ふかふかダンジョンでエンジョイ&エキサイティング! 作:RAP
セルヨーネ侯爵家、本邸の地下。
隠し扉と隠し階段の奥には清潔な分娩室と、沢山の檻。
そして、VIP向けなのかどうかは知らないが、高位貴族に相応しい格の寝室も用意されていた。
室内にはアロマオイルが炊かれ、少しでも気分が落ち着くようにと配慮されている。
寝室の隣には風呂やトイレなども完備されており、その気になればこの一角だけで生活ができる。「その気」ではなかったが、この部屋では三人の女性が強制的に生活していた。
妊娠9ヶ月頃の妊婦の腹は、明らかに中に赤子が入っていると一目でわかる大きさだ。
膀胱が圧迫されトイレも近く、胸やけや食欲不振が起こりやすく、貧血にも便秘にもなりがち。
いわゆる臨月が近いこの時期は、取り扱い注意にもほどがあった。
バトにもミルヒにもカカオにも、手かせ足かせの類はつけられていなかった。
そもそも身重のバトがここにいるだけで容易には脱出できない。
ミルヒとカカオも、出産の近いバトの世話から離れる気は毛頭無かった。
こんこん。
いつものようにノックがされる。
ベッドに横たわりながら少しだけ起き上がって休んでいたバトは、扉の向こうの相手が誰なのか足音やノックの仕方から重々承知の上で、それでも常に隠し持っている食事用のナイフを喉元にあてていつでも死ぬぞと待機する。
ミルヒとカカオは、何があってもバトを護ると言わんばかりにバトと扉の間に立つ。
鍵の開く音がしてゆっくり扉が開き、一人の女性が入室してきた。
ユーリがこの場にいれば「島田流家元……?」と呟いたことだろう。
二児の母とは思えない程若々しい、ミーナ・ハーベラ・セルヨーネ侯爵夫人。
ミーナ夫人はいつものようにバトがナイフを首元にあてているのを見て、くすりと笑う。
この場の三人を少しでも安心させるように微笑んでから、ワゴンと共に入室してくる。
「安心して。……ただの食事よ。不安なら、毒味をしてあげる」
「……はぁ。気ぃ抜けるで。監視側が毒味なんて聞いたことないわ」
「わたしには、これぐらいしかできないから」
ミーナ夫人が寂しそうに微笑む。
バトはナイフを下ろす。
「部屋を出られん以外は何一つ不自由がなくて腹立つで」
「もうセルヨーネ家は、どうにもできない。あの人も……あの子も。貴女の旦那様に、脳を焼かれ過ぎてしまった」
「今回の件、ホンマにあのおっさんは関係ないんか?」
呆れたようにバトが問う。
ミーナ夫人はくすくす笑う。
「そうね。助言ぐらいは出しているかもしれないけれど……ニク=ドレは、貴女の身体やお腹の子の事をずっと心配していたでしょう? それに……ほら。ふふっ。ふふふっ。思い出しちゃった、貴女のあの啖呵」
「あー、アレなぁ……ウチの方が参ったで」
ここに拉致られてきた時に、心配したニク=ドレ卿がバトの身を案ずる台詞をかけにきたのだ。
それに対してバトは「アンタの顔は胎教に悪いわ! すっこんどれ!」と一喝。
それは申し訳ない、とニク=ドレ卿は謝罪し、以後はミーナ夫人がバト達の相手を務めている。
「あの人は……ニク=ドレは。貴女の旦那様、ユーリさんのことを好きになりすぎてしまった。あの人はあの人で色々あって可哀想な人なのだけれど……今のあの人は、ユーリさんと一つになりたがっている」
「うげ」
「ひとつってぇ……ひとつって、やっぱり?」
ミルヒが嫌そうな顔をし、カカオが指で輪っかを作り、そこに人差し指を出し入れする。
ミーナ夫人は苦笑する。
「違うわ。違うの。物理的ではなく、精神的に。どうすればユーリさんと一つになれるのか、あの人はずっと考え続けている。その答え合わせのためなら、例え結果が正解でも不正解でも……あの人は命すら捧げるでしょう。ある意味究極の愛ね」
「……振られとるがな、ミーナ夫人」
「そうね。そう。子が産めなくなった私は、振られてしまった。それだけよ。ふふっ」
ミーナ夫人は、お腹を軽くさすってから。
「二つのことが同時に進んでいるから、傍目にはわかりにくいと思う。いま、誰の目にもわかりやすく動いているのは、あの子……ビジョレの方。だって、貴女の拉致なんて、あまりにもわかりやすすぎるでしょう? あの子はあの子でユーリさんに色々と焼かれて、実父の真似をしている。でも残念ながら、ニク=ドレはそんなに甘くない。あの人が今やっていることは、王族も聖教会も冒険者ギルドも、もちろんユーリさんも含めて誰も知らないし、止められない。そして今のユーリさんには、あの人の事を調べている余裕が全く無い。ビジョレ……いえ、もはやビケワとなってしまったあの子への対処で手一杯」
「ビジョレさんでも、ビケワさんでもどっちでもいいんですけど」
「ビジョレなビケワさんは、何をしようとしているんですか?」
ミルヒとカカオの質問に、ミーナ夫人は頭を抱える仕草をする。
「うーん、これはこれで説明が難しいのだけれど……元々のセルヨーネ侯爵家のプランでは、ユーリさんとビケワの子がいずれ侯爵家を継いで、ビジョレとグラスさんの子が独立子爵家を継ぐつもりだった。ここまではいい?」
三人が頷く。
「あの
ミーナ夫人は、自分の股間付近を切り落とすジェスチャーをする。
「ビジョレはビケワとなる際に、自分のモノを切り落としてしまったみたい」
「え」
「うわぁ……」
ミルヒとカカオがドン引きする。
バトは真剣な顔つきで考える。
「……ウチの子か? ウチの子を……ユーリとビケワの子として?」
「ん? ビジョレさん、自分のモノを切り落としたって……」
「一体誰がマンセー子爵令嬢に子種を……まさか」
「……ユーリさんではないわよ?」
ミーナ夫人が、三人から答えを引き出そうとする。
「おっさんやな? ニク=ドレのおっさんにグラス・タレーメ・マンセー子爵令嬢を抱かせて、生まれた子を孫とする」
「ど、どうしてそうなるの……」
「まともな人はいないんですか」
「
くすくすと、ミーナ夫人が笑う。
「私はここで、貴女の子を無事に出産させるのが仕事。その後私がどうなるのかは本当にわからない。バト、貴女の子を孫として抱いているかもしれないし、ユーリさんに首を刎ねられているかもしれない」
「……アンタも十分おかしなっとるわ、ミーナ夫人」
「そうね。私のお腹が壊れて、子供を産めなくなった時からもう、この家は全てが壊れてしまったのかもしれない」
持ってきたワゴンを置いて、空の食事皿が積まれた別のワゴンに手をかけて。
ミーナ夫人は、部屋を立ち去る準備をする。
「ビジョレは、父親の真似をしてハーベラ領兵を動かしている。見様見真似だったから何ヶ月もかかったみたいだけれど、それでもタレーメ領までドラゴンを誘導することに成功したわ。あの子はそれだけの才をニク=ドレから受け継いでいたのに、あの子はあの子で壊れちゃったから、もう全部おしまい。あとは、ユーリさんとドラゴンが戦って、どうなるのか……」
「
ミーナ夫人と、バトの視線が交錯する。
「貴女の子供が孫になっても、私は愛してあげるわ、バト」
「じゃかあしいわアホんだらァ」
中指を立てたバトの見送りに、ミーナ夫人は苦笑しながら去って行く。
扉が閉まり施錠音がしたあと、バトはため息をついて自分のお腹をさすった。
「ウチにはウチの戦いがある……そっちは頼んだでェ、ユーリ」
* * *
「……あの人達は、一体女性をなんだと思っているのですか!」
グラスお嬢様のお付きのメイドたる私は、激怒した。
お嬢様はあの理不尽な体験から、ずっと泣き続けている。
婚約者だったユーリ様とお嬢様は引き離され、新しい婚約者のビジョレ様ができた。
そこまではいい。政略結婚の相手が、若い男から若い男に変わっただけ。
いま、タレーメ領はドラゴンに襲われて大変なことになっている。
タレーメ領を襲って街一つを壊したドラゴンは、タレーメ領兵の大半を殺してしまった。
既にタレーメ領には抵抗戦力がなく、寄親か国に支援を求めるしかない。
国の兵士が動くには三ヶ月以上かかるそうだが、そこまで待っていたらタレーメ領が地図から消えてしまいかねない。
新しい婚約者のビジョレ様は、女装をしたうえでマンセー子爵家にやってきて。
マンセー子爵家が過去の負債を返し切れていない以上、寄親たるセルヨーネ侯爵家がタレーメ領に支援するには、何か
それはニク=ドレ卿なる、お嬢様が顔も知らないおじさんの側室入りをするか。
ビジョレ様が当主となる独立子爵家の正妻となった上で、ニク=ドレ卿に抱かれるか、好きな方を選べと言う。
聞いていた私は、メイドの立場も忘れて思わず声を荒げていた。
「それは、どちらにしてもお嬢様が会ったことも無い、御年を召した方の肉便器となれということですかッ!?」
「政略結婚としては、よくある話でしょう? どちらもおいやなら、三つ目の選択肢がございましてよ?」
扇を広げて笑うビジョレ様の姿は、なんかもう完全に女性だった。
「ただでさえ莫大な借金を抱えている寄子のマンセー子爵家が、さらに寄親に頼るのは気が引けますでしょう? そこで一切お金をかけずに物事を解決する、とても素晴らしい提案がありますのよ。聞いてくださるかしら?」
セルヨーネ侯爵家の次期当主に指名されたユーリ・アイダ・ハサマールこそが、ドラゴンを退治するべきだ。彼はグラス・タレーメ・マンセー子爵令嬢の元婚約者でもあり、将来的にはマンセー子爵家の寄親となり、独立子爵家の寄親ともなるのだから。
彼がリーダーである冒険者パーティ『
「ドラゴン退治だなんて、本来ならば軍が解決する事案であり、どんな冒険者だって逃げ出す依頼ですわ。でもたった一つだけ例外がありますの。その紙に、貴女がサインするだけ。たったそれだけで、貴女の元婚約者であるユーリ様が、誰でもない貴女一人のためだけに、無料でドラゴン退治の先陣を切って下さる……軍隊だって手配なさるでしょう。嗚呼、なんて素晴らしい英雄譚! 『革命』の立役者を、サイン一つで無料奉仕させることができるグラス・タレーメ・マンセー子爵令嬢もまた、ユーリ様と素敵な愛で結ばれた関係!」
ぶるり、とビジョレ様は身体を震わせる。
「その関係性が、愛しくて、愛しくて……殺したくなりますわ」
陶酔した瞳で、女装したビジョレ様は緊急指名依頼の書類をお嬢様に渡す。
お父上のマンセー子爵をはじめとした子爵家の男衆は、ドラゴン戦に参加した結果、全員大怪我を負ってしまった。
ゆえに、今現在マンセー子爵家を差配しているのは、事実上グラスお嬢様ただ一人だ。
結局、お嬢様は書類にサインするしかなかった。
領兵を動かすにも、街の復興も、被害者の治療も、なにをするにもお金が必要だ。
お嬢様がサインをするだけで、ユーリ様が何もかも無料でなんとかしてくれるのなら、マンセー子爵家としての判断はサインをする、その一択だ。
震える手で書類を手に取り、お嬢様は泣きながらサインをした。
自分勝手な婚約者が去った後も、お嬢様はずっと泣いている。
私はお嬢様を元気づけるしかない、と決意した。
「……お嬢様! グラスお嬢様! どうにもならなくなったら、私と一緒に逃げましょう!」
お嬢様は泣きながら、私の方をぼんやりと見やる。
「お嬢様を婚約者と引き裂いて、新しい婚約者とくっつけて、お次は顔も知らないおっさんの肉便器になれときました! 幾らお嬢様が貴族とはいえ、勝手です! 勝手すぎます! 男達の身勝手に振り回されるだけの政略結婚なんて、受ける必要ないですよ!」
お嬢様はきょとんとしている。私はお嬢様の手を握り、強く押し切る。
「女性はもっと自由でいいんです! 古い価値観なんて、投げ捨てましょう! いまこそ、女性の社会進出が求められているのです! だから、だからお嬢様!」
ずっと泣き続けて、何も考えられなくなったような顔をして、心に隙間ができたかのように呆けていたグラスお嬢様は。
「どうにもならなくなったら、私と一緒に逃げましょう!」
「……うん、わかった……」
私が熱く語った言葉に対して、お嬢様は全ての思考を拒否したかのように頷いてくれた。
聡明で賢明なグラスお嬢様のことだから、思考を拒否して頷いたなんて愚かなことは、決してないでしょうけれど!
ああ、グラスお嬢様!
どこまでも私がお支えし、お供いたします!
たとえ北の地、暗黒大陸であろうとも!
どこかグラスお嬢様の目が、ぐんにゃりしていた気もしたが。
私は握りこぶしで、女性の社会進出について熱く語り続けた。