〈第1節 前夜の静寂〉
カナズミシティの空に、静かな夜が降りていた。
石造りの宿の屋上でアマネは手すりに身を預け、満天の星空を静かに見上げていた。
隣ではアブソルが同じように空を仰ぎ、彼女も物思いに耽っているようだ。
「……明日から、また旅が始まる」
ぽつりと漏らした言葉が、夜風に運ばれて消えていく。
「いろんなことがあったね。悲しいこともあったけど、素敵なことがたくさん」
アブソルはただ静かに聞いている。
「迷子の果てにたどり着いた街だけど、ここに来て、良かった……心からそう思うんだ」
「アブソル。私は、知らないことがあまりにも多いんだね……その答えを探してみたい。君と一緒ならそれができると思う」
アブソルは深く頷いていた。でもその瞳に、どこか懐かしい“悲しみ”の影が揺れて見えた。
幼い頃に見た、あの瞳。
今の彼女が重なって見えた。
君にも抱えているものがあるんだろう。
私に伝えられない秘密が。
そして、私たちの絆が試される日が来ることも確信している。
「大丈夫。アブソル、何度でも言うよ」
「私たちは、何があっても唯一無二の相棒(パートナー)だ」
この『絆』は何があっても変わらない。
そう何があっても。
知らないのはいつも私。
けどね…実は君が知らないことも、あるんだよ。
でもそれは言葉にしない。今は伝えない。
…君が私の言葉の意味に気づくのはいつだろう?
「これからもよろしくね。アブソル」
アブソルはただアマネにピタリと寄り添っていた。
ふと、ひとつ脳裏をよぎることがあった。
そう、思い出したのはひと月前のこと。
故郷を発つと決まったとき、貴重品以外何も持たずの有り様で私は旅立とうとした。
旅支度にかけた時間などないに等しく、翌日の夜明け前に。
家族の機回しがなければ、本当に何も持たずに旅立っただろう。
持っていくものなどない。
アブソルさえ側にいてくれるなら何とでもなると…本当にそう思ったんだ。
でも、今の私はそのような極端な行動はもうしない。
このホウエンの人々…特に彼女のおかげで、私は大事な一歩を踏み出せたような気がする。
強く穏やかな風が、ふたりの間を静かに吹き抜ける。
アマネはもう一度空を見上げた。
さまざまな想いが胸を過ぎていく。
明日の旅立ちを思うと、これまでのさまざまな記憶が頭を巡るのだ。
会議の後も今日まで慌ただしかったことを思い出す。
夜は静かに更けていく。
アブソルとふたり夜の風の中、思いを馳せる。
その静寂は穏やかに流れていく。