白騎のナルカ   作:欲丸出汁

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前編

 

 吹き渡る風だけが自由なのかもしれない。

 大地に還ることのない鋼の骸が墓標の如く突き立つ、この砂漠では。

 

 かつての人類の到達点たる数多の兵器が朽ち果てる姿を嘲笑うかのように、新緑と蒼を湛えたオアシスがあった。

 

 湖の水面に、灰白色の髪をショートカットにした美少女が褐色の裸体を浮かべている。背が高く、四肢の長い、優美な造形の肉体。

 目を惹くのは少年の如き慎ましさの胸、それと全身の無駄のない筋肉だろう。

 特に腹筋は目を見張るほどに鍛え抜かれていた。

 

「はー気持ちいい。ずっとこうして漂ってたい」

 

 水の感触を深く味わうために瞑っていた目を開く。深紅の双眸で雲一つない蒼空を見つめる。

 少女の名をナルカ・カミナギという。

 

 夜が明けるまで歩き続け、ついに辿り着いたオアシスでの休息は格別だった。

 

 もっとも、ナルカは生身で砂漠を踏破したわけではない。

 

 湖畔に片膝をつき、少女を見下ろしている白い装甲に覆われた機械仕掛けの巨人に乗り、砂漠を渡ったのである。

 《大殲》が生み出した最強最悪の機動兵器と畏れられる重装甲騎(ウォーヘッド)であった。

 

「さて、と」

 

 仰向けに浮かび、桜色の胸の先端を天につんと突き出していた褐色の裸体が動く。

 

「行くべきか、行かぬべきか」

 

 ナルカは立ち上がった。水面が波打つ。

 水滴が滑る尻は豊かであり、重力に抗うだけでの筋肉と瑞々しい肉感を備えている。

 それでいて俊敏に動けるように、肉食獣の本能で引き締められていた。

 

 向かってくる風を真っ向から裸体に浴びながら、陽炎の彼方を視る。

 遥か遠方の景色だが、褐色の少女ははっきりと見て取ることができる。

 

 数多の生命が息衝く鋼鉄の揺り籠。それは空母、戦艦を含む数十隻の陸上艦と資源再生プラントのキメラだった。

 

 片膝をついて自分を見下ろす純白の鉄騎士に問いかけてみる。

 

「ねえ、キミはどう思うハティ?」

 

 Λ・Ⅸ(ラムダ・ナイン)、ペットネームを"フェンリス"。

 純白の機体はツインアイの頭部を備え、極限まで洗練された体躯だというのに、まるで破壊という概念を人型にしたかのような暴力性を発散している。

 

 フェンリスは最も生産数が少なく、そして最も悪名高いカーネイジ・モデルに分類されるウォーヘッドだ。

 

 通常全長十八メートル前後の人型機動兵器なのだが、カーネイジ・モデルは一回り大きく、機体の自我となる極めて高性能な機械知性体を搭載している。

 ハティとはナルカのフェンリスに宿る機械知性体のコードだ。

 

 ハティは言葉では応えない。ただ、胸部の装甲を開き、コクピットを解放するだけだ。

 

「よし、決まりだ」

 

 独りで得心して満面の笑みになる褐色の少女。水の抵抗を感じさせない歩みで湖畔に上がり、褐色の肌の水気を拭う。

 ナルカはフェンリスの足元に脱ぎ捨てた衣、と呼べるかも分からない布切れを纏い、外套を羽織った。

 

 外套の前は閉じていない。隠れているのは胸と股座だけだ。腰紐から吊るした細い白布が足首近くまで垂れて秘所を視線から護っている。一応、その下にも布が通って後ろに垂れていた。

 

 履き物は優雅な意匠の編みサンダルだ。踊り子の恰好である。

 

 しかし、ナルカは腰に曲刀(カタナ)を帯びていた。油断のない剣士の脚運びで純白の愛機に歩み、ひと跳びで胸部にあるコクピットに飛び込む。

 

 主を迎えたフェンリスがジェネレーターを甲高く唸らせ、ふわりと舞い上がった。

 慣性と重力を制御する機構を標準装備することで、ウォーヘッドは最強の機動兵器として《大殲》に君臨したのだ。

 

 純白の機体がブレて、オアシスの木々が揺れる。フェンリスは一瞬で上昇してみせた。

 ウォーヘッドの機動自由度は、ジェットエンジンで飛ぶ航空機とは比べ物にならない。

 

 再び、フェンリスの姿がブレる。音の壁が突き破られた。

 押し退けられた大気が、轟音を伴い破壊的な衝撃波を巻き起こす。

 被害が及ばないよう高度を取って加速したが、もし地上で発進していたら、木々が薙ぎ倒され、湖に大波を立てていた。

 

 純白の鉄騎士は音速の四倍にまで達し、まっしぐらに艦体を寄せて造られた都市に向かう。

 

「ハティ、完全迷彩(フルステルス)をアクティブに」

 

 左右の操縦桿を握り、フットペダルに両足を置いたナルカが指示を出す。か細い白布が股の間にかろうじて垂れた、扇情的な操縦姿である。

 ウォーヘッドのコクピットにモニターはない。あるとしても、せいぜい緊急時に使うサブモニターだけだ。

 

 ナルカは視界に投影された外部の映像と計器を頼りにフェンリスを操っていた。

 

 ユニット一つ売り払えば、人類の大半が住まう地下都市で一財産を築くことができる超高性能電子機器に囲まれたコクピットに似つかわしくない踊り子姿だが、ナルカは最悪の殺戮兵器を乗りこなすための知識と技術を修めている。

 

 都市の警戒網に捉えられる前に、電子的、光学的、熱的に機体を透明化するステルス機能をONに。白い機体が歪んだかと思うと、蒼天に溶けるように消えた。

 

 接近してから完全迷彩を起動したのは、触媒となる粒子を少しでも節約するためだ。

 

 静止軌道上で激戦を繰り広げ、砂漠に不時着したフェンリスの機能は30%に低下していたが、幸いにもステルス機能は無事だった。

 カーネイジ・モデルは自己修復機能を有しているので、時間が経てば快復するが、それには一週間はかかる。

 

「これでよし。降りたらしばらく留守にするからお願いね」

 

 ナルカは少し申し訳なさそうに頼む。これは個人的な冒険だ。

 シャープなヘッドセットを装着する。ハイテク通信機器は幻想的な踊り子衣装とミスマッチだった。

 

 

 

 

 エト・ナバナ、十二歳。《大殲》により荒廃した地上の"群都"に棲息する下級市民である。

 

 外界から隔たれた砂漠における、人類唯一の安息の地は迷信に支配されていた。

 

 鉄錆の据えた匂いが鼻をつく。

 

 使われなくなった航空機格納庫を利用した"儀式場"。エトは中央に立たされている。黒い髪、黒い瞳の少年である。

 階級は整備奴隷。群都を維持するために必須の技能者でありながら、理性と理論を重んじるがために忌み嫌われている。

 

 民を守るという建前で群都を支配する機士たちのために、百二十時間ほぼ休みなしでウォーヘッドの整備に励み、疲労困憊。泥のように眠っていたところを叩き起こされた。

 

 天に凶兆である流星が見られたため、急遽執り行われることが決まった生贄の儀に選ばれたのである。

 

 自分の四倍も生きている機士に至極真剣な表情で告げられたため、エトは吹き出してしまいそうだった。

 整備奴隷としての辛く厳しい日々は、少年の心に冷笑的な精神を育てていた。

 

 正直な所、死ぬことは怖くなかった。

 苦しみ、飢え、誰にも愛されることなく生きるのは苦痛でしかない。

 何も感じなくなるのは悪くないことだ。

 

(ただ痛いのは嫌なんだよなぁ)

 

 緩んだ思考を断ち切るように、目の前の男が口を開いた。

 

「エト・ナバナ。整備奴隷としての奉仕、大儀であった。汝の御霊は天に捧げられ、我らの永遠なる鋼の都を照らす光の一部となろう」

 

「ありがたき幸せ。卑しき身にこのような栄誉を賜れるなんて」

 

 儀式の執行人である長剣を腰に下げた機士が告げたので、応じる。

 機士は「うむ」と仰々しく威厳あるような風で頷いた。単純そうなおっさんで、羨ましい。

 

 さて、エトは疲れ切った頭を少し巡らせた。

 

 実際の所、凶兆云々は建前かもしれない。群都に蔓延る迷信は必要に応じて創作される。

 群都の上層における派閥間の抗争が原因で、自分は殺されることになったのかもしれない。

 

 エトはあまりにも優秀な整備士だった。紛れもない天才だった。

 十歳で奴隷としての奉仕に駆り出されてから、ウォーヘッドの稼働率を三倍に引き上げている。

 

 ここ十数年は砂漠を徘徊する自律兵器や冒涜的な生物兵器といった外敵は殆ど寄り付かず、機士らは権力闘争に邁進している。

 対立する派閥からすれば稼働率を高める、すなわち戦力の向上に貢献しているエトの存在は面白くない。

 

 だから、今回の生贄の儀式が仕組まれた。

 

――――考えても仕方がないことではある。

 

 エトはその場に跪くように言われる。言われた通りにして俯く。

 

 正面で長剣が高く掲げられる。縦一文字にいくつもりらしい。

 

「汝に太陽の道の祝福があらんことを」

 

 祈り文句と共に振り下ろされる死の刃。

 機士の逞しい両腕で振るわれた刃が空を切る音が、いやにはっきりと聴こえる。

 

 直後、鋭い金属音に男の呻き声。正面からだ。どよめきの中、エトは顔を上げた。どうやら、剣は投げナイフで叩き落されたようだ。

 

「その子、要らないんだ?」

 

 通路の照明が差すキャットウォークの手すりに立って見下ろす女の声。

 

 いつどうやって侵入したのか皆目見当が付かず、その場にいる数人の機士は揃って困惑している。

 

 爛々と輝くような赤い瞳。驚くほど綺麗な褐色の貌が挑発的に微笑む。

 白灰色の髪は少年のような短く切ってあった。 

 

「なら、貰っていくよ」

 

 静かに呟くような声音だというのに、その声は格納庫にいる全員に届いていた。

 

 褐色の侵入者は外套を脱ぎ捨て、肢体のすべてを露わにした。

 

 ごくりと生唾を飲んだり、ギラついた欲望の眼差しで凝視する機士たち。

 

(なっなんて恰好……!)

 

 唖然としながらエトは、女の姿を見た。身長は高く、しなやかに鍛えられた肉体。エゲつないほど長い美脚。

 

 見たこともないほど綺麗な肌は殆ど露わになっていた。

 胸に覆うだけのぴったりした上衣、腰から吊るされた細い布が隠さなければならない部分をどうにか守りながら、風に流れる。

 どちらも色は白く、褐色に映えている。細い腰から広がる臀部は豊かなライン。しかし、胸はかなり薄い。

 

 格納庫内は暗いが、下級民は暗闇に目が慣れているし、機士は施された遺伝子強化で暗闇のなかでも昼間のように見ることができる。

 

 降り立ち、編みサンダルの踵を鳴らしながら歩んでくる褐色の美少女。

 

「かっ囲め!」

 

 腐っても戦士だ。機士たちは腰の長剣を抜き、あるいは拳銃を引き抜いた。

 長剣を抜いた者達が囲み、その背後で誤射しない位置に射手がつく。

 

「手足は潰してもいい! 何者か聞き出さねばならん! 生かしておけ!」と号令するのは、エトを殺すはずだった執行役の男。自分は少年を背後から片腕で抱える。

 

 首の骨を折りそうなほど強い男の腕力に呻きながら、エトは盾にされたのだと悟る。

 

「いいね。皆元気一杯で」

 

 愉し気な褐色の少女が薄い布を閃かせ、腰の鞘から得物を抜いた。

 

 エトの動体視力では何が起こったかさっぱり分からなかった。曲刀を引き抜いた少女の周りで、衛士たちの身体が裂ける。首や手足やあるいは胴体がごろりと床に転がった。

 

「ふぅ」と息をつき、軽やかに極刀の血糊を払う白髪褐色の剣士。

 

 間合いから外れている拳銃を手にした機士までもが切り裂かれているのは、一体どういう理屈なのか分からない。

 

「くっ来るな、このガキがど――――」

 

 褐色の脚が高らかに蹴り上げられる。言い終わる前に最後の一人の顔面に蹴りが叩き込まれた。

 

 倒れ込む男の腕から逃れるエトの口から、「お見事」というセリフが反射的に漏れていた。

 

 誇らしげな褐色ハイキッカーの前垂れは捲れて、股間をくぐる布地を露わにしている。蹴り技の華麗さか、あるいは魅惑的な局部に対してか、自分でも分からない呟きだった。

 

「元気はあるけど弱過ぎ、だね」

 

 吐き捨てるような褐色少女の言葉。

 エトはこんなに背が高く、腹筋がついた女性をはじめて見る。生理的な反応として胸が高鳴り、ついでに熱が下半身の一点に集まってきた。

 

「ボクはナルカ。砂漠の外から来た。君の名前を教えてくれるかな?」

 

 その場にしゃがみ、ナルカは視線を合わせて自己紹介した。必要最低限。歯切れのいい物言いはエトの好みだ。

 

 甘い香りがする褐色美少女に対して、自分は生き物の汚臭と油の汚臭が入り混じった酷い匂いをぷんぷんさせているのは恥ずかしかった。

 

「エトです。エト・ナバナ」

 

 だから、俯きがちに名乗った。

 

「いい名前だね。それじゃ、行こうか」

 

 良い名前、なんて言われるのは始めてだった。ナルカは遊びに誘うような気軽さで手を差し出す。

 事態を察して増援が来るのは火を見るより明らかなので、エトはいちいち質問しなかった。

 

「ガリガリだね、エトは。これじゃ走るのは無理そう」

 

 エトの手を取ったナルカは少し困った顔。何か閃いたという感じで近寄る。

 

「わわ、恥ずかしいですよ!」

「我慢して。こうしないと死ぬよ」

 

 エトはナルカの左脇に抱き抱えられた。柔らかくてすべすべした感触は温かい。

 

「それじゃ脱出だ。日が落ちきる前にこの砂漠から出るよ」

 

 群都に生きる者からすれば、信じられない宣言であった。

 

 地を蹴ってナルカは駆け出す。右手で曲刀を手にしている。人間が出せるとは思えないスピードだ。風圧にエトは目を瞑った。

 

 通路に靴音を響かせ、階段を昇っていく。

 

 時折、ひゅんと曲刀が振るわれて何かが裂ける音がする。

 たまに連続的な銃声の直後に傍で金属音がした。

 

「ははっ楽しいな! 片腕で重りを抱えて戦うのはスリルがある!」

 

 疾走するナルカの楽し気なこと。今、この時、はじめてエトは死にたくないと心から思った。

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