宝塚記念出走が決まった、ものの。トレーニング自体はいつもと変わらない。
「よ~し、まだまだ行くぞ~!」
「はひぃ、はひぃっ」
笑顔で他のウマ娘の倍以上の量をこなすカイザーと、それに食らいついているクラフト。もはや見慣れた光景だ。
余談だが、スピードシンボリだけではなくシンボリルドルフも来ている。暇なのだろうか。
「あれだけの量を笑顔でこなすとは。やはり、カイザーは凄いですねスーさん」
「あぁ。ルドルフから紹介された時は半信半疑だったが……これは確かに逸材だ。古曾部トレーナーが気に入るのも納得いく」
口にはしない。せっかく来てもらってるのに、水を差すような真似はしたくないからな。
にしても、カイザーはいつも笑顔だ。どんなにキツいトレーニングでも、楽しくて仕方がないとばかりに笑顔でこなす。苦しい表情は見たことがない。
そんな彼女の姿を見ているとつくづく思う。才能という壁の存在を。
(これが、天才ってやつなのかねぇ)
ま、それは良いだろう。今考えるべきことでもないからな。
量自体は多いがカイザーに負担はない。ならば止める道理もないし、強くなるためにはもってこいだ。ただでさえ次のレースはキツいものになるからな。できる限り地力はつけておきたい。
半端ない量をこなすカイザー。ついていくクラフトも、しっかりと地力がついている。おそらくだが、同世代相手ならもう負けないぐらいのスペックがあるだろう。さすがにカイザーとかディープみたいな超常レベルまでは、うん。
けれど、疲労が見え隠れしている。ここはまだ無茶をする段階じゃないし、そろそろ止め時か。
「よーし、頑張れよカイザー! 目指せ宝塚記念ー!」
「おー!」
「お、お~っ」
「クラフトはこれが終わったら休憩な。無茶のし過ぎは良くないから」
それに、秋まではレースもないからな。やる気は夏合宿まで取っておいてもらいたい。カイザーに付き合うのもいいけど、本人の体調第一だ。
クラフトは休憩、カイザーはもう少し練習。走っている姿をスピードシンボリたちと観察しながら、話題に宝塚記念のことが挙がる。
「さて、もうすぐ宝塚記念だが……君の見立てではどうかな? 榊トレーナー」
「ま~良くて五分じゃないですか? これでも甘めに見積もってますけど」
俺の予想では、宝塚記念の勝敗は五分だ。勿論ちゃんとした理由がある。
相手は全員格上みたいなものだ。ネームドのウマ娘も多数出走しているし、彼女らは軒並みステータスも高い。肉薄しつつはあるものの、厳しいことには間違いないだろう。いや、肉薄している時点で大分おかしいんだけども。
「こっちはジュニア級のG1でしか戦ったことがない。対して向こうはG1を何度も戦ってきた猛者連中、しかも有力候補は全員G1制覇の経験がある。この差はでかい」
「その通りだ。今回の情勢ならば、漁夫の利を狙える可能性は高まるが……そうもいかないだろう」
「嫌というほど注目されてますからねぇ、カイザー」
他の有力候補達がつぶし合ってくれる、なんてことにも期待できない。多少の侮りはあるだろうが、カイザーもマークしてくるはずだ。そんな甘くはない。
俺が出した五分という数字も、担当だからと甘く見積もっての計算だ。カイザーの不利は変わらないだろう。
けど、勝算がないわけじゃない。
「それでも宝塚記念に出走させたのは……勝算があるからだろう?」
「そりゃ勿論。最初っから負ける気で挑む阿呆はいませんよ」
信じられないことに、カイザーのステータスは肉薄しつつある。さらにはスキルも豊富にある上、レース展開に左右されないメンタルも兼ね備えている。
教えられた技術を適切なタイミングで使用、相手のプレッシャーもはねのけて走ることができれば、地力で劣るカイザーでもシニアの猛者相手に互角に戦えるわけだ。
並大抵のことじゃない。上の相手に自分のレースを貫くことができるなんてほぼ不可能に近いだろう。
それでも、カイザーならばやってくれるんじゃないか。そんな確信が俺にはある。
「自分のレースができればまず負けませんよ。いつも通りに楽しく走って勝つ、そうすればどんな相手だろうと戦えます」
「……楽しく走って勝つ、か」
目を瞑り、逡巡しているスピードシンボリとシンボリルドルフの2人。まぁ、思うところはあるだろうな。言うなりゃ勝ち負けよりも楽しさを優先している、ってわけだし。
競技者として走ってきた2人だ。いかに異質なことか、この走りで先があるのか、思わずにはいられない。この意見には、反対してもおかしくない要素がある。
(勝敗が絡むレースにおいて、楽しむという気持ちを前面に押し出すスタイル。かなり少ないだろうな)
楽しんで、その上で勝つことができるなんてほんの一握りだ。というか、そもそもいない可能性の方が高い。上の世界に行くほど厳しくなるし、余裕なんてなくなっていく。いつかはきっと、楽しむだけじゃ勝てない日が来るだろう。スピードシンボリたちはそのことを分かっているんだ。
闘争心の薄さ。カイザーの最大の弱点。俺にはよく分からないが、ウマ娘同士分かりあえるものがあるのかもしれない。
カイザーは上へといけるウマ娘。だからこそ、もっと成長してほしい。彼女達の願いだ。
それでも、2人は何も言わなかった。ただ深く頷いて、苦笑いを浮かべる。
「それが君達の選んだ結論ならば、俺達が口を挟むことではない、か」
「そうだね、スーさん。あるいは、我々の知らない世界の扉を開いてくれるかもしれない……カイザーが、全く新しい強さの形を、ね」
「それはどうなんですかねぇ。なんにせよ、宝塚記念は油断できません。やれることはやっておかないと」
俺の意見には一致しているようで、2人とも惜しみなく協力してくれた。万全の態勢で臨むことができるだろう。
◇
それから時間は流れて宝塚記念の出走前インタビュー。記者会見の日がやってきた。スーツを引っ張り出して着ているわけだが。
(あ~、前世のコンペとか思い出して嫌になる)
ぶっちゃけこういう場は苦手だ。俺が主役じゃないとはいえ、正装で参加しなきゃいけない場は堅苦しくて好きじゃない。さっさと終わってほしい。
壇上に視線を向けると、今回の宝塚記念に出走するメンバーがずらりと並んでいる。カイザーの姿もあった。
にしても、錚々たるメンバーだな。
(タップダンスシチーにゼンノロブロイ、スティルインラブにスイープトウショウ。アプリでもいた子達だけでもこんだけいる)
後はハーツクライか。見た目はめっちゃ怖くて威圧感あるけど、イケメン風のルックスで女子人気が高いらしい。不良に憧れるとかそんなものなのかね。詳しくは分からん。
また、結構な堅物らしく、気性難とトレーナー間では有名。なお、そんな相手でもカイザーは仲が良いんだとか。アイツのコミュ力半端ないな。
(な~んか前世の親友が言ってたな。史実だとディープインパクトに唯一勝ったんだっけか?)
詳しくは覚えてない。ただ、あのディープインパクトに土をつけたって話だけは聞いた。ならかなりの猛者なんだろう。知らんけど。
一人ずつマイクが向けられ、宝塚記念にかける意気込みを語っている。
「そそ、その、みなさんに負けないよう頑張ります!」
「とても、強い方々が相手……血が、滾るっ! あぁ、喰らいたい……っ!」
「アタシが最高のレースを演出してやるさ。目を離すなよ? 離したその瞬間にThe end.だ」
十人十色の言葉。ただ、共通しているものが一つある。
(負けないって意志、か)
ここにいるやつらには誰にも負けない、確固たる自信。いわゆる負けん気というものを発揮していた。
「ふっふ~ん、宣言通りに勝ってやるわよ! アタシがティアラ路線の強さを証明してあげる! アンタたちのくだらない決めつけなんて、アタシの魔法でひっくり返してやるんだから!」
この気持ちこそが、彼女達をここまで押し上げてきたもの。グランプリレースに相応しい猛者が、勢揃いしていた。
その中で、カイザーはというと。
《それでは今回、唯一のクラシック級からの出走となります。5枠9番のハレヒノカイザーさん、宝塚記念への意気込みをどうぞ!》
「強い人達たくさんだな~。楽しくなりそうだね、うん」
《え? は、はぁ》
「変わらないよ。いつもと変わらず、楽しいレースになるといいね、うん」
ブレないわ本当。レースは楽しむものであるというスタイル、カイザー独自の強みだ。
他のウマ娘に目を向けると、カイザーを鋭く睨みつけている子が多くいた。
(ふざけている、と思っているわけじゃないんだろうな。これはおそらく、警戒の類だ)
実績がまるで足りていないカイザー。それでもここに出走してきたってことは何かある、そう考えているのかもしれん。普通にムカついている可能性もあるけど。
その中で、タップダンスシチーが一歩前に出る。前年度の王者が、不敵な表情でカイザーを見ていた。
「ハッハッハ! やっぱアンタは面白いやつだなカイザー。Could you please dance……アタシと踊らないかい?」
「ダンス? 良いよ、ダンスも好きだもん!」
いやいかんでしょ。またインタビューの途中だよ。ここでダンスするんじゃないよ。
「ハッ! そう来なくっちゃ! それじゃあ今からここはダンスホールだ!」
だからダメだろって。カイザーもノリノリでダンスしようとするんじゃないよ。お前はそういうやつだけども。
タップダンスシチーの介入によりあわやダンスホールになりかけた。司会の人に注意されて事なきを得たけど。
《え~アクシデントがありましたが……次にハーツクライさん。意気込みの方をどうぞ》
「……G1の栄光、これまで何度もつかみ損ねてきた。今度こそ掴んでみせます」
インタビューは続く。その後は何事もなく終わった。うん、あの後ダンスの続きだ、とかにならなくてよかったよ本当に。
◇
それからはさらにあっという間だ。宝塚記念本番の日を迎える。
カイザーにとってはクラシック級以降初のG1。それが宝塚記念になるとは、我ながらイカれたローテを組んだものだ。
「ま~お前のことだから対戦相手のことは全部頭に入ってるだろう。問題ないな?」
「うん、ばっちりだよ。全部覚えてる」
頭が良いので対戦相手の情報は全部頭に入れてあるカイザー。つまりは俺が言うまでもなく、どうすればいいのかも理解している。なので、作戦面において俺の言うことはないです、はい。
しいて一つ、言うのであれば。
「楽しんで来い。ゼンノロブロイやタップダンスシチーと走れる、またとない機会だからな」
「もっちろん! 楽しみだな~、楽しみだな~! 新しいことも試したいし!」
椅子に座って、足をばたつかせるカイザーに微笑ましさを覚えつつも、新しいこと、という言葉に引っ掛かりを覚える。
それがいったい何なのか。気になってしまった。ひとまず能力をONにして諸々のデータを確認。
(……特に目新しいものはないな。気持ち的な問題か?)
相変わらずのステータスとスキル欄、いつ進化するかも分からないコンセントレーションが光り輝く中、新しいことが分からなくて混乱する俺。何を考えているのやら。
もっとも、特に問題はないだろう。失敗するとも思えんし。
一応釘は刺しておこう。大丈夫だとは思うが。
「新しいことは結構だが、それで変なことになったりするなよ? しょんぼりしないようにな」
「大丈夫だよトレーナー。そこはばっちりだし、ケガに繋がるようなものじゃないから」
ならいいか。打ち合わせも終わったので、カイザーと別れる。カイザーは阪神レース場のターフへ、俺は観客席へ。それぞれの場所へと向かった。
観客席の最前列でクラフトたちと合流。いつものメンバーに加えて、今回は文乃先輩がいた。
「あ、どうも文乃先輩。ダービー優勝、おめでとうございます」
「ありがとう、榊トレーナー。これで二冠、シンボリルドルフに繋がる無敗の三冠に向けて、頑張らせてもらう」
「ディープインパクトなら、って思っちゃいますよね。今日はカイザーを?」
なんとなくカイザーの名前を出すが、どうやら当たっていたようだ。文乃先輩は深く頷く。カイザーの走りを見るためにここに来たらしい。
「クラシックに出走するならば、一番の脅威に見ていた相手ですから。今回のレースで今の彼女がどの地点にいるのか、測ることができる」
「ふふ、カイザーはいつもと変わらずに笑顔ね。楽しそう」
ちなみにサイレンススズカとディープインパクトも来ているようだ。サイレンススズカは特に仲の良い相手らしいし、応援する気できたんだろう。ディープインパクトはライバルの視察ってところか。
後は佐岳メイさんだろうか。彼女も来ていた。
「初めましてだな、榊トレーナー。あたし様は佐岳メイだ」
「あ、どうも初めまして。榊幸光です」
「君のことはスピードシンボリからよく聞いているよ」
握手を交わす。ここでファーストコンタクトになるとは。ちょっと予想はしていたけど。
挨拶はほどほどに済ませる。積もる話はあるが、今はこの宝塚記念に集中しよう、で一致した。
レース前の緊張した空気、人々の喧騒が聞こえる中、今回のレースの分析タイムが始まる。
やはり本命に推されているのはタップダンスシチーだ。前年度覇者は伊達ではない。
「タップダンスシチー。逃げウマ娘としてのスタートの上手さ、自分のペースに引き込む巧さがある。彼女をどう崩すかが争点になるな」
「それに、有力ウマ娘は後方に寄っているのがあるね。ゼンノロブロイにスティルインラブ、スイープトウショウ。彼女らはみな、後方からのレースを得意としている」
「それなら、前でも勝負できるゼンノロブロイがキーになるかな? 崩す相手は多い、厳しい勝負になるのは間違いない」
シンボリルドルフの言うように、今回の宝塚記念は有力ウマ娘のほとんどが後方脚質。ハーツクライも後方からのレースを得意としている。
こうなるとカイザーは、タップダンスシチーの逃げを警戒しつつ後ろにも気を配らなければならなくなる。それも今までの相手とは段違い、超一流のウマ娘達を相手に、だ。
(スピードシンボリの言うように、厳しいなこりゃ)
五分とは言ったが、甘めに見積もっての五分だ。どう転ぶのか、どんなレースにするのか。ついでに新しいことがなんなのか。
とにかくカイザーのことを応援するか。
晴れ空が広がる阪神レース場にファンファーレが響き渡る。発走の時が、少しずつ近づいていた。
《晴天の空に恵まれました、阪神レース場。太陽が見守る中で、芝2200m、良バ場でのレースが始まります。1番人気はこのウマ娘、8枠16番のタップダンスシチー。大外とちょっと不安な枠番ですが、彼女の逃げは大外でも炸裂すると期待されています》
《ジャパンカップの大逃げが記憶に新しい人は多いでしょう。注目ですよ》
《また、11番人気ではありますが5枠9番のハレヒノカイザーにも要注目。本レース唯一のクラシック級ウマ娘、クラシック三冠にもトリプルティアラにもその姿はありませんでしたが、どうにか出走にこぎつけました。今回のダークホースになれるか?》
《いや~、どうなんでしょうか? 無敗とはいえクラシック未出走ですからね。厳しいのは間違いないですよ》
能力をONにして見守るが、ふと気になることがあった。発生源はカイザーである。
(? なんだ、スキル欄がちょっと変わってる?)
コンセントレーションの場所がノイズがかっている。消えるかのように、書き換わるかのように。こんなことは一度だってない。初めての現象に、戸惑いを覚えた。
もしかして、進化しようとしているのか。今にも始まりそうなこのタイミングで。
そんなことを思っていたのもつかの間、最後のウマ娘がゲートに入る。レース場が静かになっていた。
今にも始まりそうな瞬間。
《最後のウマ娘がゲートに入りました。夏のグランプリ宝塚記念、上半期の総決算レースの幕が上がります。態勢整って今っ、スターッ、トォ!?》
「……はっ?」
ゲートが開いたのと同じタイミングで、驚くべきことが起きる。
俺は今、凄いアホ面を晒していることだろう。あまりの出来事に大口を開けて固まっていた。
いや、俺だけじゃない。きっと、阪神レース場にいるファン全員が同じような表情になっているはずだ。そう思わせるだけの出来事が披露される。
誰もがタップダンスシチーがハナを取ると思っていた。そうじゃないにしても、他の逃げウマ娘達が綺麗なスタートを決め、タップダンスシチーとハナを取りあうと思っていた。
そうはならない。なっていない。予想していた展開とはまるで違うものが、俺達の目に入ってくる。
ありえない、そんなことがあっていいのか。確かに理論上ありえなくもないことだが、とんでもない高等技術だ。
「……嘘だ、あんなことがあり得るのか!?」
文乃先輩が声を荒げている。それほどまでに、理解しがたい光景だった。
宝塚記念。ハナを取ったのは。
《は、は、ハレヒノ、ハレヒノカイザーだ! ハレヒノカイザーがハナを取る! い、いやいや! なんですか今のスタートは!? ゲートが開いたと思えばすぐさま飛び出してきた! 誰も反応できない、誰よりも早く一歩先にスタートしていた! もはや、ゲートが開いたことを予測していたかのような芸当を披露する! ハナを取ったのはハレヒノカイザーだっ!》
カイザーだ。
スキルが進化しました
コンセントレーション→