人形姫のゼーレ   作:Macht und Glück

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第五話 世界一小さなヴァイオリン

 

 朝靄が残るヴァイセンの町で、ゼーレはひとり宿の前に佇んでいた。石畳には昨夜の雨の名残が薄く残り、冷気を帯びた空気が肺にしみる。吐息が白く立ち上るなか、彼女は不在の誰かを探すように視線を巡らせる。ミリアルデの姿が見えなくなってから、すでに一時間は経っていた。

 

 町外れの小川に辿り着いたとき、ようやくその姿を見つけた。ミリアルデは草の上に座り、裸足の足を冷たい水に浸していた。風にそよぐ髪は光を受けて淡く揺れ、視線は遥か空の彼方へと向けられている。まるで世界のどこにも焦点を合わせていないような、曖昧なまなざしだった。

 

ミリアルデが空気に解けていってしまいそう、とゼーレは立ちすくんだ。彼女の魂はまるで高解像度のテレビに映っているもののようで、どこか現実のものには見えなかった。

 

「……ここにいたのね」

 

 呼びかけると、ミリアルデは数拍置いてゆっくりとこちらを見た。返事は薄く、気のない調子でぽつりと落ちた。

 

「……ああ、ゼーレ。いたの?」

 

「探したわよ。もう朝食の時間は過ぎてる」

 

「食べたくなかったの」

 

 それ以上、会話は続かなかった。小川の流れる音と、遠くから聞こえてくる市場の開店準備の音だけが静けさを満たしていた。

 

「……散歩でもしない?」

 

「うん。いいわね」

 

 ふたりは連れ立って歩き出す。ミリアルデは気分屋らしく、気の向くままに路地を選んでは進路を変え、ゼーレはただそれについていくしかなかった。途中で立ち寄ったパン屋では、ミリアルデが焼き立てのパンを手に取り、昨日のほうが美味しかった気がすると呟いた。

 

 しばらくの沈黙の後、唐突にミリアルデが問うた。

 

「ねえ、君は人生に意味があると思う?」

 

 ゼーレは一瞬言葉を探した。

 

「……まだ分からない。探している途中、かもしれないわ」

 

「私はもう探すのに疲れた。見つけた先にあったのが空っぽだった時って、けっこうこたえるのよ」

 

 そう言いながら、ミリアルデは路傍の花をつま先でそっと避けて歩いた。町の朝市では、北国特有の保存食や干し魚、漬け物などが店先に並び、店主たちが忙しなく準備を進めている。

 

 中世にタイムスリップしたような町並みを横目に歩く。

 春になったからか、新鮮な野菜や肉、魚なども市場に並べられていた。

 

 そのとき、通りの奥から子どもの悲鳴が上がった。荷車が傾き、小さな少女がその下敷きになりそうになっている。

 

 ゼーレが駆け出しかけたその瞬間、ミリアルデが無造作に手のひらを向けた。

 

「はい」

 

 それだけで、荷車がまるで空間ごと凍ったように静止した。少女は無事に引き上げられ、人々の安堵と感謝の声が上がる。だがミリアルデは振り返らず、ただ小さくぼやいた。

 

「……ああいうの、面倒なのよね」

 

 何事もなかったように、再び歩き出す。

 

 ……なんでもないようにミリアルデは振る舞っているが、ゼーレとしては気が気ではなかった。

 

(発動が早すぎる……魔力の動きも自然で魔法の起こりが見えなかった。以前からわかってはいたけど、私なんて足元にも及ばない大魔法使いなんだ)

 

「…………ぅに、気を付けないと」

 

「うに? 美味しいよね。前に中央諸国の港町で食べたけど、あれはまた食べたいな」

 

「……あ、うん」

 

 危なかった。一人暮らしが長すぎて独り言になってしまっていたようだ。

 

 ゼーレは反省した。ミリアルデは口元にうっすらと笑みを浮かべている。

 

 それからしばらく、二人は町の外れにある木立の下へ移動し、簡単な魔法の訓練に取り組んだ。訓練は魔力の抑制と瞑想を中心に行われ、町中で探知されないように魔力の波を潜める技術が主だった。地面に座ったまま目を閉じ、風の音や小鳥のさえずりに耳を傾けながら、ゼーレは自身の魔力の気配を周囲に溶かし込もうと集中する。

 

「こうして瞑想していると、なんだか落ち着くよね。空気と一体化するみたい」

 

「はい……ん」

 

 気づくと、ゼーレの頭の上に一羽の小鳥がとまっていた。ゼーレ自身が気配を消しすぎたせいか、木とでも思われたのだろう。小鳥は一声鳴いて、しばらくじっとしていた。

 

「なんだ。……完全に気配、消せてるわよ。あの子が証明してる」

 

 ミリアルデが無表情ながら、どこか楽しそうに言った。

 

 その後も、ゼーレは《蜃気楼の魔法》の練習を続けた。最初はうまく像を結べず、ただ空気が微かにたゆむだけだったが、練習を重ねるごとに輪郭がはっきりと歪み、周囲の風景がかすかに滲んで見えるようになった。

 

「まあまあね。ちゃんと魔力が戻ってくる感覚を覚えて」

 

「はい……でも、まだ少しふらつく感じがする」

 

「ふらついていいよ。そんな簡単にできたら面白くないわ」

 

 そんな具合に、緩やかな時間が過ぎた。

 

 夕暮れが町を包みはじめる頃、宿への帰り道でミリアルデがぽつりと口を開いた。

 

「私の救ったあの子の人生は、何か意味のあるものになるのかな?」

 

 ゼーレは何も言わず、その言葉の響きを胸に留めるだけだった。

 

「なんてね。意味がないってこと、それ自体が悪いわけじゃないの」

 

 その横顔には笑みはなかったが、どこか満たされた静けさが漂っていた。

 

 ゼーレは少しだけ彼女の孤独に触れたような気がして、隣を黙って歩き続けた。

 

 やがてゼーレは思いついたように切り出した。

 

「そんなに退屈なら、楽器でも学んでみない? 少しは気が紛れるかもしれないわ」

 

 ミリアルデは立ち止まり、ゼーレをじっと見た。瞳の奥にほんのわずか、意外そうな光が浮かぶ。

 

「私が? あなたのを貸してくれるの?」

 

「いいえ、作ってあげる」

 

 ゼーレは近くの木の幹に手を当て、そっと言葉を発した。《ヴァイオリンを作る魔法》

 

 魔力が走り、木の表皮がゆっくりと光を放ちながら形を変え始める。数十秒後、そこには温もりを帯びた木製のヴァイオリンが現れていた。

 

 ミリアルデは驚いた様子も見せず、楽器を手に取ると無表情で指先を滑らせた。

 

「……面白いじゃない」

 

「気に入った?」

 

「まあ、悪くない。持って帰ってもいい?」

 

「ええ。でも練習、するのよ?」

 

「約束はしないけど……気が向いたらね」

 

 そう言って彼女は弦を軽くはじいてみた。つん、と乾いた音が風に溶ける。ミリアルデの口元がわずかに緩んだ。

 

「……思ったより、柔らかい音」

 

 その声は、普段の眠たげで投げやりな調子とは違って、どこか軽やかだった。

 

 

 

 宿への帰り道。

 

 町の通りには、北風を防ぐための乾燥棚が並び、干し肉や魚、香草が風に揺れている。店の軒先では火鉢で湯を沸かし、通行人に温かい飲み物が振る舞われる。木枯らしが路地を抜けるたび、小さな風鈴のような鐘が音を鳴らした。

 

 ゼーレは温かくも独特の風味のあるお茶を飲みながら、ミリアルデが町の子供たちに絡まれているのを無表情に眺める。

 

 魔法で子供たちを浮かばせたり、カラフルなドラゴンの幻影を出して見せたあと、ミリアルデは群れの輪からふっと抜け出す。

 

「子供はいつの時代も騒がしいね」

 

 子供たちがはしゃぐ声を背に、ゼーレとミリアルデは、町の喧騒に包まれながら並んで歩いた。

 

 

登場させてほしい原作キャラを教えてください。参考にさせて頂きます。

  • ヒンメル
  • アイゼン
  • ハイター
  • フリーレン
  • クラフト
  • ゼーリエ
  • レルネン
  • デンケン
  • 南の勇者
  • シュラハト
  • アウラ
  • マハト
  • グラオザーム
  • リヴァーレ
  • クヴァール
  • ソリテール
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