トリック・オア・トリートですよ、先生。
頭に魔女らしき安物の帽子を乗せただけの、仮装とも言えない仮装。そんなある種ありきたりとも言える恰好をしながら、私は今先生の目の前にいる。
*
”……何て? ”
「ですから。『お菓子をくれるのか、さもなくば悪戯か』と、そう尋ねているんです。本日はハロウィンでしょう? せっかくですから私も、少しはそれらしいことをしてみようかと思いましてね」
「……と言いますか、部下達から遠回しに『こういう時だからこそ、少しくらい体を休めて欲しい』と気を回されまして」
皆から残業は禁止とばかりに、勤務明け丁度にオフィスを蹴りだされるようにして追い出されてしまったので、遠回しでも何でもないのだが。思い返しながら、似合わないと自覚できる魔女帽子のつばを撫でる。
フブキが若干にやついているというか、からかいを含んだ目線を向けてきたのが少々気になるところではあるが。
”そっか。よく似合ってるよ、カンナ”
そう言う先生は、これから起こることを何も懸念していないかのようで。実際。なににも思い当っていないのだろう。前回の『当番』から、私がどんな思いを燻ぶらせていたのか。どのような思いを抱えてここに足を向けたのか。
どのような決意を持って、先生の前へ訪れたのか。分かっていないなら教えるまでだ。
その骨身に、妬き尽くすほどに。
もし私が。先生が──貴方が。他の生徒と話しているそのわずかな時でさえ。もし。あなたに吸い尽くされるのを心待ちにして、同時に。『同じ目』に合わせてやりたいのだと。そんな。
万が一堪え切れない様な、倒錯した劣情を抱いているのだとしたら。それをぶつけたいのが、何もあなたから私へだけでなく。
私だって既に我慢の限界なのだと知ったのなら、一体どんな表情を浮かべるのだろうか。
さあ。あれだけ私を自由気ままに蹂躙しておきながらその癖、私からの気持ちにはまるで無頓着な
「私の事情はどうでもいいんです、先生。それで、答えはいかがです?」
ずいと。
一歩を大きく踏み出し。パーソナルスペースの内側へ、大きく近づく。
普段なら、私以外の誰かなら卒なく距離を開けるだろうという密着した近さへ。あの、当番の度に行われる、名前の付けられない奇妙で歪な関係。その当事者である私だからこそ近づける近さ。
吐息も体温も共有するような、そんな距離。
惜しげも無く当てた胸で、先生の体温が一段階上がるのを感じる。
”──え? ”
白々しい。先生の無意識は、いや、本当の部分では、どちらも分かっている。そんな瞳の様子は、一見してすぐに見分けられる。
先程の疑問符はただの自らを誤魔化す為だけの浅ましい時間稼ぎだ。
この至近距離で私の匂いを嗅いだ時点で。既に先生の、スイッチは入っている。当たり前の話。
その執着を、私は私の羞恥と興奮を持って身に刻まれている。
「トリック・」
「オア・」
「トリート、です」
「さあ、先生。お菓子の持ち合わせはありますか?」
*
零距離よりさらに近く。近づいた勢いのまま彼の頭をかき抱き、耳朶を食んでしまえるような近さで、訴えかける。
……深夜も近いこの時間、最早残弾が尽きていることは承知の上。万が一仮
”……いや。先ほどここへ訪れたユウ──生徒へ。渡したお菓子が全てだよ”
正直は美徳ではあるものの。それを悪用されたら一体どうするというのか。世間は決して、善性だけで成り立っている訳では無いというのに。
丁度、今の私みたいに。言質を引き出し、先生に見えない角度で笑みを浮かべる。
「おや。それはいけません。ならば、お菓子を持っていないなら。心無い
殊更に芝居がかった声である自覚はある。普段はチンピラを威嚇するに丁度いい私の声も、先生を威圧するには至らず。
”……ちょっと、ま──”
待って。待て。止まれ。どんな音を発しようとしたのかは、もう私には不明だ。
彼にその先を紡がせる前に、私の次の行動は決まっていたのだから。
机の上に伸ばそうとした右手に指を絡ませ、動きを止めながら問いかける。手袋を脱いだ素肌から伝わってくる他人の体温が心地いい。
封じたのは物理的な動きと、心理的な抵抗。
空いた左手は、首筋を撫ぜる動作に使う。じわじわと。焦らすように指を這わせば、なぞった部分だけ跡ができては消えていく。
その一動作一動作で彼の体が反応する様子に、私のどこかにあった嗜虐心に火を灯す。
”ちょっ……カンナ”
「おや? どうされましたか? 普段の私に対する『コト』よりよほど丁寧だと思いますが」
絡ませた右手も。撫ぜる左手も。お互いの体温の上昇と共に汗ばんでいくのが分かる。一度付いた火は簡単には消えず、むしろそれを燃料にして、更に熱く燃えていく。
距離を詰めたまま更に一歩進む。当然先生はそれに押されて後ずさり。二歩三歩と繰り返せば、自然と、先程まで座っていたであろう椅子へとたどり着く。
そのままゆっくりと彼を座らせる。座面の奥までしっかりと。たった一人で座る訳では無いのだから、バランスを崩されてしまうようでは困る。
間髪を入れずに彼の上へ、私の腰を滑らせる。お互いに向かい合った状態で、私が膝の上に乗る形。
不安定な体勢を崩さないようしっかりと。体の全面で接触が無い所が無い様に。
つまりは。
嗅覚だけでなく、視覚触覚を使って興奮を煽ろうという、そういう腹積もり。恐らく彼は私の躰の柔らかさを堪能してしまっているだろうし。
同時に私も、自分と違うその体に。固いといえばいいのか、筋張っているというのか。それを全身で感じている。
如実に表れる性差。自分に無いもの、というのはどうしてこう興奮を誘うのだろうか? 脳髄に麻薬でも垂らしたかのように、鼓動が撥ねる。
”ッ……”
「……フフッ」
そしてそれはどうやら。私だけに効果がある訳では無いようだった。
撥ねた分だけ座りが悪くなり、もぞもぞと腰の位置を調整する。たったそれだけの動きで。興奮が伝播する。互いの熱で互いを煽っていき、もう止まることは無い。
「さて、お菓子が無いのなら悪戯をしないといけませんが──」
ゆっくりと言葉を紡ぎ、口から漏れる吐息を。先程撫でた首筋にあてるように囁く。そのまま、大きく口を広げ、這わせる様に。
──ぬるりと。
最初に感じたのはしょっぱさ。他人の味。他人の体温。他人の匂い……私の情欲に薪を積み上げる、彼そのもの。
舌から感じる体の震えで、必死に声をかみ殺している様子が手に取るように分かる。
そんな反応をされてしまっては私は。元より止まるつもりもないが、益々楽しくなってしまう。
空いた左手を彼の太ももに置き、爪先で引っ掻くように撫でる。円を描いてみたり、縦横に走らせてみたり。その度に理想通りの反応を示すその様子が、精神的な興奮を満たしていく。
一度首筋から首を離し、先刻までの私の唾液で艶めくそこに、ふーっと息を吹きかけてみた。
温度差による刺激で、彼の体が再度
目を見れば、もう自分を抑え込む理性は解けて溶けて消えているのが見て取れる。最早数舜の後には、一転攻勢をかけられ、私をいいように味わい尽くすと。そう訴えかけてくる視線。
これを私がやったのだ。いつもの、眠気と疲れに押されるようなものではなく。
一つ一つ手順を持って理性と情欲を持って彼の倫理観を粉々にした。その事実に。体の奥深くに言い様の無い甘美な痺れが走る。
絡ませていた右手を解いて、自由になった両腕で彼の首に手を回す。ただし今度は耳元ではなく、正面から顔を合わせて。言葉を紡ぐ。
「先生もお菓子が欲しくなってしまったのですか? なら、仕方ありませんね。では、確認してください。ピッタリの言葉が丁度、ほら」
トリック・オア・トリートですよ、先生。
私の音を彼がそのまま返す。返答は無言で十分だった。お互いだけを視線に捉えたまま、目を閉じ、更に近づく。
いつか聞いた足音は脳裏にのみ響き、今度こそ止まることは無かった。
距離が、零になるまで。
一線を越えさせるために頑張る話、のAnotherルート。結局行きつく先は一緒。
一話前が誘い受けでこっちが誘い攻め。