毀剣終生伝   作:ジエンドオブザラストファイナル

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3.剣王

5月22日

 やる気組三人の上達がめざましい。

 

 パナピアは全体的に動きが雑だけど、獣人族特有のバカ力で無理やり大王流を使いこなしてる。種族と流派がばっちりかみ合ってるみたい。

 

 ヒミカは剣を振るのが何より楽しそうで、成長は人並みながらへこたれず、元気いっぱいだ。剣術の楽しさなんて考えたこともなかった。

 

 クロネは成長がものすごく速いけど、その分調子に乗りやすい。心が折れない程度に鼻っ柱を折る加減に毎回苦労する。

 

 私がボコボコにするのに加え、三人で立ち合いをやってるのが効いてるようだ。実力伯仲の同年代とやり合う経験は私にはなかった。クロネにいたっては、私が三年かけてつけた実力をもう手に入れてる。

 

 いい感じだ。何年もかかると暇つぶしのネタが尽きちゃうからな。

 

 

 

5月30日

 クロネたちを連れて闘技場に行くことになった。私が闘士をやってたことを話したら、強さの秘密はそこにあると勘違いしたみたい。

 

 たしかに闘技場での戦いはいい経験になった。毀剣を見出したのもあそこだったし。

 

 だけどそれよりも強さに直結したのは、気の持ちようだ。十三年間、寝ても覚めても殺すことだけを考えて剣を振っていたら、いつの間にか強くなってたんだ。だから行ったところで参考にはならない。

 

 まあ普段から頑張ってるし、たまの息抜きにはちょうどいいだろう。

 

 

 

6月1日

 闘技場はそこそこ楽しかった。顔見知りの試合に全財産賭ける遊びはクロネたちにも好評で、みんな手に汗握って応援していた。楽しんでくれて何よりだ。

 

 観客席で剣王様を見かけた。大人しく王冠被って玉座にふんぞり返っていればいいものを、王様ってヒマなのかしら。

 

 帰り際、活きのいい兄ちゃんに絡まれる。なんだかやけにあたりが強かった。きっと賭けで大負けして荒れていたに違いない。

 

 

 

7月25日

 月日は早い。もうすぐ剣王立学院中等部の入試がある。

 

 奴らの頑張りを見ていれば結果は知れてる。どうせ合格だ。不合格ならまた一年頑張ればいいだけ、心配はない。

 

 気になるのは、ヒミカも一緒に入試を受ければいいのにってことだ。

 

 倒すべき相手がはっきりしているクロネとパナピアと違い、ヒミカは生きていくための力をがむしゃらに求めている。それなら学校に行って、学と交友関係を手に入れた方が早いだろう。

 

 明日提案する。

 

 

 

8月5日

 入試が終わった。結果発表は後日。ヒミカは行かなかった。

 

 あの純朴そうなガキが、生意気にも私の提案をつっぱねるなんて、人は見かけによらない。

 

 行かないなら行かないで都合がいい。クロネの好敵手としてどんどん高め合ってくれ。

 

 

 

8月12日

 結果発表。全員合格。

 

 メルは首席での合格らしい。来月から年少組を率いて学院の寮へ引っ越す。

 

 静かになってせいせいする。

 

 

 

8月24日

 帝国産の砂糖とバターが売ってたので、衝動買い。買いすぎた。

 

 悪くなったらもったいない。ケーキとクッキーを大量に焼いた。年少組の送別会で大量に消費できて都合がいい。

 

 お母さんのレシピを使ったお菓子が当然まずいはずはなく、みんな喜んで食べていた。メルなんかは涙を流していたな。

 

 お母さんと一緒に作ったケーキ、お父さんとルゼアも喜んでくれてたっけ。今更懐かしくなってきた。

 

 

 

8月31日

 奴らが引っ越していった。

 

 孤児院が静かだ。やけに広く感じられる。

 

 クロネたちを鍛えるのも、一日中やってるわけじゃない。暇つぶしに遊んでやってた連中がいない今、どうやって時間を潰そう。

 

 ああ、ヒマだ。帝国でも侵略しに行こうかな。したら戦争になるかな。砂糖とバターの輸出止められたら困るな。

 

 衛兵に相談してみようか。

 

 

 

9月1日

 そのまま孤児院やってて、と懇願された。

 

 需要あんの? と思ったけど、親元にいれない子供は案外多いらしい。稽古中の事故とか決闘で親が死んだり、病死したり、あとは借金とか、山賊に故郷を焼かれたとか。

 

 最後のはまんま私だ。たしかに施設があればもっと楽だったろう。闘技場で日銭を稼ぎ出すまでは飢えがすごかったもの。

 

 経営の難しい部分は、今まで通り頭のいい人を雇って任せればいい。私は出来る範囲でガキの世話して遊ぶ。うん、いい暇つぶしだ。帝国と戦争するのはパナピアに任せよう。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 王都南方の平原。はるか遠方に帝国との国境である山脈がそびえ、街道の敷かれた脇の原っぱで、四人の少女が木剣を手に立ち合いをしている。

 

 構図は三対一、一人で受けているのが先生だ。孤児院のやる気組、クロネ、パナピア、ヒミカの眼光を涼し気な顔で受け流している

 

「はあぁっ!」

 

 初手はクロネだった。正面から突っ込みつつ、目線と手首の動きで幾重にもフェイントを入れ、右からの切り上げを放つ。

 

「む」

 

 切り結ぶ直前、クロネの輪郭がにじむ。独特の足運びで相手の目を狂わせる、剣王流の歩法『朧』だ。

 

 霞のように輪郭をなびかせながら、背後へ回るクロネ。すかさず肝臓狙いの突きを放つ。

 

「悪くない」

「ぐっ」

 

 先生は振り返りすらしなかった。半身になって躱しつつ、下から木剣を切り上げる。クロネの指が打ち据えられ、木剣が手放された

 

「隙ありなの! 大王流・砦砕きっ!」

 

 クロネへの対処で先生の体勢が崩れている。そこへヒミカが躍りかかった。

 

 大上段に構えた木剣に全身の力を乗せて振り下ろす、力任せな大王流を代表する技だ。少女の体ながらも正しい術理に従って放たれたそれは、たとえ先生でも受ければ木剣が折れる。

 

「はいよ」

「ひゃ!?」

 

 故に先生は、受け流した。木剣の軌道に手を添え、横から押す。

 

 渾身の力を流されたことでヒミカの体が泳ぎ、先生はがら空きの手首に一撃を入れる。実戦なら手首ごと落ちる痛打を受け、ヒミカの手から木剣が離れた。

 

「大王流・奥義──」

「おっ」

 

 三人目、パナピアの声が中空から聞こえ、先生は感心したように顔を上げる。

 

 二人に対処する間に跳躍していたのだろう。体を限界まで引き絞り、全身の膂力を刃に集め、その緊張を示すように獣耳がぺたりと絞られている。落下の勢いも乗せたその技は、熟達の大王流にのみ可能な流派の奥義の一つだった。

 

「山断ち!」

「えっ、私たちごと!?」

「あははっ、いい思い切りなの!」

 

 気合一閃、振るわれた刃から斬撃が飛び、クロネとヒミカからは悲鳴と快哉が上がった。

 

 剣王国の開祖、大王が行軍の邪魔になる山を断ち割ったという逸話が残る山断ちは、由来の通り防御不能の広範囲攻撃。跳躍後に力を貯める前準備があるものの、発動さえすれば必殺・必勝の剣である。

 

 しかし先生は満足そうに目を細め、木剣を腰だめに構えた。

 

「大王流奥義、天裂き」

 

 瞬間、閃光が世界を焼く。落雷のような轟音が大気を震わせる。

 

 光と音が過ぎ去った後には、仰向けに倒れたパナピアに木剣を突きつける先生の姿があった。

 

 しばし好戦的な目で先生を見上げていたパナピアだが、観念したのだろう。木剣を捨てて大の字に寝転がる。

 

「もーっ! 使えば勝てる反則技って言ってたじゃない! 嘘つき!」

「帝国の兵士や兵器には問答無用で勝てるよ。格上の大王流には今みたいになるけど」

 

 先生がとった行動は、迎撃だ。回避も受け流すのも無理なら、同質の奥義で迎え撃てばいい。大けがをさせない程度の威力に加減して奥義返しを行い、着地の乱れたパナピアに一撃を入れ、制圧したのだ。

 

 先生は構えをとき、考えるように宙を見上げる。寸評の時間だ。

 

「パナピアはいい感じ。ただ、筋力に頼りすぎてる感があるから、大王流の術理を理解すればもっといいな。頑張れよ猫ちゃん」

「だから虎だっての……」

 

 むすっとしてそっぽを向くパナピア。頬は赤く、虎耳がぴくぴく動いている。

 

「次、ヒミカ。うまく隙をつけたのは良かった。でも狙いが素直すぎ。もう少し虚を見せる意識がほしい」

「分かったの! もっと小賢しく、なの!」

 

 ヒミカは胸の前で拳を握ると、流れるように素振りを始めた。元気が有り余っている。

 

「次、クロネ」

 

 クロネは緊張の面持ちだった。最初にやられはしたけど練習した動きはできたし、友人二人は褒められたのだから自分も、とひそかに期待している。

 

 が、先生は無慈悲だ。

 

「弱すぎる。死角に回って刺すだけが剣王流じゃない。覚えたことをもっと思い出して。それと躱された後のことをもっと考える。言ったよね? 剣王流は合理的な殺人剣。ってことはどこを狙われるのか読みやすいってこと。相手が剣王流を知ってたら読み合いになる。クロネは読みが通らなかった場合を全然想定できてないから、反応が遅れてる。全体的に気合と根性が足りてない。へたっぴ、スカたん、あんぽんたん」

「うわぁん!」

 

 クロネは両手で顔を覆ってしゃがみこんでしまった。その横にパナピアとヒミカが寄り添う。

 

「先生、クロネにはめちゃくちゃ厳しいわよね……」

「かわいそうなの。クロネだけ剣王流だから、なの?」

「私も大王流になろうかな……」

 

 先生は面倒くさそうに頭をかいて、ため息をつく。

 

「それぞれの目的に合った教え方をしてるだけだろ。パナピアの目的は帝国とやり合うこと。だからあいつらのでけー兵器をぶっ壊せる大王流を教えてる」

 

 大王流は、人よりもはるかに強大な魔物を想定した剛剣だ。基本から奥義まで派手な技が多く、対人戦には向かないものの、パナピアの目的に合っている。稽古の場を孤児院の庭から平原へ変えたのも、パナピアの技で孤児院が全壊する恐れがあったからだ。

 

「ヒミカは一人で生きていくための力がほしい、だったか。誰と戦うのかも分かんねえ、ふわふわしてんな。これこそ二大流派のどっちでもいい。最終的な練度は本人が満足すればいいだろ」

 

 ヒミカの目的意識は曖昧だ。大好きな両親から授かった体と命を大切に生きていく、そのための力がほしい。仮想敵はおらず、上達するもしないも本人の意志にゆだねられている。

 

 一方、クロネはというと。

 

「だがクロネ、お前は仇討がしたいんだろ。対人目的なら剣王流一択だ。見た目が派手だからって大王流に目移りしてんじゃねーよ」

「うぐ……」

 

 クロネの目的は復讐だった。家族を殺した仇を殺す。そのためだけに剣王流を学んでいる。

 

 剣王流は大王亡き後、諸外国との戦乱の中で発達した殺人剣だ。合理的な殺傷を旨とし、確実に人体を破壊する術に富む。クロネの目的にはこれ以上なく合致しており、日に日に実力の向上を実感している。

 

 ただ、クロネはもどかしい。先生は仇の顔も名前も、居場所も把握しているという。仇に勝てるほど強くなれば教えてくれるというが、このままでは果たしていつになるのか。気持ちが逸り、目に見えて強力な大王流に気を惹かれてしまう。

 

 その思いを見透かしたのか、先生がだしぬけに言った。

 

「クロネ、お前の父親を思い出せ」

「え?」

「優しくしてくれたこと、嬉しかった思い出。なんでもいい、父親のことを考えろ」

「は、はあ。えーっと……」

 

 言われるがまま、クロネは父親を回顧する。

 

 山奥の小さな村で、木こりをしていた父親。クロネが物心ついた頃には母親はおらず、男手一つで育ててくれた。一度村の酒場に連れて行かれ、大人たちと酔いつぶれた父親は酒臭くてたまらなかったけれど、大きな手で頭を撫でてくれた。あのときの優しい手つきと温かいまなざしは今でもよく思い出す。

 

 他にも、うっかり森に迷い込んで泣いていたクロネを見つけ出してくれたり、帝国みたいなケーキが食べたいとわがままを言ったら、不器用なくせに形の崩れたケーキを焼いてくれたり。幸せだった家族の思い出を、クロネは途中から口に出しながら、一つ一つ回顧していく。

 

 そうしてある程度語ったところで、先生がばっさりと断じる。

 

「優しいお父さんは、もう取り返せない」

 

 全身の血が冷える感覚があった。

 

 村はずれの小さな小屋。その中で、原型が残らぬほど痛めつけられた父親の姿が脳裏をよぎる。

 

 そう、優しかった父親は、唯一の家族は、もう戻ってこない。

 

「いいのか? 家族を奪ったクソ野郎は、今この瞬間ものうのうと生きている。こんな理不尽、許せるか?」

「許せない。許さない」

 

 先生は深く頷いた。

 

「そうだ。だからお前はもっと強くならなきゃいけない。寄り道なんざしている暇はない。分かった?」

「はい」

 

 返事をすると、先生の小さな手に頭を撫でられる。緊張していた体から力が抜けていく。

 

 同時に、抱きしめられた。左右から、パナピアとヒミカがクロネを熱く抱擁する。

 

「クロネ、あんたも辛かったのね……!」

「そんな優しいお父さんを奪うなんて、絶対許さないの! ヒミカにできることならなんでも力を貸すの!」

 

 パナピアは涙声で、ヒミカは憤慨していた。

 

 仇討のことは二人にも話していたが、父親の話は初めてだった。奪われた者の大きさに、二人は打ちのめされたらしい。

 

 別に同情が欲しいわけではない。そんなものは強くなる役には立たない。

 

 なのに二人の言葉と体のぬくもりが妙に気恥ずかしくて、

 

「……ありがと」

 

 消え入るように小さく、そう言ったのだった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 剣戟の音がこだまする。血と汗が飛び散るたび歓声が上がり、観客の熱気が高まっていく。

 

「うるせー」

 

 その熱と賑わいに顔をしかめる先生。

 

 両隣に座るクロネたちは目を輝かせ、初めて目にする闘技場の戦いに興奮している。

 

「どっちもがんばれー!」

「ああもう、そうじゃないの、もっと踏み込むのっ!」

「大王流の底力見せなさいよー!」

「わあ、すごい……」

 

 メンバーはいつものやる気組三人に加え、メルと、先生が引率として五人だ。

 

 闘技場は剣王国最大の娯楽と言われ、第一から第五闘技場の五つがあり、一日に五百試合前後が行われる一大興行だ。強者たちの真剣勝負が見られるだけでなく、剣術に熱心な国民性も手伝い、朝から晩まで常ににぎわっている。

 

 そんな場所を訪れることになったきっかけは、クロネの一言だった。

 

『先生ってどうやってそんなに強くなったの?』

 

 先生の強さは異常だった。二大流派のどちらも高い練度で、本人が言うには五段を修め、さらには術理不明の我流剣術『毀剣』を使いこなす。剣術を学べば学ぶほど、見上げることすら難しいはるか高みにいることを実感させられる。これほどの力をどこで身に着けたのか。

 

 先生はこともなげに答えてくれた。

 

『道場破りと帝国でのイザコザと、後は闘技場だな。あそこは格上と同格がうじゃうじゃいていい練習になった』

『闘技場かぁ。そういえば行ったことないや』

『なんなら行く?』

『行きたい!』

『ちょっと待って帝国でのイザコザって何!?』

 

 というわけで、中等部の入試が近い子供たちに留守番を任せ、五人でのお出かけとなった。なお、メルは相当学力に余裕があり、気晴らしについてきた。

 

 はたして初めての闘技場は、四人の心を掴んだ。木剣ではなく刃引きなしの真剣での勝負がもたらす興奮と緊張感は、闘技場でしか得られない。

 

「試合終了、勝者、西方!」

 

 目の前でまた一つ試合が終わった。急所を斬られ、血だまりに沈む敗者を後ろにして、勝者が拳を突き上げ勝利を喜んでいる。

 

 ひと際歓声が大きくなる中、動かない敗者の体を光が包んだ。数秒で光が消えると、致命傷となった首筋の傷が血痕こと消えている。

 

 敗者は寝起きのように頭を振るって立ち上がると、苦い顔で勝者と礼を交わし、闘技場から退場していった。

 

「先生、あれって魔術ですか? どういう仕組みなんでしょう?」

「ああ、魔術じゃなくて魔法らしいよ。たしか──あーっ、うるせー」

 

 先生は騒がしいのが苦手なようだ。眉間にしわを寄せて立ち上がる。

 

「ちょっと売店行ってくる。お前らジュースいる?」

「いるっ!」

「いるわ!」

「いるの!」

「じゃあいただこうかな」

「分かった、ここ動くなよ」

 

 歓声に耳を塞ぎながら、先生は観客席を後にした。

 

 すると、それを待っていたように後ろから声がかかる。

 

「あれは古代の蘇生魔法だね。今の魔術の元となった魔法の中でも、最上位にあたる」

 

 振り返ると、そこにはフードを被った怪しい男がいた。皺だらけの手と口元、鉄をこすり合わせるようなしわがれた声からして、老人のようだ。

 

 最年長のメルがこれに応じる。

 

「あなたは?」

「ここを長く楽しんでいる老いぼれだよ。初々しい質問が聞こえたもので、ついね。お邪魔だったならすまない」

「いえいえ。私たちここに来たのは初めてで、良かったらもっとお話を聞かせてください」

「そうかい」

 

 老人は口元に笑みを浮かべ、上機嫌に語り出した。

 

 闘技場では真剣勝負が毎日行われるが、死者は出ない。古代の蘇生魔法があるためだ。

 

 魔法とは、かつて大王が討伐したこの地の支配者、不死の魔王が扱っていた特殊な能力のこと。魔王は配下が討たれるたび蘇生魔法を使い、不滅の軍勢として運用したという。

 

 そして魔王討伐後、大王はひらめいた。あの魔法があれば、加減なしの真剣による立ち合いがやり放題ではないか。

 

「そうして当時の賢人たちに魔王の力を調べさせ、解析し、使えるようにしたわけだ。

「どんだけ戦いたいのよ大王……」

「そんなすごい力を使える魔王をどうやって倒したの?」

 

 パナピアが呆れ、ヒミカは不思議そうに首を傾げる。たしかに、それほど強力な魔法があるなら倒されても復活しそうだ。

 

 老人は我が意を得たりとばかり頷く。

 

「正確には倒したのではなく、痛めつけて封印したのだ。封印の中では蘇生魔法が最大限遅延されている。それでもおよそ百年周期で復活してしまうのだがね。ちなみに次の復活は二年後だ」

「さらっと滅亡の危機じゃない!?」

 

 パナピアが目を剥いた。そんな化け物の復活を目前にして、呑気に闘技場で遊んでいていいのだろうか。クロネたちも顔を見合わせる。

 

 老人は愉快げにからからと笑う。

 

「心配いらんよ。復活のたびこの国では祝祭を開き、当代の剣王を筆頭に魔王を迎え撃つのだ。楽しみにしておきたまえ」

 

 魔王は百年に一度復活し、国を挙げて戦う盛大な戦祭が開かれる。田舎とはいえ剣王国出身のクロネ、ヒミカ、メルは聞いたことがあり、驚きと共に受け入れた。反面、パナピアは「この国どうなってんの」と引きつった苦笑いを浮かべている。

 

 老人は咳払いを挟んで、話を元に戻した。

 

「話が逸れたな。そんな魔王の力に学んで、闘技場の立ち合いは成り立っている。維持にかかる手間と費用は莫大だがね」

 

 さらに、死から一分以内でなければ効果を発揮しない、と老人は付け加えた。死人を生き返らせることはできても、その効果はひどく限定的だ。クロネはひそかに落胆した。失ったものはやはり取り戻せない。

 

 ともあれ、この魔法の力によって、闘士たちの本気の真剣勝負が毎日楽しめる最高の娯楽が成立しているわけだ。

 

「死の危険がないなら、ここで戦うのも練習になるかしら」

 

 パナピアがつぶやいた。クロネも同意見だ。

 

 木剣ではない真剣による果し合い。強くなるには格好の経験をここで積めるのではないか。何より、先生もここで強くなったと言っていた。

 

「軽い気持ちで闘士になるのはおすすめしない」

 

 待ったをかけたのは老人だ。

 

 クロネたちの視線を集め、老人は続ける。

 

「闘士登録は誰でもできる。君たちのような若者が参戦することは多い。その結果、負けて廃人になった例は少なくない」

「は、廃人なの!?」

「死の苦痛、ですか」

 

 メルの言葉に、老人は頷いた。

 

「死は誰しも一度きりだ。しかし闘士は、ともすれば何度もその苦痛を味わうことになる。一度負ければ心が荒み、腕が落ち、さらに負け込む悪循環に陥ることもあろう。闘士を目指すなら、このリスクを正しく理解せねばならない。君たちはどうか?」

「……やめとくわ」

 

 パナピアが首を横に振った。

 

「優秀な師匠がいるもの。そんな危ない橋を渡る必要はないでしょ」

「私もそう思う」

 

 クロネも同意した。先生に師事している現状、焦りはしても足踏みしている感覚はない。あえて心が壊れる危険を冒す理由はないだろう。この判断に、メルはほっと胸をなでおろしている。

 

 が、異を唱える者が一人。

 

「ちょっとワクワクするの」

「えっ?」

 

 ヒミカである。彼女は恍惚とした顔で虚空を見上げていた。

 

「死の恐怖を乗り越え勝利したとき、あるいは死を味わい再び生を得たとき。それこそ生の価値をもっとも強く実感できる瞬間ではなかろうか」

「ひ、ヒミカ?」

 

 いつものふわふわした口調が鳴りを潜め、何かにとりつかれたように思想を口にしている。頬が紅潮し、息を荒げ、恋する乙女のように蕩けた瞳をしていた。

 

「ほう、君は向いているかもしれんな」

「……はっ!? ヒミカ、今ちょっと寝てたの!?」

 

 夢から覚めたように、ヒミカは左右を見渡す。

 

 パナピアはおそるおそるヒミカの顔に両手を添え、頬をこねくり回す。ちゃんと本物だよな、というように。

 

「なんなのぉー?」

 

 もちもちのほっぺたをされるがままにされているヒミカは、いつもの彼女だ。

 

 とはいえ先ほど語っていたのも間違いなくヒミカなのだろう。友人の思わぬ一面にクロネたちは冷や汗を流した。

 

「戻ったぞー。おや、あんた……」

 

 そこへ、先生が戻ってきた。

 

 先生は老人を見て目を丸くし、老人はいたずらっぽく笑って口の前で指を立てる。

 

「相変わらずヒマしてんですね。ジュースいる?」

「いや大丈夫だ、ありがとう」

 

 気安いやりとりにクロネとメルは顔を見合わせる。

 

「知り合いなんですか? あ、ありがとうございます」

「後で教える。ほれ飲め飲め。次の試合は面白いぞ」

 

 先生が抱える木の盆からジュースを受け取りながら、クロネたちは闘技場の中央に目を向ける。

 

 そこには次に戦う二人の闘士が向かい合っており、一方の顔を見るや「あっ」と声が上がる。

 

「衛兵隊長さん、闘士だったんですね」

 

 先生が人さらいを壊滅させた際、色々と手を回してくれた衛兵隊長だ。きっちりした中央分けの前髪に、几帳面に切りそろえられた金髪。衛兵の軽鎧と盾、直剣を装備している。

 

 歓声が上がる中、奇妙に拡大された音声が闘技場に響く。老人によると、これも音を大きくする魔術のようだ。

 

『さて次の試合は本日注目の一戦! ランク30、衛兵隊長、シルディ・カインドネス! 対するはランク33、乱れ槍、ランセス・ランバート! 前回の試合では乱れ槍の突きを衛兵隊長が見事捌ききりましたが、それに対しランバートはどのような戦術を用意してきたか! 上位ランカー同士のハイレベルな戦い、期待して見ていきましょう!』

「ランク? ランキングなんてあるの?」

 

 クロネの疑問にすかさず、老人が答えてくれる。

 

「登録闘士七〇〇〇名あまりのうち、一定の戦績を上げると一〇〇〇位に位置づけされる。一〇〇位からが上位ランカーと呼ばれ、上位十名に入ると闘技場の歴史に名を残す栄誉を得る」

「あ、それはちょっと知ってます。一位は剣王様なんですよね」

 

 メルが付け足した。剣王国はその時代最強の剣士、剣王によって統治される。分かりやすい強さの指標であるランキングがあるなら、必然的に剣王は頂点に位置づけられる。

 

 しかし老人は口元を引き結び、なぜか渋面になった。

 

「そうだな。一応は、そういうことになっている」

「一応は?」

 

 含みのある言い方にメルが首を傾げると、老人がため息まじりに続ける。

 

「剣王に負けは許されん。故に歴代の剣王が闘技場で敗北したことは一度としてない。それが最強の称号を背負う者の責務であり、矜持だった。しかし──当代の剣王は負けているのだ。毀剣と呼ばれる我流の剣士によって」

「えっ」

 

 毀剣。それは、先生が闘技場で戦っていた頃の異名だ。つまり、この国の頂点に先生が土をつけたということか。驚愕と共にクロネたちが先生に注目する。

 

「そんなことより」

 

 が、先生は知ったことではないとばかり、一枚の紙切れをひらひらと揺らす。

 

「上位ランカーの試合でおもしれーのは金だよ、金。一回で莫大な金が動くんだぜ、ほら」

 

 そう言ってメルに紙片を手渡す。衛兵隊長の名前の横に、見たことない桁数の数字が書かれている。

 

「先生、これは?」

「賭け札。衛兵隊長に全財産賭けてきた」

 

 クロネたちの空気が凍った。賭け? 全財産?

 

「ただ勝負見るだけじゃなくて、賭けが醍醐味なのよ、闘技場は」

「そ、そうですか……えっ、全財産って、手持ち全部ってこと、ですよね?」

 

 おそるおそる確認するメル。

 

 対する先生はかぶりを振って、

 

「もちろん銀行にある分も含めて私の金全部だよ。賭けに負けたら破産! ワクワクするな?」

「せっ、先生ぃー!?」

 

 クロネ達が一斉に悲鳴を上げた。

 

 それでも先生は気にせず、けたけた笑っている。

 

「正直他人同士の戦いなんざどうでもいいだろ? でも、これでどうでもよくなくなった。ほら応援! さもなきゃ帰る場所なくなっちゃうぞー」

 

 ダメだこの人。クロネ達は顔を見合わせ、無言のうちに意見を一致させた。ランキングとか剣王とか毀剣とか言ってる場合じゃない。

 

 そうして闘技場の中央に向かい、身を乗り出して。

 

「がんばってー! 隊長さーん!」

 

 切実な歓声を上げ、闘技場の賑わいの一部になるのだった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 第三闘技場前、大通り。

 

 クロネたちは一様にくたびれた顔つきで通りの隅にたむろしていた。反面、先生の表情はすがすがしい。

 

「まあまあの暇つぶしになったな」

「心臓に悪いです! 二度とやんないでください!」

 

 反駁するメルの意見が、クロネ達の総意だった。

 

 隊長──シルディとランセスの試合は、どうにかシルディの勝利に終わり、先生、ひいては孤児院の全財産が失われる事態は回避できた。クロネは無我夢中で応援したあまり、試合内容はほとんど覚えていない。パナピアとヒミカもかつてないほど必死の声援を飛ばし、喉が疲れたのか軽くせき込んでいる。

 

 先生はその様子にもまるで悪びれない。

 

「ごめんて。全財産ってのはウソだよ」

「えっ!?」

「全財産の五分の一くらい。限度額いっぱいしか賭けらんなかった」

「こ、この人はもう……っ!」

「おかげで楽しく観戦できたろ? さあ、感謝するがよい」

 

 あまりにも図太い態度にメルは口をぱくぱくさせ、クロネたちも言葉が出ない。

 

 ふと賭け札を見る。全財産と言われれば信じられるほどの大金が印字されていた。これの五倍となると先生の総資産は──

 

「おーい! みなさーん!」

 

 先生のすさまじさを改めて認識しかけていたところで、明るい声が割って入った。

 

 見ると、闘技場の中から衛兵隊長シルディが駆けてくる。

 

 彼女はクロネ達の前で立ち止まり、誇らしげに胸を張った。

 

「勝ちました! みなさんの声、聞こえてましたよ! わざわざ私の応援に来てくれるなんて、本当にありがとうございます!」

「あー……」

「お疲れ様、なの」

 

 気まずげにパナピアとヒミカが応じる。別に彼女の応援に来たわけではなく、声援を送ったのはそうするよう追い込まれたからだ。

 

「部下たちは『休日まで上司の剣を見たくない』とか言って、全然見に来てくれないんです。だから今日は本当に嬉しくて! 応援って、本当に力になるものなんですね!」

「ええ、はい……」

「すみません、この後夜の見回りがあるので、これで失礼します。また今度、お礼させていただきますね。それでは!」

 

 にっこりと花の咲いたような笑顔で頭を下げて、隊長は町の雑踏に消えていった。いたたまれない空気が漂う。

 

 それを一切気にしないのが先生である。くつくつ笑みを零しながら、

 

「生きてて楽しいだろうなぁ、あいつ。さて、気晴らしも済んだし帰ると──」

「おやおや、本当に負け犬が来ているじゃないか」

「あん?」

 

 解散しようとしたところで、またも声。先ほどの隊長とは対照的な、ねっとりとした嫌味ったらしい声音だ。

 

 振り向いたクロネたちは、総毛立った。

 

「闘技場から逃げた臆病者が、恥知らずにも顔を出していると聞いてな。取り巻きを引き連れて楽しそうじゃないか」

 

 先生に侮蔑的な視線を向ける中年の男。顔に張り付いた嘲笑もあり、クロネたちは腹立たしくてたまらない。

 

 にもかかわらず、動けない。男からにじみ出る圧倒的な格上としての風格が、反駁はおろか身じろぎさえ許してくれない。

 

「聞いたぞ。取るに足らぬザコどもを相手に大立ち回りをしたそうだな。身寄りのない弱者を引き取り、お山の大将を飾っているとも。恥を知れ。真の戦いに背を向け、有象無象の雑兵を蹴散らし悦に浸るなど、剣士の振る舞いではない。下賎で卑俗な賊の所業だ」

「はぁん」

 

 先生はきょとんとしている。男の風格にも、鋭い指弾にもまるで堪えた様子がない。

 

 平生と微塵も変わらないその様子が、クロネたちの呪縛を解いた。

 

「返す言葉もないか。それとも反論を考える知性がないのか。哀れだな。真の戦いを捨てた卑賤な愚物には、守るべき誇りすら──」

「うるさいっ!」

 

 絶叫が男の罵倒を遮る。同時、クロネ、パナピア、ヒミカ、メルの全員が木剣を抜いた。

 

「先生をバカにするな! 先生は私たちを助けてくれた! 私たちに居場所と、友だちと、力をくれたんだ!」

 

 男の殺気がこめられた目に睥睨され、震えが止まらない。冷汗が滝のように流れる。

 

 それでもクロネたちは前に出た。一歩も下がらず、男を睨み返す。

 

「そうよ。取る足らない雑兵ですって? じゃあどうして今まであいつらを放置していたの? どうして衛兵さえあいつらを放っておいたの? どうして先生が助けるまで誰も助けてくれなかったの!?」

「そうなの! 先生がしてくれたことが、『真の戦い』とかじゃないっていうなら、それをしなかったあなたも真の戦いじゃないの! 恥を知るのはそっちなの!」

「先生は私たちの恩人で、大切な人です。あなたが誰であっても、侮辱は許しません。撤回しなさい、今すぐに」

 

 男の眉間に刻んだような皺が寄った。短く刈り込まれた茶髪がわなわなと逆立ち、口元が獰猛な笑みに歪む。

 

「いい度胸だ。私は闘技場ランク8、『閃剣』のグリンド・ソルダート。貴様らの名は?」

「クロネ・バンディット」

「パナピア・ビースタスよ」

「ヒミカなの!」

「メル、です」

 

 グリンドは笑みを深め、クロネたちを一人ずつ、記憶に刻むように睨めつけていく。

 

「撤回する気はない。私が間違っているというなら、しかるべき場で証明するがいい」

 

 そう言って顎で示したのは、闘技場だ。闘士として登録し、公の場で白黒つけようというのだろう。

 

 上等だ。相手がランク一桁の絶対的な強者であろうと、クロネたちに引く気はない。恩人を貶された屈辱に泣き寝入りするほど、彼女たちは大人しくないのだ。

 

 威勢よく受けて立とうとしたそのとき──

 

「待て待て待て。本人差し置いて何盛り上がってんだお前ら」

 

 先生が声を上げた。

 

 普段のまま、まるで緊張感のない口調に、場の空気が弛緩する。

 

「先生、だってこの人が……!」

「うん、なんかごちゃごちゃ言ってたな。あのさあグリンドさん? さっきの演説はケンカ売ってるってことでいい?」

「気さくな挨拶にでも聞こえたか? だとしたらおめでたい頭だな」

「よし、分かった」

 

 先生は一つ頷くと、クロネたちを押しのけ前に出る。

 

「やろうぜ。どっちか死んだら終わりね」

 

 実に軽い調子で言いながら、腰の剣に手をかけた。

 

 まるで少し遠出にでも行こうとでも言うような、日常の一幕のように。

 

 先生の纏う特異な雰囲気に、グリンドの張り付いた嘲笑に戸惑いが浮かぶ。

 

「ふざけるな。ここは往来だぞ」

「だからどうした」

 

 先生はにべもなかった。

 

「往来だろうが謁見の間だろうが衛兵詰め所の真ん前だろうが、ケンカを売られたら買わなきゃ損でしょ」

「なっ」

「クロネ、合図」

「え、あ、はい」

 

 先生は本気だ。クロネたちとグリンドは悟った。

 

 当然だが、この国の往来で公然と殺し合いをすれば衛兵に捕まる。場合によっては重い罪に問われるだろう。

 

 が、先生はまったく気にしていない。ただ売られたケンカをその場で買うことだけに集中している。その先のことには一切頓着していない。

 

「やろうぜ死ぬまで、なあ?」

 

 舌なめずりをするように、先生が腰の剣──毀剣をわずかに抜く。とたん、グリンドの額に脂汗が浮かび、蒼白な顔で腰の剣に手をかける。場の主導権は完全に先生にあった。

 

 クロネが言われるがまま、手拍子で合図を出そうとすると──

 

「そこまで」

 

 しわがれた声が、闘争の気配を寸断する。

 

 いつの間にか、フードを被った老人が先生とグリンドの間に立ち、両者を目線で制していた。

 

「すでに衛兵を呼んでおる。今おっぱじめても双方損をするぞ」

「あ、あなたは……ちっ、命拾いしたな! 覚えていろよ、毀剣!」

「つまんね」

 

 グリンドは老人を認めるや否や、踵を返して足早に去っていく。

 

 残された先生は不完全燃焼気味に、唇を尖らせた。

 

「知らんうちに帰ったと思ったら、まだぶらついてたんですか。暇なんですね、剣王様」

「部下が優秀なものでね。なんなら君もなってみるかね?」

「やですよ、負け越してんのに」

「あ、あの、先生。この人は……」

 

 気安くやりとりする二人に、クロネがたまらず横やりを入れる。会話の中でさらりと明かされた老人の正体に、一同は耳を疑っていた。

 

 聞き間違いを期待するクロネたちとは裏腹に、先生はあっさりと答えた。

 

「剣王様だよ。闘技場のランク1。この国の頂点」

 

 一瞬の沈黙。

 

 その後、理解の追いついた少女たちの叫びが、大通りに響いたのだった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

『反逆せよ。簒奪せよ。すなわち民意なり』

 

 剣王国の王家が標榜するこの警句は、王家の在り方を端的に表している。

 

 剣王国を治めるのはその時代でもっとも強い剣士であり、そこに血筋は関係ない。我こそはというものは剣王を下し、王位を簒奪すべし。反逆こそ民意である、という意味だ。事実、現王家には次代の王家に禅譲する手はずをまとめた書物がある。

 

「そして、彼女こそ次代の王になるはずだった」

「よしてくださいよ。ただの初見殺しだったじゃないですか」

 

 孤児院へ向かう帰り道。

 

 閑静な校外を、フードを被った剣王と先生が歩きながら、雑談を交わしている。横で聞かされるクロネたちは、どこか遠い世界の話を聞いているようだ。

 

「せ、先生が、剣王様に……」

 

 メルが絶句している。クロネたちも同様だった。

 

 この国で最強の剣士である剣王。特に今代の剣王は前人未到の剣王流九段に至り、かつての大王と並んで史上最強と名高い、先生は、そんな剣王に勝利しているという。

 

「一回勝ってからは負け続きですし、ノーカンです」

「そうはいかん。一度とはいえ剣王を討ったのだ。敗北の対価をいつまでも取り置かれてはこちらの面目が立たない。この国のしきたりにのっとり、君には玉座についてもらわねば」

「だーから、無理ですって。そんな重たい責任まっぴらごめんです」

「よし分かった、では公爵の位はどうだ? 外交大臣の座でもよいぞ。そうだ、王家直属の剣術指南役、これで手を打とう!」

「あまりにもいらねぇ」

 

 好々爺が若い少女に貢いでいる図だが、貢ぐ規模が大きかった。慣れた様子で先生が受け流しているあたり、二人の間でおなじみのやり取りなのだろう。

 

 ひとしきり爵位や領地、重鎮の座などを勧めて断られると、剣王は一転、真面目な顔つきで問う。

 

「冗談はこれくらいにして」

「冗談に聞こえんかったけど」

「君はやるべきことを終えた、と以前言っていたな。であればそろそろ身を固めてはどうだ?」

「は?」

 

 ジト目を向けられ、剣王は首を振る。

 

「所帯を持て、というのではない。ただ先ほどのように、刹那的な衝動に身を任せるのはいい加減に控えなさい。十年前の帝国で懲りただろう」

「ありがたいお説教をどうも。悪いですけど、やるべきことがもう一つ見つかったもので」

 

 ちら、と先生がクロネたちを見やり、最後にクロネを見据え、前に視線を戻す。

 

「もう少し、好き勝手に生きさせてもらいますよ」

「ふむ……おや」

 

 騒がしい金属鎧の擦れる音が、静かな校外の町並みに響き渡る。

 

 ややあって、前方の角から衛兵の一団が姿を現し、クロネたち一行を指さした。

 

「いたぞ、剣王様だ!」

「遊び感覚で執務を放り出すのはやめていただきたい、マジで!」

「ここまでのようだな。ではまた会おう。君たちも、またな」

「仕事サボんなよー」

「ま、また……」

 

 衛兵の一団に追われ、すたこらさっさと逃げていく剣王。気楽に手を振る先生と違い、クロネたちは目上も目上の人物にどう別れの挨拶をしたものか分からず、控えめに頭を下げた。

 

「先生は」

 

 嵐が過ぎ去ったような静けさの中、最初に立ち直ったのはメルだった。

 

「どうしてそんなに強くなりたかったのですか?」

 

 どうやってではなく、どうして。

 

 気が狂うリスクを負いながら、貪欲に戦闘経験を求めたのはなぜか。この国最強の剣士に、一度だけとはいえ勝利するほどの剣術を身に着けたのは何のためか。貪欲なまでに力を欲した動機。

 

「殺したいやつがいた」

 

 歩調を変えず、前を向いたまま、先生が答える。

 

「当時の私よりずっとずっと強くて、恐ろしいやつだ。どうしても、命に換えても殺したかった。そいつを殺すことを考えたら、疲れも痛みも吹っ飛んで、さっきまでできなかったことができるようになった。十三年、毎日それの繰り返しだったさ」

 

 湖面のような青い瞳の奥に、暗い炎が揺れている。特定の個人への純粋な殺意と憎悪だ。十三年燃え続けたそれこそが、先生の常識はずれな貪欲さと、強さの源だという。

 

 そうまでして殺したかった誰かとは、どんな関係だったのか。そもそもの殺意の原因は。

 

 続けて疑問が生じるも、これ以上の詮索を拒む先生の意図を察し、クロネたちは口をつぐむ。

 

 それに、察するところはないでもない。

 

『生きるために復讐をするんだ』

『報いを受けなきゃいけない』

『そんな理不尽、許せるのか?』

 

 先生もまた、大切な誰かを失っている。その虚無と憎悪こそ、力の源なのだろう。

 

 そう考えると、小さな先生の後姿が、たまらなく頼りないように見えてしまって。

 

「なんだよ、甘えたか? しゃーねーな」

 

 クロネとメルは左右から、先生と手をつないだ。

 

 なお、その後パナピアとヒミカが仲間外れだと騒ぎだし、五人で手をつなごうとして「通行の邪魔だ」と先生に振り払われる羽目になったのだった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 季節は巡り、寒さの和らいできた初春のある日。

 

 孤児院に甘い香りが満ちている。芳醇で香ばしい匂いは子供たちの食欲を刺激し、その源へと引き寄せる。

 

「おう、嗅ぎつけて来たか」

 

 発生源は食堂だった。広いテーブルの上には大皿に乗ったパイやクッキー、ケーキなどの焼き菓子が所せましと並び、熱したバターと砂糖の匂いが食堂に充満している。

 

 先生は一足早く席についており、やってきた子供たちを出迎えた。

 

「さっさと座れ。私は腹が減ってる」

「すげー! なにこれ!」

「全部食べていいの!?」

「こんなにおいしそうなの見たことない!」

「うるせー奴らだな」

 

 話を聞かずにはしゃぎだす子供たちに先生は苦笑する。クロネたちもその中に紛れ、大量のお菓子に目を輝かせている。

 

 一方、驚きつつも冷静さを保っているのはメルだ。おそるおそる先生に尋ねる。

 

「ど、どうしたんですか、これ」

「明日、出て行くんだろ。ちょうど砂糖と小麦粉が安売りされてたんで、門出だよ」

 

 メルの胸が高鳴った。彼女らは王立学院中等部の試験に合格し、入学が決まっている。すでに大きな荷物は学院の寮に運ばれ、明日には孤児院を去る。

 

 その門出を祝うため、わざわざこんなごちそうを用意したのだ。合格を知らせたときには「へー、そう」と心の底からどうでもよさそうな反応だったが、先生はしっかりメルたちを気にかけてくれていた。不意打ち気味の優しさにメルの目頭が熱くなる。

 

「何を泣いてんだよ。いいからお前はこいつらを仕切れ、うるさくてかなわん」

「ぐすっ……はい。さあみんな席について! せっかくの先生のご厚意なんだから、ありがたくいただきますよ!」

 

 メルの鶴の一声に子供たちが従う。興奮さめやらぬままそれぞれ決められた席に着き、メルの音頭で食前の挨拶を済ませ、昼食を兼ねたにぎやかな送別会が始まる。

 

 お菓子はどれも絶品だった。飾り気のない質素な見た目ながら、一口で砂糖の甘味とバターの風味が口いっぱいに広がる。ケーキにこれでもかと塗り重ねられたクリームはもったりと濃厚で、凝縮された牛乳のうま味が柔らかなスポンジとよく合っていた。子供たちは口いっぱいにお菓子を頬張り、おいしいおいしいと口をそろえている。

 

「えっ、うそぉ!」

 

 ときに思い出話を交えながら楽しくお菓子を平らげていると、クロネが驚愕の事実を口にした。

 

「これ全部先生が作ったの!?」

「おう。材料混ぜて焼いただけなんだが、うまいもんだろ。なんたってレシピがいいから」

 

 得意顔で胸を張る先生に、子供たちが顔を見合わせる。

 

 各々口には出さずとも、思いは一つだった。

 

『先生、剣術以外に特技あったんだ……』

 

 先生の常識はずれな強さは皆が知っている。それ以外は割とずぼらで投げやりでいい加減なところも。そんな先生がまさか、お菓子作りなんて家庭的なことをするとは誰も想像さえしなかった。てっきりいつもの財力によるごり押しで用意したものだと全員が決めつけていたのだ。信じられないものを見るように、今しがた齧りついていたお菓子と先生の間で視線を行き来させる子供たち。

 

 とりわけ激しく反応したのはメルだった。立ち上がり、わなわなと震えて咽ぶ。

 

「わ、わざわざ手作りで私たちの卒業をお祝いしてくれるなんて……! ありがとうございます、本当に、本当に……!」

「はいはい、体の大きい泣き虫め」

 

 先生は呆れながらメルに駆け寄り、手ぬぐいで涙と鼻水を拭っている。

 

 すると、誰からともなく子供たちが立ち上がる。

 

 そろって神妙な面持ちの彼女らのうちの一人が、口火を切った。

 

「先生、ありがとう」

 

 先生の怪訝な表情に怯まず、彼女らは口々に続ける。

 

「帰る場所のない私たちを、引き取ってくれたこと」

「不器用な優しさで支えてくれたこと」

「生きるための力をくれたこと」

「今までのこと、全部全部、ありがとう」

 

 目を丸くする先生に、ようやく嗚咽の止んだメルが畳みかける。

 

「私たちは、先生に返しきれない御恩があります。学院に行ってもけっして忘れません。たとえどれだけかかっても、きっと恩返しをさせていただきます。必ず」

 

 まっすぐに先生を見据えて宣言するメル。孤児院に残留するクロネたちは少し気まずそうにしている。

 

 しばしの沈黙。

 

 数秒程して、先生の顔に意地悪な笑みが浮かんだ。

 

「長い別れになるみてーな雰囲気だけどさぁ。そんなこと言って大丈夫かよ」

「えっ?」

「全然勉強についてけなくて退学になったらどうすんだ。めちゃくちゃ気まずいぞ? あんな大層なこと言ったけどまた世話んなります、って言えるか?」

 

 ひねくれ者の先生らしい言い方だ。

 

 けれど、メルたちは分かっている。路頭に迷ったら戻ってこい、帰る場所はここにあるという先生の意図を。

 

 メルは力強く胸の前で拳を握る。

 

「大丈夫! 先生の教えを受けた私たちなら、学院の歴史に残る優秀な成績をとって見せますよ! ねっ、みんな!」

 

 そうだ、任せろ、と賛同する子供たち。

 

 先生は小さく息をつくと、目の前のケーキを乱暴に手づかみして、もしゃもしゃ頬張る。

 

「あっそ。せいぜいがんばりゃいいんじゃない」

 

 耳が赤くなっていたことには、その場の誰も触れなかった。

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