「彼女はね…寂しがり屋なんだ。」
そう言う彼は酷く哀愁が漂い、えもしれぬ色気があった。
「一人で歩く事ができないし、一人で泣く事もできないし、一人で生きる事はできなかった。……それは、きっとあの娘も、俺も、君も、そして人間だって、同じ事なんだ。」
彼はカップの水面をただ見つめるばかり。
「だからこそ、彼女は知っていたのかも知れない、そんな不完全な人間だからこそ、『対話』が、『抱擁』が、『愛』が必要なんだと。
……だが、それでも彼女は……縋ってしまった。いるはずのない幻想なんかに。」
彼は血が滲むほどに強く握る。
「……それは、なぜ。」
彼は精神を落ち着かせるように大きく深呼吸をした。
「それには、あの日の続きを話さなければならない。」
彼はカップを手に取ってじっくりと水面を観察する。
「あの日、森に迷っていた俺達はひたすらに歩いた。
彼女はあまり体が強い方ではなかったからね、よく彼女をおぶっては談笑に明け暮れていた。彼女は敬虔な信仰者だった。
彼女は眠る前に毎日欠かさず『神』へ祈るそうだ。
『明日もみんなが生きられますように』と……当時の俺には理解ができなかった。けれど、彼女との関わりで漠然と『彼女もまた何かに縋らなければ生きていけないのだと』……だから俺は目を瞑った。
そうして俺達は歩いて…歩いて……そして漸く抜け出せた。幸運な事に抜け出せた先は彼女が入り込んだ入口だった事だ。
こうして、俺は彼女の案内の元、彼女が住んでいる村へ向かった。
けれど、俺達は遅かった。終わりはとうに俺達の足元を掠め取ったと知らずに。」
その光景は凄惨の一言に尽きた。
屍が10や100を超えて、惨たらしく、痛々しく、尊厳を踏み滲むように散乱していた。
「見るな。…見てはいけない。」
俺は後ろにいる彼女の瞼を掌で覆い隠す。
だが彼女は俺の心中なぞ無視するように手を払いのけて前へ乗り出す。
俺は咄嗟に彼女の肩を押し戻そうとしたが、すでに遅く……彼女は見てしまう。
「……な……に…こ…れ。」
彼女の反応も無理はない、昨日まで村について嬉々として話してくれた彼女が、村を愛していたであろう彼女が……こんな、血で塗れた現実を受け止めれるわけがなかったんだ。
「あ……あ………か………かあさん、かあさん!!」
そう言って彼女は無我夢中で走り出す。
「………」
俺もまた彼女に続いて走り出す。まだ生存者がいる事かも知れないと、そんな幻想を抱いて。
彼女はとある建物の前で立ち止まる。
そこは所謂『教会』と言われる場所だったのだろう。だが、かつての神々しさは薄れ、寂れた建物だけがそこに立っていた。
(……なるほど、彼女の母もまた一人の聖職者なのだろう。
就寝前の礼拝は親の賜物というわけか。)
一人思考に耽る中、彼女は覚悟を決めたのか、ゆっくりと、だが、力強く、扉を開ける。
俺はそんな彼女の姿に何処か既視感を覚えて仕方がなかった。
(……ああ……そうか……あの日の俺か。)
かつての地獄、今でも思い出せる、母を辱めた野盗を殺した感触を。
願わずにはいられない、彼女には、どうか……地獄がない事を。
だが……だが……現実は無常だった。
「あ……う…あ…か……か…かあさん!!かあさん!!ねぇ!!かあさん!!」
彼女は既に事切れた骸を必死に揺する。
だが、俺にはその骸が『人』だとは思えなかった。
なにせ、その骸には『腕』も、『足』も無く……腑がこじ開けられていたのだから。
(………親子の愛というやつかもな。)
俺は辺りを捜索する。彼女がこの教会にてどのような立場だったかは不明だが、少なくともここは子供を保護するにはうってつけの場だ……生き残りの子供がいるのではないかと思いつつ、俺は一つの部屋に辿り着く。
(…ここは…)
辺りを警戒しつつゆっくりと、慎重に開ける。
(……悍ましいな。)
そこは、調理場だったのだろう。様々な調理用具が並んでいる事からそう推察した…だが、それ以上にあのまな板の上に置いてある、原型を留めていない『人の足』が目について仕方がなかった。辺りをよく見渡せば、ある箇所に一つの山があった。少し近づいて、その山を観察する。
(………骨…か。)
骨が大小それぞれ重なっていた。骨の形から推察するに、『彼女の母』はどうやら、『無垢なる命』すらも糧にしたようだ。
(………生きる意思……か。)
果たして俺には、『彼女の母』のようにこうも無情になれるのだろうか。
(……だが、死が目前に迫っているのなら……それでも……)
それでも……成さなければならないだろう。
「生きる為にも。」
だが……俺は、なぜ、こうも醜く生きようとしているのだろうか。
(それは今考えることではない。……それより、彼女の元は戻らないと。)
そう切り替えて、俺は彼女の元へ向かう。
彼女はただ茫然としていた。
「……行こう。ここに生きている人はいなかった。」
「………行くって、どこへ?……母さんも居ない……この世界で、一体、どこへ向かって、歩いていくっていうの?」
彼女は強く、聖書のような物を強く握る。
おそらく、あの聖書は彼女、もしくは、彼女の母が持っていた物なんだろう。綺麗に保存されている……余程、信仰深い聖職者だったのだろう。
(…………神に縋った所で、現実は無常だというのに)
だが、神なんぞに縋らなくても……ここには、俺がいる。
「少なくとも、俺が生きている間は俺がお前を生かす。どれだけ泣き喚こうと、どれだけ惨めに縋ろうと、俺が生かす。だから、神なんぞに縋るな。……どうせ、縋るなら、俺に縋っていろ。」
俺は柄にも無く、優しく彼女を抱きしめる。
「お前が言ったのだろう。泣いて泣いて、そして明日へ向かって歩くのだと。泣けばいい、思う存分泣いて、泣いて、泣いて、そして歩け。
お前の両手は神へ祈る為の物じゃない。
お前の両足は神へ縋るためのものじゃない。
お前の臓腑は神への供物ではない。
だから……だから……頼む。俺を頼ってくれ…俺に縋ってくれ……俺に祈ってほしい。そしたら、俺はお前を生かせる事ができる。」
俺は強く、ただ強く、彼女を抱きしめる。
「………無理なの。」
彼女は拒絶するように俺を突き飛ばす。
……………なぜだ。
「なぜ……なぜ!……なぜ!!」
お前はまだ!惨めに、浅ましく、娼婦のように、かの幻想に縋るのか!
「………だって……貴方は、『人』だ。」
は?
「は?『人』…だからだと?………ふざけるな……ふざけるな!!
お前は言った!人と人は『理解できなくてとも、共感できなくとも知る事はできる』と!
『他者の頑張りを褒める事も、認める事もできる』と!
俺はお前の言葉に救われた!ああ!間違いなく、偽りなく!
なのに!!あの言葉はまやかしだったのか!その場を取り繕う為の虚偽だったと言うのか!!」
俺は彼女の胸ぐらを掴んだ。
彼女は一才の抵抗もせず、ただ昏い瞳を俺に向けるばかりだ。
「いい加減、目を覚ませ!神などいない!あんなものは己の未知を!恐怖を!孤独を!埋める為に作られた『幻想』に過ぎん!なぜ、それに気づかない!神なんてこの世界のどこにもいやしない!空虚だ!お前の祈りも!お前の母の祈りも!全てが空虚に過ぎん!お前達の祈りも!嘆きも!憤怒も!神は等しく聞き捨てる!」
それでも彼女はただ昏く、暗く、澱んだ瞳を俺に向けるばかり。
「………なぜ怒らない。なぜ拒絶しない。なぜそうも平然とできるのだ。
俺はお前を、お前の母を、ましては神すらも貶し、侮辱した。
信心深い聖職者である貴様達が無知蒙昧に侵攻する『神』を貶したんだ……聖都だったら極刑ものだろうな。」
彼女は俺の言葉なんぞ右から左へと受け流すようにただ黙るばかりだ。
「チッ。もういい、そんなにその亡骸と居たいのなら好きなだけ居ればいい。だが、すぐに気づく事になる『幻想』は幻想でしかないのだと。」
それが……お前の意思だと言うのなら、俺はただ認めるしかないのだろう。………気持ち悪い。
グイッ。
は?
「ねぇ、お願いがあるの。」
………なんだ…こいつは。
「ぼく……もう……つかれちゃった。…………だからね。………ぼくをころしてくれないかな。」
…………なにを……いっているのだ…こいつは。
「ぼく、おもったんだ、ぼくたちはであってひがあさいけど、それでもぼくもまたきみにすくわれたんだ。だから……ね、たましいはもうかみさまにささげちゃったから。せめて…せめて…ぼくのからだだけはきみにあげたいんだ。だから……ねぇ……どうかぼくをころして……そしてぼくを、たべて……そして…ぼくのぶんも……いきて。」
……お前は……おまえは!
「お前は!勝手だ!勝手に俺の心を救っておいて!!勝手に俺の『過去』を知っておいて!!おまえは!おまえ!」
おれはかのじょの首を絞める。
「いいさ!ならお望みどおりに神の元に送ってやる!あの世で母君と仲良く幻想に浸っていろ!」
ぐっ、ぐっ、ぐっ、
彼女は一才の抵抗をせずただただ受け入れるばかりだ。
そんな彼女の姿がたまらなく不愉快で俺はより力を入れる。
……彼女が俺の頬を優しく撫でる。それはまるで、祈るように、願うように、包むように。
「さ………ち………あ…………れ」
俺は堪らなく泣きたい気持ちを押し殺して折れるように力を込めた。
「……うっ……う、う…うあぁぁぁ!!!!!!」
ゴキッ、パキッ。
彼女の瞳から正気が消えた。いや。消したが正しいだろう。
わからなかった。なぜ彼女は、死ぬ間際に、俺の、頬を、撫でたのだろうか。
俺は震える手でナイフを取り、彼女の心臓を抉り取る。
その心臓は人生で最も赤く、紅く、緋かった。
俺は一心不乱にその果実に齧り付く。
不味かった。とてもじゃないが喰えたものじゃない、こんなもの、どれだけ死にかけようと喰いたいなんて思えない。
……なのに………なのに……どうしてこの果実を喰う手は止まらないのだろう。……ああ……ごめんなさい、ごめんなさい。
気づけば俺は意識を失っていた。
「そうして、目が覚めたら俺は彼女の骸と彼女の母君の骸を灰になるまで燃やし……ブリテンで最も高い山にその灰を撒いた。
………そうすれば、彼女達が言う『神』に会えるかもしれないのだから。」
そうして彼はカップの中身を一息で飲み干す。
「だけど、彼女は最後まで勝手だった。あの日。灰を撒いた俺は、疲れからかすぐ眠ってしまったね。
いつもなら夢なんて見ずにすぐに目を覚ますものなんだけど。
その日は違った。
ククッ。まさかまさかだ……俺の夢に彼女がいたんだ。」
「お前は……『ラグネル』か?」
俺の問いに彼女はただ微笑み、手招くだけだ。
(ふっ。……俺も、未練を抱くか。)
例えそれが夢であったとしても…彼女からの誘いを断われるほど、俺は未だに過去を割り切れてはいなかった。
「ここは、どこだ?」
俺の疑問に彼女は答えず、ただ自身の膝を軽く叩くばかりだ。
「……そこに寝転べ、と言うことか。」
俺は素直に彼女の膝に頭を置く。
彼女はゆっくりと俺の髪をかき分け、優しく撫でる。
「………ここは、貴方の……夢の…中。」
彼女が辿々しい口調でポツポツと話し始めた。
「……ぼく…は……彼女の……『ココロ』。
『タマシイ』は……ソが……持っていってしまった。
だから……わたしは……彼女の『ココロ』……として……あなたにおねがいが……あるの。」
彼女はゆったりと、しかしだんだんと撫でる手つきはおぼついていく。
「………ど……うか……わたし……を……おいて……いかな……い……で、わた……し……を……ひとり……に………しない……で。」
俺の顔に大粒の雨が降り注ぐ。
俺は呆れながらも、彼女の顔を掴み……彼女の『ココロ』を奪い取る。
「ふっ。初物なんだ、大事にしてくれよ。」
雨は未だ降り続ける。
「……ううっ……あり……が……とう。」
彼女は相変わらず泣き虫だ。
「……大丈夫さ、君の『ココロ』も、君の『名』も全部ひっくるめて…俺が生かすさ。」
だから。
「だから、見ててくれ、いつか、人が『人』として生きられる国を世界を…作ってみせるから。もう何かに縋らなくてもいい、本当の意味で人が『人』として生きられる国を!世界を!作ってみせるから。……だから……おやすみ。『ラグネル』。」
「……うん……がんばっ……て…ね。おやすみ。『ルシウス』」
彼女の祈りは確かに、神様だけに捧げたものだったのだろう。
けど、それ以上に彼女がその祈りに込めた願いもまた本物だったのだろう。
「……少し……妬けますね。」
私はお茶菓子を数枚取って食べる。
「ククッ。過去に嫉妬した所で本人が居ないのでは意味がないだろう。」
彼は意地悪に笑う。
「貴方にそこまで思われているなんて……彼女は大変幸せだった事でしょう。」
彼は「それはどうかな」とどうでもよさげに言う。
「彼女には『神』という『本命』がいた。言わば俺の『片思い』だったって言う話さ。」
彼はお茶菓子を齧る。
「……ふん。まあ、いいです。所詮は過去の女。今、貴方の側に立っているのは私なのですから。だから……」
そう言って彼女は俺に向かって乗り出す。
「貴方も…….私に縋ってくれて良いのですよ。」
彼女は「ふふっ」と意地の悪い笑みをこぼす。
俺は彼女の額を軽く突く。
彼女は小声で「……あと、少しでしたね」と呟く。
(はぁ、油断も隙もないね。全く。……それに)
「それにだ、今の俺はアルトリアの所有物であり、アルトリアの相棒【バディ】なんだ。まずはアルトリアを倒してからもう一度来てくれ。」
俺は大きく伸びをする。
………見ているかい、『ラグネル』、俺の『悲願』はもうすぐそこだ。
君の『祈り』も『願い』も纏めて叶えてみせるさ。