人形姫のゼーレ 作:Macht und Glück
ヴァイセンの城門が静かに開かれる頃、東の空には眩いばかりの光が差し始めていた。その光は、城壁に掲げられたヴァイセンの紋章旗を鮮やかに照らし出す。
先日の大魔族”灰帳のグルート”によって破壊された城門は、出発直前まで急ピッチで再建工事が行われていた。現在、その工事を中断した職人や人足たちが、兵士たちの後ろで列をなしている。
門番たちは一様に気をつけの姿勢を取り、武装した衛兵隊が二列に整列して、剣の柄に手を置いて厳粛な敬礼を送る。町の通りには朝の仕込みを始めたパン屋の煙がわずかに立ち上っていたが、普段の朝とは異なり、城門前にはすでに大勢の住民が集まり、彼らのざわめきと、時折聞こえる子供たちの明るい声が空気に満ちていた。彼らの多くは、先日の魔族襲撃で家族や家を失いかけた人々だった。彼らは手に手に小さな花束や、色とりどりの布切れを持ち、ゼーレたちを温かい眼差しで見つめている。馬車の往来もまだ少なく、そんな賑わいの中にも、出発の足音だけが静かに響いた。
その時、街の女神の教会から、深く、そして希望に満ちた鐘の音が鳴り響いた。ゴオオオォン、ゴオオオォンと、その音は彼らの旅路の安全を祈るように、遠くまで響き渡る。
門の傍らには、領主グリュックの姿があった。彼は静かに佇み、ゼーレたち一人ひとりに胸に手を当て、軽く頭を下げた。
「貴殿らの武運を祈ります。そして、ヴァイセンのための依頼を引き受けてくださったこと、心より感謝申し上げます」
グリュックの言葉に、集まった住民たちから、心の底からの感謝と安堵の声が沸き起こる。
「大魔族を討ってくださり、ありがとうございました!」
「命の恩人です!」
ゼーレは一度振り返り、城塞の高台に広がる町の風景を目に焼きつけた。幾晩も過ごした宿、石畳の広場、魔法訓練を繰り返した広場の片隅。あの街で積み重ねた日々が、今はまるで別の世界のことのように思えた。多くの人々の視線が、まるで温かい毛布のようにゼーレを包み込む。彼女の胸に新たな旅立ちへの確かな決意と、深い感謝の念を呼び起こした。
これから向かうは統一帝国時代の廃墟。付近の森では皇獄竜の目撃情報もある。まるで中つ国の冒険小説のようだと、ゼーレは胸の奥にかすかな緊張と高揚の入り混じった感覚を覚えていた。ちょうど、老魔法使いがいることだし。なんて、本人に言ったら怒られるだろうか。
「……行こう」
誰に言うでもなく、ゼーレは声にした。ミリアルデは眠たげな目をほんの少しだけ細めて歩き出し、アシェルとエルクもそれに続いた。四人の足音が静かに街道へと消えていく。
道の先に広がるのは、歴史の闇に忘れられ、誰も知らない眠れる都市の記憶。そして、ゼーレが求める力への、新たな一歩だった。
ヴァイセンを出て数刻が経ち、小高い丘に差し掛かった頃、ゼーレはふと振り返った。視線の先では、初夏の気配が遠景のヴァイセンの町を包み、冬の名残はすっかり姿を消していた。ヴァイセンを初めて訪れた時は雪解けの気配が濃く、路面はぬかるみ空気もまだ冷たかった。だが今では町の周囲を覆う丘陵地帯にも厚みを帯びた新緑が広がり、ゼーレは変わりゆく季節とともに、自分の内面にも変化が芽生えつつあるのを感じていた。
この旅がただの調査では終わらない。そんな予感が、彼女の胸の奥に静かに灯っていた。
ゼーレは歩くたび、土の感触を意識する。旅装の裾が野草に触れ、風が首元を抜ける。身体は軽やかでも、心はどこか緊張を孕んでいた。
隣を歩くアシェルの足取りは迷いがなかった。年齢こそ若いが、その動きには洗練された均整があり、訓練と経験を積み重ねた者の自信が感じられた。物腰は穏やかで礼節をわきまえているが、ゼーレは彼の剣の間合いの取り方から、やはりただ者ではないと直感していた。
「改めまして、私はアシェル。中央諸国にある戦士の村出身の戦士です。近頃名を上げた三大騎士のオルデン卿の兄の一族と言えば、伝わるでしょうか」
アシェルの問いかけに、ゼーレの表情に疑問が浮かんだ。
「オルデン卿? ……ごめんなさい、私は知らない。ミリアルデは?」
ゼーレに手を引かれ、うつらうつらとまどろみながら歩いていたミリアルデが、ゼーレの呼びかけにゆるりと顔を上げる。
「んう? 何?」
「アシェルの一族の話。オルデン卿って聞いたことある?」
「さあ。どうせ百年も経ったら死んじゃうし」
ミリアルデの身も蓋もない言葉に、エルクは苦笑を隠せない。無精髭を指先でさすりながら、状況を説明し始めた。
「無理もない。彼が台頭したのは三年前、北側諸国のフォーリヒという場所で魔族の将軍を討ち取ったが故だ。北部高原の中でも北のこことは少しばかり距離がある。……それに、お前さんらはエルフ、時間感覚も人間とは一線を画すと聞く」
振り返ってそう言うエルクは優れた射手である。二種類の弓を操り、特に大弓から放たれる矢はともすれば城壁を打ち破るとされる。実際に彼は紅鏡竜の翼を射抜き、その巨躯を大地に叩き落した実績を持つ。紛れもなく最強の射手の一人であるという。グリュック卿から聞いた。
「まあ、そういう事です。成人してからは魔族や魔物を討伐するのはもちろん、各地の勇士と手合わせ願うために諸国を回っているんです。ヴァイセンには冬の間お世話になりましたよ」
「そっか。……だったら、今回はちょうどよかったね。最強のドラゴン、皇獄竜がいるかもしれない」
「自惚れではないですが、自信はありますよ。一太刀で首を落として御覧に入れましょう」
にやりと笑うアシェル。
ゼーレは横目で彼を一瞥し、小さく頷くにとどめた。歩を進めていくとやがて森はその濃度を増し、木漏れ日が地面に複雑な模様を描き始める。
そのとき、前方の茂みから何かが飛び出してきた。岩のような瘤を持つ猪に似た魔物が、低く唸りながらこちらに牙を剥く。
「これはまた……歓迎のご挨拶でしょうか」
アシェルは淡々と呟くと、一瞬で踏み込み、剣を抜いた。その動きは滑らかで鋭く、刃が風を裂いたかと思えば、魔物はほとんど無音で地面に崩れ落ちていた。
ゼーレは目を見張る。
(若いのに……まるで刃が迷っていない。訓練だけでは得られない“覚悟”がある)
ミリアルデはその様子を見て、口元に微かな笑みを浮かべながら、「一刀両断……見事ね」と呟いた。
直後、別方向からもう一体の魔物が現れる。ゼーレは静かに片手を掲げ、一語を紡いだ。
「
魔力が展開され、魂に触れる感覚がゼーレの指先に生じる。魔物は動きを止め、敵意を失ったかのようにその場で静止する。
「……止まったんですか? 今のは……魔法で?」アシェルが驚いたように尋ねる。
「精神魔法です。敵意を薄れさせてあげたの。で、こう」
手のひらから拳幅の光線が真っすぐ魔物の頭へ突き刺さり、魔物はそのまま倒れ伏した。
「そんな魔法もあるんですね……驚きました」
ミリアルデは何も言わず、ただ興味深げにゼーレの様子を観察していた。ゼーレは無言で頷きながら、まだ見ぬ気配を探ろうと意識を広げた。
日が高くなった頃、一行は渓流沿いで休憩をとった。水面は鏡のように澄み、底の石や魚の影まで見通せた。
ふと、ゼーレは何か魔力がかき乱されるかのような不快感を覚えた。しかし、周りを見渡しても折れた石柱があるだけで、ただの渓流沿いの河川敷である。上空にはただ鳥が飛んでいる。ミリアルデを見てもただボーっとしているのみで、違和感を感じてはいないようだった。
「……少し待て」
エルクは立ち止まり、弓を構えた。空を舞う鳥に狙いを定め、無言で矢を放つ。次の瞬間、鳥が羽を散らしながら落下する。
「……まるで音すら残さなかった」ゼーレが思わず漏らす。
「無駄な音を立てる弓手は、長く生きられない。それに俺の自慢できることなんて、弓くらいだからな」
エルクは淡々と鳥を回収し、ミリアルデの起こした焚き火に鍋をかける。無駄のない所作。串を取り出して香草と鶏肉を交互に刺していく。ゼーレはそれを横目に、一体この不快感の出どころはどこなのかと探知魔法を使い、目を凝らす。すると、微かにではあるが石柱から魔力が放たれていることに気がついた。
火の煙と香りが立ち込める中、ゼーレの視線を辿って、ミリアルデは傍らの崩壊した石柱に目を留めた。
「これは……統一帝国時代の石柱ね。昔は魔物除けの術式が刻まれていたやつ」
ゼーレが首をかしげると、アシェルは得意げに語り出す。
「グリュック様の城館で統一帝国について書かれた歴史書がありましたね。統一帝国の時代、魔法は国家戦略として大規模に開発され、人間の魔法技術は急激に進歩したのだと。軍事と学術の融合、魔法の時代の始まりと書かれていました」
ミリアルデが頷く。「そう。ただこれはそれとはあんまり関係なくてね。結界魔法に詳しい当時随一のシスターが帝国と共働して設置したんだ。その魔法は扱いが難しくて、結局そのシスター以外使えなかった」
白い指先がひび割れた統一帝国の紋章をなでている。ミリアルデは変わらず半眼で続ける。
「ただ、魔物除けは魔族にも不快感を与えるみたいで、大魔族たちがすべて破壊していった。だから、結局このプロジェクトは放棄されたんだ」
これだってまだ残っていたのが不思議なくらいだ、とゼーレを流し見た。ミリアルデの目は碧眼の透き通っていて美しかったが、まるで吸い込まれてしまうようだった。
ゼーレはスーッと胸の奥が凍っていく感覚を覚える。これは、どっちなのだろう。ミリアルデは私が魔族であると気づいているのか? でも、なら私はなぜ生きているのだろうか。恐ろしくて正直逃げようかとも思ったが、その疑問が足を止めさせた。
ミリアルデは眦を下げる。そして微かに口角をあげてしゃべりかける。
「あ、そうだ。ゼーレ、ヴァイオリンでなんか弾いてよ。ごはんができるまで暇だな」
「……うん。じゃあ、春のソナタでいいかな」
強張っていた口元をなんとか微笑ませ、ゼーレはヴァイオリンを呼び出す。空気がゆらぎ、透明な光の輪郭が現れる。瞬く間にそれは形を取り、ゼーレの手の中にヴァイオリンが姿を現した。
澱みない所作でヴァイオリンをポジションに当てると、直ぐに甘やかな音色が弓の引かれるのに合わせて奏でられる。過ぎ去ったはずの春が再び訪れたような、陽気な音。跳ねるような響きが奏でられると賑やかな市場に来たような気にすらなる。
「美しい。……彼女ならば帝都の宮廷楽団にすら入れるだろう」
「ええ。川の流れる音が耳障りに思える。……これは旅の楽しみが増えましたよ」
男二人はゼーレが弾くヴァイオリンの響きに魅了されていた。もちろん、時たま鍋をかき回したり、串を回転させるのは忘れなかった。ミリアルデも膝を抱えて、何かに思いをはせているようだった。丸い真珠の耳飾りが風に揺れていた。
やがて、曲の終わりを示すロングトーンの余韻が消えると、全員が拍手を贈っていた。ゼーレは少し恥ずかしそうに笑う。
「……どうだった?」
「素晴らしかったです。ハンバーグを初めて食べたときに匹敵する感動です」
「そっか。喜んでくれたなら良かった。二人は何か言ってくれないの?」
エルクが鍋からお椀にスープをよそってくれている。そうしてお椀をゼーレに手渡して言う。
「正直、俺なんかの言葉じゃ野暮になっちまうよ。皇帝陛下も感動するだろうさ」
「いつも通りいい演奏だった。良かったよ」
ミリアルデは淡々と感想を語り、焼きあがった焼き鳥を頬張る。もっきゅもっきゅと頬張る姿に、どこか取れないでいた緊張が完全にほぐれていくのを感じた。ゼーレは串に手を伸ばした。
彼らはそれからおよそ一週間にわたって、山を越え谷を抜け、密林の合間を縫って進んだ。昼間は太陽のもとで汗を流し、夜は焚き火の明かりに寄り添って交代で見張りについた。途中、いくつかの廃村や獣道を経由し、時には簡単な魔物との遭遇もあったが、それぞれが役割を果たすことで、隊列は安定していた。
ゼーレは、ミリアルデが夜ごとに簡素な防御結界を張る様子に、彼女の技量の高さを改めて認識した。アシェルは火起こしと斥候を率先して行い、エルクは寡黙に獣道の判別や足跡の確認を引き受けた。道中で育まれた連帯感は、旅立ち初めの寄せ集めだったころとは異なり、確かな信頼と呼べるものに近づいていた。
ある夜、彼らは高台の崖に野営地を設けた。崖下には目的地とされる古都のシルエットが浮かび上がっている。ゼーレはその姿を眺めながら、町の中に潜む可能性のある魔力の気配に静かに意識を向けていた。
翌朝、朝靄の中崖を降り、道を進んだ彼らの前に、ついに旧帝国の町の外壁が現れた。石造りの門は重厚で、今も誰かが整備しているかのような美しさを保っていた。
「……これが、統一帝国時代の町?」
(想像していたより、はるかに……美しい。人が突然消えてしまったようで、少し怖い)
建物は崩れもせず、街路は苔に覆われてなお整然と保たれていた。風に揺れる看板さえも読み取れる。まるで昨日まで人が暮らしていたかのような静けさ。
「これは結界じゃない。保護魔法ね。建物そのものに作用して、物体の劣化を抑えているの」とミリアルデが静かに告げる。
ゼーレは魂の視覚ではなく、魔力探知の術式に意識を切り替え、周囲の空間に集中した。空気の流れとは異なる、広がるような魔力のうねり。異常な密度の魔力が遠方──あの聳え立つ大聖堂の方から滲み出していた。
(これは……明らかに“何か”がいる)
風に混じって聞こえる低く重い音。自然のものとは明らかに違う不穏な圧力が、空間全体をわずかに歪めていた。
「……風じゃないな」とエルクが呟く。
アシェルが剣に手をかけた。
「警戒しておいた方が良さそうですね」
そのとき、ミリアルデが視線を前方に向けたまま言った。
「お……気づいた? ゼーレ」
ゼーレはわずかに頷いた。
「はい。あれは……尋常な魔力じゃない。あの皇獄竜でしょうか」
しかし、一行は足を止めなかった。統一帝国時代の町に、何が眠っているのか。それを確かめるため、彼らは一歩ずつ歩を進めていった。
Beethoven, Ludwig van. The Violin Sonata No. 5 in F major, Op. 24
登場させてほしい原作キャラを教えてください。参考にさせて頂きます。
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ヒンメル
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アイゼン
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ハイター
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フリーレン
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クラフト
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ゼーリエ
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レルネン
-
デンケン
-
南の勇者
-
シュラハト
-
アウラ
-
マハト
-
グラオザーム
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リヴァーレ
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クヴァール
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ソリテール