毀剣終生伝   作:ジエンドオブザラストファイナル

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6.喪失

6月1日

 雨期が近い。

 

 この季節は嫌いだ。じめじめとした空気と雨の匂いがあの日を思い出させる。以前なら憎悪と殺意マシマシでいっそう剣術に打ち込んでいたけど、殺したい相手もいないのに頑張る気は起きない。イライラが募って仕方ない。

 

 いきなり魔王が復活して殺しにきてくれねーかな。八つ当たりしていい相手がほしい。猛烈に。

 

 

 

6月5日

 久々に孤児院に顔を出した。

 

 熱気がすごい。孤児院じゃなくて道場が本体だろってくらい強いのと賢いのがひしめいてた。強いやつらは強いやつがいるところに集まる習性があるようだ。

 

 クロネたちも少し見ないうちに大きく上達していた。グリンドが色々教えてくれたみたい。ちゃんとした道場で習っただけあって、私よりも教えるのが上手だった。

 

 クロネ、ヒミカはグリンドに任せ、パナピアで遊んだ。将来帝国と戦うのを見据えて今までにない稽古を始めたんだ。にゃあにゃあ言わせるの楽しかった。

 

 

 

6月15日

 ヒミカが闘士になった。

 

 もっといろんな流派、いろんな相手と真剣勝負をしたいらしい。殺したい相手もいないくせに、変わったやつだ。

 

 ヒミカだけじゃない。クロネとパナピアも、剣術が楽しい、好きとかほざいてる。

 

 ただ殺すだけの手段に楽しさなんて、私は感じたことがない。私の方が変わってるのか?

 

 

 

6月20日

 折からの値上げがついにやべーことになってきた。

 

 米、小麦粉、塩、砂糖、卵、三倍以上の値上げに加えて品薄状態。家庭によってはもう飢えが始まってそうだ。町の空気がぴりついている。

 

 帝国が未だに中央街道を閉鎖してる煽りだ。まったくあの国はろくでもない。

 

 誰かなんとかしろよ。

 

 

 

6月21日

 雨の匂いがうっとうしい

 

 

 

6月30日

 クロネと話をした。

 

 どうでもいい身の上話をつらつら語って、思い出すと少し恥ずい。

 

 全部雨のせいだ。

 

 

 

7月23日

 "お世話になりました パナピア"

 

 パナピアが帝国に帰ったっぽい。上に貼った紙切れは置手紙のつもりか。

 

 慢心したのかな? あいつの力だと、まだ帝国全部を相手取るには足りない。

 

 もう知らん。一言バイバイも言わずに出て行く薄情猫なんてもう知らない。勝手に玉砕してろ。

 

 

 

7月24日

 ちょっと帝国侵略しに行こ。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 剣王国市街地、九番街。中心部から遠く離れ、老朽化した空き家の多いそこは、首都の栄華から切り離された閑静な一画だ。人通りは少なく常に静まり返っている。

 

 が、今この地域に空前の賑わいが生まれていた。名のある道場出身の剣士たちや、学院で学問と魔術を専攻する知識人たちが足しげく校外に通い、ある建物に集まっている。

 

 そこは道場だった。実際は廃教会を改修した孤児院だが、裏庭に増設された道場が噂を呼び、剣士たちを引き付けた。噂にいわく、剣王を下したあの『毀剣』が道場を開き、門下生を募っていると。

 

 もちろん師範代でもなんでもないズボラの化身たる毀剣が門下生を集めるはずはなく、やってきた剣士たちは道場破りとして住人の孤児たちに迎え撃たれる。思いのほか高い練度に剣士たちは感銘を受け、評判が広まってさらに多くの剣士たちが押し寄せる。人が人を呼ぶ連鎖により、腕試しの聖地として名が売れていた。

 

 そんな孤児院の道場では、今日も立ち合いが行われている。

 

「どうした? 来い」

 

 中央で向き合う二人のうち、一人は短髪に刈り込みを入れた長身の男、グリンド。皮肉気に口元を歪め、相手を煽る。

 

 対するもう一人は黒髪の少女。この孤児院の住人であるクロネ・バンディットだ。

 

 子供たちの中では最強と目される天稟の持ち主だが、グリンドに攻め入る隙が見つからない。双方とも同じ剣王流で、切っ先を相手に向ける基本の構えをしているにもかかわらず、グリンドから発される異様な圧力がクロネをその場に縫い付けている。

 

 とはいえ、逡巡は一瞬のこと。クロネは格上との戦いに慣れていた。攻め入る隙がなければ作るまで。

 

 魔剣の柄にはめこまれた魔石が青く輝く。刀身が青い燐光に包まれ、間合いを倍に広げた。

 

 一歩踏み込む。世界が後ろに吹っ飛んだ。剣王流奥義の歩法、朧によって加速しつつ、正面から切り込んでいく。

 

 無論、目線と手首の動き、足と体の微細な動作によるフェイントを入れ込み、本命の一撃を悟らせない。グリンドは目を眇め、クロネの狙いを読み取ろうとする。

 

 ほんの瞬きにも満たない時を経て、両者が互いの間合いに入る。

 

 クロネは滑るように側面へ回り、逆手に持ち替えた魔剣を突き入れる。剣王流、腎穿ちだ。

 

 グリンドが迎え撃った。後ろへ足を引いて躱しつつ、刃引きした剣を覆いかぶさるように振り下ろす。

 

 クロネの目がぎらりと光る。

 

「ここっ!」

 

 刹那、魔石が青い閃光を発した。グリンドの視界が眩み、打ち下ろしが空を切る。その背後にクロネが現れた。

 

 予備動作を省略した、朧の出来損ないと言うべき足運び。技と呼ぶには不格好で不完全だが、魔石の閃光と併用し死角へと身を滑らせた。

 

 隙だらけのグリンドの背中へ、必殺の一撃を──

 

「甘い」

「ぐえっ」

 

 入れるかに思われたが、グリンドは甘くなかった。

 

 後ろを見もせずに後ろ蹴りを繰り出す。杭のように突き出された長い足がクロネの腹に突き刺さり、小さな体が吹っ飛ぶ。

 

「勝負あり! クロネ、大丈夫っ!?」

 

 審判をしていたパナピアが立ち合いを終わらせると、子供たちがクロネの元に集まった。

 

 しばらく悶絶していたクロネは、半身を起こしてため息をつく。

 

「平気。あーあ、いい線いったと思ったんだけど」

「狙いは悪くない。雑魚なりの努力は認めてやる」

 

 グリンドが嘲笑を顔に張り付けたまま続ける。

 

「魔剣の機能を使うのに独特の硬直がある。不意をつけなければ搦め手は逆効果だ。魔力運用の練度を上げ、殺気を隠す術を習得しろ。そうすれば格上にも通じるはずだ。雑魚の浅知恵にしては上等だ」

「格上にも? それって先生にもってこと?」

「思い上がるな三下。あの女にくだらん初見殺しが通じるはずあるか。恥を知れ」

「言葉が強いよぅ……」

 

 先生を引き合いに出したとたん、グリンドは鬼の形相で否定した。

 

 泣き真似をしてパナピアに縋りつくクロネ。パナピアは呆れ顔で「からかうのやめときなさいよ」と耳打ちしてから、グリンドと向かい合う。

 

「次は私の番よ!」

「かかってこい、どら猫」

「虎だっつってんでしょーがどいつもこいつもぉ!」

 

 そうしてパナピアが斬りかかり、新たな立ち合いが始まる。終わればヒミカ、その次は孤児院に新しく入った子供たちのうち、剣術を専攻する者たちがグリンドと手合わせし、またクロネに順番が回る。日が落ちるかクロネたちの体力が尽きるかするとグリンドは帰っていく。これが最近の道場の流れだった。

 

 先生と手合わせをしたあの日以来、グリンドは毎日やってきては先生に打ち負かされていた。しかし近頃はなぜか先生が道場に顔を出さず、グリンドはそのたび舌打ちして帰っていく。

 

 それに待ったをかけたのがクロネだ。せっかくの格上と剣を交える機会を逸する手はない。

 

「私が貴様らと? ふざけるな。下賎な雑魚共と交える剣は持ち合わせていない。カスはカス同士でじゃれ合っていろ」

 

 当初はけんもほろろ。パナピアは毛を逆立て、ヒミカは獰猛な笑みを浮かべ斬りかかる寸前で、クロネもそこそこカチンとくる物言いだった。

 

 とはいえ剣で敵わないのは明らか。だから言葉で刺しに行った。

 

「へー、逃げるんだ」

「なんだと?」

「そりゃそうだよね。先生だけじゃなくて、先生の教え子の私たちにまで負けたら立つ瀬がないもんね。いいよいいよ、カスに追い越されるのが怖い臆病者と戦ったって、臆病がうつるだけだもん。自分が散々罵った雑魚にいつか成り果てるその日まで、せいぜい一人でいい気になってればいいよ」

 

 効果はてきめんだった。グリンドは顔を真っ赤にして「いい度胸だ」と地の底から響くような声を絞り出し、木剣を手に道場へ舞い戻り、クロネたちを迎え撃つ。その日からずっと手合わせの日々が続いている。

 

 グリンドにも何か思うところがあったのか、剣を交えた後の言葉は、罵倒交じりではあるが一応指導の体を成していた。それぞれに足りない部分、伸ばした方がいいところを指摘し、高みを目指すヒントとしている。そうした態度もあって、次第にグリンドの認識は「先生に付きまとう性格が悪いやつ」から「剣と言葉が強いだけの面白い男」へと変わっていった。

 

「ふん、この程度か。根性のない連中だ」

 

 そんな面白い男ことグリンドは、ひとしきり指導を終えると、道場の外へ足を向ける。

 

 もう帰るのかとクロネが後を追うと、グリンドは入り口脇の長椅子に腰掛け、一息ついていた。さしもの彼も疲れたのだろう。クロネは無遠慮に隣に腰を下ろす。

 

「おい、勝手に座るな汗臭い」

「お互い様でしょ」

 

 グリンドは舌打ちして顔を逸らした。この程度の言動ではクロネはもう毛ほども気にしない。一人分の間隔を空けて座り、なんとなく空を見上げる。

 

 道場の庇から水滴が垂れている。雨期の雨が孤児院の裏庭を濡らしていた。雨雲に覆われた夕刻は薄暗く、聖堂と宿舎の明かりがぼんやり灯っている。

 

「あの女はなぜ来ない」

 

 苛立たしげな声。

 

 聞かれても分からない。クロネは投げやりに答える。

 

「さあ。雨に濡れるのがイヤなのかも?」

「軟弱な女め。寝床が分かれば斬り込みに行くものを」

「女の人の家まで? なんか熱愛みたいだね」

「殺すぞ」

 

 顔をしかめるグリンド。からかいがいのある反応にクロネは小さく笑う。

 

 グリンドが色恋に興味のない類なのはクロネにも分かっている。それはそれとして、先生への異常な執着は好いた惚れたの話題を連想するには十分で、クロネはそこへ踏み込んでみた。

 

「そういう関係じゃないのは分かるけど、にしたってこだわりすぎじゃない? 先生はもう闘技場にいないのに、なんでそこまで?」

「貴様は分かっていない」

「何が?」

 

 首を傾げると、グリンドは大きくため息をつく。

 

「奴の異常性。そして奴の成したことの意味をだ」

 

 そうして語られたのは、先生が闘技場で何をしでかしたか、だった。

 

 闘技場は初代剣王の時代から続く娯楽であり、王家の正当性を証明する儀式でもある。代々の剣王はそこで国の内外に武威を示すことで玉座につき、上層部の要職も同様だ。故に闘技場の上位闘士一〇〇名のうち過半は王家に仕える貴族であり、上位十名は上級貴族と王族だけで構成されている。その格付けに忖度や例外はなく、純粋な実力が地位に結び付く剣王国の価値観を忠実に反映している。

 

「そこへ現れたのが奴だ」

 

 王族と貴族が武力を誇示する、闘技場上位。先生はふらりとその中へ足を踏み入れ、ランキングを蹂躙した。

 

 無名の女剣士。後ろ盾を持たず、二大流派や諸流派に属さず、錆び毀れた剣を振るう特異な剣術をもって王侯貴族をなぎ倒し、ついには剣王さえ下してみせた。

 

「剣王──陛下はは二度目の勝負で奴に勝っている。陛下御自身の考えはどうあれ、雪辱は果たされた。だが我々はそうではない。奴に砕かれた、王家に連なる者としての尊厳を取り戻さなくては、御家にも民衆にも面目が立たんのだ」

「へー」

 

 田舎で木こりの娘として暮らしていたクロネには到底理解できない話だった。王侯貴族の尊厳なんて想像もつかない。

 

 一つ分かったのは、先生が想定よりもずっと偉大なことを成し遂げ、なのに「もう必要ないから」とあっさり闘技場から去った異常性だった。

 

 はるかな頂に手をかけながら、その栄光を捨て去って、先生は何がしたかったのだろう。

 

 殺したいやつがいる、と以前言っていた。その相手の元へ行ったのだろうか。

 

 先生の思いを考え込んでいると、「おい」と不機嫌な声が打ち付ける。

 

「次は貴様の番だ。話せ」

「はぇ? 何を?」

「あの女を倒すのに役立つ情報をだ。奴に師事しているなら、毀剣の術理くらいは知っているだろう」

 

 術理。剣を振るうにあたっての心構え、意識、方法論全般のこと。剣王流では合理的な殺傷の仕組みを、大王流では膂力を一振りに集約する手法を指す。

 

 一方、先生の毀剣はまるで術理が分からない。クロネたちは人さらいから助けられたときや誘拐された折に目撃しているが、折れた剣を振るうだけで相手が死ぬ仕組みなんて想像できなかった。

 

 だから、直接先生に聞いてみたことがある。毀剣って何なのかと。

 

 しかし──

 

「聞いても分かんないよ? 覚えてる範囲でそのまま教えることはできるけど」

「構わん、話せ」

 

 わずかに身を乗り出して促すグリンド。まさか本当に知っているとは思っていなかったらしい。

 

 どうせ言っても先生の強さは揺るがない。その確信と、敬愛する師の過去を知れた礼の意味もあり、クロネは先生の言葉をそのまま伝える。

 

『簡単に言えば、結果の出力だよ』

 

 先生の説明は初っ端から意味不明だった。

 

『剣を振ることの本質は再定義だ。そうあれかしと定められた万物を斬断切絶(ざんだんせつぜつ)の概念に照らし、再定義する。たとえば木を切れば薪になったり切り株になったりするだろ。人を斬れば死体になるし、つながりを断てば二つに分かれ、連なりを絶てば物事が終わる。この考えに基づけば、刃と体の役割は概念の出力機であることは分かるよな? だったら出力の仕組みを理解して体得すれば、体一つで刃の代わり足りうる。もちろん出力先の情報が必要だから、同格と格上相手には時間が必要になるけど……おい、なんでぼーっとしてんだ。話聞いてるか?』

 

「って、言ってたんだけど……」

「……」

 

 グリンドは頭を抱えてぶつぶつ言っている。

 

「法則の書き換え……いや上書きか? かの魔王が操った魔法と同種……バカな、あの若さで剣術の深淵に至っているというのか……?」

「大丈夫?」

 

 呼びかけると、グリンドは大きく息をついて立ち上がる。

 

「貴様に心配される筋合いはない」

「なんか参考になった?」

 

 ぐっと唇を引き結び、呻くように答えるグリンド。

 

「少なくとも……目指すべき高みは知れた。礼を言う」

「どういたしまして。あ、帰るの? またねー」

 

 クロネが手を振るのには応えず、グリンドは小雨の中を力強い足取りで歩み去って行った。

 

「礼を言う、だって」

 

 あの男の口から出たとは思えない、珍しく柔らかな言葉を反芻し、クロネはくすくす笑った。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 ひと月程度の雨期の間、孤児院にはちょっとした変化と成長が続いた。

 

 一つはヒミカの闘技場デビューだ。グリンドから闘技場の話を聞き、道場よりも幅広い相手と戦えると知って、闘士になった。クロネたちを初めとした孤児院での親しい者たちが初戦を見に行き、結果は危なげない勝利。

 

「先生やみんなと比べると弱っちかったの……」

 

 手ごたえのない相手にヒミカは不満げだったが、これは初戦だけだった。

 

 ヒミカの快勝と、先生に師事していることを受けた闘技場運営は、ヒミカを適正なランク帯へ昇格させた。この采配により、二戦目はどちらが勝ってもおかしくない熱戦を繰り広げ、ぎりぎりのところでヒミカの辛勝となった。

 

「こういうのがしたかったの! 剣術たーのしー!」

「やるじゃない、さすがヒミカ!」

「やったねヒミカ!」

 

 孤児院で勝利を祝う間、先生は奇妙なものを見るようにヒミカを見つめ「楽しい……?」と訝しげにつぶやいていた。

 

 三戦目からも白熱の接戦を制するヒミカに触発されたのか、パナピアも大きく進歩した。グリンドによると大王流五段の腕前に達し、これは正式な入門を経ずに得られる最高の段位だという。

 

 それに伴い、稽古の内容は厳しさを増した。

 

「ほらほら、よく見てよく考えないと、穴だらけになっちゃうぞー」

「ちょ、待っ、先生、きついっ」

「安心しろって、ギリ防げる弾しか打たねーから」

 

 先生はパナピアを銃で撃った。どこから持ってきたのか、帝国製の拳銃を道場に持ち込み、パナピアを撃ちまくる。

 

「相手の目と指をよく見ろ。殺気を読め。そしたらただの突きと変わんねーだろ」

「だ、だからって──ニャーッ!? 当たった! 今当たったわよね!?」

「わはは、いい声で鳴きやがる」

「この外道ーっ!」

 

 銃はおそろしい飛び道具だ。金属製の弾を音よりも速い速度で発射でき、しかも連射が効く。

 

 なのに先生は突きと同じと言い張り、肌を掠めるような際どい弾で容赦なくパナピアを追い詰めていく。

 

「帝国とやり合うんだろ。だったらこの程度軽くいなせなくてどうする。それとも、ここで一生駄猫のままで過ごすか? ん?」

「い、言わせておけば……っ!」

 

 先生の煽りと、パナピアの才がかみ合ったのだろう。一日足らずでパナピアは飛来する弾丸を躱し、弾き、受け流す術を身に着けた。

 

 極限の集中が切れ、疲労困憊で倒れ込むパナピアに、先生は笑いかける。

 

「いいじゃん。帝国にぎゃふんと言わせるまであとちょっとだぞ」

「ふ、ふふ……どんなもんよ……」

 

 目的に近づいた達成感に満たされて、パナピアは勝気に笑い返した。

 

 そしてもう一人、大きな目的のために剣を学ぶクロネはというと、先生との手合わせがより実戦を意識したものに変わった。訓練用の木剣から父の形見である魔剣を使うようになったのだ。

 

 といっても、魔剣の力を引き出すにはまだ力が足りず、先生には木剣だろうが魔剣だろうが一撃さえ入れられる気がしないので、大きな変化とはいえない。

 

 ただ、目的の達成に向け着実に進んでいる実感が、クロネを奮い立たせた。

 

 父を殺した何者かの居場所は、先生が知っている。この調子で力をつけ、時が来れば、仇を討つことは夢ではない。

 

 学院に行ったメルたちもうまくやっているらしく、講師として雇っている学生から評判を聞く。どの子も優秀だが、とりわけメルが学院始まって以来の天才魔術士として噂になっているそうだ。

 

 そうしてそれぞれ、充実した日々を送るクロネたち。

 

 一方で、クロネには気がかりな人物が一人だけいる。

 

 先生だ。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 雨期の間、先生が孤児院に顔を出す頻度は明らかに下がった。

 

 元々気まぐれな気性で、いざ来たときには常の通り不遜で不敵でふてぶてしい態度だったので、誰も心配はしない。

 

 が、クロネは違った。先生が人知れずやつれていることに、クロネだけは気づいた。

 

 きっかけは、手合わせした際の些細な手ごたえの違いだ。ほんの少しの違和感の訳を探し、よくよく先生を見てみると、不調はすぐに分かった。目の下にうっすらとクマが出来、淀んだ空色の瞳はぼんやりとして焦点が合っていない。癖のある灰髪はいつもより寝ぐせが多い。剣を握っていないときの足取りがふらふらとしている。

 

 これだけ兆候があるにも関わらず、誰も気づかないのは先生の振る舞いによるものだろう。ヒミカの戦いを見に行くにも、パナピアをしごくのも、片手間でグリンドと手合わせするときも、自然体で無理を感じさせない。クロネでさえ、きっかけとなった最初の違和感を当初は錯覚かと考えた。先生の虚勢は恐るべき精度だった。

 

 クロネは思い悩んだ。先生は触れてほしくないから虚勢を張っている。かといって気づいてしまった以上、放っておくのは気分が悪い。大恩ある師匠に対し、無遠慮に踏み込むべきか、放置するのが正しいのか。

 

「ええいままよ!」

 

 クロネは開き直った。丁寧に間合いを測るより、朧で突っ込むのがクロネのやり方だ。余計なお世話と嫌がられたってかまうものか。

 

 覚悟を決めた翌日の朝、先生はやってきた。

 

 しとしとと降る小雨の中、傘を差して孤児院へ近づいてくる。門扉の脇で待ち構えるクロネに目を止め、顔を上げた。

 

「おはよう。そこで何してんだ」

「おはよ。先生を待ってたの」

「はあん。今更丁寧にお出迎えってわけじゃねえよな。場所変えるか」

 

 話が早い。先生は足早に歩き出し、クロネが続く。

 

 足を止めたのは聖堂の片隅だった。朝のこの時間は剣術派は道場、勉強派は教室で授業中なので、聖堂にはクロネと先生の二人きりだ。

 

 長椅子に隣り合って座り、先生が口を開く。

 

「で、なんだよ。仇については言えんぞ。お前はまだ弱い」

「分かってる。聞きたいのはそういうことじゃなくて……先生」

 

 クロネは一つ呼吸を挟んで、じっと正面から見つめた。

 

「無理してない? 何か辛いことを我慢していない?」

 

 返答はなかった。先生はぽかんと口を開け、いつになく気の抜けた顔で呆けている。

 

 奇妙な反応だった。十秒、二十秒と待っても返事はなく、もう一度問おうとしたところ、やっと先生が動きを見せる。

 

「はー……」

「先生?」

 

 吐息を漏らし、俯いて肩を震わせる。泣いているようにも、笑いをこらえているようにも見える。

 

 程なく顔を上げた先生の表情は、いつものものだ。不敵で不遜で、かすかな諦念と達観を帯びた、先生らしい顔。

 

「ごめん。そんな風に心配されたの久しぶりでさ。びっくりしちゃった」

「ああ、先生強すぎるから……」

 

 たしかに、単身で犯罪組織を潰し、最強の剣士にさえ勝利する先生が、その身を案じられることは少ないだろう。

 

 慣れていないのか、先生はどこか気恥ずかしそうに視線を泳がせている。

 

「私、そこまで凹んで見えた? だったら割と恥ずかしいんだが」

「全然だよ。たぶん私以外に誰も気づいてない。こうやって話すまで、気のせいかと思ってたくらい。それより、先生?」

「分かってる」

 

 先生は観念したように肩をすくめた。

 

「今更ごまかしはしないよ。先に言っとくと、別に深刻な悩みがあるんじゃない。ただ、感傷的になるんだ。この季節は」

 

 一拍の間を置いて、先生は言った。

 

「家族と故郷を失ったあの日も、今日みたいにじめじめした雨期のことだったから」

 

 

 

ーーー

 

 

 

 先生は剣王国辺境の農村の出身だ。優しい両親とかわいい妹と共に、平穏に暮らしていた。

 

 父は昔学院で教鞭をとっていた先生で、書斎には難しい本がいっぱいあった。悩みはすべて文字に起こして向き合えば必ず解決できると豪語し、先生はこの教えを未だに守っている。

 

 母は平凡な農家の生まれだったが、多くのお菓子のレシピを知っていて、行商人から材料を仕入れるたびおいしいケーキやクッキーを焼いてくれた。教わったレシピはすべて覚えている。

 

 一つ下の妹は生意気な盛りで、姉のクッキーをこっそり一つ盗んだり、姉の寝床に潜り込んでおねしょをしたくせに罪を姉になすりつけたりとやりたい放題。珍しい花に目がなく、見たことのない品種を見つけると崖の上だろうと急流の対岸だろうと突っ込んでいく無謀なところがあった。

 

 そんな無茶に毎回付き合うのは大変だったけれど、やっと手に入れたきれいな花を「お礼!」と髪に差してくれる妹は、世界一かわいくて、愛しくて、大切だった。

 

 優しい両親と最愛の妹に囲まれた、穏やかな生活。

 

 それを壊されたのが、雨期の一日だった。

 

 雨が降る直前の湿った匂い。それに混じって焦げ臭い匂いが鼻をついたと思ったら、村で火の手が上がっていた。

 

 山賊だ、と悲鳴が聞こえた。武器を手にした大男たちが村人を殺し、奪い、犯している。

 

 山賊たちの魔の手が迫り、先生は剣を手に取った。当時、先生は村一番の天才剣士と称され、唯一戦う力があった。

 

 とはいえ、あくまでも小さな村での一番だ。人殺しに慣れた山賊たちには敵わず、目の前で両親を殺された。命がけで守ろうとした妹さえ、肩から脇腹にかけてを深く斬り裂かれる致命傷を負った。

 

 かろうじて出来たことは、逃げることだけだ。山賊の頭領に手傷を負わせた隙に乗じ、瀕死の妹を背負って夜の闇に紛れた。

 

 燃える故郷と家族の亡骸を見捨てて敗走した山中、手当てを始めようとしたときにはもう、妹は息を引き取っていた。

 

 降りしきる雨の中、亡骸を埋める穴を掘った。燃え立つ油と血、湿っぽい雨の匂いが鼻をついた。固い土で爪が剥がれる痛みに苛まれながら、心中にはただ一つの思いが燃えている。

 

 絶対に殺す。大切なものをすべて奪った外道を生かしておくなんて許せない。すべてをねじ伏せる暴力を得た後で、一人残らずぶち殺す。 

 

 そうして憎悪と怨嗟を生きる縁に、少女は剣を取った。

 

 

ーーー

 

 

 

「だから、雨の匂いをかぐと思い出して、感傷的になるんだ。女々しいだろ?」

「……」

「泣くなよ、私まで泣きたくなるだろ」

 

 涙を拭う。拭っても拭ってもあふれ出てくる。同情と共感が止まらなかった。

 

 先生の境遇はクロネとそっくりだ。家族と共に過ごしていた平穏な日々を突如奪われ、何もかもを失い一人になった。

 

 クロネはこうして先生に助けられ、パナピア、ヒミカ、メルなど、新たな家族と呼ぶべき出会いを得ることができた。反面、先生はどうしたのだろう。

 

「う、ぐすっ……せ、先生、その後は?」

「うん?」

「一人になってから、どうしたの?」

 

 先生はくしゃりと自嘲の笑みを浮かべた。

 

「復讐を始めたよ。闘技場とか人さらい相手にひたすら剣術を鍛えてな。山賊の頭から下っ端まで探し当てて残らず殺した。そんで今、このザマだ。家族はいない、友だちも恋人もいない、好きなこともやりたいこともない。力しか能のない薄っぺらな抜け殻だよ」

 

 先生の自虐に、クロネは激しく首を横に振る。

 

 薄っぺらではない。家族を奪われた痛みを知るクロネだからこそ、鍛えて仇を討つまでの苦悩が分かる。

 

 孤独だったろう。憎悪だけを糧に戦いの毎日を送るのは。

 

 もしもクロネが先生やパナピアたちと出会わず、一人で復讐の道を歩むことになったとすれば、必ずどこかで折れている。対して先生は、一人でその過酷な道を踏破した。途方もない強さやでたらめな毀剣の技は、必然的に身に付けざるを得なかったのだ。

 

「せ、先生……」

 

 たまらなくなって先生を抱きしめた。ひどく薄くて細い体は、力を込めると折れてしまいそうだ。二年前に初めて出会った頃とは違い、今はクロネの方が背が高く、なおさら先生が頼りなく感じる。

 

 先生は黙ってクロネを受け入れ、号泣するクロネの背中をあやすように撫でた。

 

 しばらくして嗚咽が落ち着いてきたころ、先生は耳元で諭すように言う。

 

「私みたいにはなっちゃダメだよ」

 

 聞いたことのない、優しくて柔らかな声音だった。

 

「復讐が終わっても人生は終わらない。復讐のために生きるんじゃなくて、生きるために復讐をする。力しかない空っぽの人形には、絶対にならないで」

「先生はっ、人形なんかじゃ……っ」

「うん、そうだね」

 

 とっさの反駁を、先生は否定も肯定もしない。

 

 ただじっとクロネを抱きしめて、溢れる涙をしばし受け止めていた。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 雨期が終わり、強い日差しの照りつける初夏のこと。

 

「先生、たいへん! パナピアが……!」

 

 パナピアが姿を消した。

 

「あのどら猫娘が」

 

 残された置手紙を握りしめ、先生は苦々しく呟くのだった。

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