言の葉綴り   作:ねるぼう

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また、新しい物語を持ってきちゃいました!
よかったら楽しんでいってください^^


静かな波に、恋は揺れて
言葉にならない恋だけが


第一章:波音と沈黙

 

「今日、静かだね」

その一言に、歩く足がほんの少しだけ鈍った。

 

(うるさい。あんたのせいで、こっちが静かになるんだってば)

 

白波 澪は返事をしなかった。

ただ駅までの帰り道を、先輩と肩を並べて歩いていた。

日が落ちたばかりの空は紫がかっていて、潮風がぬるく頬を撫でる。

 

「ゼミ、疲れた?」

「別に」

「そっか」

 

たったそれだけの会話。でも、なぜだろう。

この沈黙の続きが、妙に心地よくて落ち着かなかった。

 

(ああもう、なんなの。この人)

 

気づけば、ずっと視線を逸らしている。

見られたくなかった。顔も、胸の内も。

 

交差点の信号が青に変わる直前、先輩が一歩前に出て、澪の腕を軽く引いた。

 

その瞬間、心臓が跳ねた。

 

(…なに、それ。優しくしないで)

 

触れた手のぬくもりが、手首から胸元までジワジワと伝わってくる。

反射的に振り払いたくなったのに、できなかった。

 

「ありがと」

小さく呟いた声は、自分でも驚くほど素直だった。

 

先輩は少しだけ笑って、言った。

「澪って、やっぱ優しいよな」

 

(やっぱ、ってなに。勝手に決めないで)

 

そう言いたいのに、口が動かない。

胸の奥がざわついて、どうしても言葉にならなかった。

 

駅の改札の前、ふたりは自然に足を止めた。

 

「また来週な」

「……うん」

 

背中を向けるその背中に、なぜか目が離せなかった。

 

(お願い、振り返って。振り返らないで。どっちなの、私…)

 

帰りの電車の中。

スマホを開いて、メモ帳にぽつりと打ち込んだ。

 

『好きになりそうな人がいます』

 

指が震えていた。

でも、その文字は消さなかった。

 

 

 

 

 

第二章:揺れる視線、名前を呼ばれるだけで

 

週明けの教室は、いつもよりざわついていた。

ゼミ発表の準備に追われる空気の中、澪はいつものように席について、黙々と資料を見ていた。

…ように見せかけて、視線は自然と一か所へ吸い寄せられていた。

 

(また話してる。しかも、あの子と)

 

先輩が、同じゼミの女の子と笑い合っている。

話の内容は聞こえない。でも、あの子の笑い声と、先輩の柔らかい顔が気に障った。

 

(なんであんなに楽しそうなの。私の時は…あんなふうに笑ったっけ)

 

プリントをめくる手が止まりそうになるのを意地で堪える。

見てないふりをしながら、耳は必死に会話を拾おうとしていた。

 

「――澪?」

 

名前を呼ばれた瞬間、肩がびくりと跳ねた。

視線を上げると、いつの間にか先輩がこっちを見ていた。

 

「ここの資料、間違ってるかも。ちょっと見てもらっていい?」

 

「あ…うん、わかった」

 

それだけのやり取り。

でも、それだけで心がざわついてしまう。

あの子と話していた時よりも、ずっと穏やかな声。

だけど、それが余計に――くる。

 

(私、何してんの。いちいち反応してバカみたい)

 

プリントを受け取る時、指が一瞬触れた。

触れてないふりをして、すぐに目をそらした。

 

「ありがと、助かる」

「別に…普通でしょ」

 

冷たい声色を選んだ。

なのに、胸の中は熱くてぐしゃぐしゃだった。

 

(なんでこんなことで、こんな気持ちになるの)

 

この気持ちの名前を、澪はまだ、認めたくなかった。

 

 

 

 

 

第三章:夏の海、ふたりの距離

 

「白波さん、ってさ」

突然声をかけられて、澪は手を止めた。

 

後ろを振り返ると、同じゼミの男子、川原が立っていた。

少し砕けた雰囲気で、ノートを持ったまま、やや照れたように笑っている。

 

「次の発表、もしよかったら資料まとめ、一緒にやらない?」

「……え?」

 

一瞬、何を言われたのかわからなかった。

澪に“頼む”タイプの男子ではない。むしろ、いつも自分一人でやりきるような人。

だからこそ、意図を読もうとしてしまう。

 

「わ、迷惑だった? ごめん、なんかうまく言えなくてさ。

 でも、白波さんっていつも冷静だし、頼りになるし…その…」

 

(なにこの空気、なんか変。普通に断ればいいのに、できない)

 

「…考えとく」

 

精一杯、無難な言葉を返したつもりだった。

でも、その瞬間、ふと視線を感じた。

 

横の席。先輩が、無言でこちらを見ていた。

表情はいつもと変わらない、ように見える。けれど。

 

(見てた? 今の…なんで、ちょっと嫌そうな顔…)

 

澪の心臓がまた跳ねた。

 

(まさか、ちょっとだけ、嫉妬…してくれた?)

 

その考えに気づいた瞬間、自分でも顔が熱くなっていくのがわかった。

思わずノートに視線を落としたが、文字が全く頭に入ってこない。

 

(バカみたい。なに期待してるの、私…)

 

川原の声も、先輩の表情も、どちらも胸に残ってしまって。

澪の心は、静かな波じゃなく、小さな嵐の中にいた。

 

その日、大学の実習で訪れたのは、車で数時間離れた海辺の研究施設だった。

夏の空はどこまでも高く、眩しい光が白い砂を照らしていた。

 

「班分け、こっちに変更になったみたい。澪、一緒だな」

 

配られた名簿を見て、先輩が自然に声をかけてくる。

澪は一瞬だけ眉をひそめて、それから無言で頷いた。

 

(なんで今、この人と二人なんだろう。いや、…別にいいけど)

 

施設の裏手には岩場と浅瀬が広がっていて、調査対象はそこに生息する小さな貝や魚類。

歩きにくい足場を慎重に進みながら、ふたりの会話は最初、必要最低限だった。

 

「滑るから、気をつけて」

 

「……言われなくても平気」

 

そう答えた直後だった。

 

つるり、と足が滑って、視界が傾く。

 

「あっ…」

 

落ちる、と思った瞬間――

腕を掴まれて、そのままぐいっと引き寄せられた。

 

水音。

跳ねた波しぶきが肌を濡らし、胸元まで抱きとめられていた。

 

「……大丈夫?」

 

顔が近い。

ほんの数センチ。

潮風と、体温と、濡れた髪の匂い。耳が熱い。心臓がうるさい。目が合ってる。

 

(こんなの、ダメ…顔、近すぎるって…)

 

「…ご、ごめん。大丈夫だから…もう離して」

 

「あ、ごめん、つい…」

 

触れ合った手が離れても、胸の鼓動は戻ってくれなかった。

 

作業を再開した後も、澪の目線はずっと下を向いたまま。

でも、ふとした拍子に、先輩が笑って言った。

 

「なんか、こうしてると…夏っぽいな」

 

その一言が、不意打ちすぎてずるかった。

 

(なにそれ、夏っぽいって…私のこと?違うよね…でも…)

 

澪は黙ったまま、静かに海を見つめた。

その表情に、ほんのりと赤が差していたことに、本人だけが気づいていなかった。

 

 

 

 

 

第四章:すれ違い、消せないメッセージ

 

「最近、ちょっと避けてない?」

 

不意に投げかけられた言葉に、澪の手が止まった。

図書館の静けさの中、紙をめくる音さえ大きく聞こえる。

 

顔を上げると、向かいの席で先輩がこちらを見ていた。

真剣なような、少し困ったような目。

 

「……別に」

 

「俺、なんかした?」

 

「してない」

 

答えながらも、心の奥がチクリと痛む。

本当は避けていた。自分でもわかってる。

けど、それを認めてしまったら、全部が崩れてしまいそうで。

 

(近づきすぎた。自分でもそう思ってた。海で手を引かれて心が揺れたまま、止まらなかった)

 

「ごめん、なんでもない」

 

先輩はそう言って、ふっと笑った。

でも、その笑顔はいつもより少しだけ弱くて、やけに胸に残った。

 

(待って。私、なにやってんの)

 

何も伝えられないまま、放課後の図書館の空気がゆっくりと沈んでいく。

その沈黙が、ふたりの間に初めて“距離”を作った気がした。

 

———

 

帰り道、澪はスマホを握りしめていた。

電車の中、人のざわめきが遠くに感じる。

画面を開き、LINEの“新規メッセージ”をタップする。

 

宛先は、先輩。

何度も打っては消し、また打ち直す。

 

『今日、ちゃんと話せなくてごめん』

『さっきの、気にしないで』

『本当は…ちょっと避けてたかも』

『でも、それって――』

 

指が止まる。

 

(送れない。これを送ったら、全部バレる)

 

胸の奥に沈めていたものが、まるで文字になって浮かび上がってくる。

 

それが怖かった。

 

(こんな気持ち、知られたくない。知られたら、もう今までみたいに話せなくなる)

 

結局、送信ボタンを押せないまま、スマホを伏せた。

それでも、画面には小さく文字が残る。

 

「未送信のメッセージがあります」

 

その一文だけが、澪の心に重くのしかかっていた。

 

———

 

その夜。

窓の外から、波の音が微かに聞こえる。

開けっぱなしのカーテンが、夜風に揺れていた。

 

ベッドの中で横になりながら、澪はひとつ、深く息を吐く。

 

(どうしてこんなに苦しいの。好きって、言ってないのに)

 

言ってないのに。

だけど、もう自分の気持ちくらい、自分が一番知ってる。

 

言わないことで守ってきた距離が、

今は一番つらくて、もどかしかった。

 

 

 

 

 

第五章:言葉じゃなくても、伝えたい

 

文化祭の喧騒は、まるで別世界だった。

笑い声、音楽、呼び込みの声。

いつもの大学が、まるで知らない街になったような騒がしさの中で、

澪は一人、人混みを縫うように歩いていた。

 

(うるさい。…なんで来ちゃったんだろ)

 

所属ゼミの展示は午前中で終わっていた。

あとは自由時間。誰と会う予定もない。

それでも帰るには早すぎる気がして、校舎の裏の静かな通路に逃げるように足を向けた。

 

「……あれ? 白波?」

 

その声に、足が止まる。

振り返ると、そこには先輩がいた。

派手なTシャツにジーンズ。いつもより少しラフな姿。

 

「こんなとこで何してんの?」

 

「別に……人、多すぎて疲れただけ」

 

「そっか。俺も似たようなもん」

 

そう言って、先輩は自販機でジュースを買って、無言で澪に一本渡した。

冷たい缶が指先を震わせた。

 

(なに、こういうの…普通に渡さないでよ)

 

「文化祭、嫌い?」

 

「……好きじゃない。浮かれてるの、苦手」

 

「白波らしいな。けど、ほんとは楽しんでると思ってた」

 

「そんなわけないでしょ」

 

反射的に返した声が、少し強くなった。

言ってから、後悔する。

空気がピンと張りつめた。

 

「……ごめん、最近ずっと、距離あってさ。

なんか、俺、避けられてるのかなって思ってて」

 

(やめて。そんなふうに言わないで)

 

「違う。……違うけど」

 

「じゃあ、なんで?」

 

問われて、答えが出ない。

言えない。言いたい。

胸の奥が叫んでるのに、喉が動かない。

 

沈黙の中で、風が通り抜ける。

 

「……私さ」

か細い声が、唇から零れた。

 

「自分がこんなめんどくさいやつだなんて思ってなかったの」

 

先輩が少し驚いたように目を見開く。

 

「ただのゼミの先輩で、どうでもいいって思ってたのに。あんたが他の子と話してるの見るだけで、変な気持ちになるし。」

 

「優しくされると、勘違いしそうになるし…」

 

ジュースの缶を強く握った指先が震えていた。

 

「ねえ、なんなのこれ。好きになったとか、…そんなの、言えるわけないじゃん」

 

(でも、たぶんもう、隠せないんだ)

 

しんとした通路。

風が吹き抜ける音の中で、先輩は何も言わなかった。

 

ただ、そっと一歩近づいて――澪の頭を、優しく撫でた。

 

「そっか。……なら、俺から言うよ」

 

「……え?」

 

「俺、白波のこと好きだよ。ずっと前から、ちゃんと。

 でもお前、逃げそうだったから、待ってた」

 

目の前が一瞬、白くなった気がした。

鼓動の音しか聞こえない。

でも、その言葉は確かに胸に届いていた。

 

「……バカみたい」

小さく、涙混じりに笑って呟いた。

 

(こんなの、ずるいよ)

 

でも、ずるくても、聞きたかった。

本当に、ずっと。

 

ふたりはただ、静かに並んで座った。

騒がしい祭りの音が、遠くに聞こえていた。

 

 

 

 

 

最終章:それでも、好きでいていいですか?

 

夏が終わる少し前。

夕方の海辺は、街よりも少しだけ涼しかった。

 

ゆっくりと波が寄せては返す。

澪はその音を聞きながら、隣を歩く彼の気配を感じていた。

 

「海、来るの久しぶりかも」

「……私も。いつもは眺めるだけだった」

 

浜辺を歩きながら、ふたりは他愛もないことを話していた。

距離は、自然に近くなっていた。

触れるか触れないかの手が、波の合間のリズムみたいに揺れている。

 

「……あの日さ」

彼がぽつりと呟いた。

 

「文化祭のあと、めちゃくちゃ緊張したんだよね。

 澪が何も言わずに帰ったらどうしようって」

 

「……言わないで。私だって、震えてた」

 

澪は少しだけ笑った。

頬をかすめる風が気持ちよくて、目を閉じたくなった。

 

しばらく沈黙が続く。

でも、怖くなかった。

 

今は、黙っていても繋がっていられる気がする。

あの時みたいに、何も言えずにすれ違うことは、きっともうない。

 

「……ねえ」

ふと、澪が立ち止まった。

 

「なに?」

 

彼が振り返る。

澪は一歩だけ近づいて、じっとその目を見た。

 

「今、私、すごく恋してる気がするんだけど」

 

(言っちゃった。……でも、もういいよね)

 

彼は少し驚いた顔をして、それからふっと笑った。

 

「うん、俺も」

 

その一言が、夕暮れの海風よりも優しく胸に染みた。

 

繋がれた手は、まだぎこちない。

でも確かに、ふたりのこれからを結んでいた。

 

波の音だけが響く中、澪はもう一度、心の中で呟いた。

 

(好きでいていいですか?……ううん、もう、好きでいるから)

 

空は、ゆっくりと夜へ染まりはじめていた。




どうでしたか!
皆さんの扉は開きましたか?

後日譚などはまた後から投稿しますのでお楽しみに!
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