至極健全マッサージ回。
太陽も既に暮れ、オレンジより夜の色が外を照らす時間。日がな一日、館内掃除に明け暮れた私達にはお誂え向きの、ささやかなご褒美。
ヒーリングスパ内、ファミリー向けの、四から五人程度で利用できそうな風呂……ではなく。一回り小さめの浴槽──いわゆるカップル向けのもの──を見繕って二人で入浴。
カップルが多そう、とはよく言ったものだ。
気恥ずかしさを無視して表現するのであれば。私達こそまさに、なのに。
同じ浴槽につかるのに水着を着ている、というのにもほんの少しの違和感を覚えて思わず苦笑が浮かぶ。
……そんな風に思う程の時間を一緒に過ごしてきたのだと。ある種の感慨のようなものまで。
湯に半身を付け、しばしの無言の時間。同じ時を共有しているからこその心地よさに身を任せていたまま。ふと先生が声を上げた。
”はい、じゃあカンナ後ろ向いて”
「? はあ……」
また突拍子も無い事をとは思ったものの、特に反対を述べるような提案でも無い。
素直に言に従って後ろを向き、先生に背中を晒す。……別に今更、そんな事で緊張を覚えるような仲ではとっくにない筈なのに。水着を着ているせいか、いつもよりピンと、背筋を張ってしまう感覚。
反り気味に伸ばした私の背に先生の手が触れる。一瞬身構えたものの、感じるのは穏やかで優しい動き。間違っても期待、こほん、警戒したようなものではなく。どちらかといえばこれは、
「マッサージ、ですか?」
”そう。せっかく「カンナとスパを楽しむ時間」をプレゼントして貰ったからね。私からも「癒し」のお返し。……普段、肩こり辛そうにしてるからさ”
言いながらまずは首筋から肩にかけてのライン。人差し指と中指で上から、親指で後ろから加えられる丁寧な圧力。
……特に他に理由は無いし全くもって見当もつかないが、デスクワークが多い身の上、確かに肩こりは酷い。
お風呂の温かさも相まって、触れる指先からすぐにでもコリが取れていくような錯覚さえ覚える。
身がほぐされていくというか。おそらく安心できる、緊張せずにいられる安心感がある、というのも大きい。水着を見せている恥ずかしさはあれど、一番の信頼と親愛を向けている相手だからこそ。
……思ったよりこれは、かなり、心地よい。目を閉じて、背に感覚を集中させる。
首と頭の境目の外側と内側をゆっくりと。
首筋を挟む様に揉まれ。
鎖骨の少し下の部分を中指でもみ込み。
肩甲骨に沿う部分は気持ち強めに指圧。
背筋のラインを撫でる様に押し込み。
最後に、肩を起点に二の腕を掴まれ、二度三度とぐるぐる腕を回される。
その後、両肩をポンポンと軽く叩かれ。それでマッサージの時間が終わりとの声掛けの代わり。気持ち良さで多少ぼやけた頭を覚醒させながら目を開き、今度は自発的に両肩をそれぞれ回す。
「……!」
そのまま両手を上に伸ばして一緒に体を伸ばし、右に左にと体を捻り。しばらく身体の調子を確かめてから、先生に向き直る。
「……すごく楽になりました」
”そっか。それは良かった”
浮かべられたのは満面の笑みと答え。それを見た私も釣られて、苦笑と感謝と照れとがブレンドされた笑みを返す。
まったく。苦し紛れに述べた事であるとはいえ。私からのプレゼント、というのは決して嘘では無かったのに。これではまた多く私が貰ってしまった。
どうにかまた返せないものかと思考を回し。
名案が閃くと同時、次の指示の無線。……癒しの時間の終了の合図。
「上がりましょうか……っとと」
”おっと、大丈夫? ……血行が良くなったからいつもより早めに
よろけた私を支える為に差し出された手を掴み、体重を預ける。それを幸いと、体ごと距離を詰めて口元を彼の耳元へ寄せ。
「大変気持ち良かったです、ありがとうございました」
「……この「後」のマッサージもまた、よろしくお願いしますね?」
一言のみを耳朶に残して身を起こす。体を離す瞬間に見えた
さあ、ヒーリングスパの点検もこれで終わり。火照った頬に夏の夜の冷たさが心地よく。
業務に戻る為、ヒーリングスパを後にした。