生徒さんは先生にメロつかないでください!   作:あばなたらたやた

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一話:空崎ヒナ

 

 窓の外、キヴォトスの空はいつもより青く、雲は薄く溶けるように漂う。

 私の机の上には、いつもの書類の山。風紀委員会の仕事は尽きない。それでも、今日の私は、どこか落ち着かない。胸の奥で、ちいさな波が揺れている。

 

 先生が、部屋に入ってきた。

 いつものように、穏やかな笑みを浮かべて。だが、その眼差しには、どこか私を捕らえる力が宿っている。

 まるで、私の心の隙間をそっと覗き込むような。

 

「ヒナ、ちょっと休憩しない?」

 

 その声は、柔らかく、しかし私の防壁を軽々と越えてくる。

 

「休憩? そんな時間はないわ、先生」

 

 私は冷たく返すつもりだった。でも、なぜか言葉が喉で震えた。先生は私の隣に腰を下ろし、書類の端を指でなぞる。その仕草が、妙に心をかき乱す。

 

「ヒナ、いつも頑張ってるよね。でもさ、たまには甘えてもいいんじゃない?」

 

 先生の言葉は、まるで私の心の奥に隠した小さな願いを暴く鍵のようだ。

 私は目を逸らす。頬が熱い。こんな感覚、知らない。いや、知りたくなかったのかもしれない。

 

「先生、からかわないで」

 

  声が、いつもより弱い。先生は笑う。優しく、でもどこかずるく。

 

「からかってないよ。ヒナが大事だから、こうやって話してるんだ」

 

 その瞬間、胸の波が大きく揺れた。まるで、キヴォトスの空が私の心に落ちてきたみたいに。先生の言葉、眼差し、手の温もり。全部が、私を絡め取る。風紀委員会の規律も、冷たい銃の感触も、今は遠い。私はただ、先生の隣で、ちいさく息をつくしかなかった。

 

 

 書類の文字が、ぼやけて見える。

 私の目は、先生の指先に吸い寄せられている。机の上で、書類の角を軽く叩くその動きは、まるで私の心臓の鼓動と共鳴しているかのようだ。

 規則正しく、でもどこか意地悪に。

 

「ヒナ、顔赤いよ。大丈夫?」

 

 先生の声が、静かな部屋に響く。まるで、私の内側を暴く呪文のように。

 

「そんなわけないわ」

 

 私は否定する。風紀委員会の委員長たるもの、こんなことで動揺するなんて、許されない。

 

 なのに、なぜか視線が先生の顔に絡まる。いつも見慣れたはずのその笑顔が、今日はやけに眩しい。

 

 キヴォトスの陽光が、先生の髪の先で揺れている。まるで、私の心まで照らし出そうとしているみたいだ。

 

 

先生が立ち上がり、私の前に立つ。距離が近い。息が、ほんの少し止まる。

 

「ヒナ、さっきから書類、全然進んでないよね」

 

  先生はそう言うと、私の手からペンをそっと取り上げる。その指先が、私の手に触れた瞬間、胸の波がまた大きくうねった。冷たく硬い銃把を握る手に、こんな熱を覚えたことなんてなかった。

 

「先生、仕事の邪魔しないで」

 

 私は言う。でも、声はどこか頼りない。先生は笑みを深くする。まるで、私の強がりを全部見透かしているみたいに。

 

「邪魔じゃないよ。ヒナがちゃんと息できるように、ちょっと手伝ってるだけ」

 

 そう言って、先生は私の髪を軽く撫でた。その手は、柔らかくて、温かくて、私の全ての防壁を溶かすようだった。

 

「……っ、な、何!?」

 

 私は後ずさる。でも、背中はもう椅子の背もたれに当たっている。逃げ場がない。先生はただ、静かに私を見つめる。

 

「ヒナ、いつも完璧でいなくていいよ。私には、ヒナの全部が大事だから」

 

  その言葉は、まるでキヴォトスの夜空に瞬く星のよう。私の心の奥、誰も触れさせなかった場所に、そっと降りてくる。

 

 胸の波が、とうとう溢れた。私は目を閉じる。風紀も、責任も、今は遠い。先生の声だけが、私の世界を満たす。

 

 こんな私を、先生は知っているのだろうか。知っていて、なお、こんなふうに笑うのだろうか。

 

 私の心は、先生の手の中で、静かに、甘く、溶けていく。

 

 私の目を閉じた先に、先生の声がまだ響いている。柔らかく、でもどこか逃れられない重みを持ったその音は、まるでキヴォトスの風のように、私の心を撫でては揺らす。

 

 部屋の中、書類の山が静かに私を嘲るようにそびえている。風紀委員会の仕事は、まるで果てしない海だ。波は引かず、ただ押し寄せる。

 

「ヒナ、この書類、全部今日中に終わらせようとしてるの?」

 

  先生が、机の端に腰かけながら言う。私のペンを握ったままの手が、そっと書類の束を指す。その仕草は、まるで私の負担を軽く持ち上げるかのようだ。私は目を細め、答える。

 

「当たり前よ。風紀の仕事は、私がやらなきゃ誰もできない」

 

 声は硬く、でもどこか震えている。

 先生は小さく笑う。その笑みは、まるで私の強がりをそっと包む毛布のようだ。

 

「ヒナ、すごいよ。こんな量、普通なら逃げ出したくなる」

 

 先生の指が、書類の山を軽く叩く。紙の音が、静かな部屋に響く。まるで、私の心の軋みを代わりに鳴らしているみたい。

 

「でもさ、ヒナ一人で全部背負う必要、ないんじゃない? 私も手伝うよ。ほら、こうやって」

 

  先生は一枚の書類を手に取り、冗談めかして読み上げる。

 

「『ゲヘナ学園内、喫煙違反に関する報告書』……ふむふむ、なかなかハードな案件だね」

「先生、ふざけないで」

 

 私は言うけど、口元がわずかに緩む。自分でも驚くほどに。先生の軽い口調が、まるで私の肩に積もった重さを一瞬だけ溶かす。

 

「ふざけてないよ。ヒナがこんなに頑張ってるの、ちゃんと見てたいんだ」

 

 先生の目が、私を捉える。その瞳は、キヴォトスの夕暮れみたいに、柔らかく、でも深く、私の心の底まで見透かす。

 

「仕事の量は、確かに多い」

 

 私はつぶやく。まるで、先生にだけ許された告白みたいに。

 

「毎日、書類と報告と、トラブルが山ほど。風紀を守るって、こんなに……息苦しいなんて、思わなかった」

 

  言葉が、ぽろりとこぼれる。自分でも驚くほど、素直に。先生は静かに頷く。

 

「ヒナ、全部一人で抱えなくていいよ。私がいる。風紀委員会の皆もいる。少しずつ、分け合ってみない?」

 

 その言葉は、まるで私の心の海に浮かぶ小さな舟のよう。頼りないかもしれないけど、確かにそこにある。

 先生の手が、私の肩にそっと触れる。温かさが、じんわりと染みる。

 

 胸の波が、また溢れる。私は目を逸らすけど、先生の声が追いかけてくる。

 

「ヒナ、私には、ヒナの頑張ってる姿も、疲れてる姿も、全部大事だから」

 

 その言葉に、私の心はもう抗えない。書類の山も、風紀の重圧も、今は遠い。先生の隣で、私はただちいさく息をつく。

 心が甘く静かに、溶けていく。

 

 その一言は、まるで私の胸の波を穏やかに撫でる潮騒のようだ。

 

「…分け合う、なんて」

 

 私はつぶやく。声は小さく、まるで自分に言い聞かせるように。風紀委員会の委員長は、誰にも頼らず、誰にも弱さを見せない。

 

 それが私の務めだと、ずっと信じてきた。なのに、先生の前では、その信念がガラスのように脆く揺れる。

 

「ヒナ、私には関係ないよ。委員長だろうと、ヒナはヒナだ」

 

  先生の声は、柔らかく、でもどこか揺るがない。まるで、私の全てを受け止める海のよう。

 先生が、机の上の書類を一枚、また一枚と脇に寄せる。

 

「ほら、今日はこれくらいでいいよね。少し、休もう」

 

 その言葉に、私は反論しようと口を開く。でも、先生の目が、私を捕らえる。キヴォトスの夜空のような、深くて温かいその瞳。

 そこには、私が隠してきた疲れも、強がりも、全部見透かされている気がした。

 

「先生、休むなんてできない。まだ書類が大量に」

 

 声が、かすれる。自分でも驚くほど、弱々しい。

 

「いいんだよ、ヒナ。私がそばにいるから」

 

 先生はそう言うとそっと私の手を握る。その温もりは、まるで冷えた私の心に灯る小さな火。

 銃把の冷たさしか知らなかった手に、こんな感覚が宿るなんて。

 

「甘えてもいいんだよ。ヒナが頑張ってきた分、私が受け止めるから」

 

 先生の声は、まるで子守唄のよう。私の心の波を、静かに優しく、包み込む。

 

 私は、目を閉じる。

 胸の奥で、ずっと閉ざしていた扉が、軋みながら開く。風紀の重圧も、書類の山も、今は遠い。先生の手に委ねた私の指先が、わずかに震える。

 

「……先生、こんなの、ずるいわ」

 

  つぶやく声は、まるで子供のよう。先生は笑う。柔らかく、どこか愛おしげに。

 

「ずるくていいよ。ヒナがこうやって私に頼ってくれるなら」

 

 その瞬間、私は抗うのをやめた。先生の胸に、そっと額を預ける。温かさが、じんわりと全身に広がる。

 

 キヴォトスの空も、書類の海も、今はただの背景。先生の腕の中で、私はちいさく息をつく。甘えることの怖さも、委員長の仮面も、全部、溶けていく。先生の温もりに、私はただ、静かに、甘えることを許された。

 

 先生の笑みが、私の否定をそっと飲み込む。まるでキヴォトスの海が、寄せる波を静かに受け止めるように。

 

「ヒナはヒナだよ。どんなヒナでも、私には大切だ」

 

 その言葉は、まるで私の心の奥に隠した小さな欠片を拾い集める手のように、優しく、確かだ。私は目を逸らす。胸の波が、抑えきれずざわめく。

 

「先生、いい加減にして。仕事が」

 

 私の言葉は、途中で途切れる。先生が、そっと私の手を握ったからだ。その温もりは、冷たい銃把とはまるで違う。私の指先が、わずかに震える。

 

「仕事は大事だけど、ヒナのことも大事だよ。ほら、ちょっと休憩しよう。ご飯、食べに行かない?」

 

 先生の声は、まるでキヴォトスの風のように、私を軽く押し出す。

 

「ご飯……?」

 

  私はつぶやく。風紀委員会の委員長たるもの、こんな時間に食事だなんて、許されるはずがない。なのに、先生の瞳を見ると、なぜか足が動いてしまう。まるで、私の意志をすり抜ける魔法のように。

 

 連れられた先は、ゲヘナ学園近くの小さな食堂だった。キヴォトスの喧騒が遠く、窓から差し込む夕陽が、木のテーブルに柔らかな影を落とす。

 

 先生が注文したのは、シンプルなサンドイッチと温かいスープ。私の前に置かれた皿からは、ほのかにバターとハーブの香りが漂う。

 

「ヒナ、こういうのでいいよね? あんまり重いのだと、疲れちゃうと思うんだけど、どう?」

 

  先生は笑いながら、私の表情を覗き込む。私はスプーンを手に取る。スープの熱が、指先にじんわりと伝わる。

 

「先生、こういうの、慣れてるね」

 

 私の声は、どこか拗ねたように響く。先生はくすりと笑う。

 

「ヒナが頑張ってるの、いつも見てきたからね。少しでも、楽になってほしいんだ」

 

 その言葉に、胸の波がまた揺れる。私はスープを口に運ぶ。温かさが、喉を通り、心の奥まで染みていく。まるで、先生の気遣いが、私の凍えた部分を溶かすように。

 食事が終わる頃、キヴォトスの空は茜色に染まっていた。先生は私の手を引く。

 

「ヒナ、今日はもういいよね。ちょっと、休もう」

 

  その声に逆らう気力は、すでに私から消えていた。

 先生の部屋は、シンプルで、どこか落ち着く匂いがした。書類も銃も、ここにはない。先生がソファに毛布を広げ、私をそっと座らせる。

 

「ヒナ、ちょっと横になって。仕事のことは、明日考えればいいよ」

 

  その言葉は、まるで子守唄のよう。私の瞼を、静かに重くする。

 

「寝るなんて……」

 

 私は抗おうとする。でも、先生の手が、私の髪をそっと撫でる。

 

「いいんだよ、ヒナ。私がいるから。少し、甘えて」

 

 その声は、まるでキヴォトスの星空が囁くように、優しく、私を包む。毛布の柔らかさに身を預け、私は目を閉じる。

 

 先生の気配が、すぐそばにある。書類の山も、風紀の重圧も、今は遠い。私の心は、先生の温もりに溶け、静かに、甘く、眠りに落ちていく。まるで、初めて許された、ちいさな休息の海へ。

 

 キヴォトスの朝は、静かだ。窓の外、朝霧が薄く漂い、遠くで鳥の声が小さく響く。

 

 私は毛布の中で目を覚ます。瞼の裏に、昨夜の先生の温もりがまだ残っている。まるで、夢の続きのような柔らかな感覚。なのに、胸の奥で、ちいさな波が揺れている。

 こんな穏やかな朝を、風紀委員会の委員長が知っていいはずがない。

 

 ふと、鼻先に漂う香りに気づく。甘く、温かく、どこか懐かしい。パンとバター、ほのかにコーヒーの苦みが混じる匂いだ。

 

 私はそっと起き上がり、毛布を肩にかけながら、音のする方へ目をやる。

 

 キッチンで、先生が背を向けて何かしている。朝陽が、先生の髪を金色に染め、まるでキヴォトスの光が彼を祝福しているかのよう。

 

「先生?」

 

 私の声は、朝の静けさに溶けるように小さく響く。先生が振り返り、いつもの笑みを浮かべる。

 

「おはよう、ヒナ。よく寝れた?」

 

その声は、まるで私の心の波をそっと撫でる波のよう。柔らかく、でも確かにそこにある。

 

「ちょっと待ってて。朝ごはん、すぐできるから」

 

  先生はそう言うと、フライパンからトーストを器用に取り出す。

 テーブルには、シンプルな朝食が並ぶ。こんがり焼けたトーストに、目玉焼き、彩りのサラダ。

 

 コーヒーの湯気が、朝の空気にゆらりと溶ける。

 

「ヒナはこういうの好きだと思うんだ。軽めで、でもちゃんと栄養あるやつ」

 

 先生は私の前に皿を置き、いたずらっぽく笑う。私はスプーンを手に取るけど、なぜか胸が熱い。

 

「先生、なんで、こんなことしてくれるの?」

 

 言葉が、ぽろりとこぼれる。風紀の規律も、責任の重さも、今は遠い。先生はただ、静かに私の目を見つめる。

 

「ヒナが笑ってくれるなら、それだけでいいよ。ほら、冷める前に食べて」

 

 その言葉は、まるでキヴォトスの朝陽のように、私の心をじんわりと照らす。

 一口、トーストを噛む。サクッとした音と、バターの甘みが口に広がる。こんな小さなことが、こんなに幸せだなんて。先生が向かいでコーヒーを飲みながら、私をそっと見つめる。

 

 その眼差しは、まるで私の全てを包み込む海のようだ。私の心は、静かに、甘く、満ちていく。

 

 この朝が、ずっと続けばいい。書類の山も、風紀の重圧も、キヴォトスの騒乱も、全部忘れて。この小さなテーブルで、先生と二人、ただ穏やかに笑い合えたら。

 

 私の胸は、初めて知る幸福に震える。無限に、この日常が続くことを、そっと祈る。まるで、キヴォトスの空が、私の願いを聞いてくれると信じるように。

 

 

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