とんでもないことが発覚したあの日から特に何かが変わったわけでもなく。いつものようにトレーニングをしてレースに備えていた。
(今更対応変える方が不自然だろ。別に問題はないわけだし)
カイザーの天秤が、本能に振り切れないように気を配る。それが今できる最適解と判断。ぶっちゃけ、それ以外にできることがない。悲しいことに、対処法がないってのが現状だ。おのれ【ガラスの身体】。もっと面倒くさくなりおってからに。
幸か不幸か、今のところ爆発する気配はない。トレーニングも普通だし、なんなら笑顔3割増しでお届けしている。
「ッチ、相変わらずふざけた奴だ」
「どうするの、ハーツさん。まだやる?」
今しがたハーツクライを併走で下したところだけども。汗を拭いながらカイザーを睨みつけるハーツと、挑発的に笑うカイザー。カイザーの場合はただ笑っているだけの可能性が高いが。
ハーツクライならば挑むかもしれん。そう思いすぐにでも動こうとしていたが、そうはならなかった。
「いや、今日のところは上がりだ。そうだろう? 榊トレーナー」
「お、おう。そうだな、今日のところはこれで終わりだ」
「そういうわけだ。お前に挑むのはまた明日にする」
意外にも聞き分けの良いハーツクライ。今までならば俺の言葉を無視してでも挑もうとしていたのに、成長したな。
それはそれとして、真意が気になるのでハーツクライに聞いてみることに。仏頂面で、心底納得していない表情を浮かべつつも。
「お前のトレーニングで結果は出ている。結果が出ているならば、今の状況を維持するのが適切であると判断した」
「あぁ、うん。とりあえずお前が今の併走結果を凄く悔しそうにしているのは分かったよ」
「そんなことはない」
俺の指示には従ってくれるらしい。居残り練習にオーバーワークもしないので、ありがたい限りである。ちょっとは信頼関係が築けているのかもしれない。
クラフトはもう問題なく。キッチリとトレーニングをこなして、ドバイから続いていた秘密のトレーニングも止めた。脚の炎症も治まって、ジュライカップに向けて頑張るだけ。
「あんまり張り切りすぎないようにな。まだケガ明けなんだから」
「も~、大丈夫ですよトレーナーさん。無茶はしませんって」
「前科持ちが言うことじゃないな」
「い、言わないでくださいよ!」
ポカポカ叩いてくるが加減してくれてるのだろう。全然痛くない。加減されてなかったら俺の胸が潰れること間違いなしだ。
と、まぁ。欧州遠征のトレーニングは順調だ。スピードシンボリや佐岳さんも笑顔を浮かべるぐらいには。
「みんな順調ですね。次のレースも好走が期待できそうです」
「直近ではラインクラフトのジュライカップと、カイザーのエクリプスステークス。7月末にはハーツクライのキングジョージだね」
「いやぁ、ラインクラフトもジュライカップに間に合いそうで何よりだ。一時はどうなるものかとひやひやしたからな」
佐岳さんの言う通りである。気が気でなかったし、こうして出走もできるようになって安心したのは言うまでもない。本当に良かったわ。
全てにおいて順調、というわけではなく。懸念事項もある。大体カイザーのことなんだけど。
「いやはや、しかしハレヒノカイザーは凄いな! プリンスオブウェールズステークスで5バ身差。普通出来ることじゃないぞ!」
「あー、そうっすね。うん、凄い」
「歯切れが悪いね、榊トレーナー。やっぱり、ドバイターフで言っていたことが気になるのかい?」
スピードシンボリの言葉に頷く。一応納得のいく回答は得られたものの、解決策は見つかってないのだ。気にもなる。
「まだ、納得できる回答を見つけられていないのか?」
「いえ、見つけられていないというか、むしろ答えがなかったというべきか」
「要領を得ないな。良ければ、話してくれないか?」
言われるがままに話す。とはいっても、あの時の一部始終を話すのではなく、カイザーを取り巻く状況が変化しつつあることを話した。
まず話題に挙げたのはファンのこと。これが一番重要なことだ。
「なんでアイツが勝ちに拘り始めたのかは分かったんですよ。きっと、ファンのためなんです」
「ファンのため、か。実に彼女らしいな」
「でしょ? いかにもアイツらしいっていうか」
ただ、それが良くない効果を及ぼしつつあるということ。ファンが期待すればするほど、アイツは応えようとすることを話す。最初は普通に聞いていたスピードシンボリたちも、徐々に眉間にしわを寄せ、難しい表情を浮かべ始める。
「ってなわけなんです。願えば願うほど、期待すればするほどアイツは応えようとしてしまう。それが、ハレヒノカイザーってウマ娘だ」
「……確かにな。それならば、今年に入ってから勝利に貪欲になったのも納得できる」
「クラシック時の彼女はそこまで注目を浴びていなかったからな。史上初の偉業を成し遂げても、同期にディープインパクトがいた」
今まではディープの陰に隠れていた。強力なライバルとして名を上げることはあっても、ディープの話題が出ればちょっと霞んでしまう。それぐらいの認識だった。
しかし、秋シニア三冠で明確に変わる。ゼンノロブロイを筆頭にした強豪ウマ娘をことごとく下し、有馬記念ではディープインパクトさえも破った。
カイザーの評価はうなぎ上り。特にディープインパクトを初めて負かしたウマ娘、というのが大きい。大量のファンが一気についた。
「ファンが増えたのは良いことです。良いことですが、今は悪いことの方が目立ってましてね」
「無責任に口を出す輩が増えたな。特に、レースのローテに対し物申すのが増えた」
佐岳さんも厳しい表情。仮にもこっちは専門職なんですけどね。なんで口を出してくるのやら。
それもあるが、最も懸念しているのはファンの期待だ。
「問題なのは、ファンからの期待ですよ。勝利を望んでいる彼らの期待がよろしくない」
「仕方ない。ファンならば当然の心理だ」
「そうですね、当然のことです。当然のことだけど、それがダメなんすよ」
首を傾げる2人に対し、俺は率直な感想を口にする。どうしてファンの期待を懸念しているのか、その理由を。
「ファンが悪いわけじゃないんですよ。スピードシンボリさんの言うように、ファンの心理としては当然のことです」
「なら、どうしてだ?」
「カイザーの場合、ファンの期待に応え続けることができるってのがダメなんですよ。アイツの途方もない才能が、最悪のかみ合いを実現しちまった」
断言しきってもいい。カイザーの才能は群を抜いている。前にクラフトですら比肩できないと言ったが、実際その通りだ。
カイザーほどの才能を持つウマ娘はそうはいない。同時期に同じだけの才能を持つディープインパクトがいるのがおかしいだけで、あれだけの才能を持つウマ娘は簡単には現れない。
負けを想像することの方が難しい。勝ち続けることで、いろんな夢を見るようになる。今の状況のように。
「アイツの才能は万人を魅了して狂わせるわけです。なんとなく分かるんじゃないですか? お2人なら」
思い当たる節があるのだろう。スピードシンボリたちは気まずそうに目をそらした。すいません、そんな意図はなかったんです。責めたりしたいわけじゃなくてですね。
別に悪いことじゃない。それだけの才能を持っているのがカイザーだ。
「カイザーに夢を見て、叶えられて。そしたらもっと大きな夢を見たくなって、カイザーが叶えて。無限ループしそうになっているんですよ」
これが答え続けることができる才能がダメな理由。ファンもカイザーも、歯止めが効かなくなってしまうのだ。
どっちかが止まればいいし、普通はウマ娘側が止まりそうなもんだが、そこはカイザー。止まることなんて知らないわけで。
「アイツは際限なく応えることができる。だからどうしたものかと、対処法がないんじゃないかと思いましてね」
「あ、あぁ……まぁ、うん」
「あたし様たちも身に覚えがありすぎるから、気の利いたことが言えないな」
本当にすいません。マジでそんな気はなくてですね。
カイザーを止めることはできない。ファンを止めることももちろんできない。八方塞がりな状況であることをお2人に話した。
「今の状況が続くとマジでヤバいんですけど、どうすることもできなくてですね。何かいいアイディアありますか?」
考え込む2人。表情が芳しくないところを見るに、あまり良い案が思い浮かんでいないのだろう。分かるわ、その気持ち。俺がそうだから。
(どっちを止めるのも無理に近いからなぁ)
どうしようもないよな、と考えていたら2人は俺のことをジッと見ていた。
ジッと、一点も動かさず。まるで俺が何かしたかのような目で、ってのは気のせいだろうが、間違いなく俺に何かあるんだろう。
「あ、あの。なんですか?」
思わずそう聞いた。そしたら。
「君はどう思っているんだ? その答えにたどり着いて、君はどうしたい?」
「そうだ。カイザーがこのまま突き進むのはまずい。それを知ったうえで、君は彼女になんて声をかけてあげるんだ?」
そう返ってきた。なんて声をかけるか、か。
これはもうやったな。その時の言葉をそのまま言えばいいか。
「お前の楽しく走る姿が好きだから、これからも楽しんで走れよってだけですね。そんぐらいしかできることないですし」
「そうか。うん、そうか」
なぜか優しい表情をするお2人。俺の肩に2人してポンと手を置く。
「それでいい。君のその言葉だけで、カイザーには歯止めがかかる」
「は? いやいや、そんなことあります?」
「あるんだ、これが。それだけ彼女は君に信頼を置いている。傍目から見たらな」
なんでそんな優しい言葉をくれるんですか。俺をからかってるんですか2人して。こんなんで本当に歯止めが効くのかカイザーに。絶対そんなことないと思うんだけど。
「君が思っている以上に、カイザーは君のことを信頼している。だからこそ大丈夫さ、榊トレーナー」
「待ってください。それってどういうことで」
「な~に大丈夫だ榊トレーナー! 君の正直な気持ちを伝え続ければ、カイザーはきっと大丈夫さ!」
だからなんでそんなこと言えるんですかねぇ。俺みたいに考えるのが面倒くさくなったんですか2人とも。
カイザーのことはこれぐらいか。後はハーツクライだが。
「キングジョージに出走するメンバーも固まりつつありますね。前年度の凱旋門賞ウマ娘も出てきますし、熾烈な争いになりそうだ」
「そうだな。厳しい勝負になるだろう」
「プリンスオブウェールズステークスに出走していたエレクトロランサムもそうだ。カイザーはいともたやすく撃破したが、彼女もまた強敵だ」
「ドバイワールドカップの覇者ですからねぇ」
一応ダートなのにな。芝とダートの二刀流は欧州にも存在していたか。
現時点において、一番メンバー的にキツいのはハーツクライだろう。カイザーは、うん。なんとかするでしょ。
スピードシンボリたちと今後の予定を立てていると、扉をノックする音が聞こえた。
「俺が出てきますよ。お2人は座っててください」
「あぁ、お願いするよ」
一体誰が来たのか。扉を開けると。
「いぇーい、トレーナー!」
カイザーがタックルしてきた。お前なんでここに来たんだい。クラフトと一緒に寛いでいたはずでは。
当のカイザーはめっちゃニコニコしている。なんか嬉しいことでもあったんか。このニコニコ具合はかなり嬉しいことがあったみたいだが。
「トレーナー、ご飯食べにいこー!」
「もうそんな時間か?」
時計を見ると、確かに良い時間だ。だとしてもわざわざ俺の部屋に来るとは。階も違うというのに。
ぶっちゃけまだ仕事はあるのだが、休憩もかねて行くのもいいだろう。中にいる2人に確認を取る。
「スピードシンボリさん、佐岳さん。カイザーがご飯誘いに来たんですけど、2人も行きますか?」
「ん? あぁ、そんな時間か。なら、お邪魔させてもらおうかな」
「あれ? スーさん達もいたんだ。なら一緒に食べにいこう!」
カイザーは相変わらずニコニコしている。思わずこっちも笑顔になるほどだ。
カイザーに連れられて食堂へ。クラフトやハーツクライも誘う予定なので、各々の部屋へと。
道中、スピードシンボリたちの会話が聞こえてきたのだが。
「こういうところなんだけどね、メイ」
「あぁ、こういうところだなスピードシンボリ」
なにが?