人形姫のゼーレ   作:Macht und Glück

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第一話 魂を操る魔法

森の中を、私は歩いていた。

 

 森はどこまでも深く、緑の匂いに満ちていた。空には雲ひとつなく、木漏れ日がまだ幼い肌に温もりを落とす。草を踏むたびに、小さな虫が舞い上がり、花の蜜を吸う音すら聞こえそうだった。

 

 私の手には、まだ革のカバンが握られていた。日記は重くない。何かの「鍵」のような気がして、持ち歩かずにはいられなかった。

 

深い緑の茂みは、微動だにせず息を潜めているようだった。ある時、風の音さえも止み、森全体が張り詰めた静寂に包まれた。その沈黙を破るように、葉の擦れる、本当に小さな音が聞こえた気がした。

 

 足元をよぎったのは、小さなリスだった。カサっと葉が擦れる音がして、茂みと茂みの間をせわしなく駆け抜けた。

 

 とっさに目で追った瞬間、また見えた。

 

 ──光。

 

 動物の体の内側、あるいは外側から、淡く灯る光。それは鳥と同じ、「魂」だと直感する。試しに、心の中で呼びかけてみた。

 

 止まった。

 

 リスが動きを止め、こちらをじっと見上げている。黒い瞳が、私をまっすぐ捉えていた。

 

 私はゆっくりと、両手を胸の前で組む。心臓の奥にある何か──魔力と魂が触れ合うあたりに意識を集中させる。

 

 光が、伸びた。

 

 魂の一部が糸のようになり、私の方へと引かれてくる。まるで、心に触れようとしているかのように。

 

 「……来て」

 

 声は小さく、けれど確かに届いた。

 

 リスが、私の足元までやってきて、座った。穏やかな顔をして、動かない。

よく見ると、ネズミのような目と耳をしている。ハムスターのように、小さな種を両手で大事そうに抱えていた。

 

 「……私、いま……魂を……」

 

 つぶやいたとき、ふと、我に返る。

 

 これは普通のことなのか? 誰にでもできることなのか? それとも──

 

 そう考えた瞬間、胸の奥に冷たい何かが広がった。

 

 リスの魂の糸は、私の指先に絡みついたまま、静かに揺れている。

 意識を向けるだけで、その光は伸びも縮みもし、命の在り方すら変えてしまえそうだった。

 ただの小動物。それでも、今の自分には、その命を操ることができる。

 

 命令すれば、走らせることも、止めることも、眠らせることもできる。

 まるで、自分がこの生き物の「神」になってしまったような感覚だった。

 

 ぞっとした。同時に、背筋が粟立つような、微かな高揚感も覚えた。

 

 この世界で、私は、何にでもなれるのかもしれない。

 

 そんな考えが、脳裏をよぎった。

 私は魂の糸をそっと手放す。

 意識を逸らせば、糸は簡単にほどけ、リスはふっと正気を取り戻したように首を振り、森の奥へと駆けていった。

 

 完璧だった。

 

 魔法としては、何ひとつ間違っていなかった。むしろ、あまりにも自然にできすぎた。

 

 ──こんな力、持っていていいのだろうか。

 

 魂を操るということは、心を支配するということだ。

 音楽で誰かの感情に触れたときの、あの震え。

 それが、魔法ではもっと直接的に、もっと深く、触れてしまえる。

 だからこそ、それが間違っている気がするのだった。同時に、抗いがたい魅力も感じている。

 

 この力があれば、私は、一体何ができるのだろうか。

 

 そんな考えが、頭をもたげる。

 私は、小さく首を振った。

 

 いけない。

 

 思考が、危険な方向へ向かっている。

 

頭を冷やすために、ひとまずは歩こう。

そんなことよりも、今は人を見つけて助けてもらわなければならない。

水場さえ見つけられれば、人もきっと近くにいる。

 


 

 水音が近づいてきた。

 

 森が途切れ、小さな小川が姿を現した。石がごろごろと転がる浅瀬の流れ。澄んだ水が太陽の光を反射して、きらきらと輝いている。

 

 私は、思わずその水面に顔を覗き込んだ。

 そこに映ったのは、

 

 ──金色の髪。白い肌。蒼い瞳。

 ──そして、額に生えた、小さな角。

 

 「……え?」

 

 心が、一瞬、時間を止めた。

 私は、その異形の姿を、まるで他人を見るような目で見つめていた。

 

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