盗賊の少女とドロスの英雄 作:ヽ(´▽`)/
花畑の向こう側に彼女が立ち尽くしている。
『次に会う時には、二人で酒を飲もう』そう約束したのを覚えている。
だから、いつ出会っても良いように、俺のローブの中にはいつも酒瓶と布で包まれた二つの杯がある。
いつかの日のように彼女に杯を差し出すが、彼女は動かず首を横に振った。
『また会えた日には、君と酒を飲むのも……悪くないかもしれない。また会おう、黒い鮭』
彼女は俺に背を向けて、立ち去って行く。
俺はその背を追おうとするが、みるみるうちにその背は見えなくなった。
王の夢を見た。
彼女とは、果たしていない約束がある。
払われていない対価がある。
彼女から受け取った盤上遊戯の駒はまだ胸元にしまってある。
それを取り出して、果たされていない約束について問いただそうとしたその時、彼女は何も言わずに俺に背を向けた。
『火を追う旅を、途絶えさせるな』
その声だけを残して彼女の姿は掻き消えた。
昔日の夢を見た。
一際強く輝く篝火の周りに、多くの人影が見えた。
「冬霖卿」、「吟風卿」、「牽石卿」、「断鋒卿」。
そして、「剣旗卿」と女皇。
「冬霖卿」とは、何度か競った仲だった。どちらが多く飲めるか、どちらが潰れるのが先かと罵り合いながら酒を飲んだ。あの戦の後に再戦をしようと言った。その約束は未だ果たされていない。
「吟風卿」は、後世に残すための讃歌を俺のために書いてくれると約束していた。俺はまだ、その草稿すら読ませてもらってない。
「牽石卿」が神悟の樹庭に戻る日が来たら、その実験を手伝うと約束した。彼に呼ばれる日を、俺はずっと待ち続けている。
「断鋒卿」を何度も揶揄った覚えがある。最後の一回はあまりに上手くいきすぎたものだから、戦が終わったらお詫びに酒を奢ると約束した。彼はいつになったら、俺に酒を取り立てに来るだろうか。
「剣旗卿」とは、次の酒を飲む約束をした。
俺のお気に入りの一本を開けて、二人でゆっくり味わおうと。
せっかく、コレクションの中から彼女が気に入りそうなものを悩み抜いて選んだのに、彼女は来ない。
女皇は出征の前、俺に駒を手渡した。
帰ってくるまでに少しは相手になるようにしておけ、と言いつけられた。
珍しく本を読んで練習をしたというのに、肝心の彼女はいつまで経っても帰らない。
こんなに、こんなにも沢山の果たされなかった約束が、今日ついに果たせる。そう思って、一歩踏み出した。
すると、篝火の火が二歩分遠ざかった。
駆け出すと、どんどんと俺と篝火の間に距離ができていく。
こんなにも必死に駆けているのに、腕と足が重くなるばかりで、篝火には指一本だって触れられない。
篝火を囲み続ける彼らは、落ち着いた表情でこちらを見据えている。
「待て……待てよ!俺はまだ……」
必死に求めれば求めるほどに篝火の火は遠く離れていく。
「オルフェウス」
「黒い鮭」
「神速卿」
──────────
「──っ!?は……」
酷い夢を見て、オルフェウスは目を覚ました。
だが、不思議と身体の調子は悪くない。
夢のせいだろうか、何か懐かしいものに触れたい気分になった彼は神悟の樹庭へと向かった。
彼は一際高い場所にある枝に腰掛けて、今の樹庭を見下ろした。
「……昔はここで酒を飲んだもんだ。今じゃ、宴すら始められそうにない雰囲気だな。なぁ、アポロニウス?」
誰に聞かせるでもなく、一人つぶやいた。
その声は風に乗って遠くへ流れ、誰に届くこともなく消えていった。
まるで、遠い日の約束のように。
すると、眼下の樹庭が一際騒がしくなる。
戦う音と、悲鳴が聞こえる。
「暗黒の潮が、すぐそこまで!」
オルフェウスはその声を聞いた途端に武器である短剣を取り出して駆け出そうとした。
その時……
『飛翔する幣……ザグレウス』
背後から響いた不気味でくぐもった声に彼が振り返った途端、黒衣の剣士は彼を逆袈裟に切り上げた。
音を立てて黄金の血が地面へと滴る。
『…………詭術の、火種を───』
原作主人公サイドを少しスキップしております。
紛争の火種およびモーディス関連は彼の意思に関わる話で、入り込む余地がないのでおそらく書かないかなと思われます。
今回が神悟の樹庭が暗黒の潮に襲われ始めたあたりなので、次の話は主人公たちが神悟の樹庭に到着したあたりの話になります