氷島の王より両儀は生じて   作:につけ丸

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004:赤牛の書

 

 ヒュォォォォ──。

 

 

「うっ……。相変わらず風が強ぇな」

 

 曇天のなか霧雨混じりの強い風のせいでハンドルが取られそうになるのを抑え、草や苔むした砂利道をひたすらすすむ。

 

 それから「学がないからよく知らんが……」と前置きして夸父(コホ)は語った。

 

「そいつの名前は『赤牛の書』つって、ケルト人の神話群(サイクル)をいくつも綴ってる大昔の写本らしい」

 

「……牛?」

 

「ん、ああ……その本、紙じゃないだろ。羊皮紙ならぬ牛皮紙なんだよ。千年くらい前のアイルランドで、キリスト教徒がケルト神話を写本しようとして自分の牛をなめして紙にしたんだ。神話の名前も牛の名前がついてて……なんだっけ……? "クアルンゲの牛捕り"だったか」

 

「クアルンゲ……。牛捕り?」

 

「結構有名な話らしいぞ。ケルト神話語りたいならこれ抑えとけばどうにかなるみたいなことを魔術師のおっさんが言ってたからな」

 

 内容はよく知らん、そう肩をすくめた。

 

 ラキ火山へ向かう道の大半は車で通れる道だ。

 

 とは言っても極東の島国のように山奥ですらアスファルトを敷くようなインフラは存在しない。

 時折、小川などをわたるため車は四輪駆動車しか通れない道無き道だ。

 

「こういう所で森や林がないのはありがたいな」

 

 ガタガタ揺れる車内でそんなことをつぶやく。

 自然を愛し、木々を伐採したことに罪悪感を持っているアイスランド人が聞けば殴られそうな感想だ。

 

 と言っても隣のアイスランド人は無反応だが。

 

 

「ケルトって一口に言っても島ケルトと大陸ケルトって大きく二つに分けられるらしい。んで、そいつは島ケルトの伝承なんだと」

 

「島、ケルト」

 

「まあ要するにアイルランドとイギリスに居たケルト人だ」

 

たぶん、と付け加えた。

 

「ケルト人ってなぁ、特権階級(ドルイド)以外文字を使っちゃいけない! ……って決まりがあったみたいで神話や言い伝えはぜーんぶ口頭伝承だったんだ。だから神話や風俗なんかも全部ケルト人以外が書き残してるくらいさ」

 

 そんなことをダラダラ話しているうちに"ラキ火山"を示す看板が見えてきた。

 

 少し先には渓谷地帯が広がる。

 ラキ火山──目的地はもうすぐだが、そこへ向かうには少々険しい道を進まなきゃいけない。

 

「こっから先は車は使えない。歩きになるから覚悟しとけよ」

 

 なお、いつの間にかヘッドホンで耳を塞いだシギュンから返答はなかった。

 

 

 

「はぁはぁ! アイツ、すぐバテると思ったけど……ふーっ、ふー……結構余裕あるな……」

 

 車を降りて荷物を抱えながらの登山を開始した訳だが、夸父(コホ)が苔やシダに足を取られる中、シギュンはと言うとなんでもないように遥か先を進んでいた。

 

「いやいや、おかしいだろうが! 毎日トレーニングは欠かさないし、組織のミッションだってやってるんだぞ……!」

 

 夸父(コホ)はその外見に見合う体力があるし、身体をいじめ抜いたからタフな自覚がある。

 

 しかしシギュンは少し常軌を逸している。

 

 人間というより猿や猫を思わせる身軽さだ。

 (はしこ)いとあらわすべきか、夸父(コホ)との差は歴然で、いまも旅の相方が追いつくのを岩肌に腰かけ退屈そうに待っている。

 明らかに運動不足な()()で。その上、動きにくそうな法衣じみた外衣まで着ているのに、だ。

 

 

 

「勝った」

 

「コイツ……!」

 

 なぜ、いつ、勝負になったかは知らないが丘の上で座り込んでいたシギュンに追いつくと開口一番そう言われた。

 

「おそらくだな、俺は足がデカくガタイも良いため燃費が少々悪くなっただけでだな……。普通の平地のランニングなら絶対に」

 

「ふっ」

 

「あっ! テメェ鼻で笑ったな!」

 

 動かない表情そのままに鼻を鳴らし、相変わらずぴょんぴょん跳ねて岩と砂利の道を進んでいく。

 そうして何かを思い出したように、懐から『赤牛の書』を取り出した。

 

「これ」

 

「あん? それがどうかしたのか?」

 

「なんで壊すの」

 

「あー、その事か。まあ命令だよ」

 

「命令?」

 

「そ、組織のボス直々のな」

 

 よく分からないといった風に頭を傾げるシギュンから白珊瑚の髪がこぼれた。

 ウィッグやエクステに回したらいい金になりそうだな、と卑賤の輩である夸父(コホ)はカスの感想を覚えた。

 

「『赤牛の書』はアイルランドにもあるんだ。アイルランドにあるのは歴史的・学術的な本物で間違いない。んで、お前の持ってる方も本物なんだ」

 

「……? 二つある?」

 

「ああ。それは魔術的な本物だってよ」

 

 いつの間にかシギュンは少し先にまで近づいていた。

 

「お前の持ってる"書"も、もともとアイルランドにあったんだ。だけどあの国で150年くらい前に、酷い大飢饉があったらしい」

 

「…………」

 

「で、島を脱出した魔術師たちが"書"を持ち出したんだ。その先が丁度ゴールドラッシュに湧いていたアメリカで、結局巡り巡ってロサンゼルスの魔術師が保管してた訳だ」

 

 そしてそれを襲撃して奪ったのが夸父(コホ)が所属する邪術師集団、だとは言えなかった。

 

「うちのボスにとって"書"は目障りらしい。鉄臭さが堪らないだとか」

 

「鉄……?」

 

 シギュンが"書"を鼻に近づけてスンスン匂いを嗅ぐ。

 

「臭いけど、臭くない」

 

「だよなぁ。俺も嗅いだけど匂いしなかったし……。あの方、シンソ様は、まあ、わりと雑というか……抜けた所のある方だから。たまに訳分からないこと言うし。捨てにいけって言ったのも気まぐれかもしれん」

 

 そうこう話しているうち、ラキ火山の一帯に入った。

 ラキ火山は火山だが、日本の富士山やイランのダマーヴァンド山などの火山と違って分かりやすい火口はない。

 

「バッ、カでけぇ……!」

 

 何十キロと続く、長い長い火口の列。

 

 地球という風船を引きちぎったような裂け目がどこまでも続く。実際、人類が確認できるだけで二度、その裂け目から内容物(マグマ)を吐き出し人類史に大打撃を与えている。

 

 今は少しだけ穏やかで、冷えて固まった黒い溶岩の上に、苔や草が生えて緑がある。

 チョコレートケーキにグリーンティーパウダーでもふりかけたおかしさする感じられる。

 

 だけど、あれは全てまやかしだ。

 

 あれらがその気になれば人類史は痛烈な打撃を受ける。人類にまつろわぬ(わざわい)を秘めている。

 

 18世紀におきた大噴火。アイスランド人はこの悪魔を忘れない。

 日本の天明の大噴火と相まって、欧州中に飢餓をばらまいた人の死と自然の畏怖で彩られた火山だ。

 

 ラキ火山の内包する呪力はそこらの霊地よりも格段に上位にあり、そして殺意に満ちている。

 

 あの特別な霊地ならば、神具でも破壊できるに違いない。

 

「"書"は神具だ。不朽不滅なんて代物もあるらしいが、そいつは破壊可能な神具だ」

 

「ふーん」

 

 夸父(コホ)の言葉にシギュンが赤い表紙を掴んでバサバサ振っている。

 魔術師が見れば目を剥いて悪罵しながら殴りかかってきそうな光景だが、残念ながら"書"にあんまり興味のない連中しかいないため止める者は皆無だ。

 

「破壊できるつっても神具が壊せる場所なんて限られる。神具を壊せる実力者もそうそういないしな。アメリカは魔術的には結構若い国だから手頃な霊地がなくてなぁ……厄介な連中もいるし」

 

 氷島(アイスランド)まで追ってきた老黒人の化け物を思い出し、背筋が寒くなる。

 

「カナダも同じ事情だし、その点メキシコは歴史も古くていい場所がいくつもあるんだが……ある意味ロス以上のカオスだから治安が悪すぎて近づけない。で、消去法で一番近くてそこそこアクセスの良いラキ火山に放り込むしかなかったんだ」

 

 そんな訳でエッホ、エッホと氷島(アイスランド)くんだりまできた訳である。

 

「……ん? アイツ、いないじゃないか──いや、あんな先まで進んだのか!? というか俺の話聞いてなかったろ!」

 

 と、話している間にも"書"を小脇に抱えながら遙か先をシギュンは歩いていた。

 おそらく魔術的な感が働くのか、夸父(コホ)と向かっている場所は正確に一致している。

 

「もうアイツに頼んじまった方が楽なんじゃないのか? 神具の破壊……」

 

 いやいや、それはあの方への裏切り行為だ。夸父(コホ)は首を振って意地でも追いついてやる! うぉぉおお! と気炎を吐いた。

 

 

 

 

 

「わりぃ、休憩にしよう」

 

 追いつく気がしなかった夸父(コホ)はすぐに泣きを入れて、山の稜線と同化し始めたシギュンに提案した。

 めちゃくちゃ嫌がってそうな雰囲気を感じたが、コーヒー豆をゴリゴリ削ってお湯を沸かし始めるとすすっと寄ってきた。

 

「ん」

 

「はいよ」

 

 雑に作ったまっずいコーヒーの何がいいのやら。

 手を差し出して催促するシギュンへ、湯気の沸き立つブラックコーヒーを渡す。

 

 一気に飲み干され、追加のお湯を沸かしつてやる。

 

「というかもう午後の五時回ってるじゃねぇか」

 

 お湯の温まる間に時計を見れば、示された時刻はPM17:00。

 外は明るいがこの時期の氷島(アイスランド島)は白夜を引きずっていて夕方でも真昼みたいに明るい。

 アメリカから飛行機で飛んできた訳だが、時差ボケも相まって気が狂いそうだ。

 

「その上、こんな時間にブラックコーヒー……か。俺の自律神経はどこへ向かうんだろうな。はは……」

 

 なんて自虐的なことを呟いていてみたりする。

 

 というか。

 

「正直、意外だったよ。お前が運動できたって」

 

「なんとなく、分かる」

 

「分かる?」

 

 登山の極意的なやつだろうか。言霊の極意を悟るという"千の言語"を使いこなすやつなのだ、そんな事も出来るのかもしれない。

 やっぱり記憶があった時のコイツは相当な魔術師だったらしい。

 

夸父(コホ)は……」

 

「呼び捨てかい」

 

「魔術師じゃないの」

 

 目を伏せた。

 

「……俺は、違う」

 

 夸父(コホ)の頬に一匹の魚が泳ぐ。白い魚だ。もう一匹は湯を注ぐ手の甲をぐるぐる回っている黒い魚だ。

 

「俺はただの特異体質だ。この痣のお陰でな」

 

 夸父(コホ)は少しだけ水を飲んだ。臍下丹田に水滴が落ちる感覚。

 小さな水溜まりで二匹の魚が乱舞する。

 

「木>>>火」

 

 魚一匹に体内の水を注ぐと、薪が弾けて火の勢いが増した。

 

「土>>>水」

 

 魚二匹に体内の水を注ぐと、土が蠕動し地中から水が噴水のように湧き出した。

 

 トリガーは水。

 魚相手だから当然と言えば当然だが、夸父(コホ)がどれだけ水を飲んだかで、効果の大小が決まるようだ。

 

「こんな事できるけど、どんな魔術にも分類されないから体質ってことになるらしい。ルールはよく分かってねぇ」

 

 夸父(コホ)から飛び出した白い魚が地面を泳いで、シギュンの手にあるコーヒーの水面で跳ねた。

 

 シギュンが不快そうにデコピンすると慌てて夸父(コホ)の中に戻ってきた。

 自由なやつだ。

 

「俺を拾った組織もこの体質を物珍しがってくれてな。ろくな組織じゃなかったけど……ま、それまで糞の掃き溜めから飯探すような地獄だったんだ。抜け出した先でなんでもするさ」

 

「……」

 

「実際なんでもやったしな」

 

「……そう」

 

 追加のブラックコーヒーを注ぐと、それきりシギュンはヘッドホンをはめて黙り込んだ。

 

 それから露営して、オーロラを見る間もなく眠りについた。

 

 

 翌日早くに夸父(コホ)たちは出発した。

 レンタカーは高いし、あんまり放置してるとバッテリーが干上がってしまう。

 

「ラキ火山に来てずっと思ってたが、指輪物語みたいじゃないか? 俺が捨てに来たのは指輪じゃなくて"書"だけどさ」

 

「知らない」

 

 指輪物語と言っても移動はほぼ車だったからそれほど苦労はしてない訳だが。また一刀両断されながら夸父(コホ)は上機嫌だった。

 

 だがそれもラキ火山の火口列に足を踏み入れるまでだった。

 

 

「────」

 

 強烈な大地の精。異様な熱気。吹き上がる赤々とした呪力が大地の奥底からごうごうと渦巻いている。

 莫大なエネルギーが鋼を精錬する溶鉱炉のごとく、人に仇なそうと虎口を開いているようだ。

 

 決して人に支配されぬ大自然。いや、もとより氷島(アイスランド)という土地は人に厳しい。生き物に厳しい。

 草木の根付く土は全ての生き物の源だ。それを溶岩で固め、氷で覆い隠す。生き物は生き辛い土地、淘汰を強いる島。

 それが氷島(アイスランド)の本質だ。

 

 今も眼前の火口から何人も寄せ付けぬ気高さと無慈悲さが裂け目からは伝わってくる。

 

「いいの?」

 

 シギュンが聞いてくる。

 

 逡巡はあった。でもどれだけ悩んでも答えは変わらないことは分かっていた、だから『赤牛の書』をシギュンから取り返した。

 

「やっぱ気に入ってたか。でも悪いな、こればっかりは譲れん」

 

 あとは簡単だった。

 一流のラガーマンのように恵まれた体躯を駆使して『赤牛の書』を火口へ放り投げた。放物線を描いてマグマへと落ちていった神具は──赤熱する溶岩のなかで()()()()のように露と消えた。

 

 

「──嫌な感じ……」

 

 

 シギュンがヘッドホンを抑えて小さく零す。

 

 

 ──途端、光が褪せて世は晦冥に包まれた。

 

 

 

 

「──あは」

 

 童女が笑った。

 

「ホントに壊したんだ」

 

 嗤うように。嘆くように。厭うように。

 

「愚か。愚か。"愚者の申し子"は伊達じゃないわね。止めようと思えば止められたのにね……くふふ、神殺しに着いていけば……って思ったけど……」

 

 カンテラを揺らす。髪から伸びる、蛇を腕に巻きながら。

 

「まつろわぬ神と神殺し──出会い、縁生まれれば、やることはひとつだものね」

 

 ゆえに刮目するとしよう。比類なき愚者の猛りを。

 

 

 

 

 

 ──肩に一羽の(カラス)が乗っていた。

 

 

「は?」

 

 

 音も、気配もなく。忍び寄る"死"を思わせる唐突さで鴉が肩口に小休止していた。慌てて振り払い、辺りを見回すと様相を一変させていた。

 

 

 

カァー

 

カァー

 

カァー

 

カァー

 

カァー

 

 

 鴉。鴉。鴉。鴉。鴉。鴉────

 

 夥しい数の鴉が夸父(コホ)を、いや、ラカギガル火口列を覆い尽くしている。

 一体今までどこに潜んでいたというのか。いや、潜んでいたという規模ではない。虚空から、影から、闇から這い出てて飛翔してきたとしか思えない唐突さと数の暴力。

 

 

 ──轟ッ。

 

 ──轟ッ。

 

 

「な、なんだ!? 何が起こってって言うんだよッ!?!?」

 

 黒と赤の膨大な呪力が、ラキ火山の火口から噴き上がる。

 夜の帳のごとく穹を覆う漆黒の鴉たちと、水蒸気爆発のごとく天高く噴き上がった呪力は、やがて一点に集中した。

 

『────』

 

 鴉の翼が聖堂内のモザイクさながらに荘厳な女神のかんばせを形成し、火口から噴き上ったマグマが灼熱する赤髪を織り成す。

 

 それも一瞬のこと。

 

 夢幻だったかと錯覚するほど容易く、鴉とマグマは解け……やがて静謐を得た。

 

 

「来る」

 

 シギュンが呟き、聞き返そうとした瞬間。

 

 

 無音の支配する空間で──

 

 

「──しばらくなかった椿事ですね」

 

 

 鈴の鳴るような甘やかな声が響いた。

 

 真っ赤な赤髪に尖った耳。

 血のように赤黒いドレスに、もうもうと烟る煙じみた灰のマント。

 ベルトを巻いた柳腰には、おぞましいほど鋭光輝く二枚の"刃"を佩いていた。

 いや、違う。刃と見紛うほどの物体は一対の翼。陽光を受けて輝く濡れ羽色の"翼"なのだ。

 

 赤き有翼の烈女。

 不死の領域にあるべき女が、地上への来訪を告げた。

 

 

「若人よ、よくやりました」

 

「我、この世に生を得たるは英雄がため。英雄がためには生を得ねばなりません」

 

「ゆえに我が千里の旅路の始まりに──褒美を取らせましょう」

 

 

 数十メールは離れていたはずの女が目の前にいて、腕を振り下ろした格好でそこにいた。

 

 

「え」

 

 

 バシュ、と遅れて小気味良い音が聞こえた。

 

 ぐるり、ぐるり。世界が暗転する。血圧が異常に低下し、意識が吹き飛ぶ。

 

 夸父(コホ)は消えゆく意識の中、理解した。

 

 そうか、俺は、

 

 

 ──()()()()()()()()()()()

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