毀剣終生伝 作:ジエンドオブザラストファイナル
10月1日
新しいガキどもが来た。
そろいもそろって辛気臭い顔だったけど、お母さん直伝のレシピのお菓子を振る舞うと結構元気になった。単純なやつら。
後はもう簡単だ。遊んで勉強して食べて寝てをしていたら勝手に成長する。問題が起きればクロネたちがなんとかするだろう。私は気が向いたときに遊んだりお菓子を焼いたりするだけ。
またヒマな時間ができてしまう。この機会にクロネ、パナピア、ヒミカの稽古を次の段階に進めようか。
10月15日
食料品がえげつない値上げしてて笑った。また帝国がどっかと戦争でも始めたのかな。大人しく砂糖とバターだけ作っとけばいいのに、いらんことばっかりしやがって。
10月20日
三人組の上達が著しい。三対一なら、千回やって一回負けそうなくらい強くなっている。
その勇姿に影響されて、新しい子供たちの中から剣術を学びたいと言い出す連中が出てきた。勉強組と剣術組に分かれるのは前の世代と同じだ。
子供たちへの指導はクロネたちに任せる。誰かに教えるのは自分を省みるいい機会だ。
11月3日
毀剣の技について聞かれた。
どんな難しい理屈も言葉にできれば理解できる、とお父さんは良く言っていたけれど、毀剣ばっかりは無理だ。刃を使わず、間合い無視して相手を即死させる技の理屈なんて、感覚が分からないと説明できない。
一応説明してみたけど、案の定まったく伝わらなかった。
11月4日
用もないのにシルディが孤児院に遊びに来ていた。この前闘技場で応援されたのがよほどうれしかったみたい。
ヒマ人同士世間話で時間を潰す。衛兵の仕事は給料安い休み少ない責任重いの三重苦で最悪、とグチグチ言ってた。そんなにイヤならやめればいいのに。私なら勤務初日の昼でバックレてる。
なんかかわいそうだったから、また気が向いたら話を聞いてやろう。
11月16日
道場破りがやってきた。
寝言言ってらあ、と思った。それっぽい建物は作ったけど、私は師範代でもなんでもない。暇つぶしで作った孤児院に子供をぶちこんで、遊びに来てるだけの暇人だ。
クロネとヒミカが迎え撃ち、余裕の勝利。
どうもあの孤児院、変な評判が立ってるみたいだ。教会とか貴族からの寄付金もアホ程増えてるし。
うちに金出す余裕あんなら、食料品の件どうにかしてほしい。税金泥棒どもめ。
12月9日
道場破りが毎日来る。
中には強いやつもいて、クロネたちのいい当て馬になってくれる。私以外の二大流派や諸流派の使い手とやれるのは僥倖だ。見学の子供たちにも刺激になるし、勉強組と仲良くなって教養を高め合うグループもできているらしい。
この孤児院はどこを目指してるんだ。
1月19日
かなり強めの道場破りが来た。
名前はグリンド。この前ケンカ売ってきたイケメンの兄ちゃんだ。クロネたちじゃ相手にならんので私が応対した。
私の勝ち。どこかで見たような剣筋だと思ったら、昔闘技場でやり合った男の子だった。百回やれば二回は負けそうなくらいちゃんと強くなってたし、話を聞くにおもしれー男だったから、ぜひまた来てほしいな。
2月13日
おかしなことになってきた。孤児院が腕と頭に覚えのある若者たちの集会場になってきてる。
例のおもしれー男ことグリンドが常連になっちゃって、武者修行の聖地みたいな認識が広がってるそうだ。
別に誰も損してないし、どうでもいいっちゃいいんだけど。孤児院ってあんなに活気の溢れる施設でいいんかな。
ーーー
メル率いる子供たちが学院寮に引っ越して間もなく、新たな子供たちが孤児院にやってきた。衛兵隊長シルディを仲介し、先生が身寄りのない孤児たちを新たに受け入れたのだ。ひねくれ者の先生は「暇つぶし」とうそぶいて、慣れない子供たちの世話を焼き、遊び、独り立ちに必要な能力を身に着けさせる手はずを整えている。
もちろんクロネ、パナピア、ヒミカの三人も手を貸した。孤児院設立の折から身を置く先輩として、剣術と勉学を学ぶ一日の流れを紹介し、買い出しや掃除などの分担制を説明する。子供たちの中には心に傷を抱えた者もいたが、親身に接する三人に次第に心を開き、前の世代と同様の、穏やかな日常が戻ってきた。
変わった点があるとすれば、裏庭の一画に道場が新設されたことだろう。
「はあああっ!」
真新しい板張りの道場に、裂帛の気合が響く。
木剣を力の限り打ち込むパナピア。獣人族特有の膂力が大王流の術理によって増幅され、一撃ごとに鉄さえ砕く威力を誇る。
それを涼しい顔で受け流すのは先生だ。そよ風を受けるがごとく汗一つかかず、パナピア渾身の打ち込みをいなし続ける。
「今なの! 大王流──」
足を止めている先生に横合いから脅威が迫る。
ヒミカだ。細い体をめいっぱい捻り、左手を前に掲げ、右の掌底を木剣の柄頭に添えている。
「鬼貫きっ!」
貯めた力を速度に換え、神速の突きが放たれる。かつて魔王の配下である鬼の表皮を貫いたと言われる、大王の突きを再現した技だ。
切っ先が音の壁を越え、リング状の衝撃波を伴って先生に迫る。
「いい技だ。やるよ、パナピア」
「ひゃっ?」
先生は技の直前にもう対処を終えていた。
パナピアの打ち込みに合わせて一歩踏み込み、すれ違いざまに軸足を払う。たたらを踏み、先生と位置が入れ替わるパナピア。
どうにか転ばず体勢を立て直した頃には、姉妹弟子の全力の鬼貫きが眼前に迫っている。
大王流の技は基本的に防御不能。先生のように並外れた技量があれば受け流すことはできるが、パナピアにそれはない。
可能なのは回避だけだ。全身全霊で身を伏せ、かろうじて突きの軌道を逃れる。
「うぎゃー!?」
「わあ、すごいのパナピア!」
が、衝撃波は避けられない。あまりの威力に爆ぜた空気に吹っ飛ばされ、パナピアはごろごろと道場の床を転がる。
「仇はとるの! 大王流──」
「大技だけじゃダメ。一旦落ち着け」
「あう」
再び技を放とうとするヒミカの手首を先生が打ち据える。実戦形式の稽古で相手が技を出すのを悠長に待つ筋合いはないのだ。ヒミカの手から木剣が落ちる。
そうして三人目、クロネはというと。
「焦って仕掛けてこなかったのは良かった。でもこっからどうする?」
「……」
剣を構えたまま、遠間から先生を見据えていた。感情を排したクロネの表情に冷や汗が浮かぶ。
(どうしよ)
血気盛んなパナピアとヒミカが打ち合っている間に、攻め込む隙を見つけるはずだった。二人は大王流の四段に達し、木剣での打ち込みの一つさえ常識はずれの威力を有する。いくら先生でも対処には気を遣うはず、と見込んでいた。
が、実際は違う。先生は二人同時に相手をするのにまったく堪えていない。視界の端で常にクロネを捉え、すべての攻め筋を迎え撃てる体勢をひと時も崩さなかった。
結局はクロネが攻めあぐねている間にパナピアとヒミカが討たれ、一対一に陥っている。数的有利を失ったクロネに勝ち筋は残っていない。
家族の仇を討つ。いずれ命を賭けるそのときのことを思えば、死ぬ恐れのない稽古で臆する道理はない。
意を決し、クロネが前に出る。
「剣王流──」
クロネの体が霞む。動くたび陽炎のように空気が揺らぐ。剣王流の足運びの奥義、朧だ。
独特の足さばきで緩急をつけ、相手の距離感を乱しつつ、前後左右への急加減速を可能とする。日ごとに練度を上げるこの技に対処できるのは、剣王国の中でもほんの一握りだろう。
その一人である先生は、動じない。剣先を正面に向けたまま、じっとクロネを待ち受ける。
固唾を呑んで周囲が見守る中、ついに状況が動く。
「はあっ!」
「おっと」
極まった朧は瞬間移動に似ていた。突如として先生の背後に現れたクロネが、鋭い突きを放つ。
当然のごとく躱しながら、最速でクロネの手首を狙う先生。
以前ならこれで終わりだったものの、クロネも学習している。すかさず間合いを離し、数舜、にらみ合う。
再び膠着するかに思われたが、クロネは踏み込んだ。
闇雲ではない。目線、手首、足運び、体幹の揺らぎ、殺気、十重二十重のフェイントをかけていく。
剣王流は合理的なあまり、狙いが分かりやすい。だからこそ読み合いが重要であり、クロネと先生の間で、瞬きの間に数百もの読みが回っていく。
そうして放たれた、必殺の一振りは──
「まあまあだった」
「……参りました」
届かなかった。
狙いは下段、ひざ下。致命的でないからこそ読みを外せると踏んだが、先生は読み切っていた。木剣の腹を踏みつけ、よろめいたクロネの首に木剣を添えて、決着が着く。
クロネはぺたんと座り込んだ。
「はあー……いい線いったと思ったのに」
「お疲れ。狙いは悪くなかったと思うわ」
「なんかめちゃくちゃむずかしそーな駆け引きがあった気がしたの! かっけーの!」
「ありがと、二人とも」
姉妹弟子の二人が駆け寄り、パナピアは手ぬぐいを渡しながら、ヒミカは無邪気に体を揺らしながら称賛してくる。
一方、先生は上機嫌に道場を見回していた。
「さすが職人と魔術士はいい仕事をする。あんだけ暴れても全然壊れてねえや」
教え子の成長より、道場の頑強さに感心しているようだ。クロネはむっつりと目を眇める。
この道場は、いちいち稽古のために王都の外へ行くのは面倒だからと、先生が金にものを明かせて新設したものだ。外見はどこにでもある板張りの道場だが、建材の一つ一つに魔術による補強が施され、大王流五段までの技に耐えるすさまじい耐久性を持つ。
自分たちのために作ってくれたと当初は感激していたけれど、こちらを見ていないのがクロネには気に入らない。意地の悪い意見が口をつく。
「分かんないよ。パナピアが鬼貫き一回だけしかしてないし。もっかいしたら壊れるかも」
「確かにな。よし」
先生は一つ頷いて、無造作に腕を振るった。
閃光と爆音が弾ける。クロネたちは耳を塞いで身を伏せる。
おそるおそる顔を上げると、先生が顔を上気させてはしゃいでいた。
「ほら、壊れてないぞ! すごいな最近の魔術は!」
対するクロネたちは、何が起きたのか遅れて理解し、ドン引きだった。
「なんであんな雑な振りで山断ちと天裂きができるのよ……」
「しかもあんな細い体で……力だけならパナピアのがずっと強いのに……」
「ここまで無茶苦茶だとすごいよりおかしいって感想になるの」
防御不能、受け流し不能を謳う大王流の大技を、素振り感覚で使う先生。その威力に耐える道場よりも、先生の人外ぶりに三人は戦慄するのだった。
ーーー
「おいおい、軒並み値上げしてんじゃねえか」
商業区、中央広場。
食料品の買い出しにやってきたパナピアは、先生のつぶやきに首を傾げた。
「そうなの?」
「そうだよ。値札見えてんだろーが」
素知らぬ顔でそっぽを向くパナピア。
「ぶっちゃけ、先生の予算が潤沢過ぎて、値段とか見てないのよね」
「駄猫が」
「虎よ!」
立ち並ぶ露店の商品と値札に目を走らせながら、先生が鼻を鳴らす。
「まーた帝国が戦争でも始めたんかな」
「値上げと戦争がどう関係……待って、考えるから。そのゴミを見る目やめて」
本当に駄猫認定される危機感を覚え、必死で考えを巡らせる。パナピアは初等教育の基礎にすらつまずいた経験があり、中々の難題だった。学んだ情報を一から思い出し、理屈を組み立てていく。
「えっと……戦争したら、交易の余裕がなくなるから? いやでも、帝国の名産品って砂糖とバターだけよね……じゃあ違う……」
「これだから大王流は」
「偏見やめて!」
二大流派の一角に失礼な評価を下しつつ、先生が補足する。
帝国からの輸入品は何も砂糖とバターだけではない。家畜の餌、畑に撒く肥料の面でも剣王国は帝国に依存している。戦争が起きるとそれらの生産と輸出のリソースが軍需に傾くため、あらゆる食料品の値段に影響するという。
「簡単に言えば、普段砂糖とバター作ってる人たちが徴兵されたり、軍需工場で働かされたりする。だから生産量と輸出量が落ちる」
「あー……なんかメルが言ってたような」
「ガキどもと一緒に授業受け直すか?」
「もうっ、そんな難しいこと習ってないでしょ! ……習ってないわよね?」
習ったのは読み書き計算と簡単な歴史だけで、帝国と剣王国の関係性については一部の熱心な層だけが自主的に学ぶ内容だったはず。しかし授業中に居眠りをした回数がもっとも多いパナピアは、自信を持って断言できない。
先生は思いっきりみけんにしわを寄せた。
「そんなだから脳筋猫って陰口叩かれるんだぞ」
「誰!? 誰がそんなひどいことを!?」
「私が今考えた。やーい脳筋猫ー」
「こんのっ……! 虎だっつってんでしょー!」
先生はからから笑って、つま先立ちでパナピアの頭を撫でる。小さな手が髪をすく感触に、荒れたパナピアの心が静まっていく。
「ぐるる……」
「ちょろいやつ」
そんな風に雑談しながら、二人は中央市場を抜けて行きつけの商会へ。
大手のそこでもやはり値上げしており、買い付けた食料の価格をパナピアも意識して見てみると、いつもの倍近い額になっていた。
「中央街道が封鎖ぁ?」
先生は商会の職員と話し込んでいた。話題はやはり、今回の値上げについてだ。
顔見知りのその職員によると、帝国と剣王国を結ぶ最大の流通路、中央街道が封鎖されたらしい。そこが通れなければ国境の山脈を大きく迂回する必要があり、輸送費の高騰が値上げにつながっているようだ。
「なんで? 山崩れでも起きた?」
「今のところは何も分かりません。帝国が一方的に封鎖したようで、情報が伏されているのです」
「ほんっとに帝国はよぅ。カッとなって皇帝殺しに行っちゃいそうだぜ、わはは」
「貴女が言うと冗談に聞こえませんな……」
職員の笑みが引きつっている。パナピアも冷や汗を浮かべ、口元をひくつかせた。先生は衝動的なところがあり、しかも衝動を実現する理不尽な力があるため、この手の冗談は笑えない。
ともあれ、買い出しは終わった。商品は後で孤児院に運ばれてくる。
いつもなら帰り道で露店に立ち寄り、買い食いやお土産を漁るところだが、この値上げラッシュでは乗り気にならない。まっすぐに孤児院へ向かう。
「あら?」
町はずれに佇む孤児院へ帰り着くと、様子がおかしい。昼下がりのこの時間には外で遊んでいるはずの子供たちの姿がない。
代わりに、騒がしい歓声が道場の方から聞こえてくる。
「クロネとヒミカがガチケンカでもしてんのか?」
「怖いこと言わないでよ」
二人して道場へ向かう。
果たして中にいたのは、声援を送る子供たち。中央ではクロネが、筋骨たくましい三人の男たちと立ち合いをしていた。
男たちのうち二人はすでに膝をつき、荒い息をついている。最後の一人はクロネと木剣を斬り結び、顔を真っ赤にして踏ん張っていた。
「あっ、お帰りなの、二人とも」
「おかえりー」
「おかえりなさーい!」
子供たちが先生とパナピアに気付いた。
ただいまと返しつつ、先生が目をぱちくりさせる。
「誰、あいつら? どういう状況?」
「道場破りなのっ! ここで一番強いのを出せって言うから、ジャンケンで勝ったクロネが出たの! ぐぬぬ!」
ヒミカが右手をグー、左手をパーにして悔し気に唸る。グーで負けたらしい。
剣王国には二大流派と諸流派の道場が無数に存在し、飛び込みで立ち合いを挑む道場破りは珍しいことではない。
が、それは場所が道場であればの話だ。
「ここ孤児院じゃねえの?」
「音に聞く毀剣流、この新・大王流に見せてみよ、って言ってたの!」
「毀剣は流派じゃなくて技だし、なんだ新・大王流ってうさんくせーな」
ツッコミを入れている間に、立ち合いは終わっていた。
特に見どころもなくクロネの勝利。三人の男たちは息を整えて立ち上がり、礼。クロネも返礼する。
互いに頭を上げると、にこやかに話し出す。
「さすがだった。あの毀剣に師事しているだけのことはある」
「お兄さんたちも結構面白い剣だったよ」
「毀剣を見られなかったのは残念だ。次こそは使わせてみせよう」
「望むところと言いたいけど、私たちは二大流派しか習ってないから……あ、先生、パナピアもお帰り」
歓談の最中にクロネが気付いた。男たちも同じく、こちらに畏怖の混じった視線を向ける。
「おお、あの方が噂に名高い──」
「絶大な力を正義のために振るい、弱き者に手を差し伸べる──」
「類まれなる人徳の士──」
先生がわたわたと大きく手を振った。
「やかましい。人をいいやつみたいに言うんじゃねえよ」
「あ。照れてる」
「黙ってろ小娘」
小娘呼ばわりされたクロネが唇を尖らせて黙り込む。
先生はむすっとして、男たちに向き合った。
「音に聞くとか噂とか、何なんだよ。ここは暇人がなんとなく回してる孤児院だぞ」
「どう見ても立派な道場ではありませんか」
男たちが身振りで道場を示した。たしかに、この場だけ見れば道場以外の何物でもない。
「ここはただのおまけだ。パウンドケーキにクルミが入ってたってパウンドクルミにはならんだろ」
「パウンドケーキ?」
「先生、例えが分かりづらい」
先生は顔をしかめて反論を考えていたようだが、やがてどうでもよくなったのだろう。ため息をついて踵を返した。
「もう何でもいいや。あんたらは気が済んだら帰んなよ。クロネ、二時間後に食料届くから受け取りよろしく」
「先生は?」
「帰る」
先生は本当に道場から出て行った。機嫌を損ねたわけではなく、面倒になったのだ。
残されたのは道場破りの男たちと、クロネ、ヒミカ、パナピア、それから興奮冷めやらぬ観衆の子供たち、
先生の退席で微妙な空気が漂う中、だしぬけにヒミカが言った。
「はいはーい! ヒミカも立ち合いやってみたいの! たまには違う相手がいいの!」
「む、それはもちろん」
「受けて立とう!」
ヒミカ、パナピアが順番に立ち合いを行う。二人は普段とは違う剣筋に面食らいながらもしっかりと勝利し、子供たちは孤児院の先輩たちの実力に興奮しきりで、にぎやかな午後となった。
この日を境に孤児院は道場として名を上げ、毎日のように腕の立つ道場破りが訪れるようになったのだった。
ーーー
庭の木に葉が茂り、気の早い蝉が鳴き出す初夏の頃。
すっかり道場破りの対応が日常になり、クロネたちだけでなく新世代の子供たちも立ち合いに参加するようになった。勉強組も根っこは剣王国民らしく、息抜きに観戦しにやってくる。孤児院兼道場の賑わいは日に日に増していった。
そんなある日、道場に一人の男が顔を見せたことで、水を打ったように冷たい沈黙が降りた。
「剣王流六段師範代、『閃剣』のグリンドだ。手合わせ願おう」
男、グリンドは以前、闘技場の前であわや先生と果し合いになるかと思われた、上位ランカーの剣士だ。
クロネたち以外は初対面だが、それでも男のまとう空気と眼光は実力を察するのに十分だった。これまでの道場破りとは格が違う。つかみどころのない先生のそれとは異なる、圧倒的強者の風格に、全員が呑まれていた。
ほぼ同時に立ち直ったのは、クロネ、パナピア、ヒミカの三人だ。木剣を手に、ヒミカが先駆けて男の前へ歩み寄る。
「ヒミカが相手なの!」
「毀剣はいないのか」
「先生は最近お寝坊がひどいの。そんなことより手合わせなの!」
「時間の無駄だ。ヤツが来るまで待たせてもらおう」
「問答無用っ!」
ヒミカは孤児院の中でもっとも血気盛んだった。乗り気でないグリンドの態度に構わず、先手必勝とばかり技を繰り出す。
「大王流・砦砕きっ!」
地面を蹴り、前へ飛び跳ねながら宙返り。回転によって加速した唐竹割りがグリンドを襲う。
見えたのはそこまでだった。
「雑魚が、手間をかけさせるな」
世界から時間が切り取られたようだった。気づけばヒミカはうつ伏せに倒れ、男に組み伏せられていた。木剣は男の手に握られており、ヒミカは目をまん丸にしている。
「ヒミカ! このっ……!」
「ま、待ってパナピア!?」
パナピアが金色の頭髪を逆立たせ、クロネの制止も聞かずに斬りかかっていく。
繰り出す技は大王流・鬼貫き。突進と相性のいい全力の突きだ。当たらずとも回避させれば、ヒミカを解放させられる。
大王流の術理に従い、体を捻って刃に膂力を集中させ──
「無駄と言っている。野蛮な獣は言葉を解さんか」
「ぐっ!?」
が、グリンドの姿はもうヒミカの上にはない。パナピアの背後に現れ、手首を足蹴にした。
木剣が取り落とされ、突進の勢い余ってパナピアは転倒する。幾度か前転して勢いを殺し、ヒミカと並んでグリンドと正対した。強気に睨みつけるが、頬には冷や汗が伝っている。
「すご……」
一方、クロネはおぼろげに今の交錯を理解し、舌を巻いた。
グリンドが見せたのは、剣王流の奥義、朧だ。間合いを離す、詰める、惑わせる、あらゆる用途に使える足運び。
クロネも習得しているが、異なるのはその練度。徹底的に無駄のそぎ落とされた体捌きによって、視認すら難しい滑らかな移動を可能にしている。途方もない研鑽が垣間見え、クロネは思わず息を呑む。
「満足したか? ならば大人しくしていろ。取るに足らんカスと交える剣は持ち合わせていない」
「こ、この……っ!」
が、グリンドの罵倒が素直に感動させてくれない。練度を裏打ちする真摯な努力と才能のイメージと、本人の印象が絶望的に合っていない。
クロネたち三人だけでなく、見学の子供たちの目に非難と軽蔑が混じる。グリンドはゴミを見るような目で子供たちを睨み返し、険悪な空気が張り詰める。
「面白そうな状況だなぁ」
そこへ、まるで空気にそぐわない間延びした声が割って入る。
先生だった。とてとて、と緊張感のない足取りで道場へ足を踏み入れ、クロネとパナピア、ヒミカを見回し、最後にグリンドで視線を止める。
「初めて格上の道場破りがやってきて、不覚を取った感じか。いい経験になった?」
「なったの! こんな強い人先生以外にいるなんてびっくりなの!」
「いくらいい経験でもムカつくのよそいつ! いちいち悪口ばっかり言って!」
先生はケタケタ笑うと、グリンドに問いかける。
「この前の人だよな。今日は道場破り? それともルール無用のケンカの方が好み?」
「……前者だ」
「分かった」
グリンドが、ヒミカから奪った木剣を構える。
先生も、パナピアから木剣を受け取り、構えた。
瞬間、空気が重くなる。物理的に固まったように思えるほど重たい緊張感。体が圧迫され、呼吸が浅く早くなる。見学の子供たちの中には、顔を青くして突っ伏す者もいる。
クロネはその圧力に屈さず、最大限目を見開いていた。格上同士、しかも両方剣王流の構えだ。見て学ぶのにこれ以上のものはない。
双方はしばし静止してにらみ合う。剣王流同士の立ち合いでは、狙いが読みやすい故に高度な心理戦が展開される。微細な目線と手首の動き、呼吸に至るまで、すべてを読みの手札として晒し合い、駆け引きが行われているのだ。
時間にして数秒、しかし数時間にも匹敵する濃密な睨み合いの末、双方が動く。
「くそっ……」
かと思うと、すでに決着が着いていた。
いつの間にか先生とグリンドの位置が入れ替わっている。先生は背を向けて残心する一方、グリンドは膝をついて苦し気に呻いていた。
最上級の達人同士の立ち合いを、誰も理解できない。
確かなのは、おそらく先生が勝ったということだけ。緊張が解かれた反動もあり、子供たちが歓声を張り上げ──
「あー、思い出した、この剣筋!」
ようとした直前、先生が声を上げる。
木剣を放り出し、うずくまる男にずかずか近づいて、顔を覗き込む。
「あんた、私と昔闘技場でやり合った少年じゃん! 強くなったなぁ!」
「な……」
男は痛みを忘れたように呆けた顔を晒している。
が、すぐに元の苦々しい表情に戻り、憎々し気に呻く。
「今更思い出したか。そうだ。貴様に負けたあの日から、私は一日たりとも雪辱を願わぬ日はなかった。いつか貴様を打倒し、家名に泥を塗った恥を雪ぐ。そのために、そのためだけに私は今まで……だのに貴様はっ、貴様という女は……っ!」
拳を床に叩きつける。何度も、何度も。
「貴様は闘技場を捨てた! 一度は剣王を下すほどの力と名声を捨て、貴様を好敵手と認めた剣士たちの思いを裏切り、戦いに背を向けた! なぜだ!? なぜ闘技場を去った!?」
鬼気迫る剣幕にさすがの先生も若干引きながら、あっさりと答える。
「だってやる意味なかったし」
「意味だと?」
「私は力が欲しかった。ある程度強くなったらそれ以上戦う意味なかったんだ。名声とか負かした相手の気持ちとか知ったこっちゃないし」
グリンドが怒りで顔を真っ赤にしている。
無理もない。彼が闘技場での戦いに本気で打ち込んでいるのは、腕前と言動から明らかだ。だからこそ先生に負けたことが衝撃だったのだろう。にもかかわらず、先生は闘技場を実戦形式の稽古の場として利用していただけで、それ以上の思い入れはないという。
先ほどまでグリンドに剣呑な目を向けていた子供たちは、一転して同情的なまなざしを送る。先生に悪気はないとしても、どうにもグリンドが気の毒だった。
「貴様に分かるか!? 生涯の仇敵と決めていた相手が、ある日突然いなくなったときの気持ちが! 私が死に物狂いで求めても届かなかった頂を、何のためらいもなく放り捨てて消えたのを見た気持ちが分かるか!」
「分からん!」
「だろうな! クソが!」
先生、もうちょっと優しくしてあげて? クロネたちの意見が言葉もなく一致した。
グリンドはもはや言葉もなく、わなわなと震えて先生を睨みつけている。その様子はまるで癇癪を起した子供のようだ。
考えてみれば、先ほどまでカスとか雑魚とか罵っていたのも、癇癪の一環だったのかもしれない。雪辱を誓った相手を唐突に失い、気持ちのはけ口がなくなってしまったのだろう。
子供たちの生暖かい視線に気づいているのかいないのか、グリンドはよろめきながら立ち上がり、吐き捨てる。
「もういい。貴様は一生ここでザコどもを率いて悦に浸っていろ。私は貴様を超える。頂点に立ち、貴様の傲慢に満ちた剣をへし折ってくれる」
「もう折れとるんだが」
「やかましいっ!」
グリンドは鼻息荒く先生の言葉を切って捨てると、踵を返し、道場を出て行く。
もの言いたげな子供たちのジト目が先生に突き刺さるが、先生はどこ吹く風だ。
「おもしれー男だったなァ、わはは」
ケラケラ笑う先生。一人の男の人生と人格におそろしく大きな影響を及ぼしておいて、まるで気にしていない。
そんな先生の大物っぷりにクロネたちは呆れ半分、感心半分だった。