秋も深まる某駅前。
イチョウが鮮やかに黄色く染まり、雲一つない青空に映える。
セーターとベレー帽で決めた鈴谷の姿も、まるで一幅の絵画のようだ。
「やー、イケてる景色じゃん……あれ?」
鈴谷が目を止めたのは、歩道の角に座りこんでいる男。
くたびれたスーツに革靴、大きめのカップを差し出しているところは西洋風のヒッピーかなにかに見えなくもないが、サングラスをかけていては通行人が近づくはずもない。
実際に彼のカップにも足元にも、一枚のコインも投じられてはいなかった。
だが、鈴谷はつかつかと近づいていき、
「あーっ、鈴谷にやらしいことしようとしたおっさん!」
どことなく嬉しそうに、大声で叫んだ。
そう、彼はかつて樺太奪還運動の旗印として、樺太を流れる鈴谷川の名を持つ彼女を利用しようとした――そしてあわよくばむふふな仲になろうとしていた――自称憂国集団の男であった。
魅力的だと見られたからか、はたまた男が鈴谷のためにロシア大使館に突入しようとしたからか、鈴谷の反応はそこまで敵対的なものではなかった。
が、理の当然として、通行人たちの視線は男に対していっそう冷ややかなものになる。
男はあわてて、違うんですと誰へともなく弁明を始めていた。
そうこうしているうちに、いつもの熊野と鹿島もやってきて、風景はいっそう華やかに、そして男はいっそうみじめになる。
「なんでこんなところでしょぼくれてんの? ひょっとして、鈴谷のためにたぬきの穴につっこんだから? 朝日さんに聞いたよ、だからっていいことはしてあげないけど」
少々心配そうに、鈴谷が問いかける。
「い、いや、そのせいじゃ――」
と、男が説明しかけたとき。
揃いのジャンパーを着た統制の取れた集団が現れ、駅前広場の各所にスピーカーを設置しはじめた。
その様子を見て、男は青ざめて鈴谷の背後に隠れようとする。
「や、やつらです! やつらのせいで、我々はこんなざまになってしまったんです」
怯えのあまりか、敬語になっている男。
鈴谷がいぶかしげに見ているあいだにも、集団は手際よく演説台を設置し、のぼりを立て、スピーカーを各所に据え付ける。
かつて男が乗り回していた街宣車のような、通行人に脅威を感じさせる要素はまったくない。
そのため足を速めることも警戒の目を向けることもなく、普段どおりの足取りで行き交う通行人たちに向けて、演説が始まる。
「私たちは、地域の安全と秩序、そして文化の継承を大切に考える市民団体です」
「……なんか、まともそうじゃない? 口調も音量も」
男をおそれおののかせるくらいだから、どんな過激でうるさい演説が始まるのかと警戒していた鈴谷が、拍子抜けした様子で目をしばたたいた。
だが、次の瞬間。
「現在、我が国では無秩序な移民流入により、治安の悪化、文化の破壊、雇用の侵害が深刻化しています」
あたりの空気が、少し変わった。
「私たちは、礼儀と秩序を重んじる社会を取り戻さねばなりません。ルールを守らぬ者に、我々の寛容は必要ありません。父親が安定して働き、母親が安全に子供を育てられる国を、取り戻さなければなりません」
語調は変わらない。
だが、空気は変わっていく。
賛同を示す者も、そして、足早に歩み去る者もいる。
そして男は、わなわなとふるえていた。
「あいつらの……あいつらのせいで……」
「先ほどもやつらのせいと言っていましたが、主張の内容はあなたと同じでは? 仮に彼らのせいであなたが落ちぶれたとしたら、それは単に主張の方法が巧みかそうでなかったかの差だけなのでは」
「いいえ、そうではないのです!」
冷静に指摘する鹿島と、必死に訴える男。
今回敬語なのは怯えのためではなく、鹿島に以前こてんぱんにされた記憶のためだろう。
……それを怯えというのかもしれないが、
「我々は樺太と北方領土は奪還するが、そこに住む人々は受け入れることこそ八紘一宇の精神で大東亜共栄圏だと唱えていたんです。もちろんいま日本にいる人々はみんな同志であると。なのに、あいつらは『そんなのは生ぬるい、純化こそ正義だ』と言って、我々の支持者を奪っていったんです!」
「……いたの? 支持者」
「はい、我々の同志、すなわち鈴谷ちゃんと
余計な妄想まで口走ったおっさんが、またしても鹿島への恐怖を上書きされる。
悶絶するおっさんを生暖かい目で見守っていた鈴谷が、ぽつりとつぶやく。
「でも、ちょっと分かるかな」
「パパ活はやめてくださいまし……」
「じゃなくて! さっきくまのんたちと合流する前に食べたビリヤニ、めっちゃ美味しかったからさ」
「これからランチの予定でしたわよね? だから最近おなかが」
「おおっと国防上の機密の開示はそこまでだ。ごはんはおいしいし店員さんはRRRみたいな濃いイケメンだし、そりゃあ何度だって行きたくなるじゃん」
「すずや?」
数百倍に拡大解釈すれば無垢なる乙女のようと言えなくもない遠い目をして、はたで聞けばよくわからないことを言いつのる鈴谷に、いよいよ熊野が本格的につっこもうとしたそのとき。
「ヘイトスピーチをやめろ!」
「排外主義者を許すな!」
大声が響きわたる。プラカードや横断幕を掲げた集団が、拡声器でわめき立てる。カウンターデモ。
しかしその攻撃的な態度は、周囲の眉をひそめさせるに十分であった。
いっぽうの演説者たちも、幸か不幸かたちまち本性をあらわにし、抗議者たちへと罵声を浴びせかけはじめる。
「帰れ! 帰れ!」
「おまえたちは日本人じゃない!」
駅前広場は、たちまち殺伐とした空気で満ちていく。
そして衝突の余波は、通行人や周囲の店へと及んでいった。
通りすがっただけの人物が絡まれ、店舗の看板やディスプレイが乱される。
「じゃあ、ビリヤニ食べに行くよ」
当たり前のように、鈴谷が言う。
「はい? 状況が――いえ、そういうことですのね」
「そういうこと」
熊野と、そして通行人に絡む排外主義者を気絶させていた鹿島が、鈴谷の意図を悟る。
鹿島はおっさんを再捕獲し、先頭に押し立てて、告げる。
「さあ、行きますわよ」
そういうことになった。
鈴谷たちは南アジア料理屋に入って、ランチを食べていた。
緑や銀の髪をした艦娘がいては、排外主義者もあえて手を出そうとはしないという作戦であった。
「これこそ護衛艦すずや! 護衛艦すずやの復活です!」
「まあ、役に立っているようですからよいですが……」
艦名を現代の護衛艦として復活させたい鈴谷としては、大事なことなので二回言いました。
確かに抑止力にはなっている――が、騒ぎのなかで客足は途絶え、店員も外に出ることができない。
「さて、それじゃあ鈴谷がもう一肌脱ぐしかないじゃん、ここは」
「ですから、艦娘は政治にかかわるべきではないと言っているでしょう」
鹿島が釘を刺すが、護衛艦を目指す、いやもとい正義感に燃える鈴谷はどこ吹く風であった。
「そんなの関係ねぇ! い、いや、そうじゃなくて、政治じゃなくてウェーイならいいっしょ? みんなまとめて包摂しちゃうよ、もちろん北方領土も樺太も」
悪巧みの顔でそう宣言すると、鈴谷はスマホを取り出してどこかへと電話をかける。
メッセージアプリでの通話でないあたりがいささか古風だが――
「――お待たせしました」
今回はなぜかホストのような恰好をした朝日が、自動車で店の前に乗りつけたのを見て、一同納得する。
確かに彼女なら、スマートフォンすら持っていない可能性もある。
が、連絡方法はさておき、それ以外の部分は謎だらけであった。
まず自動車は、かつてはいかつかったであろう街宣車だが、今ではピンク色に塗装されていて威圧感は少しもない。
軍歌を流していたスピーカーからは「樺太で高収入」というフレーズを繰り返す陽気な曲が流れているし、後部座席には択捉島と松輪島と国後島と占守島の着ぐるみがスタンバイしている。
「あ、朝日さん? これはいったい……」
「私は工作艦です」
さすがに状況を把握しかねて固まる鹿島に、朝日が余裕たっぷりに告げる。
確かに、塗装などはお手の物だろうが。
「そしてこれは私の街宣車でした」
がっくりと、おっさんが肩を落とす。
鈴谷は後部座席から着ぐるみを引っ張り出し、装備した。
――樺太島の形をした着ぐるみを。
「な、なんだあれは!?」
「あおむしだ! バ〇ラ高収入だ! 樺太だ!」
両陣営がいささか毒気を抜かれて呆然とするなか、車のルーフに設置されたスピーカーから鈴谷の、もとい正体不明の美少女の――全身着ぐるみでどのあたりが美少女なのかはさておき――声が響く。
「ちーっす! 樺太でーす! 全幅8500メートルの宇宙戦艦じゃないよ! 排除とかダサいから、みんなでビリヤニとプロフとラグマンとシュクメルリとボルシチ食べようぜー! 多様性と包摂と樺太にイエス!」
鈴谷が叫ぶ。
自らの名の由来である島の着ぐるみを纏った海防艦娘たちは、ちょこまかとあたりを走り回る。
だが。
殺伐とした空気はそう簡単には和らがない。
すでに衝突しまくっている両陣営のボルテージは高まり、目は王蟲の攻撃色のように赤く血走っていて、着ぐるみギャル一人では火力が圧倒的に足りなかった。あまつさえ鈴谷を――着ぐるみだが――動画撮影しようとしたり、北方領土を拿捕しようとしたりする者までいる。
「見ろ、あれは鈴谷だ」
「か、樺太ダヨー」
「着ぐるみを剥いで艦娘が変なことをしていると晒してやろう」
「くっ……ダメじゃん! ハイパーギャルみインフレーションが足りてない! インフレーション宇宙猫論が!」
焦る鈴谷。
20ノットで駆け回る島々を助けることもできず、物陰に隠れていたおっさんが、はっと息を呑んだ。
「一肌脱ぐ……剥ぎ取る……そうか!」
先ほど鈴谷が口にした言葉が、いま排外主義者が口にした言葉が、おっさんの脳裏でぷらずまの、もとい
「俺が一肌脱ぐ! 勇者ヒンメルならそうしたってことだ!」
あるいは、飄々とした勇者も争いを止めるためにそうしたかもしれない。……いやしないか。
なぜなら、
「中年男性がどんなものか見せてやろう! フル・モンティ!!」
おっさんは街宣車あらため樺太で高収入カーの屋根によじのぼると、身に纏ったスーツを破り捨て、ワイシャツを筋肉で弾き飛ばし、パンツ一丁になったから。
フリーレンとヒンメルに謝れ。
「な、何ですのあのおじさんは!?」
熊野が叫び、
「ぎゃああああ!!」
排外主義者もカウンターデモ隊も悶え苦しみ、
「……みだらです」
「みだらですね」
ジト目で、しかし暖かく、朝日と鹿島がチャイをすすりながらつぶやく。
「
ポージングするおっさん。悲鳴を上げる女性たちに、笑顔をきらめかせて言う。
「安心してください! 履いてますよ!!」
「ぶほっ……」
「げほっ……」
揉み合う樺太島と排外主義者のボスが、同時に吹き出し、
『こっちは吐いてますよ!!』
同時に叫ぶ。
樺太島はにやりと笑い、相手の肩をぽんと叩く。
着ぐるみなのだが、笑っていることは分かる。主に声色で。
「――やあ、ご同輩」
「北方領土も……げぼをはくよ……」
択捉島と国後島が倒れ伏す。
「警察! 警察を呼べ! いや救急車を! 黄色いほうもだ!」
「目が、目がー」
「あら、よく見れば意外といい男じゃない?」
「114514!」
阿鼻叫喚の
ヘイトスピーチの演説者も、怒号を上げていたカウンターデモ隊も、もはや腰砕けになっていた。
敵も味方も日本人も外国人もなく、倒れた人間(と島)を救護しつつ、高収入カーとパンツ一丁のおっさんを遠巻きにする。
「こんな格言を知ってる? ――愛は地球を救う」
いつの間にか助手席に座っているウォースパイトが、スピンターンのさなかでも紅茶を一滴もこぼさずに言う。
むろん英国らしい皮肉なウィットだが、同じく英国生まれの朝日は平然と答えた。
「どちらかと言えば、宇宙人が攻めてきたら人類は団結する、では?」
頭上からは、なおもおっさんの声が響く。
「私は全裸中年男性ではない! 違う、違うのだ!! やらせはせん、やらせはせん、やらせはせんぞ!!」
「はいはい、話は署で聞こう」
「ノー・ミーンズ・ノー!」
「せんかん! 戦艦の匂いがします! 中に入れてください!」
清霜の声も混じっている気がするが、それはさておき。
包摂は、いつも不格好で。
平和は、だいたいうるさく。
希望は、おおむね吐き気交じりだった。
それでも、この日、店は守られた。
それだけで、未来は少しだけマシだった。
「S・A・K・H・A・LI・Nイエイ♪ サハリン! S・A・K・H・A・LI・Nイエイ♪ サハリン! 樺太、樺太で高収入――♪」
いやあまあそのなんといいますか(1年ぶり2度目)。
ネタにまみれております……全幅8500mの究極戦艦とか、ご記憶の方はいらっしゃるでしょうか? しかしカボチャをかぶって両陣営に反省を促すダンスを踊るとか、サービスサービスとか、入れ損ねたネタもまだ多数。
なお最後のはLIがつながっているところまで意図的で、メロディに乗るはずです、たぶん