——懐かしい夢を見た。
あれは数年前の出来事。
天王寺瑚太朗として、ただの人間として毎日を、ただ惰性のように生きていた時期。
そう。惰性だ。食事を摂り、学業を学び、何かに怯えるよう身体を鍛えて、寝る毎日。
それは無駄がなく、娯楽がなく、道楽がなかった。
呼吸はしているから生きている。だけど、人間としては間違いなく死んでいた。心が死んでいた。
友人なんて作る暇もない。両親と親睦を深める時間余裕なんてあるわけがない。
生きたいと、ただ前だけを向いて走ってた。
その都度誰かが囁く。ある時は少女の声で、ある時は女の声で、ある時は男の声で
人を救えと、星を救えと、その為に命を使い潰せと、それがリライターの宿命で使命なのだと。
それが堪らなく不愉快で苦痛。見知らぬナニかが、人の人生を歪めようと干渉してくる。
頭に響く声を壁に打ち付けて忘却するかのように。不快な声から耳を塞ぎたくて、一度書き換えとした。
その時になにを願って超人になろうとしたのかよく覚えていない。
幻聴を聞こえなくするようにか、それとも人の理から外れようとしたのか……。
なんにしてもどうでもいいか、と昨日のことように忘れてしまう出会いがあったから。
『——道の真ん中に立ってるの邪魔なんだけど? 君、どかないなら蹴り飛ばすわよ』
学校帰りに、顔も知らない誰かが望むように心が折れそうになったその時にこの人と巡り会った。
惹き寄せられるような赤い長髪。白のTシャツに、藍色のジーンズ。トランクを片手に持った女性。
この時のオレは苛立っていて、むしゃくしゃしていて生意気な態度で返したのを覚えてる。
出来ないと高を括って、出来るのならやってみろ、って皮肉気に挑発した。
『なら遠慮なくー♪ あとで泣き言言うんじゃないわよ♪』
そしてオレは蹴り飛ばされた。
それはもう満面な笑顔で。歳下の子供だろうとお構いなしに。豪快に蹴られた。
それが名前を未だに知らない司書さんとの、天王寺瑚太朗との出会いだった。
◇◇◇
「…………ん」
えらく懐かしい夢を見ていた。
オレが天王寺瑚太朗である限り、未来永劫、いや地獄に堕ちようとも忘れることはない出会い。
「図書館、居眠り厳禁」
目が覚めたとき気づいたのか立場上注意をするが、その声は相変わらずやる気がなく適当。
気の抜けた返事を返せば、それに満足して司書さんはカウンターに置いているテレビへ視線を戻す。
人生とは不思議なもの。自分を蹴り飛ばした人物と親睦を重ねることになるとは。
なんなら毎日のようにここに居座っている。普通なら2度と会いたくないと感じるだろうに。
「……ふわぁ」
大きく欠伸をしながら、背伸びをする。
本日は日曜日。学校は休み。
クラスメイトに遊びに誘われたわけでもなく、家族と出かけることもなく図書館で暇を潰していた。
暇を潰していた、は語弊があるな。
実際はこのオンボロの図書館の清掃に勤しんでいたが正しい。
それもひと段落をして仮眠をとってたんだけど。
「朝はボランティア行ってたんだっけ? えーっと、緑を植えよう委員会?」
「今日は河川敷を綺麗にしよう委員会だよ」
「ああ、ゴミ拾い。ご苦労なことねぇ」
オレの日曜の朝は早い。
休日の日には、朝から昼から参加の地域のボランティアに必ず参加している。
緑を植えよう委員会は先週の花植えのこと。
今週は河川敷のゴミ拾いだったので、河川敷を綺麗にしよう委員会というわけ。
「日曜は毎週ボランティアに、図書館の掃除。もっと学生らしく過ごしなさいよ」
「品行方正な学生の休日じゃん」
「相変わらず屁理屈。まぁ図書館の掃除してくれるの、こっちとしても助かるからいいんだけど」
本来この図書館、土日は休館している。
昨日は例外だったが、基本土日は図書館の清掃を対価にお小遣いと滞在するのを許可されている。
司書さん曰く、最低限清潔に保てと、この館の本来の持ち主に言いつけられてるらしい。
その愚痴を聞いたオレは、休日も合法的に入り浸れるように引き受けたってオチ。
「そういえばさー」
「なんっすか?」
視線はテレビに向けてるのに、それだけでは退屈らしくて単調な声で話しかけてくる。
「なんか良いことでもあった?」
その唐突な一言にオレの頰が引き攣った。
気が抜けていたこともあって、ふざけた言葉も生意気な軽口も返す事ができず膠着する。
テレビを退屈に眺めていた彼女へと恐る恐る首を向けたら、面白い話が聞き出せると口元をにやけさせて此方を見ていた。
「……帰る」
「ただ働きになるわよ? 報酬、まだ貰ってないものね?」
お、大人気ない! 図書館を清掃して貰うバイト代を人質にしやがった!
逃げようと椅子から立ち上がったのに、報酬という捕虜を手に入れるため渋々と再び椅子に座る。
「ほらほらー! お姉さんに話しなさいよー! こちとら娯楽話に飢えてるんだから!」
「……き、昨日出かけたんだよ」
「誰と出かけたのよ! そこが重要! クラスメイトの女子!? それとも違うクラスの女子とか!?」
「そこに男子の選択肢入ってないのおかしくない……?」
「男子は昼休みで馬鹿騒ぎって相場が決まってんの! 勿体ぶらずに言いなさいよー!」
「……先輩とだよ。これ以上は黙秘権を行使する」
「ああ。シエル先輩ね」
自分の人脈の少なさが急に情けなくなってきて、両手で顔を覆い隠した。
黙秘権を使ったし、先輩としか言ってないのに一瞬で看破するの過去を覗ける力でもお持ちで?
この前の会話はもう忘れてると思ってたのに!
興味なさそうな態度しながら、人の話聞くからわかりにくいんだよチクショウ!
「へー? 年上の女の子と? つまりデートじゃない。よかったわねー!」
「う、うるせぇ! デートじゃねぇ!」
「中身はどうであれ、男と女が一緒に出かけるのは立派なデートよ? そっかそっか。そのシエルって人そこまで気に入ってるんだ。良かったわね、瑚太朗」
文句を言おうとしたら、世話のかかる弟が誰かと一緒に出かけたことを姉のように喜んで笑っていた。
オレはこの人以外誰かと外出することはなかった。友人はいないし、家族すらも出来ない。
負い目とか、恐怖とか。苦痛でしかないので、徹底的に避けていた。
たまに外食に連れ出されたり、この図書館にいる時が唯一ただの天王寺として振る舞えていた。
それをいつの間に見抜いていた人からの祝福に、照れくさくて頭を掻いて誤魔化す。
この人には頭が上がらない。もし血の繋がった姉が居たのならこの人が良いのだと心の底から思う。
「手を繋いだりした? なんなら、抱きしめたりとかしたわけー?」
前言撤回。
この人単にオレをダシにして騒ぎたいだけらしい。
「す、するか! というか、そんな関係じゃないっての! というか——」
『——なので天王寺君にご褒美あげちゃいます』
柔らかく微笑みながら、頭を優しく撫でてくれたことを思い出してしまう。
愛情が込められていた。温かくて柔らかくて、もっと欲しいと心のどこかで欲を抱いた。
鏡を見なくてもわかる。
昨日と同じように顔が赤くなっているだろう。褒められて嬉しくならない奴はいない。
ましてはオレの偽善を、自己満足を、良いじゃないですかと肯定してくれたのだから。
「くくくっ……アンタその先輩にぞっこんじゃない」
「は、はぁ!?」
声を抑えて笑ってる人から夢中になっていると云われて、驚いてつい声を出してしまう。
オレがシエルのことを? たった、アレだけの行動で彼女に対して特別な感情を抱いてるって?
「いやいやいや……あり得ない。あり得ないって。頭撫でられたぐらいで? 単純過ぎんだろ」
「見事な自爆ありがとう。人間関係不器用な天王寺君が、人に触られても良いぐらいに距離詰めたのねー」
「気が抜けてただけだから? 本当ならそんなことさせてませんから?」
「気を緩められる人ってことか。まだ持ってるんでしょ? ほらほら飛んで白状しなさいよ」
カツアゲする不良の如く、悪い顔を浮かべるがその辺の不良よりタチが悪い。
カツアゲされ方がまだ逃げられるんだが? なんなら拳で対抗できるから遥かにマシなんですが?
イジるネタを見つけた司書さんは、素直に諦めて白状するのがいいと数年の付き合いで理解している。
「……帰る間際にもっと一緒にいたいって、感じたりとか」
「くくく……っ! あはははっ! ごめん! ちょっと耐えられない! あはははっ! あの瑚太朗がねぇ!」
「だから嫌だったんだよ……っ!」
声を上げて笑いながら、彼女は机を叩く。
悪どい笑みを見た時、こうなる予感がしたから話したくなかったんだよっ!
「いやー! 笑った笑った! 笑い過ぎて、お腹痛くなるぐらいには笑っちゃった!」
「……鬼め」
「ごめんって! お駄賃上乗せしとくから!」
ごめんごめんっと、苦笑いを浮かべて平謝り。
不貞腐れてたけど、給料が増えるのなら機嫌なおそ。
現金なやつ? 世の中は金だよ。中学生だろうとお金がないと、昼食すらも用意できないからな!
「その感情が心に残ったように、そのまま無駄も愛していきなさいよ」
「人生は無駄があるから面白いだっけ?」
「よく覚えてるじゃない。無駄を受け入れなさい。人生の大半は、無駄が積み重なって造られたいくもの。一度きりの人生、誰かに命令されるように生きるなんて退屈よ。特に天王寺は、寄り道だらけが丁度いいわ」
「……充分過ぎるほど遠回りしてるけど」
「ゴールのない高速道路を全力疾走してる車から、最低速度で走るぐらいには変わっているわね」
ポリポリと煎餅を齧りながら、まだまだねーと呆れた口調で話す。
この時間も駄弁って過ごしてるようなものだけど。
どうやら司書さんからみて、オレはまだまだ寄り道が必要らしい。
本来はこの時間も有事に備えてトレーニングするのが一番なんだけどな……。
「そろそろ帰るよ」
「人と会う約束があるとは言ったけど、時間ギリギリまで居座って構わないわよ?」
「昨日は帰りが遅くてトレーニングできてないんだ。その分まで今日はやる予定でね」
「そっ。遅くならないよう程々にしときなさいね」
椅子から立ち上がって、カウンターまで近づいて、机の上に置いてあった封筒を手に取る。
今度この人と外食する時に、シエル先輩に教えてもらったカレーショップに行くのも良さそうだな。
「—— 瑚太朗。無駄を愛しなさいよ」
一度家に帰って着替えと、アルバイト代を棚の中に片付けようと考える。
扉に手を掛けるて、図書館から出て行こうとすると背中越しから声をかけられた。
「わかってるって。人生は無駄があるから面白い、そうアンタから教わったからさ」
誰かに命じれるように生きていたオレを、1人の人間として戻してくれた大切な言葉。
人生は無駄があるから楽しいのだと、それを拒まず愛していいと諭された。
それを有言実行できているのかは分からない。
けれど、いつかこの人に、無駄が大好きになったと胸を張れるようになりたいと、そう願った——。