〈後編 秘密の一端、神秘の片鱗〉
静寂に包まれた会議室。
アマネの告白に、研究者たちは一瞬呼吸を忘れたかのようだった。
「……あなたが、あの鉱石に?」
ひとりの研究者が慎重に問う。
アマネは、小さくうなずく。
「私は事件の前、クラフト素材採取のためにトウカの森に3日間ほど滞在していました。森中歩き回って、その写真の崖にも見覚えがあります。そこで……気づかぬうちに鉱石に触れてしまっていたのかもしれません」
「いや、しかし…。ほら、見ての通り!触ったからといって何も起きないぞ?」
研究者の1人が鉱物に触ってみせる。
しかしアマネは首を横に振った。
「私はシンギ地方の人間です。これと似通った現象に、…心当たりがあります」
この言葉に、今度こそ空気が凍りついた。
重苦しい沈黙が再び訪れた──そのときだった。
「なるほど。ようやく繋がったね。」
落ち着いた低い声が、張り詰めた会議室の空気を一変させた。
その声の主に全員が視線を向ける。
扉の脇に青年が、静かに立っていた。
銀灰色の髪に、鋭くも穏やかな光をたたえた瞳。
ホウエンリーグ現チャンピオン──ツワブキ・ダイゴその人である。
「ダイゴ様……!」
社長の御令息ということもあり、研究者たちが慌てて姿勢を正す。
しかしアマネはダイゴを見つめて目を見張っていた。
その風格から彼がただ者ではないことは、『リーグチャンピオンとは何か』すら知らず、彼が誰なのか全く理解していない彼女にも感じ取れる。
「会議の初めから、隣室で話を聞かせてもらっていたよ」
ダイゴはツワブキ・ムクゲと視線を交わしながら、円卓の中央…問題の鉱石の隣へと進む。
「謎のエネルギー波はホウエンの各所で観測され、原因究明が急がれている。でも、それは君がホウエンに来る前からだ。」
ダイゴは真剣な表情で全体を見渡した。
「君がきっかけの一つだった可能性は確かにある。けど、それが全てではないはずなんだ。…だから、君のその心当たりをボク達と共有してくれないかな?」
悪いようにはしないよ。そう言葉を添えた。
針の筵のようにアマネを刺し貫いていた空気が緩む。ツツジは安堵から、こっそりひとつ息をついた。
まだ何も確証のないうちから彼女を責めるような重い空気。それが壊れたことに心から安堵する。
そうしている間に事態が動いた。
「…みせたく、なかったけど。そうも言ってられないね。」
そう言ってアマネは顔の側面を隠すように伸ばされた横髪を耳に掛けた。
普段は見ることができない彼女の左耳には、何やら凝った意匠が彫り込まれた金属製のイヤーカフが付けられていた。
しかし今、問題なのはそこではない。
「キーストーン…!」
イヤーカフの中心には小ぶりのキーストーンが嵌め込まれていた。
さらに円卓から離れ、人と距離を取ると…見たことのないモンスターボールを投げた。
「おいで、アブソル」
そう。これはアマネ謹製のモンスターボール。
しっとりとした黒檀のような黒。そして白樺のような白の、二色を基調としたモンスターボール。磨き抜かれた表面には光沢があり、静かに手に馴染む。アマネがアブソルのために丁寧に仕上げた、世界にひとつだけのボールだ。
そして飛び出しできたアブソルを見て研究員達が目を見張った。
「おい、あのブローチ!」
「あの特徴的な網目模様…。色など違うところも多いが、あまりにも類似点が多い…」
ざわめく研究員達を横目に、アブソルは心配げな表情だ。
アブソルはアマネの焦燥した様子を心配し、ピッタリと寄り添った。
「大丈夫だよ、アブソル。」
そんなに周りを睨まないであげて。
「アブソルのブローチについているのは、絆の輝石。」
そして自身のイヤーカフを指差し
「これと合わせて使うんだ」
ダイゴは顎に手を当てた。
「使う、とは?」
「…見たほうが、早い。先に言っておく。これは誰でもできることじゃない。クラフトの真髄を極めた職人が、唯一無二のパートナーとだけできること」
そういうと、アマネはアブソルと真っ直ぐに目を合わせた。
「必要なことなんだ。…付き合ってくれる?アブソル」
アブソルはただ、真剣な眼差しを返してくれた。
「…ありがとう。」
アマネは瞳を閉じる
「アブソル。⸻シンギ変化」
まるで音が吸い込まれるように静まり返った室内。
アマネの言葉と共に、彼女とアブソルの間に淡く、しかし確かな光がともる。
つぎの瞬間、アブソルの胸元のブローチ《絆の輝石》がふわりと赤く輝いたかと思うと、次第に黒く、アマネの瞳と同じ色へと染まりはじめた。
そしてアマネの瞳はアブソルの瞳と同じ赤に染まる。
「…アマネさん!」
邪魔をしてはいけない。そう思いつつも、ツツジは心配から思わず声をあげた。
アマネは、そんな彼女を真っ直ぐに見つめた。「安心してほしい」との思いを込めて。
「大丈夫」
そして、アマネの左耳のイヤーカフに埋め込まれたキーストーンもまた、それに呼応するように虹色の光を放ち始める。
「……共鳴反応…?…いや、これは……!」
思わず立ち上がる研究員たち。
光が満ちていく中で、アブソルの身体を包む“なにか”があった。
進化とは違う、しかし確かに存在そのものが変質するような気配。
それは暴走でもなければ、強制でもない。
あまりに静かで、調和的な、変化。
アブソルの体表に一瞬、黒い紋様のような影が浮かぶ。
まるでアマネのイヤーカフに刻まれていた模様のような――「螺旋を描く渦巻き」が、アブソルにも刻まれたかのように見えた。
そして一際強く輝くと、そこには「メガアブソル」とよく似た姿のポケモンがいた。
そしてアマネが瞳を閉じ、合図をするようにアブソルの名を呼ぶと
瞬く間に元の姿に戻った。何事もなかったかのように。
「今のは……?」
ダイゴが問いかける。声は穏やかだが、瞳には驚きと関心が宿っている。
アマネは深く息を吸い、答える。
「これは特別な二つの石を起点に起こる現象。シンギではこの魂の共鳴は『響心』と呼ばれている。…そして、それによって起こる現象が『シンギ変化』」
「ただ力を加えるだけでは、こうはなりません。ポケモンと人が心を通わせ、魂の奥底で“技”と“想い”が結びつくことで起きる、私たちの……“誓い”です」
あ、よっぽどの熟練職人とそのパートナーでないとできません。
そう取ってつけたような言葉の後
深い静寂が室内を包んだ。
あまりにも誰も言葉を発しないのでアマネは少し不安になり、言葉を続ける。
「さっき言った通り、パートナーとしかできないはず…だけど、今回は何か違ったのかもしれない。私を追うようにあのポケモンはカナズミシティに現れた、から。」
その言葉で再度空気が凍りついた。
確かに。件のヤルキモノは行動に目的意識はなく、苦しみを紛らわすように暴れ回っていたと考えられていた。
しかし、不審なほどにデボンコーポレーション前広場へ一直線に進んだことは…複数の目撃証言により確認が取れている。
まだ謎は深まるばかりだ。
しかし、研究員達には目の当たりにしたシンギ変化が余程魅力ある現象だったのだろう。他のメンバーにしてもだ。
なかなか余韻が抜けない人たちと、オロオロと困惑しているアマネ。不思議な空間が出来上がっていた。
その余韻をはじめに破ったのは、ツワブキ・ムクゲだった。
「……これは、研究価値のある現象だな」
老練な社長の瞳が真剣な色を宿している。
「どういう理由かは知らないが、あの力は隠していたのだろう?」
この力が使える人間は限られる。己の素性を隠したいアマネとしては…旅の間は誰にも見せたくなかった力だ。
しかし、そんなことを言っている場合ではないと…そう思ったから。
「君の勇気に感謝する」
その言葉に少し救われた気がした。
ゴホン、と仕切り直すように咳払いをするとムクゲは言葉を続けた。
「これまでの情報では不完全だった。……しかし、ようやく見えた。“未知”をただ恐れるべきではない。今こそ正しく知るべきだ」
研究者たちの一部はまだ困惑したような表情を浮かべていたが、ダイゴが静かに手を上げた。
「では、ひとつ提案がある」
視線を円卓に向け、続ける。
「この“共鳴現象”がホウエン各地に影響を及ぼしている可能性があるなら、私たちは現地調査を進めなければいけない。そして、その鍵を握るのは彼女――クラフト職人の君だ」
「……アマネさん。ボクから、正式にお願いしたい」
真っ直ぐな目で、ダイゴは語る。
「ホウエン各地のジムを巡り、何か異変が起きていないか、ジムリーダーと協力して調べて欲しい」
アマネは驚きに目を瞬かせた。
ダイゴは続けた。
「もちろん、ひとりでは大変だと思う。だから……」
「わたくしが同行いたします!」
会議室に澄んだ声が響いた。
ツツジが椅子から立ち上がり、前に出て頭を下げる。
「アマネさんの技術、知識、そして勇気……何より、その“誓い”を見届けたいのです。ホウエンの地を歩く彼女の隣で、共に。」
その申し出にダイゴは微笑みながらうなずいた。
「もちろん。君が一緒なら、心強い」
それを可能にするための手配はボクがしておくよ。とダイゴは言葉を締めた。
そして、ムクゲが立ち上がった。
「話はついたね。では、ここからは感謝を伝えさせて欲しい。」
ムクゲはアマネの目の前に立ち彼女の両手を握った。
「本当にありがとう。あの日、広場にいた人々が大きな怪我もせず無事だったのは君のおかげだ!…この感謝をこめて、我が社からこれを君に贈りたい」
ムクゲの隣に立つ研究員が持っていた小箱を開く。
中には、コンパクトな電子端末があった。
「これは当社の商品"ポケモンマルチナビ"です。情報共有やマップ機能、緊急通信も可能な多機能端末です。どうか役立ててください」
「……ありがとうございます」
アマネは静かに頭を下げながら、その手に微かに力を込めた。まだ震えていた心が、少しずつあたたかさを取り戻していくのを感じながら。
すると今度はダイゴがツツジに声をかけた。
「ツツジ君には私から旅立ちに際して、餞別の品を用意したよ。この“ふたのカセキ”を受け取って欲しい。」
他地方で発掘されたものらしいんだ。とウキウキした様子でツツジへ手渡す。
「これは……!」
ツツジの声が震えた。
岩石 化石 鉱物。ありとあらゆる石を愛する彼女にとって最高に嬉しい贈り物だろう。
ダイゴが手に入れた貴重な標本を、旅立ちの記念として託されたのだからより思い入れが深くなることも確実である。
さらに、これは「ポケモンの化石」だ。
復元すれば彼女の専門分野でもある岩タイプのポケモンとして現代に蘇る。心強い新たな仲間となるだろう。
「復元は我が社が請け負おう。」
「旅立ちの朝に渡せるよう手配します」
⸻こうしてふたりは、新たな使命を胸に抱きながら旅立ちの準備を整えることになった。
様々な思いを抱え、それでも少女たちは前を向いて進んでいく。
掴んだ絆を信じて。