―――△年前。
男は走っていた。大切なことを伝えなければ、と。鍛えた体に悲鳴を上げても気にならないほど夢中に駆けていたが……一台の車が彼の行方を塞ぐ。
―――そして男は全てを失った。
※
―――そして、現在。
雑居オフィスの一室で無精髭を伸ばした男が煙草をくゆらせていると、突如手元にある据え置きの電話が鳴り響く。
男は気だるげにゆっくりとその受話器を掴んだ。
「はい、こちら個人貿易店”ハンズフリー”の布村 幹太です。お客様の手の代わりに欲しい品をお届けします」
接客的な口調とは裏腹に客を相手にするとは思えない気だるげな声で話す布村と名乗った男に対して、電話の相手は陽気な女の声だった。
「新鮮なアジが3尾欲しいな」
そう聞いた瞬間に布村の眉がピクリ、と僅かに動いた。そして表の仕事ではない―――つまり、裏の稼業である情報屋の顔に変わると、先ほどとは打って変った声色で返す。
「ではまずお客様のご住所をお伺いしたいのですが」
「今メールで送ったよ」
そう女が言うと同時に常時電源を点けておいているPCは”新着メールが一件届いています”と表示した。
男がそのメールをクリックすると、そこには何も映し出されていなかった。所謂”空メール”が届いたのだ。このメールアドレスを使え、ということのようだ。
「では、次に品物についてですが―――」
そう言いかけた瞬間に次の新着メールが布村の元に届く。添付されていた画像を開くとそこにはとある少女の顔写真にプロフィールが載っていた。
”篠ノ乃箒、IS学園入学予定。特技は―――”
そう言った内容にさっと目で通し、最後にもう一通だけ届いたメールを見たその瞬間に男は慌てて電話相手と話そうとしたが既に切れた後である。
そのメールにはただ”指定した人間の観察の報告。報酬は前金と報告毎に入金、無期限―――妹を見守ってね☆”という文字に続いてピコピコとウサギが耳を動かしていた――――。
※
IS操縦者養育学園、通称”IS学園”。現代兵器史上最強である”インフィニット・ストラトス”、通称ISは女性にのみ反応するという特殊な兵器の操縦者を育成する機関だが、ISの特性故に事実上の女子校である。
無論そのような学園では男である布村は観察ということ自体に支障が出る。学園に自由に出入りができ、うろついても問題のない存在というものは極めて限られるからだ。
だがしかし、決して存在しないわけではなかった。現にこうして布村はIS学園の土を堂々と踏んでいるのだから。
布村の近くを通りかかったIS学園の生徒は、目の前にいる男が裏では情報屋をやっている人間とは思いもせずに挨拶をする。
「用務員のお兄さん、おはよう!」
布村も箒と塵取りで掃除する手を止め、その挨拶に対してニコリと笑いながら返した。
「ああ、おはよう」
今日は入学式。IS学園は奇しくも新入生と同時に情報屋を一人、迎え入れることとなったのであった……。
学園の門を掃除しながら布村は登校してくる女生徒から観測対象である篠ノ乃箒を探していると、えも言えわれぬ視線と違和感を感じた。
(誰かに、見られている?)
布村は自分の考えをまさか、と一蹴して掃除の手を止めて背伸びをする。その時、その視線と違和感の正体に気付いた。
「用務員のお兄さん、結構逞しいね……」
「彼女いるのかな? 気になっちゃう!」
そんな会話がふと耳に入り込んできた布村はああ、と納得する。事実上の女学校、それも寮制である。ということは、当たり前だが異性に出会うきっかけなどというものは日常生活においてはほとんど皆無と言っていいだろう。
つまり、若い男の用務員はここの学園では珍しすぎて否が応でも目立ってしまうようだ。
(俺は客寄せパンダか何かか……?)
内心呆れながらも作業に戻ろうとするが、どうにも布村はこの違和感に慣れないでいた。好奇心旺盛な小動物の集団が自分を見続けているようなもので、少しでも顔を上げようものならその視線の先にいた女子はさっと視線を逸らして何か期待するような態度を示すのだ。
こうも目立ってしまっては仕事も何もあったものではない、と布村は体を起こす。その瞬間に、自分の周りを一定間隔開けた全方位に女生徒達が囲んでいることに気付いた。
「―――っ」
これでは本当に動物園のパンダである。布村が絶句しながら立っていると、今度は彼の前方に立っている女子全員がまるで出所をしたヤクザの組長を出迎えるかのように一直線に道を開けだす。
一応気を利かせているつもりなのだろうが、布村の頭の中が混乱するのには充分すぎる程にそれは異常だった。
「あ、ああ。どうもありがとう……」
やや引きつりながらも無理やりに笑顔を作り澄ましながらなるべく早足でこの場から離脱しようとするが、突如として布村の前に一人の少女が前に出た。
布村は疑問にも思いつつ女生徒を凝視していると、顔を限界まで紅潮させた彼女は目線をあちこちに泳がせながら制服の裾を思い切り握りしめていたがやがて意を決したように叫ぶように口を開く。
「わ、私! 3年の青柳美穂っていいます!」
彼女の唐突な自己紹介が始まり、それを逃さず次の少女が布村の前に現れた。
「私は2年の渡辺加奈です!」
「私は―――」
「私は―――」
まるで先を越されてたまるかとでも言わんばかりの怒涛のラッシュに布村はパニックにならないようにと深呼吸をしながら冷静に今の状況を判断しようとするが、彼を取り囲み次々から出てくる少女達はそれすらも許さない。
(こ、このままでは俺は……食われる!)
布村はこの少女達に対して本気で身の危険を感じた。今すぐにでも自分の両手両足を引き裂いてはらわたを食い破られるのではないかというほどの勢いに必死で目を閉じ耐えているその時―――
「ここで何をやっている」
―――凛とした女性の声。別段大きいわけでもないが、どの少女達の声よりもよく通ったそれは瞬く間に少女達を黙らせた。
「いつまでここで屯しているつもりだ、早く散れ! 新学期早々遅刻は許さんぞ!」
その途端、先ほどまでの女生徒達はまさしく蜘蛛の子を散らすが如き速さで瞬く間に布村一人だけとなる。しかし、彼は何かをぶつぶつと唱えながら目を閉じたままだ。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……」
必死になって念仏を唱えている様子を見かねた女性は布村に近づくと、彼の肩を叩く。
「君、もう大丈夫だ。あの馬鹿共は消えた」
彼女がそう言うと、布村は安心のあまりに座り込んでしまい、そして安堵のため息をついた。
「な、何だったんだ今のは……」
「若い男を見るのも稀だからと馬鹿共が浮かれただけだ。ここで働くなら、それなりの覚悟はしてもらう」
そう女性は言いながら立てるか、と布村に手を差し出した。彼はそれにありがとう、と言いながら彼女の顔を見上げた。
その瞬間、布村は雷に打たれた気分になった。それは目の前の人物に一目惚れをしたわけではない。
(織斑、千冬―――!)
織斑千冬の顔を見たのはもう何年も前の話であったが忘れることは一度もなかった。何を隠そう、彼女に関わり布村は人生に敷かれたレールから落伍したのだから。
※
―――時は布村が自衛隊幹部候補生として暮らしていた頃まで遡る。当時、彼はまだ編成されて間もない”対特殊サイバーテロ科”という部門に配属される予定であった。その名の通りサイバーテロに対抗するために設立されたものである。
そこではクラッキング対策は勿論だが、極秘的にサイバーテロへの報復やネットワークの破壊工作の教育と訓練までもが行われていた。つまり、布村は電子機器に精通し、現地での破壊工作やクラッキングを行うことを想定とした技術を叩きこまれたのだ。
ゆくゆくは優秀な隊員としての活躍を期待されていたが、それは悲しくも潰えた。
第二回モンド・グロッソが開催されている真っ只中―――布村は見てしまう。一人の子供が男達に誘拐されるまさにその瞬間を。
彼は付近の道路状況から男達の進みうるルートを想定、信号待ちの最中を狙い自分の携帯電話―――と言っても布村により集音マイクや自製の遠隔操作可能なアプリを導入などの改造を施されたもの――――を車の下部に取り付けることに成功した。
その後、布村は警察へと通報してからは自分の仕事を終えた気分で落ち着いていた。誘拐されたのが織斑一夏であると知るその時までは。
第一回モンド・グロッソの制覇者である姉の弟が、第二回の開催中に誘拐されるということはどういう事か―――それは安易に想像できることであった。
事の重大さを悟った布村が気付いた時には、一人の男が彼を尾行していた。誘拐犯の一味だと判断した布村は走って逃げ続けるがそれもただの無駄骨に過ぎなかった。
気が付けば彼は、見知らぬ小部屋の中に居た。椅子に後ろ手で縛られた状態で身動きの取れないまま、一人の男が布村の前に現れる。白人のその男は見た目とは違い、流ちょうな日本語で彼に話しかけた。
「君は誘拐された少年の場所を知っているね?」
布村はただ何も言わずに男を見上げていると、その男は抵抗のできない彼の腹をめがけて一発殴る。思わず悲鳴の漏れ出した布村の頭を男は乱暴に掴みつつも微笑みを崩さない。それが何よりも布村にとって気味の悪さと恐ろしさを引き立てた。
「まあ、今は話さなくとも問題はない。だが君がだんまりを決め込めば決め込むほど一人の少年の身が更に危険に晒されるのだよ、君にもそれが分からないわけではあるまい。もちろん、君にも相応の見返りがあるし、私も君からの情報で利益を手に入れる。そしてあの少年は助けられ、誘拐犯は無事捕まる。君が喋るだけで皆のためになるのだよ」
長々とそう演説をするかのように男は布村に対して話しかけ続ける。やがて、彼は口を開いた。
「織斑千冬……。織斑千冬にもこのことを知らせる。でないと俺は話さない」
それを聞いた男は更に笑みを増した顔でよろしい、と言うと扉を開けた。
そこには、織斑千冬が居た。ここまで走ってきたばかりだったのだろうか、肩で息をしながら早足で布村の元に近づくと、有無を言わさずに彼女よりも体格も身長も上である布村の胸倉を掴んで吊り上げた。
「どこだ。どこにいる」
短いながらも身震いするほど恐ろしい声に身から漂う怒気や殺気。そして吊り上げられたせいで布村の気道はだんだんと狭まっていく。このまま勢いで殺されかねないと戦慄した布村は声を必死に出しながら場所を教えると、千冬は走り去っていった。
これが、彼女との初めての邂逅である。
「―――おい。おい、聞いているか?」
「え? あ、はい」
二度目の呼びかけにしてやっと動揺していた布村は千冬の呼びかけに気付いた。あと一回反応が遅ければ容赦のない一撃が彼の脳天に直撃していただろう。
「とりあえず、登校時間を過ぎたら校門を閉める。遅刻した馬鹿は気にするな。仕事があるまで宿直室で待機してもらう」
布村は与えられた指示にはい、とだけ言うと千冬はまじまじと布村の顔を見つめる。若干しかめたような顔をしている彼女に布村は自分のことを思い出したか、と不安になりつつも彼女を見つめ返した。
「あの……」
「ああ、すまない。一度会ったような気がしたが―――気のせいだったようだ」
千冬はそう言いながら何処かへと去っていく。残された布村はとりあえずあまり目立たない場所で篠ノ乃箒を待つことにした。
意外にもそのチャンスは早く来た。生徒達の登校ラッシュが一時的に弱まり、布村も若干落ち着いてきた頃に篠ノ乃箒は現れた。顔立ちは凛々しく、特徴的である長いポニーテールは歩くたびにゆらゆらと揺れて遠目からでも一目で判断できるほどだ。
布村は平然を装いつつ掃除に夢中なふりをして箒の近くにあるゴミを掃くような素振りをして深く屈み込むと、あらかじめ開けておいたあらかじめ開けておいた●●●●●●●●小銭入れの口から勢いよく数枚の硬貨が飛び出した。
「あっちゃー……」
しまった、という様子で布村が小銭を拾い集めていると、箒も屈み込んで拾い集めた。近くにいた少女達もそれに倣うように硬貨を集め始める。
「いやー、ごめんね。助かるよ」
少女達から小銭を受け取ると、最後に箒が布村に答えた。
「情けは人の為ならず、だ。ひい、ふう、みい……これで全部のはずだ」
そう微笑みながら箒が差し出した手から硬貨を受け取ると、布村はその隙にごく自然な動作で制服の袖に小型の発信機を潜り込ませる。
「申し訳ないね、ありがとう」
ごく自然にそう笑いながら布村は枚数を確認し、小銭入れに戻した。そしてそのまま何事もなかったかのようにその場を離れ、人目が無い場所まで行くとタブレットを開いた。そしていくつか指で操作すると、学園の地図上を赤い点が点滅をしながら少しずつ動いている。
無事、動作をチェックした布村が元の場所に戻ると時間はもう登校時間の門限ギリギリであった。門に手をかけながら腕時計で時間を確認していると、遠くからこちらへ走ってくる人影が見えてくる。
目を凝らして見ると、走っている人物は若い青年だった。まだ糊の効いている制服を着て走るその様はまさしく新入生、といった様子だ。
「すんませーん! ちょっと待ってください!」
そう叫んだ青年が門を潜り抜けると同時に時間がやってきた。布村が門を閉め終えると青年は膝に手を当てながら深呼吸をしている。
「セ、セーフ……」
「ははは、入学早々にしてギリギリだね。まあ、この先大変だろうけど頑張ってね。織斑一夏君」
織斑一夏と呼ばれた青年は驚いた表情で布村を見上げた。
「どうして俺の名前を―――ってああ、ニュースで……」
一人で納得した一夏に対し、布村は時計を見ながら「早く行かないと遅刻するよ」と言ってやると一夏は慌てて走っていく。
「やれやれ、お互いホントに大変な場所に来ちまったな……」
走って行く一夏の背中を見送りながら門に鍵をかけると、布村はため息をついてそう呟いた。
※
学校棟の一階の隅にぽつねんと存在する用務員室、そこに布村は居た。中は見た目と違いそれなりの広さを持っており、寝泊り用の布団にコンロやテレビ、冷蔵庫等々が完備されている。
彼は茶を飲みながら、ノートパソコンを開いてイヤホンを耳につけて何かを聞いていた。画面には学校中の見取り図と共に教室の映像が鮮明に映し出されている。
「ノイズ無し、画質良好―――観測対象はのん気に外を眺めている、と」
そう呟きながら布村は付属のワープロ機能で文章を書いていた。どうやら報告用の書類作成中のようだ。
そして画面をじっと見つめていると、箒以外の少女達の様子が少しおかしいことに気付く。
落ち着かないような様子であったり、チラチラと何処かを何度も見ていたり、あるいは何かをじっと見つめている様な仕草をしているのだ。
「ん……?」
女生徒達の視線を教室に設置したカメラで追うと、その先には一人の青年―――一夏かが居た。一夏は窮屈そうに周囲の目を気にしている一方で助けを求めるような目をたまにどこかに向けている。
更にその視線をまた追いかけると、今度は箒の方へと向けられていた。一夏が何度もちらりちらりと困ったような表情で箒へと遣ると、その度に箒は不機嫌そうにそっぽを向いて窓を見る。
そういった事が何度も何度も繰り返されているのを見ながら、布村は次のことを書き足した。
”観察対象者篠ノ之箒、織斑一夏と面識あり”
どうもどうも。初めての方はこんにちは、そうでない方はお久しぶりですごめんなさい。
3作同時進行とか何考えてんだと言われそうですが、責任をもって全部の作品は完結させる予定です。……よ、予定です。
最近更新できないというのも私自身多忙だったり体調を崩したりと色々ありまして……申し訳ないです。
ではみなさん、必ず来るもののいつかはわからない次回にまた会いましょう!更新予定は―――半年後ですかね(震え声)
2月25日 追記:大変申し訳ありません、こちらの手違いで全く違う小説を予約投稿してしまいました。本当に申し訳ありません。