ふかふかダンジョンでエンジョイ&エキサイティング!   作:RAP

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第130話 ??時間軸・世界が変わる日

 

 JAXA(宇宙航空研究開発機構)、理化学研究所、文部科学大臣補佐官及び下部組織の科学技術・学術政策局政策課専門調査官、その他諸々。カッチリとしたスーツに身を固めた一行は、病院内の会議室で、受け取った紙を手に目を白黒させていた。

 

 会議室の議長席に、中性的でモデルのような顔立ちをした青年が座っている。

 綺麗な銀髪碧眼、肩までのボブカット、細身でありながら筋肉質の身体。

 病院規定の入院着なのに、どこかの写真撮影イベントなのかと勘違いしてしまう。

 

 青年の傍らには、アラフォーのワンレングスの美人女性。

 財前グループ関連会社の女社長だが、事実上、会長と呼ばれている。

 

「えー、お集まりの皆さん。建前上は記憶喪失の、狭間悠里かっこ仮名かっことじ、です」

 

 どこからどう見ても外国人なのに、産まれた時から日本人でしたが何か、と言わんばかりの流暢な日本語で青年が切り出した。

 そうそうたる肩書きのメンバーは、彼は声まで良いのかと真顔になる。

 

「既に僕の髪の毛や血液サンプルは調査されていると思いますが、先に言っておきます。ひとまずはそのサンプルで満足しておいてください。僕はモルモットになるつもりはありませんし、皆さんに僕を拘束することは出来ません。例えば警察や自衛隊をはじめとした機関が、よくわからない理由や建前で僕を逮捕または拘束しようとした場合、僕は問答無用でその人達を皆殺しにすることができます」

「狭間さんも何やら不思議な身の上であろうとは察するが、まずは地球外生命体のサンプルを見せてはもらえまいか?」

「いいでしょう。とよちゃん」

 

 青年の傍らの女性が頷くと、スタッフに指示を出す。

 スタッフ達が、2m大の細長い何かを会議室内に運び入れた。

 強化ガラスに囲まれ、刀か何かを飾り付けするように槍のようなものが置かれている。

 しかし槍が置かれた部分は、身動きが取れないように何カ所か鉄の輪で包まれている。

 手や足に見える触手のような何かが蠢いており、槍自体も身じろぎするようにくねる。

 

 会議室中にざわめきが走る。

 一目でわかる地球外生命体サンプル。

 宇宙人との初邂逅。

 

「皆さんにお渡しした紙に、僕が欲しいものを一通り書いておきました。本当は国籍なんてどうでもいいので、NASAに声をかけても良かったんですけどね。ただ、2043年の技術を投入して作った日本刀には興味があったので、日本の皆さんと取引するのはそれが理由です。だから戸籍やお金は、なんていうかオマケですね。思いつかなかったので」

「10億円が、おまけ……」

「安い買い物だと思いますけどね。全世界規模でオークションにかけたっていいんですよ?」

「いや、それは……文部科学大臣にもすぐ掛け合う。総理だって動く」

「そう願います。この槍は人を殺すために作られた生物なので、交流はあきらめてください」

 

 銀髪碧眼の青年は、にこりと微笑む。

 

 

 * * *

 

 

【欲しいもの】

 

 『日本刀の大小』

 ・2043年の最新鋼材と理論を使ったもの

 ・折れないことを最優先、切れ味は二の次

 ・居合刀ではなく実戦想定の刀

 ・刃渡りは、大は二尺四寸五分、小は一尺八寸

 ・反りは抑えめ、重ね厚め、平肉(ひらにく)付く蛤刃(はまぐりば)

 ・肥後拵(ひごこしらえ)

 ・(つば)および(はばき)には菖蒲紋(デザイン任意)

 ・二天一流の師範代級が納得する出来映えのもの

 ・銃砲刀剣類登録証を添えること

 

 『日本在住関連』

 ・国籍、戸籍、住民票など

 ・病院の治療費及び入院費用

 ・非課税の10億円を入金済みの銀行口座&カード

 ・教育委員会の『義務教育終了相当』認定

 

【提供可能なもの】

 

 『生きている槍状の地球外生命体サンプル』

 ・餌は太陽光か熱還元可能なものを与えて下さい

 ・増殖可能性あり、注意

 

 『着ていた服』

 ・地球外植物を使用して製作した多孔質ゲルの糸と、地球外生命体が生産した糸の混合物

 

 『所持していた儀礼刀の大小』

 ・地球外惑星の鉄鉱石で製作

 ・宝石は地球外惑星の鉱物

 

 『熱力学第一法則の破壊』

 ・ヒントだけ

 ・普通の紙に金箔を貼った風車を複数ご用意下さい

 ・動力足りうるいかなる波動も遮断可能な部屋をご用意下さい

 

 

 * * *

 

 

「少々、よろしいですか」

 

 理化学研究所のIDカードを首から下げた男性が、挙手をした。

 

「この『熱力学第一法則の破壊』が気になって仕方が無いのですが」

「ああ、それですか。僕が先ほど話した、皆さんに僕を拘束することはできない……という理由の一部です。アーサー・C・クラークの三法則の3的な意味で、僕は魔法を使えます」

「はぁ?」

「馬鹿な」

「何を言っているのかね、(キミ)は!」

 

 聞いていた政府高官達が怒鳴り始める。

 だが、JAXAや理化学研究所の面々は静かだった。

 

「アーサー・C・クラークの三法則の3。十分に高度な科学技術は、魔法と区別できない?」

「今の人類には再現不可能な、認識すらできない未知の物理法則を利用した別次元の科学?」

 

 しかし政府高官のうち、一人の怒りが収まらない。

 

「なんだね、(キミ)! だったら、その、魔法? とやらを、使ってみたまえよ!」

 

 ユーリは、苦笑しながら理化学研究所の人間が首から下げているIDカードを指さす。

 

「そのIDカードが、銃だったとしましょう。でも『そのIDカードが銃のわけがない! 本当に銃だというのなら、撃ってみろ!』と主張されてしまいました。そのIDカードが銃であると証明するために、皆さんならどうしますか? 僕なら疑いをかけたその人を撃ち殺します」

「……なぁっ!?」

「あなたが乗ってきた車を壊してもいいし、あなたの家を燃やしてもいいですよ」

 

 政府高官が、動揺して挙動不審になった。

 JAXAの人が、慌てて立ち上がった。

 

「待ってください。その口ぶりだと、狭間さんは今、この場で魔法を使えるということですか?」

 

 ユーリは、内心で苦笑する。

 科学的8巻125P。オサマ王国の商人と、織津江パイセンの会話シーンを思い出したからだ。

 

「わかりました。こちらが要求したものを軽視あるいは無視される恐れがありますね。たかが一個人などどうとでも料理できる、一方的に僕から全てを奪えばいい。何が最新の日本刀だ、何が10億円だ、ふざけるな……そう受け止められる可能性がある以上、簡単な理科の実験をお見せすることにしましょう。看護婦さーん! 病院でも、カセットコンロと、鉄製の皿と、食塩ぐらいはありますよね!?」

 

 青年は部屋の隅で控えていた看護婦を呼び、指示をした。

 やがて、会議室に鉄製の皿と、市販されている食塩の小瓶が運ばれてくる。

 青年は食塩の蓋を開けると、鉄製の皿にまるごと全部、食塩を山盛りにした。

 

「理化学研究所さん。食塩の融点と沸点は?」

「食塩の融点は801℃、沸点は1413℃」

「鉄の融点と沸点は?」

「鉄の融点は1536℃、沸点は2863℃」

 

 ユーリは防災用のカセットコンロからカセットボンベを外し、離れた場所に置いた。

 カセットコンロの横に、山盛りの食塩が載った鉄製の皿を用意する。

 

「皆さん、どうぞ録画してください。上司に中継とかしてくださって全然構いません」

 

 室内のスーツ姿の男達が、スマートフォンやタブレットを一斉に取り出した。

 iPhone34という数字が一瞬見えて、ユーリは顔が引き攣った。

 しかしすぐに気を取り直して、真顔になる。

 

「いいですか? いきますね」

 

 ふう、と深呼吸。

 ユーリはにこやかに語り始める。

 

「第三惑星地球の皆さん、はじめまして。建前上は記憶喪失、または術後せん妄で意味不明な事を言い出した狭間悠里と申します。生きた地球外生命体に襲われ、死にかけていたところを助けられた異世界転移者という別の側面もありますが、とりあえず今は統合失調症の可哀想な青年が支離滅裂な言動をしていると受け止めて下さい。これより、魔法の実演をおこないます。といっても、皆さんがファンタジー小説やゲームで見るようなものではありません。アーサー・C・クラークの三法則の3という名前の魔法になります」

 

 異世界転移者、という単語がはじめて飛び出したので、ざわめきがあがりそうになる。

 だが関係者の大半が、騒ごうとした者を視線で黙らせた。

 

「いまここに、カセットボンベを外したコンロを用意しました。火は……当然つきません」

 

 火をつけようとコンロを操作するユーリだが、当然何も起きるはずがない。

 

「コンロを用意した理由は単純で、これから熱くするので念のため、です。さて、このコンロに鉄の皿を載せます。この鉄の皿には、食塩を一瓶丸ごと入れました」

 

 ユーリは、空の食塩瓶を軽く振ってみせ、テーブルに置く。

 

「食塩の融点は801℃、沸点は1413℃。鉄の融点は1536℃。もしコンロに火をつけた場合、この鉄の皿が温まるにつれて食塩が溶け、やがて沸騰し、火力によっては鉄の皿が溶けてしまう。このコンロにそれだけの火力があるかどうかはこの際どうでもよくて、通常であればそういう順序で変化を辿る。理論的にはそうなる。ここまではいいですね?」

 

 ユーリはそう言うと、鉄の皿の周囲に軽く人差し指で円を描いた。

 

「いま、このあたりに仕切りを作りました。正確には、鉄の皿と食塩の周囲1cm程を包んでいます。ではその空間が、僕の合図と共に1500℃に一瞬で変化し、温度が固定されたとしたら……理論上は突然食塩が沸騰し、でも鉄は溶けない。そういう思考実験ができますよね?」

 

 凄い肩書きの偉い人達の動きが、完全に止まった。

 彼は一体、何を言っているのか。

 

「ではいきます。この閉鎖空間を1500℃にして、空間温度を固定します」

 

 指を三本。二本。一本。さあどうぞ、という手のしぐさ。

 同時に、鉄の皿の上の食塩が急激に溶け、沸騰しはじめた。

 嘘だろ、という声が観客から漏れる。

 

「コンロに火はついていません。閉鎖空間の温度なので、手を近づけても僕は火傷しません」

 

 言いながら、ユーリが食塩から数センチの場所まで手を近づけた。

 本来であれば熱いどころでは済まないはずだが、ユーリは平然としている。

 

「……録画はできていますか? ここからが本番です。JAXAの方、よろしいですか」

 

 ユーリは手を戻し、観客に声をかける。

 JAXA職員達が挙手をしたので、ユーリは問いかけた。

 

「宇宙マイクロ波背景放射は正確に何度ですか?」

「3K放射……2.725K(ケルビン)

「では2.725K(ケルビン)で冷やします」

「まさか」

 

 ユーリがそう言った次の瞬間、鉄の皿と食塩の周囲1cm程が爆発したように見えた。

 閉じられた空間なので、音も衝撃も一切伝わってこない。

 その空間だけ黒いもやで埋め尽くされ、中が何も見えない。

 

「おおう……爆発した」

 

 ユーリは苦笑したが、理化学研究所の面々はそれどころではなかった。

 

「……結晶化が追いつかないアモルファス化? いや、超極端なアトマイジング法なのか」

「1500℃の鉄の周りに液体空気の海? だがライデンフロスト現象など一瞬で破綻するはず」

「多重破壊の発生ですかね。熱応力破砕、蒸気爆発、化学的劣化、急冷脆化(ぜいか)がほぼ同時進行で」

 

 やがて、閉鎖空間内が落ち着いたのか中身が見えてきた。

 透明な少量の水に大量の鉄粉が浮かんでいる光景だった。

 

「窒化および酸化された鉄粉が液体空気と混ざり合っている……のか?」

 

 理化学研究所の面々が唸りはじめたので、ユーリはカメラに向かって笑顔を見せた。

 

「はい、そういうわけで、記憶喪失で術後せん妄で統合失調症の可哀想な青年、狭間悠里君の支離滅裂な行動でした! 以上、実演終了です!」

「狭間さん。閉鎖空間だと仮定してお願いします。先に内部温度を平温に戻し、爆発の類が発生しないことを確認した上でゆっくり空間を戻して貰えますか」

「あっハイ……ゆっくりってどうすればいいんだ……」

 

 困り顔のユーリの前に、文部科学大臣補佐官が現れ、一礼をした。

 彼はタブレットを両手でうやうやしく掲げ、ユーリに画面を見せる。

 画面の中には、老齢の男女が一人ずつ映っていた。

 にこにこ笑顔の老人男性が、画面の向こう側で話しはじめる。

 

「はじめまして、狭間悠里さん。私は内閣総理大臣の突府(とつふ)と申します。文部科学大臣である彼女から相談されて、貴方に連絡させていただきました。狭間さんの申し出ですが、全てお受けします。地球外生命体のサンプルおよび狭間さんの所持品は本日付けで預からせていただきたい。国籍、戸籍、住民票やお金に関しては、三日以内にご用意いたします。日本刀の大小に関しては、条件を関係者各位に伝えたところ、玉鋼(たまはがね) の再現ではなく現代技術の全力を予算無視という点で鋼材屋と職人の魂に火をつけてしまったようでして、最低一ヶ月はお時間をいただくことになりますがご了承いただきたい。ああ、退院後で構いませんので、茨城県つくば市の筑波宇宙センターに行って貰えますか? 動力足りうるいかなる波動も遮断可能な部屋をご用意いたします。()()()()()()()()()、あなたを歓迎いたします。狭間悠里さん」

 

 内閣総理大臣の突府(とつふ)とやらも、文部科学大臣の女性もニコニコしている。

 アメリカをはじめとする海外に持って行かれる前に、たかだか10億ちょいで買えるのなら安かろう。100億とか言い出さない奥ゆかしいユーリ君です。

 

「わかりました。僕は記憶喪失でしたが、三日後には記憶を取り戻せそうです。完成した日本刀をはじめ、僕に対する全ての贈り物は財前豊子さんに送ってください。なにしろ家の場所を忘れてしまったので」

「ははは! わかりました。筑波宇宙センターへは来訪予定日さえ先方に連絡していただければいつでも構いません。予定が立ち次第お願いします。それでは狭間さん、お元気で」

 

 通信が切れ、補佐官が再度一礼をしてから去って行った。

 JAXAや理化学研究所の面々は、地球外生命体サンプルに群がり、興味深そうに眺めている。

 

 ああ、服も装備も渡すことになってしまった。

 三日後まで一文無しだ。まぁしばらく入院で様子見なんだけど。

 

 そんなユーリの手を、財前がそっと握った。

 二人で顔を見合わせて、ふふっと笑った。

 

 

 * * *

 

 

「生きている槍状の地球外生命体サンプル。地球外植物で作られた服、地球外鉱物で作られた刀、そして……ナノマシン」

 

 内閣総理大臣・突府(とつふ)は、ビニール袋に包まれた、血塗れの服の破片を胸ポケから取り出してみせた。ユーリの担当外科医が持っていたはずのものだ。

 思わず、突府(とつふ)はニヤニヤしてしまう。

 文部科学大臣の老女は、くすくすと笑った。

 

「現代技術の日本刀とはいえ、数千万以内でおさまるでしょう。諸経費を考慮しても合計で11億円以下。数百年、下手すれば数千年単位で日本に黄金をもたらす買い物と考えれば、お買い得どころの騒ぎではありません」

「100億でも即金だったよ。彼は控えめだね……そうだ、記者会見の準備をしなければ」

「地球初の、生きた地球外生命体のサンプル……アメリカが騒ぎそうです」

「ホットラインは居留守を決め込むさ、この際日本以外はどうでもいい」

「彼の言う魔法すら、どうでもいいですね。見えないものより見えるもの、です」

 

 あまりにも安い買い物で、支持率が大幅にあがる。

 経済効果は計り知れない。

 

「ナノマシンに関しては、専門の部署を作るべきかね?」

「科学技術・学術政策局に投げましょう、もっと彼らに仕事を与えるべきです」

「ハハッ、それもそうだ、給料分は働いてもらわんとな!」

 

 内閣総理大臣・突府(とつふ)は、ビニール袋の中身を眺めながら笑いが止まらなかった。

 こんな血塗れの布きれだけで、日本を中心に世界が変わる!

 そして自分は、歴史に名を刻む人物となるのだ!

 

 

 * * *

 

 

 ・生きている槍状の地球外生命体サンプル

 ・地球外植物及び地球外生命体の分泌物から作られた服

 ・地球外鉱物で作られた刀と宝石

 

 翌日、内閣総理大臣の緊急記者会見がおこなわれた。

 全てのサンプルが公開され、世界中が大騒ぎとなった。

 

 服と刀はわかりにくかったが、『生きている槍状の地球外生命体サンプル』は誰が見ても一発で、ロボットの類ではないのは一目でわかったので、記者会見は質問の嵐で大変なことになった。

 全世界のトップニュースとなり、内閣総理大臣・突府(とつふ)が日本の未来を変えると演説をしている格好良い写真と動画つきで速報が出回った。

 

 

 生き延びて無事に成長し、医者となり、救急専門医資格まで取得した命尾(めいお)(たすく)が、あの日あの時狭間悠里の墓に来ていなかったら。仮に誰かが墓参りに来ていたとしても、119番緊急通報で的確な説明と指示をだしていなければ、ユーリは死んでいた。

 特に、命尾(めいお)が即断した検疫法に基づいた感染症調査の要請、および無菌室準備の指示が大きかった。投げ槍との接触面をスライムという名のナノマシンが防衛していたが、感染症が結構やばかったのだ。だが、もう大丈夫だ。最新医療技術による洗浄と治療がおこなわれ、腹部貫通創という大怪我にも関わらずユーリは早期退院が可能となった。

 

 転生神が言ったように、地球の辿る道筋は少し面白いことになった。

 だが転生神はこうも言った、『これは君に関係ない』と。

 何故ならユーリはあの平行宇宙に戻る気満々だ。

 仮にユーリが平行宇宙間を往復できるようになったとしても、ユーリにとって無関係の場所で無関係の人物が無関係に技術を加速させていくだけの話だ。

 だから関係ない。既に事態はユーリの手を離れている。

 

 

 * * *

 

 

「つきました。カーナビが正しければ、ここです」

 

 財前の高級車の運転手が、腕の良いタクシーの運転手のように静かに停止した。

 財前は昔からほぼ休暇無しに働きずくめだったようだが、ユーリと会ってからは長期休暇扱いでずっと離れずにいる。

 ユーリが退院した日の夜は、文字通り体力が尽きるまで二人は愛し合った。

 なおあまりにユーリの回復が早すぎて、リハビリや安静指示すら出ていない。

 匙というか、医者はカルテをぶん投げた。

 

 新幹線など電車を駆使しても良かったが、18年ぶりの日本と、18年ぶりのデートをじっくり堪能したかったので、ユーリ達は静岡県伊豆半島から、宿泊前提でのんびり東京方面へと向かった。

 車中からの風景を堪能し、美味しいものを食べ、適当な場所でデートをし、ホテルで愛し合う。

 ルート的には、織津江流古武術の道場 → 茨城県つくば市の筑波宇宙センター → 茨城県鹿嶋市の鹿島神宮 といった感じだ。

 

 ユーリと財前が車から降りると、寂れた道場が目の前にあった。

 看板には確かに『織津江流古武術』と書かれている……が、静かだ。

 

 道場の門自体は開け放たれていたので、ユーリは道場の敷地内に入っていった。

 砂利を踏みながら、奥へと向かっていく。

 木造の古い建物、恐らく道場が見えたところで、ユーリは立ち止まった。

 

 杖をついた背の低い老人が、ユーリ達を待ち受けるように立っていた。

 織津江大志が70歳ぐらいになったらこうなるだろうか、という風貌だ。

 

「……ここは観光地ではありませんぞ、外人さん。間違われましたかな?」

「いえ。織津江流古武術の見学希望として参りました。見学は可能ですか?」

「外人さんにしては流暢な日本語でいらっしゃる。色々ありましてな、今は弟子をとっておりませなんだ。家出した馬鹿孫が帰ってくるのを、ただ待っているだけの老人ですじゃ」

「そのわりには」

 

 ユーリは、老人の間合いギリギリで立ち止まる。

 あれはバトさんと同じ、仕込み杖だ。

 

「いつでも抜けるようですが」

「ほっほ。見たところ、当流とは真逆の道をゆかれていたようですが」

「そろそろ山頂で交わるかと思いまして。参考になればと」

 

 織津江流古武術は、戦闘・格闘訓練が一割。機動力訓練が二割。情報訓練が七割。

 いわゆる「かくれんぼ」のスペシャリストだ。

 敵に情報を与えず、敵が得る情報を攪乱し、敵の情報を得る。

 だから織津江大志はレッサーリザードマンに囲まれた時、隠れて一方的に攻撃する一対一を何度も繰り返した。

 

 その意味では、ユーリが辿ってきた道は老人の言う通り真逆だ。

 一対多を想定し、敵の居場所と攻撃と弱点を空間聴勁(ちょうけい)で把握し、触れて崩して相手を意のままに操って斬る。

 ユーリが同じように多数のレッサーリザードマンと出会った場合、常に一匹が自身の盾となるように相手の居場所を操作しつつ、歩法で攻撃を躱しながらカウンターで殺していくだろう。

 

 だが、武術はよく山登りに例えられる。

 空手、柔術、合気道、中国拳法、その他いかなる武術の山を別の場所から登り始めても、辿り着く頂点は同じ。流派を含め、登り方が違うだけで、目指す先は同じなのだ。

 

「ふぅむ。手品ぐらいしか、教えられませんぞ?」

「その手品、是非とも学ばせていただきたく」

「ほっほ。ほっほっほ! 当流を学ぶ気で来る者は多かれど、勝つ気で来た者は何十年ぶりか! よろしい、入られよ!」

 

 老人は、嬉しそうに道場の引き戸を引いて、奥に入っていった。

 

 

 中国拳法を学ぼうと思っていた時と、同じだとユーリは感じた。

 あの時は、本物の師父(シーフー)にようやく会えたと喜んだ。

 

 二度目。いや、織津江大志を二度目に数えるなら、彼は三度目の本物だろうか。

 死を賭けて学ぶに値する相手。

 鳥肌というか、背筋がぞわぞわする。

 

 楽しくなりそうだ。興奮もしている。

 エンジョイ、あーんど、エキサイティング。 

 

 ユーリと財前は、老人の後をついて道場に入っていった。

 

 

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