カンピオーネは、不死なる神々ですら討滅する生物兵器と言っていい。
その身体的特徴も異常の一言につきる。
莫大な呪力に、あらゆる魔術を弾く肉体。この世のどんな金属より硬い骨。異常な動体視力。
特にカンピオーネの治癒力は異常極まる。
主要な内蔵を潰し、全身の骨を砕こうと、それでも数日経てばピンピンしているほどだ。
「……ごほっ」
咳き込んだ喉から血が噴出する。
聖句を歌いすぎて喉が張り裂け、器官に粘性のある血が蓋をしようとする。
カンピオーネの治癒力は身体を袈裟斬りにされたって、数十分で全快する異常なものだ。だがシギュンの喉の血は止まらない。
「…………はあっ、はあっ……」
肩で息をするシギュンは疲弊の極みにあった。
ただ疲弊しているわけではない。夥しい数の女神のしもべを対価として、だ。
女神のしもべたる鴉は殺戮の憂き目にあった。
その死骸は尋常な数ではない。幾千、幾万をこえて幾百万の死骸が積み重なる。
シギュンは視線を周囲へと走らせる。
鴉どもをすべて殺せたわけではない。周囲で翼を広げて旋回する漆黒たちはまだまだいる。
損傷に対して追いつかないほどの物量戦。
物量とはそれだけで脅威だ。尽きせぬ漆黒の嵐はどれだけ善戦しようと終わりが見えない。
そして。
「
積み上がった鴉たちの墳墓の玉座。
その玉座に座るバズヴは慈愛深いアルカイックスマイルで息の上がったカンピオーネを見下ろした。
シギュンはその身に宿る権能で、数百万を超える鴉を殺戮した。大したものである。人類の枠内では到底及ばない偉業と認めてもいい。
だがバズヴは死に絶えた鴉たちへ一厘も気をやることはない。
物の数など気に止める必要はない。億千万の鴉を従えるからこそ鴉の女王たりえるのだから。
それどころか。
バズヴは思う。喜ばしいことだ、と。
殺戮の女神に捧げてくれるとは。
これほどの捧げ物、我が英雄ですらなかった椿事。まさに戦士の本懐に違いない。
死骸の玉座で悠然とその様を眺めながら、口角を吊り上げる。我が
死力を尽くし、死に抗う様は何よりの好みだ。
だがもう頃合だ。
この祭りの終わりは見えた。霧は晴れてしまった。
肩肘をつけて少し残念そうに右頬を叩く。
「充分楽しめましたよ神殺し」
「ですがもう良いでしょう。私を出会い頭ながら満たした戦士を、一息に鏖殺してあげるのが母の慈愛というもの」
「あなたの
──シギュンのまつろわぬ神から簒奪した権能《
スキーの女神として称えられる女神スカジから簒奪したこの権能は、簡単に言えばシギュンを雪中の狩人とする権能だ。
炯なる瞳のバズヴですら瞠目させた、その不可思議な矢の秘密も霧を剥がれ白日のもとに晒された。
数十匹の生き残った鴉がバズヴに翼で舞い一匹が指先に侍る。
命を拾った鴉たちには共通した特徴があった。
バズヴの指先に止まった鴉は、耳を──
で、あれば"矢"の術理はたやすく暴ける。
「あなたの"矢"は──"
「くくっ、瞬足も靴任せ。矢すら口任せ! なんたる不遜な横着者でしょう!」
「ですが──その矢も
バズヴは双槍を掲げ──両耳を削り取った。そして見下ろす宿敵へ向けて激烈に断じた。
もとより他人の言葉に耳を傾けたことのない、いと高き自我を誇る神だ。聴覚を失おうとそれほど問題はない。
「あなたと育んだ戦のきずな、私は片時も忘れることは無いでしょう! さようなら神殺し! 我が愛すべき怨敵よ!」
玉座を離れたバズヴが空へ飛翔した。武器のないシギュンはそれを見送るしかできない。
漆黒の嵐は終わりがない。
そう、女神の攻め手はまだ終わっていない。ただの小休止。シギュンから立ち昇っていた──
天性の勝負勘でそれを感じ取っているシギュンは、険しく眉を寄せた。
カンピオーネは人界で最強の称号を得る魔術師の一撃ですら弾く。その強力な耐性で『王』同士の強大な権能をもってしても遠距離での戦いはなかなか決着がつかない。
シギュンもまた『王』なれば、体内の呪力を高めて女神の一撃へと備えた。
「「「滅びがゆえに。私は偽りに満ちた世界を見ることはないでしょう」」」
天上から"声"が堕ちてきた。
それは世界の終わりを預言した滅びの言霊。神々の戦いのなかで勝敗を決定づけた三柱による運命神の詔。
事態の悪さを察したシギュンが、炎熱地獄のなかで足元を凍てつかせ駆け出す。
トゥアハ・デ・ダナーンとともに戦った
霧の雲と、猛烈な火の雨によって。
噴火の続くラカギガル火口列は、その膨大なエネルギーとともに大量のマグマと岩石を空へと打ち上げる。
大自然が作りだす投石器だ。
そして噴き上がった熔岩たちは地上に一欠片として落ちてきていなかった。
何故か。
天と地を統べる女神が、そうあれかし、と思ったからだ。
だが……今は。
「「「花のない夏、ミルクのない朝。慎みのない女、志のない勇敢な男。王なき征服。幹のない森。産物のない海」」」
朱に染まった雲と霧が女神となる。
朱唇を開いて高らかに歌う。
「「「老人の誤った判決。弁護士の誤った判例。誰もが裏切り者!」」」
流星が落ちる。
女神の意に沿って。
たった一人の『王』を討たんがために。
「「「息子は父親を欺き、娘は母を欺く。すべての息子が略奪者! 息子は父親のベッドに行き刃を突き立て、それぞれ兄妹は義理の兄妹。彼は家の外で女性を求めない!」」」
天上から地下へと。
隕石は不動たる大地を殴打し、破き、砕く。外殻を破壊された地表に再びマグマが吹き荒れ、蠕動する鼓動がさらなる噴火を呼ぶ。
猛烈な滅びへの疾駆。
真下にホットスポットを抱え、海上に突き出た海嶺の島は、大地女神の言葉一つで崩壊寸前と化す。
死に狂奔する赤き戦女神の猛りはラキ火山から空前絶後の大噴火を呼び込むだろう。
そうなれば大飢饉やフランス革命すら呼び起こした血の破滅の訪れだ。
誰かが止めない限り。動乱の火山に静謐なる氷山でもぶつけない限り。
「生まれ落ちる子らのために──」
「スリュムヘイムへ遠吠えする狼よ、かの天の火を追え。輝く神を追い立てよ。天高くゆらめく焔は
乱れ堕ちる流星群へ向けて、呪力を横溢させて権能を行使する。氷の色をしたがらんどうの目に火の矢を写しながら軽やかに聖句を歌う。
人類最後の
愚かしいまでの叛逆こそ、精髄に刻まれた業なれば!
「汝:天の火をさえぎる一列の雲。雨粒は
シギュンの足元と頭上から白の息吹が吹き荒れ、強襲する流星群へと激突する。
轟、轟、轟。ボルテージを上げていく濃い赤に白い光が瞬く。呪力と神力がねじれ、赤々とした地獄が裂ける。
マグマが急速に冷やされ黒々とした岩へと変わる。流星群が勢いを失い、浮力をまとう。
「「「我が肉体すら傷つける極寒の呪い! ですが、その技は一度視ました」」」
朱色の霧となったバズヴに悠然と見下ろされる。女神の息吹が雹の嵐を中和させていく。
人の身でありながら神を殺めた神殺しなれど、やはり地力の差は顕著だ。神話に裏打ちされた厚みはそうそうに抜けない。
権能を一つしか保有していないシギュンはたやすく窮地に追いやられた。
そして。
膨張していたバズヴが霧を衣としながら人間サイズとなってシギュンの眼前に降り立った。打てのないシギュンはその一挙手一投足を止める術がない。
「ふふ。途方に暮れているのが手によるように分かりますよ神殺し」
「さて、どうしましょうか」
「ええ、こうしましょう。やはり神を殺めて権能にて
赤き毛の女神はそのままシギュンへと魔法をかけた。
「汝、エウィン・ヴァハの示現を知れ! 怒りと恥辱に震える地母神の恨み言をその腹に受けよ! いにしえの戦士たちを苦しめた"
「…………!」
内臓が、裏返った。
そう錯覚するほどの激烈な痛み。
痛みの発生源は、下腹。呪力を精錬する臍下丹田から股間にかけて、痛みに強いカンピオーネでさえ耐え難い痛みが暴れている。
カンピオーネがまつろわぬ神の前に跪く。
シギュンはどんどんやせ細り、骨ばっていく。少ない脂肪が消えアバラが浮き、頚椎の肉が削がれ頚椎が浮く。
戦士としても狩人としても終わった身体。
敵軍の迫るアルスターで、戦士たちを九日間苦しめた産褥の呪い。臨月の妊婦を辱め、やがて殺した、まつろわぬ女神の怒り。
シギュンは呪いという神威を孕んだのだ。
「く、あっ……!」
「あ、あ、あぁ……! その苦悶に満ちた秀麗な表情、たまりませんッ! 可愛らしき未通女が産褥の痛みに震えるなど、なんという諧謔でしょうか!?」
男を知らぬ
因果を乱す。それが許されるのが天上のまつろわぬ神。
しかし無敵の神でも、敵を侮らない。この魔獣は、追い詰められた時が一番恐ろしい。
「あなたも神殺し。手負いの獣で遊ぶほど私は愚かでも、酔狂な遊び人でもありません。そうそうに首を跳ねてしまいましょう」
まつろわぬバズヴが油断なく倒れ伏すシギュンへと近づき、槍の穂先を掲げる。
刹那。
「──白魚、玄魚っ!シギュンのところへッ!」
「求めるは報復! 呪詛>>>反転!」
断頭台が落ちるより早く、白と黒の二魚が地表を駆けた。地面に伏したシギュンの口元から侵入し、呪いが裏返る。
「これは……呪詛返し」
つぶやくバズヴの下腹部にも激痛が走る。しかし女神は慣れたように不遜な姿勢を崩さなかった。
「何用ですか
まつろわぬバズヴが無感動に視線を向ける。生まれたての小鹿のように足を震えさせながら立つ、