盗賊の少女とドロスの英雄 作:ヽ(´▽`)/
『あのドロスにだって神速の英雄がいた』とは、オンパロスにおいて広く知られる例え話である。
その起源は遥か昔、黄金戦争が始まるよりも前、世界各地で紛争が起こっていた時代のこと、人々の目に映らぬ英雄が多くの人の命を救った。
暗黒の潮の造物を前にして死を覚悟した市民が気がつけば都市の城壁の内側まで運ばれていたり、暴虐の限りを尽くしたクレムノスの兵は土煙に隠れた一瞬のうちに縄で縛り付けられるなど、その活躍は多岐にわたった。
「これはタイタンの恩寵ではなく、名もなき英雄の所業に違いない」
とある男はそう考えた。
彼は、辺りを見渡して大きく息を吸い込むと
「名もなき英雄よ!名を告げられよ!」
そう叫んだ。
しばしの間人々は返答を待ったが、その叫びに答える声はなかった。
だが、突然一陣の突風がその場に吹き込み、男と周囲の人たちの目を瞑らせた。
群衆が目を開くと、目の前の壁に大きく
《ドロスのオルフェウス》
とだけ刻まれていた。
彼の所業は突風と共に行われ、その突風は彼の神速が巻き起こすものだと考えられた。
彼の足跡は多くの物語に残っているが、その姿は終ぞ記されることはなく、黄金戦争の勃発と同時に彼は歴史から姿を消した。
その理由については様々な議論があるが、とにかく特筆すべきはこの英雄は自らをドロスのオルフェウスと名乗った点にある。
盗賊の城とも呼ばれるドロスこそがこの英雄の故郷なのだ。
そのことから、いかなる悪意の中にも一筋の善意があり、どのような絶望でもどこかには希望がある、そのような例え話としてオンパロスの民は『あのドロスにだって神速の英雄がいた』と話すのである。
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キャストリスは手にした本を閉じた。
「……サフェル様」
「ん?なに?」
偶然居合わせたサフェルはキャストリスのほうを振り返り、彼女が手にしている本を見て面倒くさそうな顔をした。
「……私に歴史とか聞かれてもわからないよ?」
「いえ、私が気になったのは歴史の本筋ではなくて、ドロスが生まれのサフェル様ならドロスの神速の英雄をご存知かと」
「あたしも詳しくは知らない。でも、ドロスでだけ伝わってる教訓なら一つ。突風が吹いたら一歩下がれってね」
一つ指を立てて言ったサフェルに、キャストリスは首をかしげる。
「オルフェウスから逃げ出せる奴はいない、だから突風が吹いたら悪事をやめてオルフェウスの目から逃れろ……つまり、引き際を弁えろって話」
「オルフェウスさんの話はドロスでも伝わっていたんですね」
「そもそも、最初に姿を現したのがドロスだしね。」
サフェルは何かを思い出すように空を眺める。
「ドロスにごまんといる悪党を片っ端から縛ってみせた名無しの英雄、それが気がつけば神速の英雄なんて名前が付いて、何やってんだろうね…あのバカは」
「サフェル様、知り合いなのですか……?」
「……違うよ。知り合いなんかじゃない」
サフェルはそう言って、しばらく考え込むような仕草をすると
「いつか、話すべき時に話すよ」
そう言って、ザグレウスの神速によって姿を消した。