一閃。一閃。一閃。
思いがけない乱入者の介入だがモリグナは冷徹に武を叩きつけた。一切褪せない武技の冴え。只人ならば悟ることも許さず絶命する鉄風の嵐。
だが。
他でもない──戦女神モリグナが定めた法によって。
転がるように巨体をシギュンの身体に叩きつけて、そのまま少女の身体を抱えながら距離を取った。
のっぽの
「やらせねぇ……。やらせねぇやらせねぇやらせねぇぞ! コイツだけはやらせねぇカミサマ!」
こいつは希望だ。
人類がまつろわぬ神に対抗出来る唯一の手段。そして俺ができる唯一の贖罪なんだ。己の恐怖心へ言い聞かせて身を盾にする。
ついぃ……モリガンの視線が刺さる。
虫でも見るような視線。こちらに対して毛ほどの価値も見出していない目。
だが鋭い。視線は槍となり、心臓を突き刺す鋭さを秘めていた。
肩がすくみ、後ずさる。
「我が恩寵と加護を受け取って起きながら、
下等な獣どもが粗相をしでかすのは当たり前。尊貴にすぎるその自負は女神の器量となる。
とはいえ。
「……眠れよ、子らよ──ぜひっ! こひゅー、こひゅー……!」
抜け目ないカンピオーネは刹那の間隙を見逃さない。
言霊を短く謡い、呪詛に蝕まれた身体を洗浄するように呪力を高める。臍下丹田より練り上げられた圧倒的な呪力がモリグナの呪いを破壊しつくしていく。
小柄な体躯でも、義母パンドラよりその身に刻まれたデタラメさは本物だ。
「うふふ。やはり神殺しには武運がある。いえ、悪運と言うべきでしょうか。死すべき窮地から命からがら脱するなど……」
呪いが解け、痩せ細った肢体と肌に、生気が戻る。
よろよろと薄くなった肉と皮の足で立ち上がる。豪。今度こそ呪いを完全に弾き飛ばした。
「アルスターの戦士たちですら九日間は動けなかった我が呪いを破るとは。やはり神殺しに遠間からの魔術は
シギュンに掛けていた呪いが解けても、モリグナはこれまで通りの余裕を崩さない。嫣然と笑いながら牢獄から抜け出した囚人をただ見送る。
「さて、どうしたものか。先ほどのごとく我が手のひらの指先から零れ落ちるのも不本意……」
「悠長に遊びふけるのも我が流儀にあらず。鮮烈なる閃光の輝きこそ至高なれば!」
「……運も実力もまとめて──物ぐるわしい苛烈さにて轢殺し、葬るがよろしいッ!」
目をカッと見開いて、女神の殺気が迸る。
モリグナの足元が蜘蛛の巣状にひび割れ、そこからマグマが爆ぜ猛る。
モリグナが決意と宣誓をあらたにした。
決意も叫びとともに女神が消えた。
女神の玉体が霧へと雲散霧消し、その狭霧が地に溶ける。
「…………………………」
これまでの騒々しさが嘘だったように静けさが広がるが……二人は理解していた。
これはモラトリアム。
主演女優である女神が衣装替えをするための幕間。
激情の女神はすぐに舞い戻る。
戦争と激怒。狂気と流血。
そして恐るべき己が名をもって敵を征路に引きずりだし、硬い蹄で轢き潰すために。
だが災厄の根源が姿を消したことで、一時の静謐が訪れた。
「なにしにきたの」
シギュンが不審さを隠さずに氷の眼差しを向けていた。
「た、助けにッ」
ぶるぶる。かちかち。
長身を小刻みに揺らして、今にも膝をつきそうな情けなさだった。間違っても戦士とは言えない体たらく。
まるでシャチの群れにアザラシでも迷いこんだような場違いさだった。
「…………?」
心の底から理解できないという、がらんどうの目。
「助けて貰った、からっ! あの、女神はっ、……俺が呼び出しちまったから……!」
声を詰まらせて、惨めに。
不死という──超常を獲ても。
不死者というと──超越者となれども。
身に宿す術に──
所詮、
半端者は遙か高みを見上げて、覗き込み、眺めるだけだ。
だから。
だけど壁くらいにはなる。一撃とは言わずとも威力を軽減させる楯にならなれる。
「死ぬかも?」
「俺はっ、死ねねえ! もうそれさえ……許してもらえねえ! だったらお前の身代わりになってやる……それでもしも死んだって、それでもっ、死ぬまで後悔するよりマシだっ」
「ふーん……」
何を考えているのか分からない声音だった。そして納得も理解もしてない声音。
当たり前だ、
考えていたより遥かに早い、異変の登場。
地震ではない。
地震だったらもっと無機質だ。こんな情熱を煮詰めた覇気は伴っていない。
必ず我がもとに──冥界へと連れ戻すという殺意を孕んではいない。
ならばこれは、怪物の足音。
矮小な人ごときが出会ってはならない……森羅万象を超克した怪物の足音!
「「「戦場に花咲く私は、戦場に舞うがゆえに、敵手との戦場のきずなを信じます。我が想いを受け止めてみせなさい神殺し!」」」
色が消える。
視界の隅々まで真っ赤に染まった灼熱地獄から、色が消えていく。
熱が冷めていく。マグマどころか気温すら急降下し、白い息を吐く。カンピオーネのシギュンでさえ。
赤と熱が、一箇所に集約され。
特異点が姿をあらわした。
その特異点は、"馬"の形をしていた。
──
「な、なんだ……ありゃあ……」
溶岩を肉体とする赤き牝馬。
キ甲や前胸、そして臀部は大きく盛り上がり、赤き鬣のヴァハの異名そのままに燃え上がる鬣を伸ばす。
モリグナの属するケルト世界において、何よりの財産は土地。そして次にくるのは馬だった。
牛と同じく、田畑を耕し、穀物という財産をもたらすものとして大地と結びつけられていったのだ。
それは農耕だけでなく戦争にも結びつく。
土地を得る何よりの方法は戦争。多くの古代世界においてやはり最強は馬に乗り込み、戦場を韋駄天の速さで疾駆する騎馬だった。そして馬に牽かせる戦車だった。
土地を奪うのに最も強力な兵器こそ馬だったのだ
あれこそモリグナの最も荒々しく残酷な一側面──
「ふふふ。まさか地上へ降りてそうそうに"この"姿を晒すほどの極上の戦を堪能できるとは! さあ、神殺しよ構えなさいっ」
馬の背には女が騎馬していた。否、乗り込んでいるのではない──馬の背から上半身だけ女が生えている。女が叫ぶ。
ラキ火山の大地の精を喰らい、膨張し、最強となった戦女神の考えることなんてひとつだ!
──最強最悪の一撃が来る!
「……お、お前。あんなの、どうにかできんのか?」
人がどうにかできる代物ではない。
期待感薄く
「──
力強い言葉だった。
「……でも。時間かかる」
シギュンは逃げ出す気は塵ひとつもない。
迎え討つつもりだ。
そして
「だから凌いで」
「は!? 凌げってお前っ、無茶を……って、もう聞いてねぇし!」
スン、と顔を逸らして会話を一方的に打ち切った。
相変わらず都合が悪くなったらコミュケーションをぶん投げるヤツだ。
クイーンビーというよりプリンセスが相応しいのか。王女に相応しい傍若無人さだ。
だが、今はそれが頼もしい。
「はかなき子らの尊さと母の孤独を知らせるものよ……天の焔であり夜を照らさぬ者……聖なる玉座から移ろわぬ者よ。洞から出て歩き出した子らへの毒と痛みの警告よ……天上より子らを見守るいと尊き父と大いなる母よ……」
シギュンはすでに目を閉じ、聖句を唱え、呪力を精錬しはじめていた。
まるで超小型の炉心だ。
人型サイズでは到底内包不可能な、とめどない呪力を肩から感じる。
シギュンは即決で覚悟を決めた。
なら、俺も肚を決めねば。
いや、やらねばいけない。
あの化け物を召喚してしまった罪滅ぼし……は虫が良すぎるか。報いを、受けなければ。
馬の姿となった女神が朗々と吟嘯する。
「ドン・クアルンゲは巡り、
女神の影が
「私は"戦いの鴉"女神バズヴ。鳥葬の喪主にして冥府の女主人」
「私は"赤き鬣の烈婦"女神ヴァハ。呪詛の女王にして瞬足の死神」
「私は"夢魔の女王"女神モリガン。
分裂した三重の影が寄り合い、やがて合一する。
「我ら
我が身はケルト最強。
我が名声はケルト最大。
我が激情はケルト最高。
人は一度は思い描く、最上の夢想。その体現こそ我!
思案など興が醒める。我が名の"怒り"が示す通りに、猛り狂うがよろしい。
いざ。いざ。いざ。
いざ!
女神の疾駆がはじまる。
いにしえの女戦士のごとく見事なる吶喊は、意外にもスピードはない。だが、その圧力は比類ない。
猛り狂う赤き牝馬こそ戦場にて無数の殺戮を引き起こした──戦車そのもの。雄大なる蹄の前には、立ち塞がる敵も、骸を晒す死骸も、分け隔てなく平等に踏み砕く。
「あれをどうにかしろってか。っざけんなよ……」
逃げ出したい。
でも逃げるたってどうやって。走って逃げる? シギュンを背負ってこんなマグマと岩だらけの場所を?
それに相手は馬だ、徒歩と騎馬の競走なんて結果は見えてる。
なら。
「ここで踏ん張るしかねぇだろ!」
どうせ不死。
やるだけやって、当たったら砕けろ、だ。
大きく息を吸って、大きく吐いて深呼吸した。心を落ち着かせ、呼気を体内へと充満させる。呪力を臍下丹田で練り上げる。
「ふぅぅ────。はぁぁ────……やるぞ」
地面に手を置く。"土"もある。
その下には"水"もある。熱せられた土から"金属"の存在も確認できた。
目の前には轟々燃えている"火"だってある。
震える自分に言い聞かせる。
「だったら"木"を植えるだけの簡単な仕事だ。楽な仕事じゃねぇか……」
ああ、そうだとも! 組織で善の魔術師たちの囮をやっている時の方がよっぽどキツかった!
こんな楽な仕事そうそうない。笑いが出るぜ!
魔道の深淵を覗くにはその才はあまりに薄く、覚えも悪い。
だが、彼は神祖を総帥に抱く邪術師たちに拾われた。それほど価値があると、見出されたからだ。
ここで。
今ここで。
邪術師とはいえ魔術師たちの目にかなった我が身体の秘奥……見せつけてやる!
「まつろわぬ女神さんよ、アンタ、死を預言する死神なんだってな。だったら自分の死期も見てみろよ。だって俺みたいな──
強い語調の独り言で自分を鼓舞しながら、腹から染み出る水を汲み取る。
数日前まで湧水の泉ほどしかなかった。しかし今は、女神の魔性により大きく変質してしまった。
水が渾々と湧き上がる。勢いと水量は、雄渾な大河を思わせる。
定命の者だったあの時まで限度があった。
だが幸か不幸か、その縛りは消え去った。
──不死だと? いいだろう!
死神よ、お前が何から死を奪ってしまったのか。貴様がなんの死を奪い、限りある底を開けてしまったのか。
此処に知らしめてやる!
「──!」「──!」
身体に宿る一蓮托生の魚を象った二つの痣。白い魚と
俺たちには名前があると。
不死となり位階が上がり"長人"という号と業を獲た
だったら。
「やるぞ──霊宝魚、混元魚」
「我ら三幅対の魔人。齢を奪われし清らかなる三仙人。相手が三位一体の女神だったら、俺たちは三身一体だッそうだろ兄弟ッ!」
「──やぁってやろうじゃねぇかッッッ!!!」
「勾玉に渦巻く二色の"二魚"」
右の掌に白い魚──右半円を描く。
左の掌に黒い魚──左半円を描く。
「二魚を蔵する我が身は弧をかく"円"」
手のひらを重ねて寸毫の狂いなく合掌し──合一をなす。
「ゆえに我らは──」
放たれた言霊が、分裂した影を寄り合わせて合一する。陰と陽が一つに重なりあう。
両儀たる陰と陽を収める──無限の器こそ我が本質!
「我ら求めるは不抜! 太極>>>両儀ッ! ──五行よ生じよッ!!!」
大地に掌を叩きつけ、地面が蠕動を繰り返す。
水剋火。呼び出した水が火を相剋する。
「──むっ!?」
意志持つ紅き馬が驚愕に染まる。
まだだ、まだ終わらない。あれは駆けつけ一杯、おちょこの中身を振り撒いただけ。
飛び散った水は土壌と交わり、新緑を生み出し森と変わる。
赤き牝馬の火のきらめきは森を焼き、土と変わり、土は金属を生み出し、金属はやがて水を生む。水はやがて植物を生む。
ぐるん。ぐるん。
相生もまた彼の手管のひとつ。
太極という概念に裏打ちされた五行相剋が、赤き牝馬の疾走を阻む。
「なんとっ!」
五行の火に配した"炎帝神農は祝融"を抜き出し、"苛烈なるモリグナ"へ入れ替える。
火焔となった戦女神すら枠組みに組み込めば五行の円環は、不抜。
神話から抜け出した不滅なる
この瞬間より、
「ア──ハッハハハ!!!」
「
「何たる不義理! 何たる不忠者!」
「──ですが。我が裁定は不可逆ッ」
驕慢に満ちた神は驕慢であるがゆえに、
一度下賜した褒美を取り上げるなど女王たる振る舞いではない
一度差し出した贈り物を取り上げるなど大いなる母の振る舞いではない。
一度下した決断を翻すなど、自儘なるまつろわぬ身の振る舞いではない!
「このケルト最強の戦女神に歯向かうと言うならば、よろしい!
「!?」
ゲッシュ──《誓約と禁忌》。
ケルトの戦士たちが超常の力を得る代わりに課せられる、
ケルトの
まるで運命神の描いたシナリオ。
そして禁忌は自分が課すよりも、他者に課される方が多い。……
「汝──力ある女の言葉に逆らってはならぬ!」
まつろわぬモリグナから投げかけられた言霊が
女神の呪いは止まらない。
「乙女を護る不抜の
「
モリグナの激烈なる言霊が、
全身の活力が抜け落ち、膝から崩れ落ちそうになる。
だが
「ぐ、ああああああ!?!?!??」
まつろわぬ神の祈念と己に課せられたゲッシュを果たすために体内の水が踊り狂う。
呪いと言霊の挟み撃ちに合い、身体がバラバラになりそうだ。しかし地獄にあっても
「不死なる不抜! 神殺しよ、このような隠し玉があったとは楽しませてくれる。ですがその堅牢さこそ私に力を与えると知りなさいっ」
不死も不抜も、自分が与えておきながら敵に回す厚顔無恥さ。間抜けなほど狂い切り、自分を信仰し尽くすからこそ──まつろわぬ神は更なる強さを獲得する。
「うっ……そだろ!? まだ上があるのか!」
紅き馬が羽化する。
力強いキ甲から大きく翼が広がる──紅黒い天馬だ。
地に倒れた死骸から魂を天上に捧げる鴉。
大地の馬と天空の鴉。天上と冥界を支配する二界を支配する女王は、その相を合一させキメラとなる。
あれは"竜"。
天馬の形を取っているが、竜の一種。
竜とは多くの動物……蛇、獅子、鳥、豚、そして馬などのキメラだ。そのため竜を構成するどれか一種でも内包していれば竜を名乗れてしまう。
『翼持つ馬』
それこそまつろわぬモリグナの本質。
──天馬の竜こそ、モリグナの正体なのだ!
いかに至尊なる太極と五行をその身に備えても、
半身を焼け爛れさせながら
「もうダメだっ! 抑えられない──シギュン!!!」
「ん。もうやれる」
気負いのない声が返ってきた。
狂乱する女神に嫐られ、どれだけ情けなく、今にも消し炭になりそうでも。
「来ませい、怨敵の箭よ! 我がかいなで抱きしめ撫ぜてあげましょう!!!」
征路を往く天馬にして天魔は頬を紅潮させる。
戦争の女神は鼻が利く。分かるのだ。最強たる己を討滅しうる強力な"箭"が、すぐ近くまで迫っていることを。
高揚に噎せる戦女神がさらに出力を上げた。
──まつろわぬモリグナは三相の女神。
そして女神たちには多くの名がある。
殺戮の運び手。破壊の顕現。戦いの鴉。夢魔の女王。紅き鬣の烈女。
そして夢魔の女王にある夢魔とは淫魔にあらず。
純粋な悪夢。差し迫った死の象徴。
夢のなかで何度も死を味合わせる恐るべき悪魔の女王。
夢という他界を支配する王。
悪夢で人々を苛む夢魔の大女王。
だから──
「すべての夢見る子供たちのために──」
シギュンを起点に悍ましい量の呪力が、世界を縦に割いて天空へと立ち昇る。モリグナの霧や雲よりもさらに上空、成層圏を抜けて、白夜に照らす太陽の眼前まで。
「天音に昇った言霊たちよ。言葉に枷はなく、母なる山嶺を超えて。神々の求める
どこかで鐘の音が鳴る。
独唱する歌手がするように腕を伸ばし、細い指先を彼方へと掲げて聖句を捧げる。
捧げられた聖句はどこへいく?
声はどこまで響く?
──今、答えが示される。
氷山が、落ちてきた。
"ᚺ"─"ᛇ"─"ᛁ"
三種の秘文字で埋め尽くされた、白氷のメテオストライク。宇宙にまで駆け昇った言霊たちを呼び寄せ、敵を射貫き押し潰す。それがシギュンの権能《
言霊ではなく実体として存在する大質量の氷の箭。分厚い雲も戦場の狭霧も突き抜けて、進軍を開始する。
氷山の箭。
火山のごとき騎馬。
両者が激突する。
──轟。
北欧の創世神話として語られるニヴルヘイムの冷気とムスペルヘイムの熱気のぶつかり合い。暴虐の破壊が『王』と"神"の間でギンヌンガガプのごとき
「「「お、お、オォォォオオオオオオオ!!!」」」
死力を尽くした三女神の咆哮。
「う、く」
言葉少なに苦悶する白き小公女。
せめぎ合う両者だがやはりまつろわぬモリグナの方が余力がある。
まだ底を見せていない。
元より苦戦していた彼女だったのだ、決戦の望めば追い込まれるのは分かりきったこと。
だけどシギュンは迎え撃った。
あのままズルズルと消耗戦を演じても負けは必定。だからこその賭け。一発逆転の賭けだったのだ。
人類の命運と自分の命をベットした馬鹿げた賭け。
シギュンもまたカンピオーネ。他のカンピオーネたちと同じくギャンブラーなのだ。
敗けなどクソ喰らえ。
ゴミためから拾おうが、敵から横取りしようが勝利こそカンピオーネの本質。
そのためならドブだって喰らって見せる。
「シギュン!」
これ以上、あの女神様に好き勝手されてたまるか。死を奪われた。ゲッシュを定められた。人から外れた。
これほどいいようにされて、なんの報復も果たしていない。それどころか消滅の危機に瀕している。
ふざけるな。敗北すれば、あの女神はのうのうと世界を練り歩く。そのような現実を到底受け入れられない。
モリグナはシギュンの氷山にかかりきり、
「水」
そうか。
火克水──火には水だ。
噴火でもっとも威力のある噴火は、軒並み水蒸気噴火だ。水がマグマに触れ、蒸発して爆発的に高まった体積がそのまま大爆発を起こすのだ。
モリグナが溶岩を操りながらこれまで水蒸気爆発が起きなかったのは、まつろわぬ神の意思が働いているから。
だが脇にどけられただけで、水自体が無くなったはずじゃない。
女神の意思が完全に離れている今なら。
「──求めるは渭水の黄流! 顓頊の地>>>玄冥の水! 雪崩打てぇぇぇぇぇぇえ!」
大地を蠕動させ、まつろわぬモリグナに追い立てられていた地下水を引っ張る。
一介の魔術師ではまたたく間に息切れする呪力を、土を捻って地上へと呼び寄せる。
堰を切ったように膨大な地下水が、モリグナの足元で接触する。
──噴。
世界から一瞬音が消え、そして衝撃波が弾け飛ぶ。
「これは──!?」
圧倒的優位にいたはずのモリグナの表情に初めて瞠目が浮かび、その表情に焦りが彩られる。古今無双の進撃をしていたその足が止まる。
赤熱した身体が弾け飛び、熱量が失われ、黒ずんでいく。女神の威勢が一割程度落ちる。
それだけなら、まだ挽回の機会はあった。
しかし……水蒸気爆発で気体と変化した水が、シギュンの氷山によって急速に冷やされ液体へと戻る。
ずんずん。轟。轟。
やがて水は冷気によって氷となり──シギュンへと加勢する。
ここに、趨勢は決した。
「決めろ! シギュン──!」
「全ての祝福された子らのために──」
「カウン」
「──汝、《瘤》」
「はかなき子らの尊さと母の孤独を知らせるものよ。……なぜ、青褪める?」
「ソウィロ」
「──汝、《太陽》」
「天の焔であり夜を照らさぬ者。聖なる玉座から移ろうことのなき不動な災いよ。……なぜ、移ろう?」
「ソーン」
「──汝、《巨人》」
「ユミルの全身。久遠の眠りで世を創る大いなる者。洞から出て歩き出した子らへの毒と痛みの警告よ。……なぜ、立っている?」
「アンサズ」
「──汝、《神》」
「ブーリの末裔。天上より子らを見守るいと尊き父と大いなる母よ。……なぜ、ここにいる?」
言霊を重ねるたびに氷山は氷塊へと代わり、氷塊は鋭利さをもって鏃となる。鋭さはまさに真冬の切りつける吹雪そのもの。冷酷なる冥府の息吹。
「我が
「──汝:輝けるまつろわぬ
北欧神話において、"太陽"は人間にとって福音をもたらすものではない。人の住めない灼熱のムスペルヘイムから出てた禍の火球。
輝ける太陽。
そしてこの世に現れる"まつろわぬ
その名を──スヴェル。
そして楯はカンピオーネの権能となり人界守護の鏃と変わった。
「オォォ、ぉぉおおおォォォオぉぉおおおおおああああああぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああぁぁあ!!!!」
加速を重ねたスヴェルを受け止め、まつろわぬモリグナの足元が砕ける。
蹄で地面を砕くほど踏ん張っていたところに
過剰に組み上げ、緩んだ地盤が沈下する。
奈落の広がる地中へと押し込まれつつも──だがまつろわぬモリグナもさるもの。
まだ諦めてはいない。
「まだです! 我が身は竜! 不死の象徴にして不死なる女の化身なればこの程度で死するに能わずッ」
バランスを欠き、氷山に押し潰されようと戦女神は死せず。氷山の冷気で凍傷を負った部分を刃で切り飛ばし、火山の苛烈な熱量をたくわえ戦線への復帰を試みる。
だが。
「ここ、何処だと思ってるんだよ。氷と火の国"
「モリグナの墓場は
「──!?」
シギュンと
そもそも何故
一度ヨーロッパを滅ぼしかけたこの霊地は、神々にとっても墓場だ。
そう。
不死ですら絡め取る絶対の死地。
火山と氷山の狭間。
ニヴルヘイムとムスペルヘイムによる創世神話の息吹がモリグナにかかった。
モリグナは驚愕した。はじめて死を悟るほどの恐怖を励起させる寒々しく劫々と吹く威風に。
「!」
不死の属性が手のひらの指から零れ落ちていく。
本当の意味でこの世に受肉した肉体が、現れた傍から冷気で冷やされ火山の熱気で消し炭になっていく。
天上天下唯我独尊たるかの戦女神が──死を悟った。
「軽銀の王冠をかぶる
「今は良いでしょう。……ですが、ゆめゆめ忘れることなかれ!」
「──汝、我がかいなで抱かれるが運命! 定命のものなればッ」
「ふっ」
滅びを予言したモリグナに死を予言されようとカンピオーネは詰まらないジョークを聞いたように鼻を鳴らす。
ごぉぉおおおおお!!!
やがてまつろわぬモリグナはスヴェルとともに溶岩の奥深くまで沈んでいった。
「……やったか!?」
ぱこん。
何故か頭をはたかれた。
「なんでだよ!」
割と痛い。というかかなり強めだった。
抗議の言葉を口にするが返事はなく、すん、とそっぽを向いた。
妙なフラグは立ったものの。
──一匹の黒き鴉が、天空へ飛翔していく。
火山列のいくつもの火口から、穏やかな噴煙が立ち昇る。あれは送り火。立ちのぼる煙は神々の故郷への道しるべ。
まつろわぬモリグナが逝ったのだ。
がしゃんっ、背中に背負ったシギュンの重みが増した気がした。それもすぐになくなり、気のせいだったか? と頭をかく。
「……つかれた」
「だなぁ……。ってか俺も疲れたし、さっさと下りて労わってくれて」
「コーヒー」
「降りる気ないなテメェ。……つかお前、あんな不味いコーヒーよく飲む気になるなァ」
シギュンのスヴェルのおかげだろうか。
周辺の異変は落ち着きを取り戻し、マグマでさえ黒い岩々となっていた。シギュンを背負ったまま、剥き出しの地面を歩き出す。
さっきまで驚天動地の戦いが起こっていたのに終わってみれば呆気ないものだ。
ザク。ザク。
「コーヒーどころかリュックなんて消し炭になっちまったし、レンタカーまで戻んなくちゃな。というかレンタカーは無事なんだろうな……」
「……」
ザック。ザック。
ざく、ざく。ザク。ザク。
「足音……」
ザクザク。ザックザク。
とん、とん。こんこん。
「ずっと」
「あん?」
「……こうやって話せばいいのに」
「はあ? 俺なんか言ったっけ? ってか、ずっとおぶれってか」
「……しらない」
「そうかあ? ……にしたって不死かぁ……これからどうスっかなぁ……。アメリカに帰るだろ? そんでやっぱ神祖様に報告しなきゃだよなァ……『赤牛の書』を処分するっていう任務は終わったけど気が重い……」
神祖様は不死の呪いの解き方を知ってるだろうか、知ってるといいな、ちょっと抜けてるからなあ……。と希望的観測で、どこまでも突き抜ける青い空を眺める。
するとシギュンが耳元で囁いた。
「ん、生きるのに飽きたら──」
首に回されている腕が、きゅっと締まった。
「
ああ、やっぱそうだよな。
きっと。
こいつも決定的ななにかがぶっ壊れている。まつろわぬ神にぶち壊され、魔性を埋め込まれた人の成れの果てなのだ。
「ま、あんま苦しくない権能が手に入ったら頼まァ」
「ん」
「あー……そういやお前、ヘッドホンはしなくていいのか? ちょっと焦げてるけど、奇跡に壊れてないっぽいから動きはするぞ」
ヘッドホンの汚れを払って差し出す。
しかしシギュンは首を振った。
「いまは、いい」
首筋に、シギュンの額の感触が広がる。柔らかな髪の感触がくすぐったい。
シギュンの思考がよく分からなかった。
たまにシギュンはこちらの思考を盗聴したような仕草をとるし、イマイチ考えが読み取れない。
そういえばモリグナは言った。
"軽銀"の王冠を被っている、と──!
軽銀とはアルミ。つまり頭にアルミホイルを巻いて
胡乱なことを考えていると、首に回された腕がいきなり締まった。
「…………」
「おい、やっぱテメェ他人の思考読み取れるだろ! ……ぐえ、死ぬ死ぬ死ぬ!」
「……ずいぶん仲が良いのだな……」
アホなやり取りをしていると老紳士ジョー・ベストが立っていた。足の負傷はまだ癒えていないのか、隙のない紳士のように真っ直ぐに立っているのものの少し傾いている。
「お初にお目にかかる
ジョー・ベストは礼儀正しく惜しみのない寿ぎの言葉をシギュンへ……八人目のカンピオーネへと贈った。
「新たなる神殺しの君の生誕の儀。そしてまつろわぬ神討伐の成就、誠に祝着至極にございます」
だが礼を尽くしても、頭は垂れない。
なぜなら彼には彼が忠を捧げる『王』がいるために。
「──我が『王』からの伝言です。『新たなる同胞の誕生は喜ばしいことだが挨拶に赴けない不作法を許してほしい。そして願わくば君の騎士とともに我が故郷に踏み荒らすことがないことを願う』と」
「そう……」
いつものように興味も感情も薄い。しかし投げかけられた言葉を気だるげに受け止めていた。
シギュンは無知だが分かっている。彼女に備わる獣の嗅覚が──同格の戦士が放つ臭いに敏感に反応している。
騒乱の寵児たるカンピオーネはやはり騒乱を呼ぶ。
いずれ交叉する銀の弾丸と白の箭を予兆する風は、もう吹き始めていた。
「さて
「そりゃあ……ありがたいね。涙が出てくるぜ」
「……だが我が『王』が君の『王』におくった言葉のとおなじく。『王』の介添人たる私も、『王』の介添人たる君におくる言葉は同じだ。君がアメリカの地を踏むことがないことを切に願う」
「言っておくが」
「俺はシギュンを『王』に据えた覚えはねえ。俺が奉じるのは……《蝿の王》だ」
アメリカのカンピオーネは《蝿の王》と敵対し、
そして敗北を得る。
「残念だ」
そう言い残し、ジョー・ベストは足早に去った。
背中のシギュンは、結局、何も身動ぎすることも喋ることもなかった。
(俺は……──)
ケルトの
この物語はドン・クアルンゲという豪奢な牡牛を、とある女王が求めたことを発端とする。
ドン・クアルンゲは少々特殊な出自の牛だ。
というのも最初から牛だった訳ではない。
曰く、ドン・クアルンゲとはさまざまな生き物に転生し続ける人間だという。
ケルトにも転生という概念は存在する。
仏教のそれとは毛色が違うが、存在する。
ケルトの基層的思想において、魂は不滅だ。
死んでもいつか復活する。
死からの復活こそ、生である。
そういう転生の観念がある。
ゆえにドン・クアルンゲの物語が書き記され、そしてケルト神話の神具である──『赤牛の書』は不死の神性を宿していた。
破壊が不可能な、不朽不滅の神具ではない。
しかし破壊可能だが、世に残り続ける不滅性を宿した……転生しつづける神具。
『赤牛の書』が破壊された場所は、ちょうどまつろわぬ地母神の墓場と同じ場所だった。不死の女神すら死せる場所。
そこで『赤牛の書』は、転生という不滅性を発露した。
「でも──場所が場所ですもの。条件が揃いすぎ」
ラキ火山のマグマがうごめく火口で、隠者のごとき神祖が呟く。まつろわぬ女神の熱気とカンピオーネの冷気が交わる──熱気と冷気の境界で、牛にまつわる神性が新しい何かに転生しようとしている。
まつろわぬ神や神具は、地上へ現れる時。その土地に広まる神話伝承を材料とする。
例えるなら──灼熱のムスペルヘイムの熱気と極寒のニヴルヘイムの冷気がぶつかり合う
なら。
「生まれるのは不朽不滅の神具。名を──《
隠者のごとき神祖が、
北欧神話にて始まりの巨人ユミルととももに生まれた始まりの牛アウドムラの名を冠する神具を手に取り、うっそりと微笑む。
「うん、これで大きく一歩前進。それに……」
かしゃん。
神祖の取り出したディスク……杯盤のふちに、新たな名が刻まれる。
──Guinevere.
──Medusa.
そして新たに──Niniane.
「
偽りの魔女王。神祖たちが忌むべき僭主の玉座に座るもの。まつろわぬ神のあらわれる世界に生まれたバグ。
まつろわぬメティスの神祖──
偽りの魔女王。千変万化の冥王。
彼らの行き着く先を、未だ知るものは居ない。