えー、はい。俺は今とんでもない現場を目撃しております。いや、あんなん想像できるかマジで。
事の発端は年末の有馬記念に向けて、敵情視察がてらジャパンカップを観戦しに来たこと。最大のライバルとなるディープインパクトが出走するこのレースを見よう、とみんなで見に来たわけだ。
カイザーとクラフトと一緒に見学。余談だが、クラフトはマイルチャンピオンシップをしっかりと勝利した。ダイワメジャーにダンスインザムードといった強豪をしっかりと下し、スプリントとマイルの2つで女王の名を手にする。良かったね。だからといって俺に抱き着いていいわけじゃないぞ。身構えていなければ避けられなかったぞ。
3人でレースを観戦。まぁディープインパクトが勝つでしょ、と予想を立て、山盛りのレース飯を食べているカイザーを横目に楽しく見ていた。
その楽しい気持ちは、ものの数秒で消し飛んだわけだが。
《な、なんとディープインパクトのロケットスタートだ! スタートが苦手な彼女のロケットスタート、ハレヒノカイザーはいないのに完璧に決めてみせた! ディープインパクトのロケットスタートが決まったぁぁぁ!》
いや、うん。なんで君がロケットスタート出来てるんだい。凱旋門賞の時はできなかったし、ジャパンカップまで1ヶ月ちょっとしかなかった気がするのですが。その1ヶ月でモノにしたとでも言うんですかね。
(ありえねぇだろ!? カイザーがいとも簡単にやってのけてるから忘れがちだけど、普通は無理だぞ!)
ディープインパクトが普通じゃないと言われればそれまでだが、このロケットスタートは本当に予想外だった。あんなにスタート下手で、下手すぎるが故に追込で走らざるを得なかったディープインパクト。そのスタートが、カイザーに並ぶレベルまで来た。これはとんでもないことである。
「ちょちょ、ちょっと! あれってカイザーさんのロケットスタートですよね!? ディープさんいつの間に!」
「俺にも分からん。分からんけどとりあえず腕に抱き着くのを止めてくれクラフト」
「嫌です」
これにはクラフトもびっくり。というか東京レース場のファン全員が驚いていた。そりゃそうなるわ。あまりにも予想外すぎる。
が、ロケットスタートを可能にしている一人、カイザーは特に驚いていなかった。嘘だろお前。
「ま~プイちゃんならやれるよね。我慢さえできれば、スタートの悪さを改善できるんだもの。私と同じスタートを切るなんてわけないよ」
嘘だろ。気性の問題をそんな簡単に改善していいのかよ。
「スズさんもできるようになったみたいだし、ドリームトロフィーで走る時が楽しみだな~。スズさんとは適性距離一緒だし、凄く楽しそう!」
衝撃の情報がさらに解禁された。なんとサイレンススズカもロケットスタートが可能になったらしい。なんだこれは、ロケットスタートのバーゲンセールかよ。普通出来ないことなのに、なんでこんな簡単にやれるんだよ。
思いつく答えは一つ。というか、これしかない気がする。
(3人は走るの大好きな似た者同士だからか? なんとなく気持ちが分かるから、だからみんなロケットスタートできるんか?)
荒唐無稽な話だが、もう今更な気がする。そうとしか説明がつかない。天才ってのは常識で測れないものだと認識するしかない。
結果は、まぁ。ディープインパクトが普通に勝ったよね。
《その強さに陰りなし! これが【英雄】の強さだ! ディープインパクトがジャパンカップを7バ身差で制しました! 圧倒的強さ、圧倒的速さ! 次のレースに向けて、万全の態勢を整えていますディープインパクト!》
一応今年のクラシック二冠ウマ娘とか、欧州から挑戦しに来た海外勢とかいたんだけどなぁ。なんだったらウマ娘にもいたフサイチパンドラもいたし。それら全員を一蹴して、ディープインパクトは逃げ切り勝ちを飾った。
とはいえ、今回のジャパンカップに限れば、付け入る隙は多い逃げだった。簡単に言えば、見るからに逃げ慣れていない感じがする。
(今回が逃げ初挑戦だからか、技術的には拙いな。走ったことがないから仕方ないかもしれないが)
逃げにも技術が必要。その点ディープインパクトの逃げは、力任せの逃げだった。己の能力に頼った逃げ、結果的に逃げになったみたいな感じの走り。見る人が見ればすぐに気づけるほどのもの。それで7バ身差勝ちは大概おかしなことしてるんだけど。
なら次は対策できるだろう、なんて甘い考えはできない。理由は当然、ディープインパクトの才能だ。
(ロケットスタートを即座にできたんだ。逃げの技術もすぐに吸収して自分のモノにするに違いない。次の有馬記念では完璧な逃げにしてくるだろうな)
本当に凄いね、天才って奴は。カイザーもそうだけど。
なお、その天才2人はというと。
「楽しもう、カイザーさん!」
「楽しもうね、プイちゃん!」
同じタイミングで、全く同じことを口にしていた。微笑ましいね、仲良いね。
(有馬記念のことだろうな。なんにせよ、どうなることやら)
進化を遂げたのはカイザーだけじゃない。ライバルであるディープインパクトもまた、凄まじい速さで進化している。そう思わされたジャパンカップだった。
◇
後日、改めてカイザーの引退レースとなる有馬記念に向けて、情報を精査することに。ソファに座りつつ、現時点で分かっていることを共有していく。
「まずはディープインパクトだな。出走を表明しているメンバーの中で、一番の強敵になるのは間違いなくディープだ」
「プイちゃん逃げもできるようになったよね~。凄い凄い」
本当なら凄いで済ませられることじゃないんだけどな。本題には関係ないからツッコまないけど。
「後はスイープトウショウにダイワメジャー、ここはもう鉄板だな。クラシック二冠ウマ娘の子もジャパンカップに引き続いて参戦、ハーツクライ世代の菊花賞ウマ娘も参戦だ」
「やっぱり、有馬記念は豪華ですよね。名だたるメンバーが集まってます」
クラフトの言う通り、今年も例年に負けず劣らずの豪華メンバーが出走を表明している。冬のグランプリレースは伊達ではない。
その中で最も注目されているのは、やはりカイザーとディープだ。今の段階の投票も、ほぼ2人に票が集中している。というか、約2/3の票がカイザーとディープに対するものだ。多すぎじゃね。
気持ちは大変分かる。日本初の凱旋門賞ウマ娘で現状無敗のトゥインクル・シリーズ最強ウマ娘。その最強ウマ娘以外には負けたことがない、ジャパンカップで圧倒的なパフォーマンスを披露した無敗の三冠ウマ娘。ディープに関してはハーツクライに先着されてはいるものの、依然として評価は高い。票が集まるのは必然というもの。
なので、カイザーとディープに関してはほぼ確定で出走できるだろう。なにも問題はない。
流れで対策会議に。とはいっても、対策するのは一人だけだ。
「ジャパンカップでディープインパクトは逃げができるようになった。次のレースもまた、ディープは逃げで来るだろう」
「その心は?」
「カイザーの近くで長く走れるから」
ディープインパクト。逃げもできるようになったあの英雄を、俺達は最優先で対策する。これはもう決定事項だ。
他のウマ娘を侮っているわけじゃない。だが、ディープに勝たなければ有馬記念は勝てない。俺はそう睨んでいる。
「そもそも、アイツはロケットスタートができる。カイザーと同じスタートが切れるってだけで、最優先で対策しなきゃいけない」
「他の子達は優位に立てたけど、ディープさんには五分の勝負になる、ってことですもんね」
「そういうことだ」
ロケットスタートの優位性がなくなる。それだけでも結構な痛手だ。勝敗を左右する、なんてレベルではないが、武器が一つ潰されたも同然だから。
「今までは簡単にハナを取ってましたけど、序盤からハナの取り合いになりますもんね。相手はあのディープさんですし」
そう口にするクラフトだが、それはちょっと違う。俺は、ハナの取り合いにはならないと予想している。
「いや、ハナ自体は今まで通り取れるだろう。問題なくな」
「え? どうしてですか?」
首を傾げるクラフト。これに関しては、持って生まれたものの違いだ。
「カイザーはスプリンタータイプで、ディープがステイヤータイプのウマ娘だからだ。簡単に言えば、瞬発力の差だな」
「瞬発力の差……あっ! そういうことですね!」
すぐに理解したようだ。言葉にすればすぐに分かるからな。
カイザーは瞬発力に優れている。少ない歩数でトップスピードに乗ることができ、他のウマ娘よりも一歩早く先に進むことができる。これがカイザーの強み。
対してディープは持続力に優れている。トップスピードに乗るまで時間がかかるが、その分最高速度を維持するのが他よりも優れている。これがディープの強み。
どちらにも有利な点があって、不利な点がある。ことスタートに限れば、カイザーの方が有利だ。
「スタートからスピードに乗るまで、ディープは時間がかかる。元がステイヤータイプだからな。カイザーよりも時間がかかる」
「私はどちらかと言えばスプリンタータイプだからね。プイちゃんよりも早く、トップスピードに到達できる」
「これに関してはどうしようもない。才能の差というよりも、持って生まれたものの違いだ」
だからこそ、カイザーの弱点は存在しているわけだ。ロングスパートができないという弱点が、な。その弱点を補うかの如く、巡航速度がイカれてるんですけどね。弱点ほぼないやん。
スタートのハナの取り合いはカイザーに分がある。だが、道中に関してはディープの方が分がある。
「相手はステイヤーだ。距離が伸びれば伸びるほど有利になる。逆に、カイザーは不利になるな」
「今までの最長が有馬記念の2500mだからね。プイちゃんみたいに3200を走ったことはないし」
「でもでも、欧州のレース場走り切ってましたし。ステイヤー並みのスタミナはあるんじゃないですか?」
クラフトの言うことはもっとも。だとしても、ディープ相手にスタミナ勝負は分が悪い。あっちの方が優れているのは明白だ。
(巡航速度でどうにかするしかないな。出せる平均的な速度はカイザーの方が上だし、それでディープのスタミナを削れるのを祈るしかない)
「それに、ディープさんって逃げの経験ないですよね? なら、カイザーさんの方が技術がありますし、それでどうにか」
至極真っ当な意見を口にするクラフト。その言葉に、黙って首を横に振る。
「クラフト。ディープを担当している文乃先輩のチームにはサイレンススズカがいる。サイレンススズカが、逃げの技術を教え込むだろう」
「……あっ。そ、それに、ロケットスタートをすぐに会得したから」
「あぁ。逃げの技術が拙い、なんてことはまずない。完璧な状態に仕上げてくるはずだ」
本当にさぁ、最初から最後まで頭を悩ませてくれる。厄介な奴だよ君は。
さて、これまでいろいろと説明したわけだが。
「カイザー。有馬記念の件だが」
「うん、なに?」
ワクワクと、なにかを期待しているような目。なんでそんな目をしているのかは分からないが、俺から言うことは決まっている。
「ディープインパクトが逃げで来るってことは、お前の近くをずっと走るってことだ」
「そうだね。それがどうかしたの?」
「思いっきり楽しんで来い。間違いなく、これまでのレース史上一番楽しくなるだろうからな」
カイザーとディープはソウルメイト。お互いがお互いの実力を引き出してきた。これは間違いない。
なにより、カイザー自身ディープと走るのは楽しんできた。自分の限界さえも忘れて走り出してしまうほどに。
もうカイザーは限界を出しても問題ない。彼女を縛る枷はなにもない。ならば、思いっきり楽しんで走ることこそが正解。
今回に限れば、最初から最後までディープが近くを走る可能性がある。そうなれば、楽しいって気持ちを抱きながら走れるはずだ。
(現に今もニコニコしてるからな。走るその時が楽しみで仕方ないって顔してら)
だからニコニコ顔で俺に詰め寄らないでもらえるだろうか。凱旋門賞の一件があって以来、俺には警戒心が芽生えているのだから。間違いなくなにかするつもりだろ。
「勿論。楽しんで走ってくるよトレーナー。それにしても」
「それにしても、なんだ? 俺との距離をどんどん詰めてくるのと関係してるのか?」
「君は私のことをよく分かってるね」
0距離まで接近してきて、そう呟いた。やることなすこと全部近いね君は本当。ASMRみたいな感覚だよ。
これで決まり。後は本番まで待つだけだ。
最後のやり取りでそういうとこだよ君みたいな表情で見ている大人組はいる。