日本のトレセン学園。とある教室にて、ラインクラフトの嘆きが響く。
「シーザリオ~! トレーナーさんに会いたい~!」
「まだ1ヵ月しか経ってないよ? クラフト。もうちょっと粘ろう?」
「やだやだー! 会いたい会いたいー!」
「スイープトウショウさんみたいになっていますね」
嘆きの内容は、トレーナーに会いたいというもの。手足をジタバタさせているクラフトを、シーザリオたちがなんとか宥めようとしている。
彼女のトレーナーである榊幸光は、海外に研修中。後5ヶ月は戻ってこない。
まだ1ヵ月しか経っていないのに、こんな調子で大丈夫かとクラフトを叱咤する。
「毎日電話はしてくれるんでしょ? なら別にいいじゃない」
「トレーナーさんとの電話、毎日20分もしてくれないんだもん……」
「20分も結構長いと思うのは私だけですか?」
「そもそも、時差もあるのに電話をしてくれるだけでもありがたいじゃない」
デアリングハートが至極真っ当な意見をぶつけるが、納得いかないのかラインクラフトは唸る。トレーナーに会いたいという欲が限界を突破しようとしていた。
挙句の果てには。
「こうなったら、わたしもアメリカに行こう!」
「バカなこと言ってないで、授業の準備でもしてなさい」
「クラフト、さすがにそれは榊トレーナーに迷惑がかかるから止めようね?」
「クラフトさんならやりかねないのが怖いですね」
自分もアメリカに行こうとする始末。それほどまでにトレーナーである榊に会いたいと熱望していた。
(仲が良いのはいいこと、なんだけど)
(ちょっと暴走してるわね。恋の暴走特急、ってところかしら?)
(ですが、我慢してもらわないといけません。ただでさえ授業態度に影響も出始めているのですから)
ちょっと微笑ましく思うが、さすがに我慢してもらわないといけない。
そのためにシーザリオたちが取った策は、構ってあげること。彼女の話を聞いてあげることだ。
普段よりもいっぱい彼女の話を聞いて、寂しくならないようにと一緒に遊ぶ。トレーニングが休みの日も、榊トレーナーのことが頭に入らないくらい、遊ぶことも珍しくなかった。
とはいえ、やはり寂しいものは寂しいのかこうなる。
「榊トレーナーのこと大好きなんだね、クラフト」
「うえっ!? そ、それは、も、もちろん、そう、だけど……ぉ」
「今更恥ずかしがらなくてもいいじゃない。クラフトが榊トレーナーにLOVE! なのは周知の事実なんだから」
「で、でも! 恥ずかしいものは恥ずかしいよぉ」
そんな彼女の様子を微笑まし気に笑う。日常になりつつある光景だった。
ただ、気がかりが1つだけある。
「カイザーさんは凄いなぁ。わたしと同じくらいトレーナーさんのことが好きなのに、全然表に出さないんだもん」
「……確かに。カイザーがクラフトみたいになってるなんて話は聞いたことがないわね」
「いつも榊トレーナーに引っ付いてたのに、自制心が凄いですね」
ハレヒノカイザーのことだ。彼女も榊トレーナーのことが大好きなウマ娘。ラインクラフト同様、アメリカに行こうとしてもなんらおかしくないウマ娘である。
なんなら凱旋門賞で公開キスまでした彼女。暴走して気づいたらアメリカにいた、なんてことが起きていても不思議ではないのだ。
しかし、彼女は普段通り学園に通っているし、ラインクラフトのように駄々をこねているなんて話も聞かない。いつも通りに授業を受けて、トレーニングをこなす。
全くといっていいほど表に出さない。鋼の自制心で、トレーナーに会いたい気持ちを抑えている。
「やっぱり凄いなぁカイザーさんは。わたしはもう我慢できないのに」
「ほら、クラフト。カイザーだって我慢しているんだから、あなたも我慢できるでしょう?」
「うぅ~……はぁい……」
カイザーができるのだから自分も。模範的な相手がいることで、ラインクラフトも我慢しようと思えた。
これにて一件落着、かと思えば。
「どうされましたか? シーザリオさん。なにやら浮かない表情をしていますが」
「うぇっ!? そ、そうかな? そんなことないと思うけどっ!」
「分かりやすいくらい態度に出ているわね。なにかあったの?」
シーザリオの反応がおかしいことに気づく。少し挙動不審であり、話を振られたら見るからに慌て始めた。
これは怪しいと全員が詰問しようとする中。シーザリオは話の矛先を変えることを考える。
「そ、そうだ! アメリカのウマ娘さんって、どういう子が多いんだろうね! ハートはなにか分かるんじゃないかな!?」
「露骨に話題を変えたわね。まぁ……Bigな子が多いかしら? ヒシアケボノさんみたいな子も珍しくないわ」
「むっ! もしかしたら、トレーナーさんがわたしとカイザーさん以外の子に目移りしちゃう可能性が!」
「どうでしょう? なくもないと思いますが」
「ないと思うけどな~! うん、私はないと思うよ!」
「なんでそんなに焦ってるのよシーザリオ。なにか気になることでもあるの?」
結局、シーザリオがこの日口を割ることはなかった。頑なに話題を逸らし続け、口をつぐんでいた。
(い、言えるわけない……カイザーさんは、クラフト以上にヤバいなんて……っ!)
そう。あの日のハレヒノカイザーの姿を。
なんでもないあの日。シーザリオは見てしまった。
(アレは、カイザーさんにディープさん?)
ハレヒノカイザーとディープインパクトが運動場で走っている姿を。仲良さそうに、いつまでもどこまでも走って行きそうな姿を目撃した。
それ自体は別に珍しいことではない。仲の良い2人が仲良く走っているだけであり、微笑ましさは感じるが疑問を抱く光景ではない。
シーザリオも長居する気はなかったので、立ち去ろうとした。その時、2人の会話が耳に入ってきたのである。
「そういえば、榊トレーナーの調子はどうなの? カイザーさん。そろそろ1ヵ月経ちそうだけど」
「ん~? 絶好調って聞いてるよ。なにも問題なく過ごせてるって」
アメリカにいる榊トレーナーについて。立ち去ろうとした脚は気づけば動くのを止め、2人の会話に聞き耳を立ててしまう。
(ちょっと気になるよね。カイザーさんの口から出てくる、榊トレーナーの情報)
あまり耳にすることのない情報。好奇心に駆られたシーザリオは、2人の会話を聞き逃すまいと神経を研ぎ澄ませた。
内容自体は特段変わったものはない。
「アメリカのバーベキューが凄いんだって! お肉も全然違うみたい!」
「ウマチューブで私も見たことあるなぁ。そもそも、バーベキューの概念自体、日本とは違うんだよね?」
「うんうん! いいな~、私も食べたいな~」
食事の話だったり、向こうのチームにもよくしてもらっていることだったり。とにかく研修が順調であること以外は出てこない。
(ふふ、クラフトと一緒のこと言ってる)
食事に関しては、ラインクラフトも同様にバーベキューを食べたい旨の発言をしていたので、同じことを喋っていることに微笑ましさを覚えた。
ここまでは別に何でもなかった。問題は、ここからである。
「あ~でも、最近とある子の面倒をよく見ているらしくてね」
とある子、と聞いて、シーザリオの頭に浮かんだのは疑問。
(とある子? クラフトの話は出てきたことないけど)
アメリカで面倒を見るようになった子の話は聞いたことがない。ラインクラフトのことだから真っ先に口にしそうなことを、シーザリオは一度も聞いたことがなかった。
思わず前かがみになるほど身を乗り出す。興味は一気に件の子へと注がれていた。
「とある子って、なんて子なの? その子は速いの?」
「えっとね~、ロードライトガーネットって子。写真もあるよ……ほら、この子」
「うわ、すっごく大きいね。アメリカのウマ娘でもここまで大きい子は見たことないかも。それで、速いの?」
「速いらしいよ。向こうの有望株なんだって」
何故最初に聞くのが速いかどうかなのか、今更疑問に思うこともないシーザリオ。まぁハレヒノカイザー達だし、で済ませた。
(ロードライトガーネット……聞いたことないかも)
出てきた名前には聞き覚えがない。全く未知のウマ娘の名前が、ハレヒノカイザーの口から出てきた。
写真は見えない。シーザリオは隠れているので、飛び出すわけにはいかない。どうにか想像で補うしかなかった。
「榊トレーナーよりも大きいね。身長どれくらいなんだろう?」
「2mって言ってたかな? トレーナーよりもずっと大きいよ」
「2m……走ってみたい」
「後、凄いのんびり屋さんでワガママなんだって。やる気出させるのに苦労してるって言ってた」
出てきた情報から想像するに、かなり大柄なウマ娘。成程、ラインクラフトに伝えるべきではないと瞬時に判断した。
そして、その時が訪れる。
ぞくりと。背中に氷を入れられたかのような悪寒が、シーザリオを襲う。
(!? な、なにっ!?)
思わず後ろを振り返るが誰もいない。周囲を警戒するが、変わらぬ景色が広がるだけだった。
気のせいか。そう思いハレヒノカイザー達へと視線を向け──絶句する。
「でも、トレーナーがアメリカでこんな子に手出ししてたなんてね」
ハレヒノカイザーの声色は何も変わっていない。普通に、楽しそうに、弾んだ声で話している。
「なんでも、ご飯とかいつも一緒に食べてるんだって。仲良いよね~」
「榊トレーナーって、距離の詰め方が上手だよね。踏み込まない時は踏み込まないし、踏み込む時は凄く大胆だし」
ディープインパクトも笑いながら会話をしている。気づいてスルーしているのか、それとも天然でスルーしているのか。
シーザリオは腰が抜けそうになっていた。
「うんうん。トレーナーは優しいからね~。ついつい甘えちゃうこともあるよね」
今まで見たことがないハレヒノカイザーの表情。声だけは楽しそうなのに、表情だけは。
「でも、そうだな~。このままアメリカに住んじゃうことになったら困るよね。うん、困る困る」
ピクリとも動いていない。なんとも器用なことに、彼女は声だけ楽しそうにして表情は張り付けたような笑顔を浮かべているのだ。
恐ろしいのはプレッシャー。とんでもない独占力を発揮しており、距離があるはずのシーザリオが腰砕けになるほどの圧を放っている。
(じ、ジャパンカップで走った時とは比べ物にならないほどのプレッシャー……! まだまだ先があったというのか!?)
思わずONになるシーザリオ。ハレヒノカイザーから発せられる重圧に、耐えきれなくなりつつあった。
表に出していないだけだった。心の底では、ラインクラフト以上にトレーナーに会いたいと思っていた。このプレッシャーが、独占力が何よりの証明だろう。
「だって、トレーナーの一番は私だからね。一番の私を放っておいて、クラちゃん以外の子に現を抜かすのはどうかと思うな~」
笑っているが目が笑っていない。とんでもない恐怖映像である。
膝が震える。なにも大丈夫じゃなかったことに危機感を抱く。
ただ、彼女のプレッシャーは。
「でも、榊トレーナーってカイザーさんが一番大事だと思うし、問題ないと思うけど」
ディープインパクトによって霧散することになる。天然のフォローによって、ハレヒノカイザーのプレッシャーは霧散した。
「クラフトさんもそうだけど、榊トレーナーがカイザーさんのことを語る時って凄い楽しそうにしてるんだって。文乃トレーナーが言ってた」
「そうなの?」
「うん。俺の担当は凄いんだー、とか、俺の担当しか勝たん、とか。口癖のように言ってるんだって。可愛いよね」
ディープインパクトにご機嫌取りの意図はないだろう。あくまでも天然のフォローだ。
しかし、その天然のフォローによって。
「だよねだよね~。やっぱりトレーナーは、私達が一番だもんね!」
「きっとそうじゃないかな?」
「嬉しいな、嬉しいな! 嬉しいな~!」
ハレヒノカイザーはご機嫌になった。
どっと疲れて、思わず倒れこみそうになるシーザリオ。
(しかし、表に出さなかっただけとは……これが、カイザーさんの独占力っ!)
「なんと恐ろしい……クラフト、カイザーさんもお前に負けず劣らずだぞ」
それでも気をしっかり持って、その場を立ち去った。ちなみに、2人には最後まで気づかれなかったようである。
そんなことを思い出していた。ハレヒノカイザーの独占力は、しっかりと発揮されているのだと。
ラインクラフトとハレヒノカイザー。2人のウマ娘から好意を向けられているトレーナー。
そんな2人から逃げるように、アメリカへと逃亡した。その判断は、あまりにも悪手だった。
(榊トレーナー。早く戻ってきた方がいいと思いますよ……)
デアリングハート達の会話を聞き流しながら、届かぬ願いを抱くシーザリオ。特に接点はないが、これから待ち受けるであろう彼の運命に憐みを抱かずにはいられなかった。
◇
「へっくしょい!」
「『どうした、幸光。風邪か? アメリカの病院は高いぞ~』」
「『いや、平熱なんで風邪じゃないと思います。誰か俺の話でもしてるんじゃないですかね?』」
「『それなら、幸光は常にくしゃみをしていなきゃおかしいな。なんせ、世界で一番熱いトレーナーだからな!』」
アメリカ某時刻。いつものようにチームの練習を見守っていると、突然ムズ痒くなってくしゃみしたくなった。我ながら豪快だな。
それにしても、こっちの人達が好意的なおかげで、かなりスムーズに馴染むことができたな。今となっちゃこっちに移住してもやっていけそうだ。
「『それほどでも~。っと、そうだ。今日はチームのウマ娘の接し方でしたよね?』」
「『そうだ。特に幸光は苦手そうだからな。この機会にしっかりと教えてやろう。いいか? まずは担当との距離はしっかり守るんだ。誰か一人に肩入れするのは論外、やるなら全員に同じだけの熱量をぶつけてやれ』」
「『同じだけの熱量を……人数が増えれば増えるほど難しそうですね』」
「『だからこそ、距離感を見極めることが大事だ。ただでさえ苦手そうだからな』」
なにも言い返せねぇ。実際距離感間違えてるし、なんならもう手遅れかもしれん。
いや、だとしても、だとしてもだ。この先頑張っていけばいい。そう、過去は振り返らない。
「『もう手遅れな気がするがな。幸光はいつまで経っても治せなさそうだ』」
「『いやいや、俺だってやればできる! うん、たぶんできる』」
「『現在進行形でできてないからな。』HAHAHA!」
これも冗談だと思いたい。俺はやればできる、はず。
「『何話してんのユキ』」
「『仕事の話だよ、仕事。大丈夫だっての』」
「ふーん」
途中ロードライトガーネットがのしかかってきたが、仕事と聞いた瞬間興味なさげにトレーニングへと戻っていった。なんだかんだちゃんと出るようになってきたな。良い傾向だ。
その光景を見ていたチーフがぼそりと。
「『もう手遅れだなこりゃ。生涯治らなさそうだ』」
失敬な。多分治りますよ。おそらく、きっと。