私のトレーナーはよく分からない人だ。普通のトレーナーとはちょっと考え方が違う。
レースは勝つのが重要。誰だって名誉は欲しいし、実績を上げるのは大切なこと。みんなは勝ちたいからレースに出ているわけだし、トレーナーは勝たせるために日々のトレーニングを組んでいる。
でも、私は考え方が違う。かなり異端寄りの考えだ。
勝つことよりも楽しむことを重点的に。楽しいレースができて、その上で勝てたらいいかな程度の認識。私にとってのレースはそういうものだ。
(みんなの熱い気持ちを受けて、私の走りもさらに洗練されていく。周りに感化されて、さらに成長できる。知らない自分を知ることができる)
まぁ、自己探求みたいなものだろう。一人で走るだけでは分からなかった世界があることが分かったから。レースの世界は楽しいし、これからも走り続ける予定。
じゃあ、トレーナーはどうなのだろうか。トレーナーもやっぱり、私に勝ってもらって実績を上げたいのではないか。名声が欲しいんじゃないだろうか。
答えは否。トレーナーは私に名声を求めなかった。
「私を楽しく走らせる、かぁ」
「どうしたんですか? カイザーさん」
「ん~、なんでもないよクラちゃん」
呟きが一緒にトレーニングしているクラちゃんに聞こえたらしい。別に問題はないけど。
トレーナーは私に名声を求めない。有名になることに興味がないし、それよりも私が楽しく走ることを重要視している。
インタビューでもそうだ。何度もクラシックの出走をお願いされていたけど、トレーナーは頑として首を縦に振らなかった。
「こちらにも理由がありますので。現在の状況と照らし合わせて、クラシックは目指すべきではないと判断しました」
「それに、クラシック三冠は達成者がいるでしょう? どうせなら誰も達成していない偉業に目を向けたいじゃないですか」
「もっとも、宝塚記念もカイザーの体調次第です。ダメなら出走を取り止めますし、基本的にはカイザー第一でいきたいと思います」
ブレない意見。他人からどうこう言われようが、私ファーストで物事を考える。周りに流されないタイプだった。
出走させなかった理由は分かる。プイちゃんが絡んでいるからだ。
私はプイちゃんと模擬レースをした時にケガをした。幸い大きなものじゃないし、少しの間安静にしたらすぐに良くなったけど。
この時にトレーナーは悟ったんだろう。私とプイちゃんを戦わせたらまずい、って。プイちゃんは必ず出走してくる。だから全休を決断した。思い切りがいいというか。
(普通のトレーナーなら、出走させるんだろうな)
他のトレーナーがどう対応するかは分からない。けれど、クラシックレースの重みを知っているからこそ、出走をしないなんて選択肢はあまり取りたくないはずだ。
私に後悔してほしくないから、一度しかない舞台だから。もし私が残念に思って、この先も引きずってしまったらやるせないから。私にあまり無茶をしないようにと調整して、クラシックに出走させる。それが普通の道だ。
トレーナーが望むのであれば出走するつもりだった。だから対プイちゃんに向けて、調整するプランも考えていた。
けど、トレーナーは違った。私に何度も確認しつつも、私のためにとクラシックの出走を諦めた。
普通出来ることじゃない。クラシックを諦めるのはそういうことだ。世間の反応が物語っている。それでもトレーナーは私のためにと、重い決断をしてくれた。
それだけじゃない。プイちゃんとの対決も約束してくれた。今は無理でも、将来的には必ず走らせるって言ってくれた。私達の思いを、汲み取ってくれた。
(プイちゃんとの勝負は格別。その思いも見抜かれちゃったのかな)
とはいっても、一連の件で誹謗中傷されてた時は参ってたみたいだけど。宝塚記念が終わるまでは落ち込んでいる日もあった。
向こうの言い分だって理解できる。クラシックレースは一生に一度しか出走できない大事なレース、重みが違う。そのレースを戦うことなく諦める私達がおかしいだけだ。
それでも、トレーナーは最後まで私を出走させなかった。
「ったくよ~、ちょっとクラシックレースに出走しないだけでいろいろ言いやがってよ~。別にいいじゃねぇか! いや、良くねぇんだけど!」
「大丈夫だよトレーナー。私は気にしてないから」
「その言葉が救いだぜカイザー。けど頭は撫でないでくれ、惨めになるから」
トレーナーも私と同じなんだろうな。自分よりも他人を優先するタイプというか。
最初から興味が尽きないトレーナーだった。他の人達が私に取らせたい、一緒に取りたいレースを挙げていく中で、ただ一人楽しく走らせることを目標にした人。それだけでも私の好感度はかなり高めである。
私への願いは最低限に、私のやりたいことを軸にいろいろと考えてくれる。ありがたい限りだね。
トレーニングを切り上げて、次の指示を仰ごうとトレーナー達のところに向かうと、何やら話し込んでいるみたいだった。
「カイザーをこっちのレースに出走させてみないか? 榊トレーナー」
「こっちのレースに、ですか?」
「あぁ。今のカイザーならばいい勝負、どころか勝ち負けにも絡める。G1の大舞台であっても勝てる!」
話の内容は、元々予定になかったレースに、私を出走させるというものだった。本来はトレーニングのみの予定だったんだけど、私の走りを見て変わったらしい。
メイさんが力説する。私ならば問題なく勝てるんじゃないか、ということを。
「芝の合う合わないがあるから出走の予定はなかった。だが、ここまで適応するとなると、出走してもいいんじゃないかと思ってね」
「まぁ俺もびっくりしましたよ。まさか数日で慣れるとは思わんかったです」
「だろう? それに、あたし様は海外挑戦してきたウマ娘達を見てきた。個人的な主観になるが、カイザーは間違いなく勝負できる!」
タイキさんとかザパさんとか。いろんな人達を例に挙げて説明する。それほどまでに私に期待しているらしい。
意見としてはスーさんも一緒。将来を見据えて一戦、走ってみるのもいいんじゃないかと。
「ただ、これはあくまで私達の一意見だ。実際にどうするかは君達に委ねる」
「影響がないとも限らないからな。安全を期するのであれば、出走しないのも選択肢。あたし様たちは君達の意見を尊重する」
メイさん達のはあくまで一つの提案だ。良い勝負ができるから、なんなら勝てるから一度走ってもいいんじゃないか、という提案。他意はない。
私としては悪くない。みんなが望むのであれば、出走するのもやぶさかではない。
(勝てばトレーナーも嬉しいだろうし、ファンも嬉しくてみんな嬉しい。ハッピーライフなのでは?)
ワクワクしながらトレーナーの選択を待つ。こっちの子達と走れるのも悪くないし、出走したら楽しい世界が待っている。悪くない提案だね。
懸念があるとすれば、プイちゃんとの対決がどうなるか、ってことか。海外のレースは厳しいって聞くし、もしかしたら悪い影響が出るかもしれない。
(そうなったら残念だな。プイちゃんと走るの楽しみだし)
最悪出走できない、なんて事態も全然あり得る。対戦が叶わない可能性があるんだ。
そうなるとちょっと残念だな。みんな悲しくなるし、私もちょっぴり寂しい。
でも、対戦する機会はいくらでもあるし、走る機会はたくさんある。そう考えることにしよう。トレーナーの願いならば仕方ない。
トレーナーは大分悩んでいる。頭を捻って、あぁでもないこうでもないと唸っていた。
最終的に、トレーナーの出した結論は。
「俺個人としてはあまり出走させたくないですね。秋に悪影響が出ても困りますし」
ちょっと否定的な意見だった。トレーナーならあり得ると思っていたけどね。
でも、その理由は少し意外なものだった。私も予想していなかったというか。
「俺は秋にディープとカイザーを戦わせると約束しました。その約束を果たせなくなるのはちょっと困ります」
「ディープインパクトとハレヒノカイザーを? それは」
「言わんとしたいことは分かります。クラシックに出走しなかった理由はディープが絡んでいますからね。なんで今更、と思うかもしれません」
私とプイちゃんを戦わせるため、だった。
これは私も予想できなかった。てっきり、秋のレースに影響が出るからだと思っていたから。プイちゃんとの対決に関係なく、秋天とかに影響が出ると困ると思ってた。
トレーナーの表情に嘘はない。本心から言ってるのが分かる。
「カイザーはディープとの対戦を楽しみにしています。その楽しみを奪うかもしれない、って考えるとどうしても尻込みしますね」
「楽しみを奪う、とは?」
「ほら、どうせなら万全の状態で戦ってほしいじゃないですか? 不安要素をできる限りなくしたい、というか。ディープと戦うことは確定してますし、あんまり無茶をするのもどうかな~って思ってるんですよ」
本心から、私とプイちゃんの戦いを望んでいる。
かつてトレーナーが言ったこと。私とプイちゃんを戦わせる約束。その約束を、トレーナーは最高の形で叶えようとしているんだ。
本当にこの人は、名誉に執着しない。私が求めることを、最大限叶えようとしている。
(不思議な人だなぁ)
あんまり出会ったことがないタイプだ。なんかシンパシーを感じるね。
どこまでも私のことを第一に考える。私の考えを尊重して、最善を尽くそうと頑張ってくれている。不思議な気分だった。
でも、トレーナーとしてもかなり悩ましいところらしい。一概に出走はなし、とも言えない状況みたいで、今もかなり唸っている。
「とはいっても、まだこの時期ですからねぇ。秋への影響もさほどないでしょうし、1つぐらいは出てもいいと思ってるんですよ」
「そもそもここにきてる時点で影響どうこう、って話でもあるからね。榊トレーナーが考えているのは、そういうとこだろう?」
「その通りなんですよ。ここにきといて今更影響云々が、って話は違うだろと。それに、こっちのウマ娘と走れるまたとない機会ですからね。カイザーも楽しく走れそうですし」
プイちゃんとの対戦を懸念しているが、私がこっちの子達と楽しく走るのも捨てきれない、って感じだ。ここでも楽しさを強調するあたり、トレーナーらしいというか。
不思議な人だ。本当に。トレーナーの期待や願いは、他の人よりも心地良さを感じる。普通の人とは違う感覚に、また違った楽しさを感じる。
(だからこそ、私もできる限り応えたくなる)
トレーナーが懸念しているのは、秋のレースに悪影響が出るんじゃないかということ。なら、その不安を払拭させればいいんだ。
一歩踏み出して、トレーナー達の会話に割り込む。驚いた表情をされたけど、私はもう決めた。
「大丈夫だよ、トレーナー。秋に影響が出ない程度に走ればいいんでしょ?」
「今の話聞いてたのかカイザー。まぁお前ならその辺の調節はできるだろうが」
こういうところでも私を信じてくれる。うん、良いトレーナーだ。
「大丈夫大丈夫。それに、こっちの子達とも走ってみたいし! どんな子がいるんだろうな~、楽しみだな~!」
ワクワクが止まらない。きっと、日本とはまた違った走りをする子達がいるはずだ。そんな彼女達と戦えるって思ったら、私の気持ちは有頂天に達する。この気持ちを、トレーナーはきっと察してくれるはずだ。
顎に手を当てて考えるトレーナー。悩んで、悩んで。1分は経とうとした頃。
「なら、出てみるか? こっちのレース」
「うん!」
「そういうことなら、出走を予定するか」
出走するか、という質問に肯定で答える。うん、トレーナーなら出走させてくれるって思ってた。だって、私のことを信頼しているから。私の大丈夫という言葉を信じているから。
こうして、急遽私のレース参戦が決まった。
「じゃあどのレースに出るかだが、流石に7月中は難しいな。8月のレースがいいだろう」
「そうなると、ゼンノロブロイと一緒にインターナショナルステークスか?」
「う~ん、カイザーってマイルも走れますし、ジャック・ル・マロワ賞も悪くないと思いますよ。メンバーヤバいって噂されてますけど」
あれこれ悩んだ末に、私が出走することになったのはフランスのジャック・ル・マロワ賞。かつてはタイキさんも制したレースだ。
クラちゃんは今回出走を見送るらしい。秋のスプリンターズステークスや秋華賞に照準を合わせるのと、トレーナーが私達を戦わせることに躊躇しているから。同チームの対決はあんまり見たくないみたい。
「頑張ってくださいねカイザーさん! 観客席から応援してます!」
「わ、私も! 私も応援します!」
「うん、頑張るよクラちゃん、ロブロイさん」
こっちにはどんな子がいるんだろうな。楽しみだな。
その日はウキウキ気分でトレーニングをしていた。このウキウキは多分、レースの事だけじゃない。
(やっぱりトレーナーは私のことを信頼してくれてる。嬉しいな、嬉しいな)
トレーナーのこともあるね。間違いない。
不思議な人、トレーナー。彼の期待に、彼の楽しく走ってほしいという願いに応えられるように、頑張ろう。