正直な話心配だった。結局バステ解消されてねぇし、カイザーもどう走ればいいのか分かってなかったし。そりゃ無理難題を言ってるわけだから仕方ないんだが、それでもカイザーならやれると踏んであぁ言った。
その心配は、最後の直線に入る頃には消えていた。能力をONにして目に入ってきた光景、今まで散々頭を悩ませていたバッドコンディション【ガラスの身体】。これが消えていたのだから。
(よし、よし! まさかのこのタイミングかよ! でも、これで!)
「フルスペックのカイザーが見れるっ」
直感だ。今までにないカイザーの強さが見れると。11秒台で走り続けながらもまだ余裕そうにしているアイツの、本当の強さが見れるのだと思うと身体が震えた。
さらには新しいグッドコンディションだ。これがまた凄い。
【無垢なる輝き】
運命を乗り越えた彼女が走るのは無限の未来
ガラスを乗り越えた今、羽ばたくとき!
相変わらず効果内容を教えろと言いたいが、これはきっとアレだ。もはやガラスの脚に怯える心配はないということだ。
(固有スキルという名の領域も解放されている。新しい進化スキルも出てきた。これはもうアレだ)
「もうアイツに身体の弱さはない。なにも、心配はいらない」
ようやく消えやがって。だが、もうお前に怯える必要はない。カイザーはもう、運命を乗り越えたんだ。
状況を整理すると、今カイザーは先頭で走っている。ただ、2番手以下との差はほぼないに等しい。
《最後の直線に入りました。先頭で入ってきたのはハレヒノカイザー、ハレヒノカイザーが先頭だ。しかし差はありません2番手に外からディープ、ディープインパクトが並んでくる! イリスウィールも並ぼうとしている、後方からタンペートクルールが伸びてきた伸びてきた!》
《パプテマスも来ているね。さらにはコネクトレールが凄い脚だよ!》
《コネクトレールが飛んできた、クラシック級ウマ娘のコネクトレールが猛追してくる! ハレヒノカイザーはどうだ? ハレヒノカイザー危うしか!?》
固まったバ群を引っ張るカイザー。その表情は。
「……ぷっ!」
「この局面で、なお笑うか、君はッ!」
「ウェーイ! やっぱハレぽんはこうでなきゃっしょ! バイブスブチ上げ、最&高の爆逃げかましてけ~!」
とても気持ちの良い、見ているこっちも笑ってしまうような笑顔だ。ドバイターフ以降、めっきり見なくなった表情を浮かべて、ロンシャンレース場の直線を走っている。
ファンは困惑していた。暴君のように冷たいレースを展開していたカイザーの、口を割って走る姿に驚いていた。
それでも最初だけ。気づけば全員笑みを浮かべ、最後の攻防に声を張り上げる。
「『もう少しよー、頑張ってー!』」
「『負けるんじゃねぇぞー! 欧州ウマ娘の意地を見せてやれー!』」
「頑張れカイザー! 負けないでー!」
応援の声に負の感情はない。目の前で繰り広げられる勝負に熱中している。推しウマ娘を純粋に応援し、握りこぶしを作って声を出す。まるで、子供の様に純粋に。
近くで応援しているカイザーの両親は泣きそうになっていた。笑顔で走るカイザーの姿を見て、感極まっているのかもしれない。
「カイザーっ、あなたはっ」
「……応援しよう、母さん! あの子を精一杯!」
「そうだよママ! 頑張れー、ねぇねー!」
最後の直線、凱旋門賞最後の戦いが始まる。
前に出ているカイザーは無敵に近い。ただ、やはりロングスパートできないという弱点は変わらない。これは身体の弱さもあったが、そもそもの筋肉の問題だ。
(スプリンターとかマイラーレベルの瞬発力を誇るカイザー。その分、ステイヤーのようなロングスパートは向かない)
類まれな速さで中距離を制することはできるが、長距離が難しい要因でもある。このロングスパートができないというのが、ここにきて牙をむいてきた。
他のウマ娘もそれが分かっている。だからこそ、ここで差を詰めてきた。
特にディープインパクトが顕著だな。アイツ、ロングスパートで一気に勝負を決めるつもりだ。
《ハレヒノカイザーに並ぶディープインパクト。しかしディープインパクトがここで前に出る! 残り400を切ったところでディープインパクトが前に出る! 先頭変わってディープインパクト、ハレヒノカイザーはさすがに苦しいか!?》
《レース前半から早いラップを刻んでたからね。だけど、まだ終わりじゃないって信じてるよ!》
《イリスウィールも伸びてきている、ハレヒノカイザーに並んだ並んだ! パプテマスはどうか? パプテマスはすこし苦しいか! コネクトレールも来ているぞ!》
先頭が変わる。ディープインパクトが前に出る。カイザーにとって、最悪に近い状況を生み出してしまった。
詰みだ。カイザーとディープのスピードは互角、前に出た方が有利になる。今前に出ているのはディープで、スピードは落ちてこないだろう。ハイペースで流れていたが、スタミナはちゃんと残しているはずだ。
ここから逆転する手はない……これまでならば。
(さぁ、羽ばたけ)
今は違う。まだ、カイザーすら知らない未知の世界の扉が待っている。
空気が震えるのを感じる。
「いけ、いけ」
新たな息吹が聞こえてくる。
「走れ、そして」
カイザーの真骨頂が、ハレヒノカイザーの神髄が!
「世界を笑顔にしろ、カイザーッ!」
アイツが誇る天性のスピードが今、ここで開花する!
カイザーの纏う空気が一変した。周りの空間が震えてるんじゃないかと錯覚するほどの圧、それでもなお笑顔で走るカイザーの姿。
言葉が出ない。あえて口にするのであれば。
《残り200m! ここでハレヒノカイザーのスピードが上がったぁぁぁ! ディープインパクトにあっという間に並ぶ、瞬きの間に並んだ! いつの間に来ていたんだ君は!? ハレヒノカイザーがディープインパクトに並んで、ない! 並ぶ間もなく躱した!》
「は、速いっ」
速い。思わず口から漏れ出るくらいに、カイザーは速かった。今まで見てきたどんなウマ娘よりも速く、これから先も並ぶウマ娘は現れないんじゃないか。そう思わせるほどに、カイザーは速かった。
「は、速すぎる。これがカイザーの、全力かっ!」
「……飛躍進展。私の枷を引きちぎって、走れ! カイザー!」
スピードシンボリとシンボリルドルフもこの言葉。彼女達ですら想像もしていないような速さを今、カイザーは発揮している。
ディープインパクトを一呼吸の間に躱した。一瞬呆気にとられていた文乃先輩だが、すぐさま檄を飛ばす。
「っ負けるなディープ! 君が掴む栄光は、もう少しだっ!」
彼女が信じるのはディープインパクトの勝利。俺が信じるのは、カイザーの勝利だ。
「勝てー、カイザー! お前が頂点に立つんだぁぁぁ!」
他のウマ娘も伸びてくるが、カイザーのスピードには敵わない。残り100m。どちらが勝つか。
《ハレヒノカイザー先頭だ、ハレヒノカイザーが先頭だ! 残り100を切って1バ身の差、1バ身の差! ディープインパクトが必死に追いすがる、3番手以下を引き離してディープインパクトが並ぼうとしている! ハレヒノカイザーかディープインパクトか。日本のウマ娘2人の激突だ!》
《どっちが勝っても全くおかしくありませんよ! 他の子達も頑張れ!》
応援の声がより一層大きくなる。勝てと誰もが声を張り上げる。
「『もうちょっと、もうちょっとよー!』」
「負けるなー! 頑張れー!」
「『くっそー、後もう少しなんだから頑張れー!』」
勝て、負けるな、頑張れ。いろんな応援の声が響き渡る。残り100mの戦いを繰り広げる彼女達の背中を押す。
譲らないカイザー。追いすがるディープ。少しずつ、少しずつ差は縮まっていく。縮まっていくが。
《ハレヒノカイザーだハレヒノカイザーだ! フランスのロンシャンに、笑顔の太陽が君臨するハレヒノカイザー1着だぁぁぁ! 恐ろしい速さ、どこにそんな力を残していたのか! これがハレヒノカイザーの実力だァァァ! 2着は半バ身差ディープインパクトォォォ! 日本勢のワンツーフィニッシュだァァァ!》
1バ身の差を埋めることはできず。凱旋門賞を勝ったのはカイザーだった。
◇
揺れるロンシャンレース場。勝者であるカイザーを祝福するように、喝采の拍手が鳴り響いている。
称賛の声、感激の涙。今、凱旋門賞が決着した。
涙を流す佐岳さん。佐岳さんの肩を抱いて、自分も涙を流しているスピードシンボリ。
満足そうに頷いているシンボリルドルフ、シンボリルドルフの肩を揺らして大喜びするトウカイテイオー、観客を扇動して盛り上げるダイタクヘリオス。
感涙しているカイザーの両親、手を叩いて拍手をしているブランポラリス、笑顔でカイザーに手を振るクラフト。
俺は今、最高の気分だ。
(これだけの人数を笑顔にした。カイザーは、世界一のウマ娘だ!)
やっぱカイザーは笑顔で走ってなんぼだ。笑顔で走るカイザーの走りが、俺にとっての一番。凱旋門賞で改めて認識した。
ロンシャンレース場に集まっている全員が笑顔になっている。このレースを見れてよかったと、心の底から思っているに違いない。
(にしても、本当に両立するとはな。やっぱ天才だわ、アイツ)
楽しく走ることと全力で走ること。相反する2つの走りを組み込んで、見事に走ってくれた。見事という他ない。
いろいろと考えることがあるが、今はひとまずアイツの下へ。今なお空を見上げているカイザーへと近づく。にしてもアイツ、何かあったのか?
(さっきからずっと動かないし、空を見ているだけ。まさか、ケガでもしたのか!?)
マスクデータでガラスの身体が残ってたとかだったらぶん殴るぞ。誰を殴るかは分からんけどとにかく殴るぞ。
どうか違っててくれとちょっと駆け足気味にアイツのところに行き、声をかける。
「やったなカイザー、おめでとう!」
そう声をかけるが、アイツの反応はない。聞こえなかったのかと思い、さらに大きな声でアイツの名前を呼んだ、その時だった。
「トレーナー」
ゆっくりと、アイツは俺へと顔を向けてきた。赤い瞳が俺を真っ直ぐに捉えている。
吸い込まれそうな瞳。もはや慣れたアイツの目に俺は物怖じしない。笑顔でアイツに対応する。
「おう、どうした? お前、勝ったのが嬉しすぎて放心して」
言い切る前に、カイザーがこちらへと助走を取ってきた。何をするつもりだ、とかとりあえず抱き留める準備をしておくか、と身構えていた俺に繰り出されたのは。
「ん」
「ッ!?」
唇に押し付けられる、柔らかい感触。咄嗟のことで反応できず、俺の身体はロンシャンレース場のターフへと沈む。カイザーに押し倒される形になった。
あー、うん、アレ? 何されてるんだ、俺は?
覆いかぶさるアイツの身体。さっきまで走ってたから汗ばんでいるとか、ウマ娘の身体柔らかいとか、勝負服の生地ってこんな感じなんだなとか考える。てか、そう考えないとやってられない。
(待て、待て。俺は今、カイザーに何をされた? てか、何をされている!?)
おかしい、何もかもがおかしい。なんでだ、なんで俺はカイザーに現在進行形で覆い被さられている? なんでアイツの顔がドアップで写っていて、俺は地面に押し倒されているんだ?
いや、そりゃ仕方ない。ウマ娘の力は成人男性じゃ敵わない。俺が押し倒されるのも仕方ないってもんだ。うん、この状況にも納得がいくって納得できるわけないだろなんで押し倒されてるんだよ俺は。
(なんで俺はカイザーに押し倒されてキスされてんだ! なんだ、何がどうなっている!?)
てか周りがヤバくないか? なんか、黄色い声も混じってないか? クラフトの悲鳴みたいなもんも混じってないか? 本当に今どうなってんだ。
つかカイザーもカイザーだ。お前いつまで俺にのしかかってんだよ。早くどいてくれよ。本当にどいてくれ、息がちょっと苦しいんだ。お前の口で塞がれてるようなもんだから。
(いつまでやってんだ! 早くどいてくれ!)
ジタバタもがくが、当たり前のようにびくともしない。ウマ娘の力が強すぎる。しかも腕をがっしりとホールドされてるから余計に力を込められない。クソ、なんでこう完璧な体勢を作ってるんだコイツは。
それからどれだけ経ったか? 多分そこまで経ってないんだろうけど、俺にとっては永遠に近い時間が流れていた。
「ぷはっ」
ぷはっ、じゃないんだよ。なんでお前俺を押し倒してるんだよ。そして、なんでそんな最高の笑顔を浮かべているんだよ。
何を言うのか。俺を見下ろしているアイツの顔をジッと見る。抗議の意味もたっぷりと込めて。マジで美人だなカイザー。
「トレーナー、君のおかげだよ。君の力があったから、私はここまでこれた」
そうか。だったらすぐにでも離してほしい。いまだにロンシャンレース場から黄色い声が止まないんだ。クラフトの抗議するような声が俺の耳に入ってくるんだ。
「私一人じゃ、ずっと迷っていたままだった。あの領域に、到達することはできなかった」
カイザーは、屈託のない笑顔で俺に告げる。
「君は私の、運命だったんだね」
無垢な少女の笑顔。余計な雑念のない、見惚れるような表情だった。
(……ったく、んな表情されたらなんも言えねぇわ)
押し倒されたこととか抗議したいことはたくさんあるが。今はひとまず横に置いておこう。
俺がやるべきことは。かけるべき言葉は。
「お疲れさん、カイザー。よく頑張ったな」
お疲れさまと、労ってやることだ。
世界一を決める舞台、凱旋門賞。レースを制したのは、カイザーだ。