凱旋門賞は少しずつ近づいている。運命の決戦が、迫ってきている。
いろいろな思いを聞いた。
「スーさんもやっぱり、凱旋門賞には特別な思い入れがあるの?」
「そうだな……いろんな海外のレースに出たけれど、凱旋門賞はやはり特別だ。世界の頂点を決める戦いだからね」
スーさんのこと。手も足も出ずに敗れ、今も勝利するその時を夢見ていること。
「メイさんもそうなの?」
「あぁ。あたし様がプロジェクトを立ち上げようとしているのも、全ては凱旋門賞を勝つためだからな」
メイさんのこと。凱旋門賞は日本にとって特別なレースで、勝つことを至上命題にしていること。
近くにいる2人は、凱旋門賞が特別なレースであることを語ってくれた。今でこそ並ぶレースはたくさんあるけれど、やっぱり凱旋門賞は特別なんだって。私にはよく分からないけれど、凱旋門賞を勝つことは凄いことなんだって語ってくれた。
「ただ、あまり気負わないでくれ。君1人に背負わせるつもりはない、いつも通り走ればいい」
「そうだな。スピードシンボリの言うように、君はただ君らしく走ればいい」
そう言うけれど、2人はきっと凱旋門賞の栄誉が欲しいはずだ。なら、頑張らないといけない。だって、私にはできるから。
2人だけじゃない。ファンの人達もみんな、私の勝利を願っている。
SNSやニュースサイトを覗くと、たくさん目に入る。私に期待している声、勝利を望む声が。
【今度こそ日本勢の初勝利だー!】
【ハレヒノカイザーならできる!彼女なら勝てる!】
【頑張れハレヒノカイザー!日本期待の星!】
嬉しいね。こんな応援の声を聞いたら、私も力が湧いてくる。少し先の未来を想像して、嬉しくなる。
(これで私が勝てば、みんな嬉しいってことだよね? ううん、そうに違いない)
私が勝ったら、みんな嬉しそうにしていた。笑顔を浮かべて、私の勝利を喜んでいた。
みんなが笑顔だと、私も嬉しくなる。笑顔が笑顔を呼んで、幸せのスパイラルが起こる。なんて素敵な流れなのだろうか。これは一層頑張らなきゃいけない。
そんな凱旋門賞が近づいている中で、プイちゃんと2人、ホテルのロビーで話していた。
「もうすぐ凱旋門賞だね~プイちゃん」
「そうだね、カイザーさん。この前アイリッシュチャンピオンステークスがあったと思ったら、すぐだったね」
話題は勿論次のレースについて。私とプイちゃん、二度目の対決だ。
「前はプイちゃん調子悪そうだったもんね。これが実質初対決かもしれない」
「わ、忘れてカイザーさん! あの時はカイザーさんと走れる、って思ったらテンション上がりすぎちゃって……」
恥ずかしそうに顔を赤くするプイちゃん。あの時調子悪かった理由は、私とレースで走れるのが楽しみすぎて張り切りすぎたから、らしい。なんとも微笑ましくてプイちゃんらしい理由だ。
ま、その気持ちは分からなくもない。クラシックでは一度も戦えなかったし、ようやく走れるってなったんだから。そりゃあテンションが上がるというもの。かくいう私も、危うく自分を抑えきれなくなるところだったから。トレーナーがいなければ危なかった。
一度目の有馬記念は私が勝った。二度目の凱旋門賞はどうなるか。
(プイちゃんも凄く強くなった。きっと、私も全力で戦わないと勝てない)
スタートが上手くなった。スズさんに教えてもらったのもあるだろうし、私も教えたから。芝に関しても問題はない。愛チャンの圧勝がその証拠。
万全の状態のプイちゃんが、ほぼ不利がない状態で私に襲い掛かってくる。他の誰よりも脅威になるってトレーナーも言ってたね。私も、同意見だ。
「プイちゃん、どんどんスタートが上手くなるからね~。もう逃げウマ娘ぐらいにはできるようになったんじゃない?」
「う~ん、自分ではあんまり実感が湧かないけど、カイザーさんが言うならそうなんだろうね」
もっと誇っていもいいんだよ。確実に上手くなってるからね。このカイザーさんが太鼓判を押してあげよう。
お互いに凱旋門賞の思いを話す。楽しみだねとか、強い子がたくさん来るんだろうねとかいろいろと。
「私達、凄く期待されてるね」
「そうだねぇ。日本中のファンが期待していると言っても過言じゃないね」
「日本どころか、世界中だと思う。欧州でも、私とカイザーさんの対決に注目している」
現時点で欧州最強と呼ばれる私と、たった一度の走りでこっちのファンを虜にしたプイちゃん。欧州の強い子よりも、日本からやってきた私達2人に注目が集まっている。それにしても、私も日本のウマ娘なのに欧州最強とはこれいかに。今年はずっとこっちで走っているから当然か。
プイちゃんの目は真剣そのもの。私の目を真っ直ぐに見て、告げる。
「カイザーさん。私のトレーナー、文乃トレーナーは凱旋門賞のタイトルを欲している。私も、凱旋門賞のタイトルは欲しい」
プイちゃんの思いを、本気の熱を感じる。
「最大の障害になるのは、きっとカイザーさん。レースは楽しみだけど、勝利は譲らない」
私に真っ直ぐに指を突きつけて、プイちゃんは宣言する。
「本気の勝負をしよう、カイザーさん。私は全力でカイザーさんに挑むよ」
あぁ、なるほど。プイちゃんも望んでいるわけだね。私との、本気の勝負を。
(好都合、だね)
だって、私もそうするつもりだったから。
「うん。本気の勝負をしようかプイちゃん。私も、私の出せる全力で勝負をするよ」
「約束だよ、カイザーさん」
プイちゃんは笑みを浮かべている。私も、気づいたら笑っていた。
今度の凱旋門賞、楽しみだ。プイちゃんと全力の勝負ができる。
けれど、聞いておかないと。
(トレーナーの願いを。凱旋門賞をどうしてほしいのか、聞かないとね)
いつ聞こうかな、どのタイミングで聞こうかな? そして、なんて言ってくれるかな? 楽しみだな。
◇
トレーナーにいつ聞こうか迷っていたら、気づけば最後の追い切りが終わってしまった。うーん、中々タイミングが合わないね。あんまり他の子に聞かれるのもアレだし、機会を窺っていたらこんなことになってしまっていた。
その間もまたいろいろと。会長さんとテイオーさんがこっちに来たり、ヘリオスさんがパマさんとこっちに来たり。
「応援しに来たよカイザー! 凱旋門賞、頑張ってね!」
「パマちんに土下座かましてハレぽんの応援に来たぜうぇ~い! ハレぽん、ブチアゲかましていこうぜぃ!」
私の応援に来たみたい。わざわざフランスまで来てくれるなんて、嬉しすぎて涙が出てくるね。やっぱ最高だよ最高。
そして、トレーナーに話せないままここまで来てしまったんだけど、どうにか時間を作ることができた。
「んで、話ってのはなんだ? カイザー。もうすぐ凱旋門賞だけど、そのことか?」
「ま~そうだね。トレーナーに聞きたいことがあって」
夜の練習場。周りにはだれもいないし、みんなホテルに戻っているから大丈夫。私達以外に誰もいない。
星は、かろうじて見えるかな? 練習場の照明があるからちょっと見えづらいや。ま、いいや。大事なのはここからの話。
「トレーナー。君は私に、どう走ってほしい?」
「え、なにが?」
「凱旋門賞だよ。凱旋門賞、私にどう走ってほしいのかなって」
早速本題に。こういうのはあれこれ言っても仕方ないしね。トレーナーの気持ちを知るために、直球で聞くに限る。
トレーナーは分かりやすく困惑していた。そりゃ、突然こんなこと言われたら困るよね。
(それでも聞きたい。私のトレーナーは、私に何を願うのか?)
「変なこと聞くなお前。今までそんなこと聞いてこなかったのに」
「それだけ、この凱旋門賞は特別ってことで」
頭を掻きながら聞いてくるトレーナーに、淡々と返す私。実際この凱旋門賞は特別だ。
走るレースに拘りはない、その気持ちは嘘じゃない。ただ、この凱旋門賞はなんて言うか、みんなの思いが桁違いに大きい。だからこそ、私もそれだけかける思いが強い。
(期待が集まっている。私というウマ娘に、みんなが期待をしている)
ファンはきっと、私に勝ってほしいはずだ。勝つからみんな喜ぶし、負けたら悲しくなる。悲しくなるのは嫌だから、私は勝ちたい。
全力を出せば勝てる。プイちゃん相手でも、私は勝つことができる。あらゆるものを排斥して、100%勝利に傾ければきっと、私は勝てる。
その代償がどうなるかは分からない。けど、その先でみんなが喜んでくれるなら。
(構わない。だって、私は走れれば満足なんだから)
ちょっとでも走れればそれでいい。私はそれで構わない。だって、走れるだけで幸せなんだから。
トレーナーもきっと分かってくれるはず。
「私、約束したんだ。プイちゃんと本気の勝負をしようって」
「ほーん。まぁ一緒のレースを走る機会ってあんまりないからな。多いように見えて実は少ない」
「だよね。私もびっくりしたよ。これまで1回しか走ってないんだもの」
「それは俺のせいだから申し訳ございません」
私の思いを、汲み取ってくれるはず。
「しかし本気の勝負か。それなら好都合、なのか? いや、あんま変わらんな」
「なにが?」
「いやこっちの話。それにしても、凱旋門賞をどう走ってほしいか、か」
後はトレーナーの後押しだけだ。トレーナーが背中を押してくれれば、トレーナーが本気を出せと言えば、私は全力を出す。トレーナーの言葉が、私の力になるから。
待つ。凄くドキドキする。トレーナーからなんて言われるのか、トレーナーはなんて言ってくれるのか。ワクワクが抑えきれない。
トレーナーの灰色の髪が風で揺れる。私を真っ直ぐに見て、揺るぎない瞳で紡がれた言葉は。
「俺から言えることはただ一つだ、カイザー。お前は凱旋門賞を、全力で楽しめ」
「……ほへ?」
今までで一番理解が出来なくて、思わず呆けてしまった。
どういう、ことだろうか? 全力で、楽しむ?
「全力で走るとか、楽しんだ方がいいとか、どっちかに振り切ろうとするから悩む。だから、どっちもこなせカイザー。凱旋門賞を全力で楽しめ」
「え、え、えぇ?」
「ま~その表情も分かる。何言ってんだ俺、って感じだからな」
その通りだよトレーナー。本当に何言ってるんだろう? こればっかりは私も理解できない。
楽しむことと全力を出すことは両立できない。楽しんで走ったら全力とは言えないし、全力を出したら楽しむ余地はなくなる。
中途半端になると勝てなくなる。特に今回はプイちゃんがいるんだ。中途半端は一番よくない。
けれど、トレーナーはどこか確信めいた表情をしている。どうしてそんな表情をするのかは、分からない。
「カイザー。今走るのは楽しいか?」
何を言われるのかと思ったら、やっぱり私は楽しく走ってないと思われていたのかな。理解されてないみたいで、うん、悲しい。
「楽しいよ。前にもそう言ったと思うけど」
「だろうな。表情に出ることはなくなったが、お前の走るのが楽しいって気持ちは伝わってくるし」
あ、ただの確認だった。じゃあいいや。嬉しいな嬉しいな。
「じゃあカイザー。お前は、勝つことがファンの幸せにつながると思っているか?」
続く質問。勝つことがファンの幸せになるか、か。
「なるんじゃない? だって、私が勝ったらみんな嬉しそうにしているし」
「だな。それもきっと間違いじゃない。お前が勝てば、みんな喜ぶ」
本当にどうしたんだろうかトレーナーは。いつもと変わらないのに、なんでこんなことを聞くんだろう。
「じゃあ、お前が楽しんだうえで勝ったら、ファンはどう思う? 嬉しいと思うか?」
楽しんだうえで、私が勝ったら?
(うーん……どうなんだろう?)
少なくとも、喜んでくれるんじゃないかな。私が嬉しそうにしていたら、ファンも嬉しいはずだし。
「嬉しいと思うよ。笑顔の人を見たら嬉しくなるもんね」
「そう。俺が言いたいのはそういうことなんだよ!」
そういうことってどういうことなのか。聞き返す前に、トレーナーは。
「お前が笑顔で、楽しんで、その上で勝ったら。ファンのみんなはさらに笑顔になると思わないか!」
そう言った。考えもしなかったものだった。だって、絶対に両立できないものだと思っていたから。
トレーナーは自信満々だ。揺らがない、私ならできると信じている。
「だからこそ、全力で楽しむんだ。それにアレだ、考えてもみろ? 世界中の強いウマ娘が集まってくるんだぞ。こんな楽しいレースはないはずだ! 出走人数9人だけど」
「いろいろ台無しだねトレーナー。まぁ、トレーナーの言う通りだけど」
楽しそうで、私ならできると疑っていなくて。
「前例がないよ。マルさんでも勝ちに行ってたらしいし」
「前例がなけりゃ、お前が前例になればいい。いつの時代も、新しい道は挑戦が切り開くんだ」
「こんな大舞台じゃ、凄く難しいよ。それにプイちゃんがいる。私でもできるかどうか」
「できないならできないでいいさ。強制はしない。極論、お前が楽しく走ってくれればそれでいいからな」
他の人と同じなのに同じじゃなくて、トレーナーの信頼は、心地良くて。
「結局は理想論だよ。トレーナー、そういうの好きじゃないと思ってたのに」
「ま、確かにそうだな。否定はしない。けど」
屈託のない笑顔は眩しくて、どんな笑顔よりも見たいって思えて。
「理想だからこそ、現実になった時が楽しいんじゃねぇか。難しい理想が現実になれば、そこにはきっと素晴らしい景色が広がっている。夢が広がっていく」
「夢が、広がる」
少し先のことしか考えていなかった私に、新しい視点をくれた。遠い未来の視点を、凱旋門賞を勝ったずっと先の視点を教えてくれた。
「……ま、俺がやるわけじゃないんだけどな。走るのはお前だし、お前が嫌だって言うんなら、それはそれでいい」
「トレーナーっ」
「なんにせよ、次のレース勝てとは言わない。勝ってほしいとは思うけどな」
トレーナーが私に近づいて、ポンと頭に手を置いてくれる。暖かい、男の人の手だった。
「お前はお前のやりたいようにやれ。それが俺の願いだ」
「……」
「全部の後始末は俺がつける。だからお前は、凱旋門賞を思いっきり楽しんで来い! 俺が言えるのはそれだけだ」
笑顔でそう告げるトレーナー。私は、どうしたらいいのかよく分からなかった。