コンコン……。
小さなノック音。
時刻は二時過ぎ。こんな時間に俺の研究室を訪問してくる奴なんて限られてくる。人によっては居留守を使おうか、なんて思いながら扉の前にいる人物を確認すると、想定外の姿がそこにあってすぐに彼を通した。
「パパ……」
マホガニーだった。
「どうした」
俺のいるところは実験室だが、マホガニーのいる清潔空間部屋に声は届くはずだ。
「怖い夢を見たの……」
マホガニーの言葉に、俺は一瞬手を止めかけた。それからそのまま研究を続けながら、こんな時間まで起きていて頼れる大人といえば俺になったのか、とマホガニーの思考回路を予想した。
「そこに防護服がある。それを着たらこっちに来てもいい」
マホガニーは薬学研究に興味がある。そんなマホガニーのためにどこのラボにも子ども用の防護服が用意してあった。マホガニーのことを親同然に面倒を見てきたドクターの計らいだろう。
「うん……」
マホガニーはあまりにもゆっくりな動作で防護服に腕を通した。昼間俺が研究室にいると真っ先に防護服を着るというのに、今の億劫そうな動きを見る限り、それだけマホガニーは怖い夢を見たようだ。
「パパ……」
マホガニーはようやく防護服を着終え、実験室に入ってきた。俺はマホガニーを一瞥した。
「今は手が離せない。そこに座っててくれ」
俺が消毒済みのスツールを目で指せば、マホガニーはいつもより重い足取りでそこに座る。目が虚ろだ。まだ眠いのだろう。
「……俺が残した文書に、レッドのことを書いてあったものが残っていた」俺は自分の記憶探しの手掛かりに自分で書いたらしい文書に目を通したことを思い出していた。「レッドは俺の研究中の音を子守唄に眠っていたらしい。マホガニーももしかしたら、ここにいたら眠くなってくるかもな」
「ん……」
マホガニーに生返事されたな、と目を上げると、スツールの上で大きく体を傾けている子どもが見えて思わず手にしていた薬瓶を落とした。
「おい、マホガニー!」
俺はなり振り構わずマホガニーに飛びついた。なんとか顔面から倒れるということは防げた。
「怪我はないか……って」
「すぅ……Zzz」
寝てる。俺が慌てたのも知らん顔で。
「困った息子だ」
俺はマホガニーの背中に腕を回して抱え上げた。小さい。俺が辛うじて覚えている幼少期、通路の隅で乞食をしていたのもこれくらいだったか。
お前は幸せ者だ、マホガニー。ここには食料に困ることも、頼れる大人がいないこともない。頼れる大人が、俺だったのは意外だったが。
俺は一旦マホガニーを清潔空間部屋に連れ出し、ソファベンチに寝かせる。起きる様子はない。
さっさと零した薬瓶を片付けている間もマホガニーは起きなかったので、そのままマホガニーの宿舎まで連れて行った。マホガニーは少し前までツルギと同じ部屋だったが、八歳になったんだからの別々の部屋になったんだったな。
マホガニーをベットに寝かせると、パパ……と小さく呼ばれた気がした。俺が父親であることを思い出せないのは、やはり心が痛むところがあった。それでも今回俺に頼ってくれたのは、少しは親子らしくなれたのかもしれないと思うことにしよう。
「……これくらいいいか」
俺は、親がきっと我が子にするのだろうおやすみのキスをマホガニーの額に落として、宿舎を静かに出た。