「フン。新たな同族だと? まつろわぬ神を殺める痴れ者がまた増えたというのか」
ヴォバンは数枚のレポートを暖炉にくべながら吐き捨てた。
広い額に撫でつけられた銀髪。白面に輝く鋭いエメラルドグリーンの双眸。
老人の名をヴォバン。サーシャ・デヤンスタール・ヴォバン。
カンピオーネを痴れ者という彼だが、彼こそ世界で最も悪名を轟かすカンピオーネその人である。
つまり自分のことを棚上げしているのだ。彼は。
「四年前のサルバトーレめといい、先日の草薙護堂といい、私を苛立たせ……そして闘争心を充足させるに足る抜け目ない小僧どもではあった。しかし、次は年端にいかぬ娘だと? クラニチャールの孫娘よりも年少とは」
アレクサンドル・ガスコイン。ジョン・プルートー・スミス。サルバトーレ・ドニ。草薙護堂。今世紀に入って増えた新世代の同族たちはおおよそ15〜17歳の間に神殺しを為している。
ヴォバンもまた同じ年代で神の殺害に成功している。
今回現れたアイスランドの王はそれよりも幾ばくか若いという。13,4の歳の頃。才覚と運だけが物をいう神殺しという大事業に年齢は関係ない。
まあ若くして神を殺めたからと言って強さに繋がる訳ではないが。
「ふむ。そんな小娘がまつろわぬ神との戦いに耐え切れるとは思えぬがな」
数百年前に矛を交えた麗しい神殺し──江南の羅濠教主も風貌は乙女のものだった。しかし、対峙した瞬間痛烈に叩きつけられる闘志があった。
それを最新の女王は備えているか……。
未知数なのだ。すべてが。
神殺しとして最古参の古豪ヴォバンは思案した。別に新しい同族が現れたからと言って飛びつくような節操のなさはない。先達としていつも通り、悠然と構えていればいい。
こちらから出向かずとも、時が来ればその内殺し合う。それがカンピオーネという畜生の習性だ。
それにヴォバンは今、飢えを覚えていなかった。
来日した折に争った草薙護堂との戦いが、長らく続いた闘争心の飢餓を満たし、倦怠の無聊の日々はしばし遠ざかっていた。
とはいえ。
「……同族との戦いに心惹かれてもいる……」
魔王の気配が強くなった。
暖炉の炎が大きくゆらめき、レンガに亀裂が入った。王の闘志によって。
「私が三百年前にはじめてまつろわぬ神を殺害し、
カンピオーネの寿命は存外に短い。
大抵、戦場のどこかで野垂れ死ぬ。ヴォバンと同時期に活動していた智慧の王というカンピオーネもいつの間にか姿を消していた。
いっそ。
「この若者が倒れる前に、味わってしまうのも良い。老い先短い生を、若者に彩りを添えてもらうのも一興か、クク……。──ん?」
ヴォバンはふと、大きく眉を持ち上げた。それと同時に鼻を広げた。
鼻腔に漂ってきた……
においは時折、昔の記憶と繋がる。嗅覚と記憶はダイレクトに接続する。
神を殺め、人から外れてもカンピオーネは人間の延長線にあるバケモンだ。
人に起きる、特定のにおいを嗅いで過去の記憶が鮮明に蘇るプルースト効果は、カンピオーネのヴォバンにも起きる現象だった。
酷く古い記憶が蘇る。
大脳皮質の相当奥地に埋まっていた記憶だ。
「──カスパールよ」
ヴォバンはネクロマンサーの権能によって現世に縛り付けた死人へと問いかけた。三百年余りの古い付き合いのある黒衣の死人へ。
青ざめた顔の老魔術師は、音もなく現れると王の前に立った。
「カスパール。そちらの知識に疎い私を補佐するため"王の相談役"として常に控えさせている君だが……。君と出会ったのはいつだ?死霊として軍門にくだらせた日ではないぞ。生前のことだ」
「1705年10月17日にございます」
「そうだ。──1705年10月17日だ。あの日、私は若気の至りをおかしてしまった。ああ、あの時は若かったものだ。興奮と血気に盛りながら私はあの偉業を成し遂げた……そしてその手伝いをした一人がカスパール。君だった」
ヴォバンは老いている。
その乱行悪行は地獄の閻魔大王ですら罪状を読み上げるのに相当苦労するだろう。
……が、人の身でありながら神殺しを為した人類最大の英雄でもある。
闘争に明け暮れた数百年だったが、その分だけ人に仇なす神々を討伐してきた。悪名轟く大魔王でありながら人界を守護してきた戦士でもある。
悪のカリスマであり"ひねくれ者アポロン"を殺害した狼王の二面性だ。
ヴォバン三百年の記憶。その中でも特に深く刻まれた戦いの記憶がある。
若さゆえの過ちだ。
古き友人たちと協力し、まつろわぬ神々をはじめとした魑魅魍魎の類から──
あの時の記憶がプルースト効果で掘り返された。
「…………」
においが漂ってくる方向は北北西。
新しい王の誕生したアイスランドから。
なにゆえにこの臭いが漂って来たのか。
即決即断でフットワークの軽いヴォバンにしては珍しく、安楽椅子に深く腰を埋めながら、広い額のうえに皺を作った。
他でもない、なんかカンピオーネの《介添人》にされてしまいそうな焦りである。かの妖精博士ジョー・ベストが耄碌のすえの勘違いが、世界中に広まっている予感がするのである。具体的にいえばグリニッジ賢人議会の調書によって。
なし崩しでカンピオーネの《介添人》とかどんな悪夢だ。
「俺はアンドレア・リベラじゃないんだぞ!!! あんな才覚もないわクソが! ……お、俺は知らない……! お、俺は《蝿の王》だ……誰がなんと言おうと《蝿の王》の下っ端構成員なんだァーッ! 《蝿の王》だつってんだろ、
「うるさい……」
狼狽しまくる
クソッタレが、
「いいか? 分かるか? 俺ぁ、そもそもカンピオーネなんざと関わりたくねぇの! あとまつろわぬ神もな。見ろよ、外の景色をよお……噴火したマグマと噴煙でいっぱいじゃないか。終わりだよ終わり。無理無理。こんなの幾つ命があっても付き合いキレねぇーつの!」
「コホは死なない」
「うるせぇんだわ。死んぬだわ、心が」
《介添人》なんて連中、全員が全員心臓に毛が生えてる連中なのだ。
カンピオーネのお供としてまつろわぬ神と対峙するだと?出来るわけねえだろボケッ!ゴッゴッっとハンドルを叩く。
「だいたいテメェがだな、俺から離れないのが一番意味わかんねーよ。コーヒー飲みたいなら俺が煎れたやつじゃなくてもいいだろ? レイキャビクに着いたらコーヒーショップに届けてやるから、それでお別れだ」
それでお別れだ(昨日ぶり二回目)を強調しながら口角泡を飛ばし文句を言っていると、助手席にいたはずのシギュンがいない。
バックミラーで確認するとぬ〜〜〜……っと後部座席に、深くフードを被ったシギュンが影の中から這い出て来るところだった。
(こ、こいつマジに陰キャ極めはじめたな……)
影に潜む術を会得したものぐさ王は、旅をしているはずなのについに歩くのを止めた。影に入っていれば勝手に移動できるから。
モリグナとの戦いが終わり、車まで移動するまでにはもう影のなかに入っていた。
当然、
(見方によっちゃあ……影がリードで、シギュンはリードに引きづられる子犬みたいなもんだけどな……。全然気にしやがらねえ……)
ちなみにこれがまつろわぬモリグナから簒奪した権能らしい。
嘘みたいだろ、これ権能なんだぜ。戦いでの華々しい活躍どころか人とのコミュニケーションをシャットダウンにしかまだ使われていない。
あの姦しい女神も、草の葉の陰で涙を禁じ得ないだろう。今すぐにでも蘇って、シギュンを串刺しにしそうなくらい尊厳破壊である。
まあ……こんなバチ当たりがいるからモリグナに散々やられた直後ではあるが若干メンタルがマシな理由だ。
「はあ……」
ため息をついて外を見る。
車窓から見える景色も、相当最悪だった。
アイスランドを一周する国道一号線──リングロードを走っているのだが酷い有様だ。
アイスランド中に降り注いだ火砕流や噴石は、この火と氷の国に甚大なダメージを及ぼした。今はアイスランドの首都レイキャビクに向かっているのだが……
「まあ……マグマと噴煙で飲み込まれちゃあなあ……」
ヴィークに人はいなかった。
人口千人ほどの町はもぬけの殻で、住民は未曾有の天災を恐れてレイキャビクへと着の身着のまま逃げ去ったらしい。
「……? なんだありゃ」
リングロードを走っていると、その脇で家財を道に並べた避難民たちがいた。
それも一人ではない。十、二十では効かない数の人々が、まるでフリーマーケットやバザールを催すように家財を道に広げていた。
首を傾げて邪魔だなと思いながら、事故になるのも嫌なので徐行して通り過ぎていく。
途方にくれて十字を切って祈る顔がやけに印象に残った。
「なんだったんだ……? ありゃ? ……なあ、シギュン。お前、アイスランド人だろ。災害があった時はアイスランドじゃあんな事をする風習でもあんのか?」
「……?」
バックミラーでシギュンの顔を見るが、無表情のまま首を傾けるだけだった。
聞くだけ無駄だったかもしれん。この人への興味が薄い少女がアイスランドの風習に詳しい気がしない。そもそも話を聞いていなかった可能性すらある。
「やれやれ……」
──吹。
「ん?」
笛の音が聞こえた。
独特な音色で、強い息遣い。音源を探せば……いた。
最初、溶け残った雪かと思った。路傍の石をわざわざ視界におさめない理屈と同じように、思わず見逃しかけた。
──吹。
近づくと、やっと雪ではなく笛を吹いて呼吸している人だと確信できた。
それにしても色がない。白い服と白蝋の髪。白尽くし尚更色を感じない。目の前にいるのに見失ってしまいそうだ。
これでは見逃しかけるのも不思議じゃない。
「──みょうとうらいやーみょうとうたー。あんとうらいやーあんとうたー。しほうはちめんらいやーせんぷうたー。こくうらいや、れんかだ」
笛の演奏の合間に、そんな言葉を歌っていた。
「なああんた、ヴィークから避難してきた人か? レイキャビクまでなら乗せってってもいいけど」
「……あら?」
声を聞いた途端、
(うおっ……。こ、こんな美人が、こんな僻地を歩いてていいのかよ……)
びっくりするほどの白人美女。
着物の上からでも分かる大きく張り出した乳房と、優美な曲線を描く臀部。その肉感的な肢体を白い着物で包み──傾国。そう表現しても良い絶世の美貌を、頭全体をおおうような笠に隠していた。
女性はやはり、色味があまりなかった。
シギュンは粉雪や氷河を思わせる白。対して無色を目指した結果、白くなったような印象がある。
しかし印象のなさとは裏腹に、風体はかなり奇妙だ。
白人で、しかもここはアイスランドだと言うのに、アジアの修行僧──日本の虚無僧じみた格好をしている。
大きな編み笠に、華美さのない白い綿服。簡素なわらじ。それにさっきまで吹いていたのは木製の笛、確か尺八とかいうやつ。
白い女性は笛をしまうと、背中に背負ってた杖を取り出して、地面に向けて揺らめかせた。
上の先端には丸い輪っか。下の石突の部分には二又に別れたでっぱり。そんな細長い杖だ。僧侶の杖だから錫杖が正しいのだろうか。
錫杖を振るたびに丸い輪っかに連なるように掛けられた幾つもの輪がしゃん。しゃん。と音を奏でる。
奇妙な風体に、奇妙な行動。
この女性、さっきから一度も
「あー、もしかして目が見えないのか?」
「恥ずかしながら、いつの間にか光を失ってしまいました。無色声香味触法の眼識界の無。これも修行の一環と自負しておりますゆえお気になさらず」
「つってもなあ。尚更、乗ってけよ。夜は冷えるぜ? この道を西に歩いてたってことはレイキャビクに行きたいんだろ? 徒歩じゃさすがに日が暮れちまうぞ」
「これはまあ……ご親切に。地獄に仏とはこのことでしょうか。実はヴィークで宿を取ろうと思ったのですが、昨日の酷い噴火のせいか誰もおらず。この原野で野宿かと途方にくれておりました」
右手を掲げて片合掌して、頭を下げた。
(つか、よく火砕流に巻き込まれなかったな)
ラキ火山から離れる途中、いくつも家や人が被害にあっていたのだがこの盲人は相当運がいいらしい。
「俺は
「チッ」
なんか舌打ちが聞こえたが、無視だ無視。後部座席のドアを開けてやる。
「そういや、あんた名前は?」
「ああ、これは失礼いたしました。名乗り遅れてしまいましたね──拙僧、禅宗を修めております。名をニノン。ニノン・ド・ランクローと申します」
神殺しと不死者の妙ちきりんな旅に、また風変わりなメンバーが加わった瞬間だった。