氷島の王より両儀は生じて   作:につけ丸

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初投稿です。


序章:アウドムラベラム
001:北北西の凍土にて


 コーヒーなんて結局、飲めればいいのだ。

 

 ケトルを傾かせてコポコポとお湯をフィルターとドリッパー流しこみ、大して美味くもないコーヒーをわたす。

 

「はいよ」

 

「…………」

 

 受け取った女の子はケトルのお湯と大して変わらない熱さのコーヒーをマグカップをひっくり返す勢いで飲み干し、そしてまたマグカップを差し出してきた。

 夸父(コホ)は呆れを滲ませた。

 

「まだ飲むのか? 5,6杯は飲んだだろうに……ああ、分かったよ。作れば、作ればいいんだろ」

 

 空のマグカップとともに突きつけられる無言の要求に、すぐさま手を振って降参した。何度目かのコーヒーを淹れる。

 

 突きでた花崗岩に腰掛け、あらぬ方を見上げる少女は変わっている。

 出会い方もそうだが、空腹に耐え兼ねるように砂糖もミルクも入れない熱湯のようなブラックコーヒーを早くよこせと要求してくる。

 

(どこのガキなんだか)

 

 レンタカーを止めて湖畔で水を汲んでる時だった。

 この女の子が倒れているのを見つけたのは。

 

 年の頃は十三か、十四。もしかすると十二かもしれない。

 とにかくローティーンで球体関節人形じみた"ぎこちない"風采の少女だった。

 

 白珊瑚の髪に(リラ)の瞳。

 それに怖いほど華奢な肢体。背丈は自分の腹部あたりまでだろうか。抱えた時も、淡雪でも運んでいる気分になったものだ。

 なのに明らかにリットル単位でコーヒーを飲み干しているのが奇妙だった。

 小さい体躯のどこに詰め込んでいるのか問いかけたくなるほど唇からコーヒーが吸い込まれていく。

 

「…………」

 

 何杯もコーヒーを飲み干し落ち着いたのか、少女はジャケットのフードをかぶりヘッドホンから流れる音楽とともに自分の世界に篭ってしまった。

 

 小柄なからだと淡麗な顔には不釣り合いに大きなヘッドホンだ。あれでは外の音は全部シャットアウトしてしまう。

 夸父(コホ)の声はもとより。

 この西海の孤島にふぶく剛風も。湖畔に注ぐ滝の音も。

 

「……しっかしアイスランドくんだりで行き倒れを拾うとはな……」

 

 頬のニキビを擦りながら夸父(コホ)は苦笑いした。

 さっきレイキャヴィークから持ってきていた水は少女のおかげで完売御礼。

 少女に飲み干された水を補給しに空のタンクを抱えて湖から水を汲む。普通の人間なら生水なんて怖くて飲めたものじゃないが、夸父(コホ)は水だけには無駄に強い。

 生水どころか水たまりやガンジス川の水だってなんのそのだ。さっきの少女じゃないが何杯だって飲めるし、泥水だろうと硬水だろうと腹を壊したことは無かった。

 

「ん?」

 

 空タンクに水を注いでいると影がさして、振り向くと白い少女が立っていた。

 

「どうかしたか。またコーヒーを飲みたいのか? だが残念ながら営業時間は終わりだ、そんなに飲みたいなら家に帰るんだな」

 

 そんなに嫌味を含めた言葉にも反応を示さず、そのまま夸父(コホ)のうなじを指差した。指先には勾玉を思わせる形をした刺青(イレズミ)があった。

 

「へぇ、見えるのか」

 

 体格差がありすぎる夸父(コホ)と白い少女では触れようと手を伸ばしても肩にすら届かない。

 しかし少女の視線が途切れることなく、そして──刺青(イレズミ)がぐるりと弧を描いた。

 

「はは。目ん玉こぼれ落ちそうだ」

 

 紫の目を見開いている少女に思わず笑いがこぼれた。

 

「生まれつきだ。おまえ、蒙古斑知ってるか? ……って、まあ白人のおまえが知るわけないか」

 

 注ぎ終わった重そうなタンクを軽々と持ち上げ、つぶやくように説明した。

 

「あれはそのうち消えるらしいが、この妙な痣は消えなくてな。昔は引き剥がそうと肌を裂いたりしたもんだが結局戻って来ちまうから諦めた」

 

 痣はやがて夸父(コホ)が言うように、肌のみならず服の上にも浮かび上がった。肌をだけを移動する痣ではないようらしい。

 

「この痣が見えるヤツはほとんどいねぇ。その手の才能がないと、とことん見えない。そういう類の特異体質だとあの人には言われた」

 

 身体を泳ぐ丸い魚は一匹だけではない。もう一匹いる。丸い魚は二匹もいるのだ。

 

「もう慣れたけどな。でも二匹も身体中を動き回って……いや、泳ぎ回っているのが、気持ち悪い」

 

 諦観のため息をついた。

 

「で、お前も魔術師ってやつか? アイスランドの人口は少ないつっても居る場所には居るもんだ。あんな辺鄙(へんぴ)な場所で倒れてたのもそれが関係してんのか?」

 

 色素の存在しないような透き通った瞳が夸父(コホ)を射抜いた。まるで心根を見透かす目。

 答えはなかった。

 

(こいつ、どーっすかなあ……。そろそろ移動したいんだが……)

 

 正直、夸父(コホ)は情が深い人間ではない。

 そもそもアイスランドに来たのは仕事だからだ。誰が人助けなどと好き好んでツマづくような真似をするものか。

 救急車なんて呼んだら医療費で破産しかねない国出身の夸父(コホ)は医者にかかることの恐ろしさも知っていた。

 だが助けてしまった。見ていると不安になるほど細く虚弱そうな少女を、だ。

 

「(助けちまったからには少しは面倒を見なくちゃ、だよなあ)……なあおい、白いの。お前家はどこなんだ? 知ってる場所までなら送ってってやるからよ」

 

「………………」

 

「おい、聞こえてるか?」

 

「…………、……?」

 

 返事がない。

 というか反応が妙だった。

 

 そういえばこの少女、夸父(コホ)とは一度も会話が成立したことが無い。

 

「……あー、もしかして英語通じないのか? アイスランドの人間はみんな喋れるって話だったが」

 

 アイスランド国民はほぼ英語話者だ。

 彼女はその数少ない例外らしい。

 

「家だよ家。ho、u、se。発音結構似てるからニュアンスで察してくれよ」

 

 それでも白い少女は首を傾げるのみだ。

 

「言葉は分かんねぇのか。でも、家は分かるんだろ?」

 

 応答はない。

 やれやれ。ずいぶんと割に合わない人助けだ。嘆息しつつ、だが、十分義理は果たしたろう。夸父(コホ)は殻に閉じこもった少女を置いて撤収にかかった。

 元々、ミールダルスヨークトルという氷河とそこから溶けた水が流れ込む湖を眺めに立ち寄ったのだが妙なのを見つけてしまって時間を食ってしまった。

 

 水を満杯にしたポリタンクを抱えて、立ち尽くす少女の隣を通り過ぎていく。

 

 

 

 駐車していた相棒(レンタカー)のトランクへ荷物を積み込んで、出発しようとエンジンをかけてサイドブレーキを外し──車体が揺れた。

 

 ふと隣を見たら"白"があった。

 

「いい性格してるよ全く」

 

 儚げなのは見た目だけらしい。譲歩すればするほど踏み込んでくるタイプらしい。

 

「はあ。少し行けばガソリンスタンドがある、そこまでで勘弁してくれよ」

 

 分かったのか分かってないのか。

 どちらでも構わないか、そこまで着いたら本当にお別れだ。彼女の行く末を最後まで見届ける義理もなければ道理もない。それがのんびりとした旅路の中でも。

 

 

 アイスランドは電車がない。新幹線もない。

 ただその代わりに孤島を囲むように一周する道路があった。

 "リングロード"と呼ばれるアイスランドの国道一号線は、まさにアイスランドを一円する道路だった。

 

 絶景と殺風景が紙一重に入り交じった景色を眺めながら東へと走る。

 いつの間にか乗り込んだ少女は、ダッシュボードに置いておいた一冊の──"赤い本"を手に取った。

 

「……?」

 

 牛皮の装丁をした古ぼけた本で、相当な逸品なのは見て取れた。見るものが見れば千年以上昔の本だと見抜いただろう。

 間違っても車のダッシュボードへ乱雑に放置されていいような代物ではない。

 

 だが気遣うものはいなかった。

 

 いかにもな牛皮の本に触られても夸父(コホ)は無反応で、夜も朝も関係なく空に居座る白夜の太陽に耐えかねたのかサングラスをかけた。

 少女に名前を聞いていなかったと思い出し、これも何かの縁だろうとずいぶんと遅い自己紹介を始めた。

 

「俺は夸父(コホ)。お前は?」

 

「…………」

 

「分かんねえか? 夸父(コホ)だよ。コ、ホ。二文字だから覚えやすいだろ。……これでもダメか? てか、返事くらいしてくれよ。オレ、お前の声もまだ聞いた事ねえんだぜ」

 

 わかんねぇか。

 いくら待っても返って来ない返事に諦めて、サンバイザーをたおしたのと同時だった。

 

 

「……シギュン」

 

 

 返事が返ってきたのは。

 

 

「え?」

 

「シギュン・ビョルンストライド」

 

 

 少女が、シギュンが初めて喋った。

 慎ましやかな、可愛らしさを残した可憐な声だった。

 ヴァイオリンやピアノは中身が空っぽなのに、耳心地の良い音を奏でる。

 シギュンの声も透徹としていて耳心地の良いものだった。

 

 こいつ喋れたのか……! 

 何より会話のキャッチボールが成立したことに何故か深い感慨を覚える。

 ずっと独り言だったから当然だ。

 

「へぇ、女神様みたいな名前だな。居たろ、北欧神話かなにかに」

 

 学も知識はないが必要とあらば詰め込む。その時にそんな名前も紛れ込んでいた。

 

「…………」

 

 ただ会話のボールは投げ返されたのは気まぐれだったようで、シギュンは興味を無くしたのか赤い本に目線を落とした。

 

 

 そのうち夸父(コホ)も会話の隻手音声の虚しさを悟り口を閉じた。

 

「英語のラジオなんてやってねえよなあ……」

 

『───♪』

 

 思わず聞き取れもしない氷語のラジオを最大音量で流しはじめた。

 ごろごろとタイヤが地面を転がる音が車内を騒がせる以外は無音の車内は気まずい。

 

 そして何が気に入らないのか。

 シギュンはラジオの音量を上げたからか、煩わしそうにフードを目深にかぶって音楽プレーヤーに触れた。最大音量になった曲がヘッドホンから漏れ聞こえる。

 

「……鬱陶しい声…………」

 

 シギュンの無意識に零れ落ちたらしき声は、嫌に耳にこびりついた。

 

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