたいな人で──そして、絶対に許せない仇敵でもあった。

 

 そんな先生は物言わぬ骸となって、光のない目でクロネを見返している。

 

 不敵に笑い、不遜な言葉を口走ることはもう二度とない。

 

「──」

 

 声にならない悲鳴が漏れた。体の震えが止まらない。

  

 息絶えた先生の体を抱くと、少しだけ震えが収まった気がした。

 

「先生、起きてよ、先生」

 

 一心に呼びかける。無駄と理性では分かっていても、そうせずにはいられない。

 

 死体に声をかけ続ける少女を、きらめく朝日が優しく見守っていた。  

 

 

 

ーーー

 

 

 

 朝方、息絶えた先生の体を抱えて孤児院に戻ると、ハチの巣をつついたような騒ぎになった。

 

 その直後にクロネは気絶した。肉体と精神の疲労が限界を迎えたのだ。

 

 目が覚めたのは二日後のことで、先生の葬儀の準備が進められているところだった。

 

 何があったのか、誰にやられたのか。顔を合わせる相手の多くに詰め寄られたが、クロネは口を閉ざした。他の人々と同様に、クロネも現実を受け止められていなかったからだ。

 

 葬儀は孤児院で開かれ、錚々たる顔ぶれが参列した。剣王をはじめ、大王祭で共に働いた官僚たち、大臣、闘技場の上位ランカー、衛兵隊隊長。知らせを受けた帝国と獣人国は書状で哀悼の意を示し、後日代表を送る旨が伝えられた。

 

 孤児院の子供たちや、学院に進学した者たちはそろって涙を流し、斎場となった孤児院は沈痛な空気に沈んだ。

 

 粛々と式は進行し、櫃に収められた先生に花を手向けていく。生前とは別人のように安らいだ顔つきで眠る先生に、参列者たちは息を呑んだ。

 

 遺体はつつがなく荼毘に付され、唯一の遺品である折れた剣と共に、孤児院に隣接する墓地へ葬られた。史上初めて剣王を下した剣士として、または行き場のない孤児たちを救った人徳の士として、しばらくは墓参に訪れる人々が絶えなかった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 葬儀から一か月後。

 

 孤児院裏庭の道場に、六人の剣士が集まっていた。

 

「それで? 何があったのか、話してくれるのよね」

 

 涙の後が残る目を隠そうともせず、クロネに詰め寄るのがパナピアだ。猫耳は痛みをこらえるように絞られている。片道一か月の道のりをかなりの強行軍で乗り越えたものの、来た時にはもう先生は墓の下だった。その無念もあり、真相を求める気持ちは強い。

 

 それは他の五人も同様だった。メルも、ヒミカも、シルディもグリンドも、あの不条理なまでに強い先生がなぜ、誰に殺されたのか。「パナピアが来てから話す」とクロネに焦らされており、これ以上は待てない。

 

 クロネは数度深呼吸してから、きっぱりと告げた。

 

「私だよ。私が先生を殺した」

 

 唖然とする一同を前に、滔々と語った。

 

 あの日何があったのか。先生と自分の因縁。復讐の終わり。一か月かけて整理した言葉を、すらすらと淀みなく吐き出していく。

 

「──これが、あの夜に起きたこと」

 

 すべてを語ると、重い沈黙が道場を満たした。夜半の道場に音はなく、六人の規則的な呼吸音だけが板張りに響いている。

 

 その呼吸音の一つが、不意に乱れた。ふーっ、と威嚇する猫のような声。

 

「あ、アンタが……先生を、よくも、よくも先生をっ!」

 

 パナピアが毛を逆立て、剣の柄に手をかける。瞳孔が開いて瞳は真っ黒に染まり、肌を刺すような殺気を放っている。

 

 ヒミカははっとした様子でパナピアとクロネを見比べ、しかし行動を決めかねおろおろしている。

 

 予想はできていたことだ。クロネは覚悟を決め、剣を手に立ち上がる。

 

 決して譲れない戦いの結果、誰かから何かを奪い、傷つけてしまった。ならばその責任を負わなければならない。だから先生は戦ったのだ。逃げたり、誤魔化したりすることなく、行動の結果に正面から向き合った。

 

 クロネも自身の責任と向き合う覚悟はできている。そのためなら親友との殺し合いも厭わない。

 

「そういう、ことだったのですか」

 

 高まる闘争の空気に、震える声が割って入った。

 

 メルだ。床についた手を固く握りしめ、涙を流している。心配げにヒミカが寄り添い、袖で涙を拭いた。

 

「いつか時が来たら、クロネの味方をするように。ずっと友だちでいてやれ、と。あの人はそう言っていました」

「あ……」

 

 パナピアの殺気が霧散した。

 

 呆然として、抜き身の剣を取り落とす。

 

「私にも、そう言って……じゃあ先生は、こうなることが分かってたの……?」

「さて、どうでしょうね」

 

 シルディが肩をすくめる。

 

「あのひねくれ者がどの程度先を見ていたのか、今となっては分かりません。ですが教え子たちが自分のために争うのを良しとする人ではなかったでしょう」

「同感だ」

 

 グリンドが首肯し、クロネとパナピアの間に立ちふさがる。

 

「あの女は信念に殉じた。剣士として、人としてな。貴様らの血であの女の死を汚すなど、断じて許さん」

「ひ、ヒミカも止めるの。先生が悲しむことは、やっちゃダメなの」

 

 ヒミカがグリンドに続いて立ち上がり、クロネの手を取った。メルも嗚咽を漏らしながら立ち上がり、パナピアの手を握る。シルディは万一の事態に備え、いつでも剣と盾で割って入れるように二人の様子を注視している。

 

 しかしクロネたちに争う気概はもうない。

 

 仇として討たれる覚悟を決め、死後にさえ周囲の幸せを願う先生の思いを知りながら、なおも争えるほど二人は無恥ではなかった。パナピアに続いてクロネも剣を取り落とし、力なくその場に崩折れる。嗚咽する二人が泣き止むまで、友人たちが寄り添い、胸を貸してやる。

 

 怨みの連鎖は、こうして絶たれた。

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