氷島の王より両儀は生じて   作:につけ丸

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010:まつろわぬ(わざわい)を阻む者

 ──颯。

 

「うふふ。やはり神殺しには武運がある。いえ、悪運と言うべきでしょうか。死すべき窮地から命からがら脱するなど……」

 

 思いがけない乱入者の介入、抜け目ないカンピオーネは刹那の間隙を見逃さない。

 小柄な体躯でもその身に刻まれた超越の呪印は本物。呪いを完全に弾き飛ばし、雪靴を履いた足で距離をとる。

 

 鳥獣の俊敏さで後方へ下がったシギュンと入れ替わるように黒い影が前へ出る。

 矮躯のシギュンとは対照的な、のっぽの夸父(コホ)が前へ出て大きく手を広げた。

 

「やらせねぇ……。やらせねぇやらせねぇやらせねぇぞ! コイツだけはやらせねぇカミサマ!」

 

 不死という超常を獲ても。

 不死者というと超越者となれども。

 身に宿す術に(ちょう)ずれど。

 

 所詮、木偶の坊。パンピーは遙か高みにたどり着けない。

 半端者は遙か高みを見上げて、覗き込み、眺めるだけだ。

 

 だから。

 

 夸父(コホ)は──超人(ちょうじん)にはなれない。

 夸父(コホ)は──長人(ちょうじん)にしかなれない。

 

 だけど壁くらいにはなる。一撃とは言わずとも威力を軽減させる楯にならなれる。

 

 こいつは希望だ。

 人類がまつろわぬ神に対抗出来る唯一の手段。そして俺ができる唯一の贖罪なんだ。己の恐怖心へ言い聞かせて身を盾にする。

 後ろで驚いたような気配を感じるが、知ったことか。

 

 

「アルスターの無双の戦士ですら九日間は動けなかった我が呪いを破るとは。やはり神殺しに遠間からの魔術は()()が悪い」

 

 立ち塞がる夸父(コホ)にもまつろわぬ神は目を向けない。

 シギュンに掛けていた呪いが解けても、バズヴはこれまで通り痛痒にも介さない。嫣然と笑いながら牢獄から抜け出した囚人をただ見送る。

 

 残念さすら感じさせずに冷めた視線をついっと、突然現れた──夸父(コホ)へと向ける。

 

 夸父(コホ)の呪詛返しで痛みが生まれてもバズヴは揺るがない。冥府の奥底に住まう地母神は動じない。

 

「ああ、それに。先ほどの不死者(アンデッド)ですか」

 

 視線は槍となり、心臓を突き刺す鋭さを秘めていた。肩がすくみ、後ずさる。

 

「我が恩寵と加護を受け取って起きながら、()()()へ寝返りますか。叛逆の輩たる愚者の猛りにでもあてられましたか」

 

 虫でも見るような視線。こちらに対して毛ほどの価値も見出していないのだ。

 だから夸父(コホ)をすぐさま縊り殺すこともしない。多少の無礼などまつろわぬ女神は気にしない。気にも止めない。

 下等な獣どもが粗相をしでかすのは当たり前。尊貴にすぎるその自負は女神の器量となる。

 

 バズヴは続けた。

 

「ですがその不死は我が恩寵。小なりなれど不死者(アンデット)……多少は神殺しの盾となりましょう」

 

 どこまでも自分本位。

 己を最上位に置くから、己が付与した不死性にだけは目を向けた。

 

「先ほどのごとく我が手のひらの指先から零れ落ちるのも不本意ですね。……運も実力もまとめて葬る、苛烈さが一番ですか」

 

 目をカッと見開いて、女神の殺気が迸る。

 バズヴの足元が蜘蛛の巣状にひび割れ、そこからマグマが爆ぜ猛っている。

 

「よろしいッ!」

 

 バズヴが決意と宣誓をあらたにした。

 

「悠長に遊びふけるのも我が流儀にあらず!」

 

「戦いと怒り、そして恐るべき我が名をもって──」

 

「──あなたたちを征路に引きずりだし、蹄で轢き潰すべしッ!」

 

 

 決意も叫びとともに女神が消えた。女神の玉体が霧へと雲散霧消し、その狭霧が地に溶ける。

 

 これまでの騒々しさが嘘だったように静けさが広がるが……誰もが理解していた。これはモラトリアム。

 主演女優である女神が衣装替えをするための幕間。

 

 激情の女神はすぐにでもやってくる。

 

 

 だが災厄の根源が姿を消したことで、一時の静謐が訪れた。

 

「なにしにきたの」

 

 そこへ、トーンの高い声が聞こえた。

 シギュンが不審さを隠さずに氷の眼差しを向けていた。

 

「た、助けにッ」

 

 ぶるぶる。かちかち。

 

 長身を小刻みに揺らして、今にも膝をつきそうな情けなさだった。間違っても戦士とは言えない姿。

 

 まるでサメの群れにアザラシでも迷いこんだような場違いさだった。シギュン(サメ)は大きな目をこぼれ落とさんばかりに瞬かせて夸父(アザラシ)を見上げた。

 

「なんで?」

 

 心の底から理解できないという、がらんどうの目。

 

「助けて貰った、からっ!」

 

「死ぬかも?」

 

「それでもっ、死ぬまで後悔するよりマシだっ」

 

「ふーん……」

 

 何を考えているのか分からない声音だった。そして納得も理解もしてない声音。

 当たり前だ、夸父(コホ)だって何故ここに来てしかも死神の前に身を晒したのか理解出来ていないのだから。

 

ずん。ずん。

 

 考えていたより遥かに早い、異変の登場。

 氷島(アイスランド)の地表が何度も、何度も、蠕動を繰り返す。

 

 地震ではない。

 地震だったらもっと無機質だ。情熱を煮詰めた覇気は伴っていない。必ず我がもとに連れ戻すという殺意を孕んではいない。

 

 これは、怪物の足音。

 

 矮小な人ごときが出会ってはならない……森羅万象を超越した怪物の足音! 

 

 

「戦場に花咲く私は、戦場に舞うがゆえに、敵手との戦場のきずなを信じます。我が想いを受け止めてみせなさい神殺し!」

 

 色が消える。

 

 視界の隅々まで真っ赤に染まった灼熱地獄から、色が消えていく。

 熱が冷めていく。マグマどころか気温すら急降下し、白い息を吐く。カンピオーネのシギュンでさえ。

 赤と熱が、一箇所に集約され──特異点が姿をあらわした。

 

 

 ──NEIGT(ヒヒィィィン)ッ!!! 

 

 

 その特異点は、"馬"の形をしていた。

 

 

「な、なんだ……ありゃあ……」

 

 溶岩を肉体とする赤き牝馬。赤き鬣の異名そのままに燃え上がる鬣を伸ばし、その後ろ首は優美で力強い。

 キ甲や前胸、そして尻は大きく盛り上がり、その蹄とともに立ち塞がる敵も骸を晒す死骸も踏み砕くに違いない。

 

 あれは"竜"。馬の形を取っているが、竜の一種。

 竜とは多くの動物……蛇、獅子、鳥、豚、そして馬などのキメラだ。そのため竜を構成するどれか一種でも内包していれば竜を名乗れてしまう。

 

 バズヴの名を持つ竜は馬の姿をしていた。

 億千万の戦争を駆け抜けてきた戦馬。あれこそバズヴ、ヴァハ、モリガンの三女神の最強形態。

 戦争の神、そして地母神としての具現。

 猛り狂う赤き牝馬こそバズヴ本来の姿であり、最強の姿なのだ。

 

 ケルトで何よりの財産は土地。そして馬もまた財産だった。

 牛と同じく、田畑を耕し、穀物という財産をもたらすものとして大地と結びつけられていったのだ。

 

 それは農耕だけでなく戦争でも同じく。

 土地を得る何よりの方法は戦争だ。騎馬民族を源流とするケルト民族の兵器はやはり馬。

 土地を奪うのに最も強力な兵器こそ馬だったのだ。

 

 背には騎手のごとく上半身だけ生える美々しき女。女が叫ぶ。

 

「ふふふ。まさか地上へ降りてそうそうに"この"姿を晒すほどの極上の戦を堪能できるとは! さあ、神殺しよ構えなさいっ」

 

 騎馬というより戦車の印象を受けるあの威容。

 

 夸父(コホ)はすぐに悟った。

 ラキ火山の大地の精を喰らい、膨張し、最強となった戦女神の考えることなんてひとつだ! 

 

 ──最強最悪の一撃が来る! 

 

 

「……お、お前。あんなの、どうにかできんのか?」

 

 人がどうにかできる代物ではない。

 期待感薄く後ろの戦士(チャンピオン)へと、探るように問いかけて──

 

 

「──()()()

 

 

 力強い言葉だった。

 

「……でも。時間かかる」

 

 スン、と顔を逸らして会話を一方的に打ち切った。

 相変わらず都合が悪くなったらコミュケーションをぶん投げるヤツだ。

 クイーンビーというよりプリンセスが相応しいのか。王女に相応しい傍若無人さだ。

 だが、今はその振る舞いが頼もしい。

 

 シギュンは逃げ出す気は塵ひとつもない。迎え討つつもりだ。

 そして(ましら)の軽捷さで夸父(コホ)の肩に登ったシギュンが無茶難題をふっかけてきた。

 

「だから凌いで」

 

「は!? 凌げってお前っ、無茶を……って、もう聞いてねぇし!」

 

 シギュンはすでに目を閉じ、呪力を精錬しはじめていた。まるで超小型の炉心。人型サイズでは到底内包不可能な、とめどない呪力を肩から感じる。

 

 シギュンは即決で覚悟を決めた。

 

 なら、俺も肚を決めねば。

 

 いや、やらねばいけない。

 

 あの化け物を召喚してしまった罪滅ぼし……は虫が良すぎるか。

 報いを、受けなければ。

 

 馬の姿となった女神が朗々と吟嘯する。

 

「ドン・クアルンゲは巡り、豪奢なる雄牛(クアルンゲ)を巡り、アルスターの命運枯れ果てし時。凄まじき戦士、雷の如く出で──女王の軍勢は闇に葬られん!」

 

「いざ凄まじきねじれの英雄よ、刮目せよ!」

 

 女神の影が()()に分裂し、地表に伸びる。

 

「私は"戦いの鴉"女神バズヴ。鳥葬の喪主にして冥府の女主人」

 

「私は"赤き鬣の烈婦"女神ヴァハ。呪詛の女王にして瞬足の死神」

 

「私は"夢魔の女王"女神モリガン。他界()の悪魔にして聖なる劫掠者」

 

 放たれた言霊が、分裂した影を寄り合わせて合一する。

 ケルトのドルイドたちは文字を神聖視した。そして文字だけでなく数字もまた魔力を秘めるとみなした。

 3・5・7・9を特別視し、特に"3"はケルト神話において最も力ある数字だ。

 

 なら三柱が揃った三相の女神は。

 

「我ら三位一体の女神(モリグナ)! 我ら三幅対の母神! 三度滅びを告げる運命神!」

 

 我が身はケルト最強。我が名声はケルト最大。我が激情はケルト最高。

 思案など興が醒める。我が名の"怒り"が示す通りに、猛り狂うがよろしい。

 

 いざ。いざ。いざ。

 

 いざ! 去来(いざ)! (いざ)! 

 

 女神の疾駆がはじまる。

 いにしえの女戦士のごとく見事なる吶喊は、意外にもスピードはない。だが、その圧力は比類ない。

 過ぎ去った後にはぺんぺん草どころか、火山灰すら燃え尽きる! 

 

 

「あれをどうにかしろってか。っざけんなよ……」

 

 逃げ出したい。

 でも逃げるたってどうやって。走って逃げる? シギュンを背負ってこんなマグマと岩だらけの場所を? 

 それに相手は馬だ、徒歩と騎馬の競走なんて結果は見えてる。

 

 なら。

 

「ここで踏ん張るしかねぇだろ!」

 

 どうせ不死。

 やるだけやって、当たったら砕けろ、だ。

 

 夸父(コホ)が大きく息を吸って、大きく吐いて深呼吸した。心を落ち着かせ、呼気を体内へと充満させる。呪力を臍下丹田で練り上げる。

 

「ふぅぅーーーー。はぁぁーーーー……──やるぞ」

 

 地面に手を置く。土もある。

 その下には水もある。熱せられた土から金属の存在も確認できた。

 目の前には轟々燃えている"火"だってある。

 

 震える自分に言い聞かせる。

 

「だったら木を植えるだけの簡単な仕事だ。楽な仕事じゃねぇか……」

 

 こんな楽な仕事そうそうない。笑いが出るぜ! 

 ああ、そうだとも! 組織で善の魔術師たちの囮をやっている時の方がよっぽどキツかった! 

 

 夸父(コホ)は魔術師ではない。

 魔道の深淵を覗くにはその才はあまりに薄く、覚えも悪い。

 だが、彼は神祖を総帥に抱く邪術師たちに拾われた。それほど価値があると、見出されたからだ。

 

 ここで。

 今ここで。

 邪術師とはいえ魔術師たちの目にかなった我が身体の秘奥……見せつけてやる!

 

「まつろわぬ女神さんよ、アンタ、死を預言する死神なんだってな。だったら俺みたいな──()()()()を呪った悪因悪果を呪えよ?」

 

 強い語調の独り言で自分を鼓舞しながら、腹から染み出る水を汲み取る。

 数日前まで湧水ほどしかなかった夸父(コホ)の小川は、魔性を得て大きく変質してしまった。

 水が渾々と湧き上がる。その莫大な勢いと水量は、雄渾な大河を思わせる。

 

 定命の者だったあの時まで限度があった。だが幸か不幸か、その制限は撤廃された。

 

 ──不死だと? いいだろう! 

 死神よ、お前が何から死を奪ってしまったのか此処に知らしめてやる! 

 貴様がなんの死を奪い、限りある底を開けてしまったのか。

 

 その瞬間から、俺の本質は変わり果ててしまったのだから! 

 

 

「──!」「──!」

 

 身体に宿る一蓮托生の痣たち。白い魚と(くろ)い魚が言う。

 

 俺たちには名前があると。

 

 不死となり位階が上がり"長人"という号と業を獲た夸父(コホ)と同じく、我らも"名"を得たのだと。

 

 だったら。

 

 夸父(コホ)の影が()()に分裂し、地表に伸びる。

 

「やるぞ──霊宝魚、混元魚」

 

「我ら三幅対の魔人。齢を奪われし清らかなる三仙人。相手が三位一体の女神だったら、俺たちは三身一体だッそうだろ兄弟ッ!」

 

「──やぁってやろうじゃねぇかッッッ!!!」

 

 

 夸父(コホ)の威勢のいい声に呼応して素肌を二魚が、泳ぐ。その先は両の手のひら。

 

 右の掌に白い魚──右半円を描く。

 

 左の掌に黒い魚──左半円を描く。

 

 手のひらを重ねて寸毫の狂いなく合掌し──合一をなす。

 

 

「勾玉に渦巻く二色の"二魚"」

 

 

「二魚を蔵する我が身は弧をかく"円"」

 

 

「ゆえに我ら」

 

 

── ──

 

 

 放たれた言霊が、分裂した影を寄り合わせて合一する。陰と陽が一つに重なりあう。

 

 両儀たる陰と陽を収める──無限の器こそ我が本質! 

 

 

「少皞氏に四叔あり──」

 

「重と日ひ、該と日ひ、修と日ひ、熙と日ふ。実に金木及び水を能くす!」

 

「重をして句芒たらしめ、該を蓐収たらしめ、 修と熙とを玄冥たらしむ!」

 

 大皞伏犠は句芒、"木"に配す。

 炎帝神農は祝融、"火"に配す。

 少皞は蓐収、"金"に配す。

 黄帝(軒轅)は后土、"土"に配す。

 顓頊(高陽)は玄冥、"水"に配す。

 

 古代中国の名高き五帝を五つの属性に配する口訣を結ぶ。

 

「我ら求めるは不抜! 太極>>>両儀ッ! ──五行よ生じよッ!!!」

 

 大地に掌を叩きつけ、地面が蠕動を繰り返す。

 夸父(コホ)の呪力を浴びた土が地下水を上へ上へと押し上げ、濁流となって赤き牝馬へと襲いかかった。

 

 水剋火。呼び出した水が火を相剋する。

 

「むっ!?」

 

 意志持つ紅き馬が驚愕に染まる。

 

 まだだ、まだ終わらない。あれは駆けつけ一杯、おちょこの中身を振り撒いただけ。

 夸父(コホ)の手のひらの二魚が螺旋を描いて五行を回す。夸父(コホ)は相剋だけを操るだけでは無い。相生もまた彼の手管のひとつ。

 

 飛び散った水は土壌と交わり、新緑を生み出し森と変わる。

 赤き牝馬の火のきらめきは森を焼き、土と変わり、土は金属を生み出し、金属はやがて水を生む。水はやがて植物を生む。

 

 太極という概念に裏打ちされた五行相剋が、赤き牝馬の疾走を阻む。

 五行の火に配した"炎帝神農は祝融"を抜き出し、"苛烈なるモリグナ"へ入れ替える。火焔となったバズヴすら組み込んだ五行の円環は、不抜の楯。

 

 神話から抜け出した不滅なるサイクル(神話群)が──流転するサイクル(循環)によって阻まれる。

 この瞬間より、夸父(コホ)最後の希望(カンピオーネ)の守護者と変わった。

 

 

「アーーーーーハッハハハ!!!」

 

 夸父(コホ)の決死に、全力疾走の一騎駆けを邪魔されようがまつろわぬ神は雄々しく熱烈な笑みをたたえるのみ。

 

不死者(アンデット)よ、我が褒美を以て我が身に仇なしますか!?」

 

「何たる不義理! 何たる不忠者!」

 

「──ですが。我が裁定は不可逆ッ」

 

 驕慢に満ちた神は驕慢であるがゆえに、夸父(コホ)の不死を取り上げることはしない。

 

 一度下賜した褒美を取り上げるなど女王たる振る舞いではない

 一度差し出した贈り物を取り上げるなど大いなる母の振る舞いではない。

 一度下した決断を翻すなど、自儘なるまつろわぬ身の振る舞いではない! 

 

「このケルト最強の戦女神に歯向かうと言うならば、よろしい! 不死者(アンデット)よ、あなたをこれより戦士と認め──"ゲッシュ(誓約と禁忌)"を定めましょう!」

 

「!?」

 

 ゲッシュ(誓約と禁忌)

 

 ケルトの戦士たちが超常の力を得る代わりに課せられる、禁忌(タブー)

 ケルトのサイクル(神話群)では一種の破滅の予言のごとく機能する。戦士たちは必ずその禁忌を犯し、破滅へと陥る。

 まるで運命神の描いたシナリオ。

 

 そして禁忌は自分が課すよりも、他者に課される方が多い。……夸父(コホ)もまた。

 

「汝──力ある女の言葉に逆らってはならぬ!」

 

 まつろわぬバズヴから投げかけられた言霊が夸父(コホ)を絡め取り、ゲッシュとして縛られる。

 女神の呪いは止まらない。

 

「これを最初で最期の試練と心得なさい!」

 

「乙女を護る不抜の尖嶺(せんれい)となり──」

 

()()()()()()()()()()()()()""()""()()()()()()!!!」

 

 バズヴの激烈なる言霊が、夸父(コホ)を蹂躙する。核爆弾の衝撃波でも浴びたような圧力に吹き飛ばされそうになる。

 全身の活力が抜け落ち、膝から崩れ落ちそうになる。

 

 だが夸父(コホ)は倒れない。否、倒れられない。

 

「ぐ、ああああああ!?!?!??」

 

 まつろわぬ神の祈念と己に課せられたゲッシュを果たすために体内の水が踊り狂う。

 呪いと言霊の挟み撃ちに合い、身体がバラバラになりそうだ。しかし地獄にあっても夸父(コホ)は死なない。死ねない。不死ゆえに! 

 

「不死なる不抜! 神殺しよ、このような隠し玉があったとは楽しませてくれる。ですがその堅牢さこそ私に力を与えると知りなさいっ」

 

 不死も不抜も、自分が与えておきながら敵に回す厚顔無恥さ。間抜けなほど狂い切り、自分を信仰し尽くすからこそ──まつろわぬ神は更なる強さを獲得する。

 

「うっ……そだろ!? まだ上があるのか!」

 

 紅き馬が羽化する。

 力強いキ甲から大きく翼が広がる──紅黒い天馬だ。

 地に倒れた死骸から魂を天上に捧げる鴉。

 大地の馬と天空の鴉。天上と冥界を支配する二界を支配する女王は、その相を合一させキメラとなる。

 それこそバズヴの本質。

 

『翼持つ馬』

 

 ──天馬の竜こそ、バズウの正体なのだ! 

 

 夸父(コホ)の両腕が弾け飛び、肩口まで焼き焦がす。

 征路を往く天馬にして天魔は頬を紅潮させる。

 戦争の女神は鼻が利く。だから分かるのだ。最強たる己を討滅しうる強力な"箭"が、すぐ近くまで迫っていることを。

 

「来ませい、怨敵の箭よ! 我がかいなで抱きしめ撫ぜてあげましょう!!!」

 

 高揚に噎せる戦女神がさらに出力を上げた。

 いかに至尊なる太極と五行をその身に備えても、夸父(コホ)とまつろわぬ神とでは出力に雲泥の差がある。

 半身を焼け爛れさせながら夸父(コホ)は根を上げた。

 

「もうダメだっ! 抑えられない──シギュン!!!」

 

 

「ん。もうやれる」

 

 

 気負いのない声が返ってきた。

 狂乱する女神に嫐られ、どれだけ情けなく、今にも消し炭になりそうでも。夸父(コホ)は見事に務めを果たしてみせた。時間を稼いだ。

 最後の希望(カンピオーネ)へとバトンを繋いだ。

 

 まつろわぬバズヴは三相の女神。

 そして女神たちには多くの名がある。

 殺戮の運び手。破壊の顕現。戦いの鴉。夢魔の女王。紅き鬣の烈女。

 そして夢魔の女王にある夢魔とは淫魔にあらず。

 

 純粋な悪夢。差し迫った死の象徴。夢のなかで何度も死を味合わせる恐るべき悪魔の大女王。夢という他界を支配する大女王こそバズヴ。

 

 悪夢で人々を苛む夢魔の女王! だから──

 

 

「すべての夢見る子供たちのために──」

 

 

 

世界に亀裂が入った。

 

 

 

 そう錯覚するほど悍ましい量の呪力が天空へと立ち昇る。バズヴの霧や雲よりもさらに上空、成層圏を抜けて、白夜に照らす太陽の眼前まで。

 

「天音に昇った言霊たちよ。言葉に枷はなく、母なる山嶺を超えて。神々の求める処女(おとめ)が大いなる母へと羽化するとき、目覚めの鐘を鳴らしましょう」

 

 どこかで鐘の音が鳴る。

 

 独唱する歌手がするように腕を伸ばし、細い指先を彼方へと掲げて聖句を捧げる。

 

 捧げられた聖句はどこへいく? 声はどこまで響く? 

 

 今、答えが示される。

 

「言霊たちよ──」

 

 ここに聖句は結ばれた。

 

 

 

「──天来せよ」

 

 

 

 氷山が、落ちてきた。

 

 

 "ᚺ"─"ᛇ"─"ᛁ"

 三種の秘文字で埋め尽くされた、白氷のメテオストライク。宇宙にまで駆け昇った言霊たちを呼び寄せ、敵を射貫き押し潰す。それがシギュンの権能《雪靴の小公女(öndur dóttir konungs)》最大威力の一矢。

 

 言霊ではなく実体として存在する膨大な質量の氷の箭が分厚い雲も戦場の狭霧も突き抜けて、突進する。

 

 氷山の箭。火山のごとき騎馬。

 

 両者が激突する。

 

 ──轟。

 

 北欧の創世神話として語られるニヴルヘイムの冷気とムスペルヘイムの熱気のぶつかり合い。暴虐の破壊が『王』と"神"の間でギンヌンガガプのごときギャオ(裂け目)を生み出す。

 

「「「お、お、オォォォオオオオオオオ!!!」」」

 

 死力を尽くした三女神の咆哮。

 

「う、く」

 

 言葉少なに苦悶する白き小公女。

 

 せめぎ合う両者だがやはりまつろわぬバズヴの方が余力がある。まだ底を見せていない。

 

 夸父(コホ)は焦りを覚えた。肩に乗っかるシギュンから歩の悪さはひしひしと感じる。

 元より苦戦していた彼女だったのだ、決戦の望めば追い込まれるのは分かりきったこと。

 

 だけどシギュンは迎え撃った。

 

 あのままズルズルと消耗戦を演じても負けは必定。だからこその賭け。一発逆転の賭けだったのだ。

 

 カンピオーネは人類最後の藩屏。ここを抜かれれば女神の意を汲み、ラキ火山は怒涛の大噴火をはじめて人類は大きく打撃を受けるだろう。

 人類の命運と自分の命をベットした馬鹿げた賭け。

 

 シギュンもまたカンピオーネ。他のカンピオーネたちと同じくギャンブラーなのだ。

 

 東洋の名将は"武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つ事が本にて候"という言葉を残した。カンピオーネもそれにならう。

 敗けなどクソ喰らえ。ゴミためから拾おうが、敵から横取りしようが勝利こそカンピオーネの本質。そのためならドブだって喰らって見せる。

 

 

 夸父(コホ)だって気持ちは同じだ。

 これ以上、あの女神様に好き勝手されてたまるか。死を奪われた。ゲッシュを定められた。人から外れた。これほどいいようにされて、人を、自分の住まう国まで破壊しようと言うのか? 

 認められるはずないだろう! 

 

「シギュン、俺になにかできないのか!?」

 

 バズヴはシギュンの氷山にかかりきり、夸父(コホ)はフリーハンド。多少なりと助力はできるはずだ。

 

「水」

 

 シギュンが視線を走らせる。

 

 そうか、火には水だ。

 

 マグマに触れれば成層圏へと届くほど莫大な水量をラキの地は抱えていたはずだ。過去、最も酷い噴火は軒並み水蒸気噴火だ。

 バズヴが溶岩を操りながらこれまで水蒸気爆発が起きなかったのは、まつろわぬ神の意思が働いているからだ。

 

 だが脇にどけられただけで、無くなったはずじゃない。

 女神の意思が完全に離れている今なら。

 

「大丈夫なんだな」

 

 夸父(コホ)は問いを投げた。

 シギュンの求める水量はダムのそれに等しい。水蒸気噴火が起きれば本末転倒もいいところ。

 だから確認したのだ。

 

「ん」

 

 シギュンは頷いた。

 なら夸父(コホ)はシギュンを信じるだけ。さっきと立場が入れ替わっただけだ。

 シギュンはバズヴを止められると夸父(コホ)に任せ、そして夸父(コホ)は噴火を止められるとシギュンを信じる。

 

「分かったやるぞ──求めるは渭水の黄流! 顓頊(高陽)>>>玄冥!」

 

 大地を蠕動させ、まつろわぬバズヴに追い立てられていた地下水を引っ張る。

 一介の魔術師ではまたたく間に息切れする呪力を、土を捻って地上へと呼び寄せる。

 

「雪崩打てぇぇぇぇぇぇえ!」

 

 堰を切ったように膨大な地下水が、バズヴの足元で接触する。

 

 ──噴。

 世界から一瞬音が消え、そして衝撃波が弾け飛ぶ。

 

「これは──!?」

 

 圧倒的優位にいたはずのバズヴの表情に初めて瞠目が浮かび、その表情に焦りが彩られる。古今無双の進撃をしていたその足が止まる。

 火山をいいように操っていたからこその報い。

 土の地母神が驕り高ぶり、その身に余る火を操ったからこその因果応報。

 

 水蒸気爆発で気体と変化した水が、シギュンの氷山によって急速に冷やされ液体へと戻る。やがて水はは冷気によって氷となりシギュンへと加勢する。

 

 ここに、趨勢は決した。

 

「決めろ! シギュン──!」

 

 

 

 

「全ての祝福された子らのために──」

 

 

カウン──汝、《瘤》。はかなき子らの尊さと母の孤独を知らせるものよ。……なぜ、青褪める?」

 

ソウィロ──汝、《太陽》。天の焔であり夜を照らさぬ者。聖なる玉座から移ろわぬ者よ。……なぜ、移ろう?」

 

ソーン──汝、《巨人》。ユミルの全身。洞から出て歩き出した子らへの毒と痛みの警告よ。……なぜ、逆巻く?」

 

アンサズ──汝、《神》。ブーリの末裔。天上より子らを見守るいと尊き父と大いなる母よ。……なぜ、ここにいる?」

 

 言霊を重ねるたびに氷山は氷塊へと代わり、氷塊は鋭利さをもって鏃となる。鋭さはまさに真冬の切りつける吹雪そのもの。

 

 冷酷なる冥府の息吹。

 

 

「約束の地から旅立った子らに仇なすものどもよ。ろうたけた母の威風に震えよ。この世に有りうべからざるものどもよ、我が一矢にて在るべき世へと帰るがいい!」

 

「我が箭こそ──」

 

 

「スヴェル」

 

 

「──汝:輝けるまつろわぬ(わざわい)を阻むもの!」

 

 北欧神話において太陽は人間にとって福音をもたらすものではない。人の住めない灼熱のムスペルヘイムから出てた禍の火球だ。

 世を照らすのは夜と昼の女神がもたらす加護に他ならない。

 

 輝ける太陽。そしてこの世に現れる"まつろわぬ(わざわい)"から人々を護る楯こそ──スヴェル。

 そして楯はカンピオーネの権能となり人界守護の鏃と変わった。

 

「オォォ、ぉぉおおおォォォオぉぉおおおおおああああああぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああぁぁあ!!!!」

 

 加速を重ねたスヴェルを受け止め、まつろわぬバズヴの足元が砕ける。

 蹄で地面を砕くほど踏ん張っていたところに夸父(コホ)が大地を動かして無理やり地下水を呼び出したのだ。

 過剰に組み上げ、緩んだ地盤が沈下するのは当然。

 

 だがまつろわぬバズヴもさるもの。まだ諦めてはいない。

 

「まだです! 我が身は竜! 不死の象徴にして不死なる女の化身なればこの程度で死するに能わずッ」

 

 バランスを欠き、氷山に押し潰されようと戦女神は死せず。氷山の冷気で凍傷を負った部分を蹴り飛ばし、火山の苛烈な熱量をたくわえ戦線への復帰を試みる。

 

 だが。

 

「ここ、何処だと思ってるんだよ。氷と火の国"氷島(アイスランド)"だぜ」

 

「バズヴの墓場は()()

 

 

「──!?」

 

 

 火山と氷山の狭間。

 ニヴルヘイムとムスペルヘイムによる創世とは真逆で、氷山は溶けるどころか勢いを増していく。その冷気はあらゆるものを凝固させていく。

 

 バズヴは驚愕した。

 

 シギュンと夸父(コホ)の策は既に成っていた。陥穽裂け目(ギャオ)という陥穽ができた時点で。

 

 そもそも何故夸父(コホ)はこの場所にきたのか。それは神具という超越の神秘を跡形もなく消滅させるためだ。

一度ヨーロッパを滅ぼしかけたこの霊地は、神々にとっても墓場だ。

 

 そう。

 ふわふわと捉えどころのない不死ですら絡め取る。

 

 バズヴははじめて己以外の死というものを感知した。

 

 不死の属性が手のひらの指から零れ落ちていく。本当の意味でこの世に受肉した肉体が、現れた傍から冷気で冷やされ火山の熱気で消し炭になっていく。

 

 まさにギンヌンガガプ。

 火と氷の島(アイスランド)裂け目(ギャオ)こそ、最も死に近い場所。この領域は死神ですら葬る墓場となる。

 

「軽銀の王冠をかぶる放肆なる小公女よ! 無礼千万にも死神の手を払い除けますか!」

 

「ですがゆめゆめ忘れることなかれ」

 

「──汝、我がかいなで抱かれる運命! 定命のものなればッ」

 

 

「ふっ」

 

 滅びを予言したバズヴに死を予言されようとカンピオーネは詰まらないジョークを聞いたように鼻を鳴らす。

 やがてまつろわぬバズヴはスヴェルとともに溶岩の奥深くまで沈んでいった。

 

 

 

「……やったか!?」

 

 ぱこん。

 何故か頭をはたかれた。

 

「なんでだよ!」

 

 割と痛い。というかかなり強めだった。

 抗議の言葉を口にするが返事はなく、すん、とそっぽを向いた。

 

 妙なフラグはたったが今回は大丈夫らしい。

 

 ──一匹の黒い鴉が上空へ飛翔していく。

 

 火山列のいくつもの火口から、穏やかな噴煙が立ち込める。あれは魂の送り火。立ちのぼる煙は神々の故郷への道しるべ。

 

 まつろわぬバズヴが逝ったのだ。

 

 がしゃんっ、肩に背負ったシギュンの重みが増した気がした。それもすぐになくなり、気のせいだったか? と頭をかく。

 

「つかれた」

 

「だなぁ……。ってか俺も疲れたし、さっさと肩から下りて労わってくれて」

 

「コーヒー」

 

「降りる気ないなテメェ。……つかお前、あんな不味いコーヒーよく飲む気になるなァ」

 

 シギュンのスヴェルのおかげだろうか。

 周辺の異変は落ち着きを取り戻し、マグマでさえ黒い岩々となっていた。剥き出しの摩すれていない地面を歩き出す。

 

 ザク。ザク。とん、とん。

 

「コーヒーどころかリュックなんて消し炭になっちまったし、レンタカーまで戻んなくちゃな。というかレンタカーは無事なんだろうな……」

 

「……」

 

 ザック。ザック。

 

 こんこん。ザク。ザク。

 

「足音……」

 

 ザクザク。ザックザク。

 

 とん、とん。こんこん。

 

「ずっと。……こうやって話せばいいのに」

 

「あん? 俺なんか言ったっけ? ってか、ずっとおぶれってか」

 

「……知らない」

 

「あー……そういやお前、ヘッドホンはしなくていいのか? ちょっと焦げてるけど、奇跡に壊れてないっぽいから動きはするぞ」

 

「ん。今は、いらない」

 

 首筋に、シギュンの額の感触が広がる。柔らかな髪の感触がくすぐったい。

 

 さっきまで驚天動地の戦いが起こっていたのに終わってみれば呆気ないものだ。

 氷島(アイスランド)の吹きすさぶ風と、夸父(コホ)の足音だけが響く。

 

「はぁ〜……にしたって不死かぁ。これからどうスっかなぁ……アメリカに帰るだろ? そんでやっぱ神祖様に報告しなきゃだよなァ……任務は終わったけど気が重い……」

 

 神祖様は不死の呪いの解き方を知ってるだろうか、知ってるといいな、ちょっと抜けてるからなあ……。と希望的観測で、どこまでも突き抜ける青い空を眺める。

 

 不死となって人から外れてしまった実感が今更湧いてきた。

 

 するとシギュンが耳元で囁いた。

 

 

「ん、生きるのに飽きたら」

 

 

 

()()()()()()()()

 

 

 

 首に回されている腕が、きゅっと締まった。

 

 ああ、やっぱそうだよな。夸父(コホ)は思った。

 

 きっと。こいつも決定的ななにかがぶっ壊れている。まつろわぬ神にぶち壊され、魔性を埋め込まれた人の成れの果てなのだ。

 

「ま、あんま苦しくない権能が手に入ったら頼まァ」

 

「ん」

 

 

 というかまつろわぬバズヴは最後に気になることを言っていた。

 

 たまにシギュンはこちらの思考を盗聴したような仕草をとるし、イマイチ考えが読み取れない。

 そしてバズヴは言った。軽銀の王冠を被っている、と! 

 つまり頭にアルミホイルを巻いて電波(霊視)から守り、対戦相手の思考を読みとる王……!? 

 

 胡乱なことを考えていると、首に回された腕がいきなり締まった。

 

「…………」

 

「おい、やっぱテメェ他人の思考読み取れるだろ! ……ぐえ、死ぬ死ぬ死ぬ!」

 

「嫌な感じがしただけ。あと、夸父(コホ)は死なない」

 

 

 

「……ずいぶん仲が良いのだな……」

 

 アホなやり取りをしていると老紳士ジョー・ベストが立っていた。足の負傷はまだ癒えていないのか、隙のない紳士のように真っ直ぐに立っているのものの少し傾いている。

 

「お初にお目にかかる小公女(プリンセス)。新たなる神殺しの君の生誕の義、誠に祝着至極にございます」

 

 ジョー・ベストは礼儀正しく惜しみのない寿ぎの言葉をシギュンへ……八人目のカンピオーネへと贈った。

 だが礼を尽くしても、頭は垂れない。なぜなら彼には彼が忠を捧げる『王』がいるため。

 

「我が『王』からの伝言です。『新たなる同胞の誕生は喜ばしいことだが挨拶に赴けない不作法を許してほしい。そして願わくば君の騎士とともに我が故郷に踏み荒らすことがないことを願う』と」

 

「そう……」

 

夸父(コホ)くん。ここは氷島(アイスランド)、そしてまつろわぬ神を退けたことで今は見逃そう……だが君も、アメリカの地を訪れることはない事を願うよ」

 

「俺は……《蝿の王》だ」

 

「残念だ」

 

 アメリカのカンピオーネは《蝿の王》と敵対し、夸父(コホ)は《蝿の王》だった。夸父(コホ)はその渦中へ身を投げることになるだろう。

 

 シギュンは──。

 

 騒乱の寵児たるカンピオーネはやはり騒乱を呼ぶ。いずれ交叉する銀の弾丸と白の箭を予兆する風は、もう吹き始めていた。

 

 

 

 

 ケルトのサイクル(神話群)に綴られる襲撃(トーイン)──クアルンゲの牛捕りはドン・クアルンゲという豪奢な牡牛を、とある女王が求めたことを発端とする。

 

 このドン・クアルンゲは少々特殊な出自の牛だ。というのも最初から牛だった訳ではない。

 曰く、ドン・クアルンゲとは転生し続ける元人間だという。

 

 ケルトにも転生という概念は存在する。

 仏教のそれとは違うが、ケルトの基層思想であり精髄では魂は不滅だ。死んでもいつかは復活するという思想がある。

 死からの復活こそ生であるという思想がある。

 

 神具『赤牛の書』は神具の格としてはあまり高くはない。ただ、クアルンゲの牛取りを書き写そうとした逸話から生まれた神具だから、クアルンゲの神性を多少なりと宿していた。

 神性とはつまり転生。

 ドン・クアルンゲの物語を書き記された『赤牛の書』は破壊可能な神具だが、それと同時に転生しつづける神具でもあった。

 

『赤牛の書』が破壊された場所はちょうどまつろわぬ地母神の墓場と同じ場所だった。灼熱のムスペルヘイムの熱気と極寒のニヴルヘイムの冷気がぶつかり合う墓場。

 

 女神すら死せる場所で『赤牛の書』は転生という神性を発露した。

 

 ただ、この場所は氷島(アイスランド)。北欧神話の根付く土地。

 そしてまつろわぬ女神の熱気とカンピオーネの冷気が交わる場所。

 

 大地母神のよすが。

 熱と冷気の交わる裂け目(ギャオ)

 転生する牛の神具。

 

 そしてまつろわぬ神や神具は、地上へ現れる時。その土地に広まる神話伝承を材料とする。

 

 なら。

 

 

 「生まれるのは不朽不滅の神具。名を──《原初牛の牛皮紙(アウドムラベラム)》」

 

 

 隠者のごとき神祖が、()漿()のなかを漂っていた牛皮紙を掴み取った。

 北欧神話にて始まりの巨人ユミルととももに生まれた始まりの牛の名を冠する神具を手に取り、うっそりと微笑む。

 

「うん、これで大きく一歩前進。それに……」

 

 かしゃん。

 神祖の取り出したディスク……杯盤のふちに、新たな名が刻まれる。

 

 Guinevere.

 

 Medusa.

 

 そして新たに──Niniane.

 

 

ニニアン(Niniane)。バズヴ様の異名ネヴァンを前身とする湖の貴婦人の名ですか。フフ……良き御名かと存じますわ」

 

 偽りの魔女王。神祖たちが忌むべき僭主の玉座に座るもの。まつろわぬ神のあらわれる世界に生まれたバグ。

 

 まつろわぬメティスの神祖──メドゥサ(Medusa)は愉快そうに笑い声をあげながらやがて闇へと溶けていった。

 

 偽りの魔女王。千変万化の冥王。不死者(アンデット)。そして白き小公女。

 

 彼らの行き着く先を、未だ知るものは居ない。






わいも知らない……

という訳で一旦終わりです。
お付き合いありがとうございました
一章書き上げたから完結タグ付けさせてください、許して許して
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