カシュッ
”!?”
"……ああ、お疲れ"
”……”
”…………”
”……これ? ……全然仕事片付かないしちょっと小腹もすいたしで、夜食でもと思って作ったインスタントラーメン(味噌)を”
”お湯と熱した牛乳でスープにして、ネギと海苔を少々刻んで添えたものに、卵をひとつ”
”そこにちょいと多めにラー油を回して完成した”
”背徳感マシマシ夜食ラーメン(ビールを添えて)なんだけど……”
”……”
”…………”
”……一緒に食べる? ユウカ? ”
「せ、ん、せ、い?」
”あ、あはは……”
*
暦は九月某日、時刻は午前一時半。寝支度を整えてベッドに潜り込んだはいいもの、なんだかあまり寝付けなくて。寝返りばかりうっていた時、ふと思い出した。以前コユキが「深夜の散歩なんてのもオツなものなんですよね~」だなんて言っていたことを。
そんな言葉に従った訳では勿論無い。無いけど、このままベッドにいてもどうにも眠れる実感は湧いてこない。それでせっかくなら。
……もしかして、まだ先生が仕事をしてるかも。
やましい所は全く持ってどこにも一つも全然ないが、(いつもどおり)仕事の山に圧迫されて可哀そうな先生を少しばかり助けてあげようなんて思いでシャーレに足を運んでみれば。
”……”
湯気の立ったラーメンと汗すらかいていないビール缶を前に、割り箸を口で割ろうとしているその瞬間。
「……」
随分と楽し気な宴会を開いているようだった。
”いやぁ、ほら。今日も今日とて全然仕事終わらなくてさ。なんかもういっそきっとここで精を付けとけばきっと明日の私が何とかしてくれるんじゃないかなぁって……”
”一回決めたらお腹空いてきちゃったんだよね、今日吸うタイプのゼリーしか食べてなかったし。”
”それで、せっかくなら豪勢に行きたくてさ! ちょっと凝った感じにアレンジしてみたんだ! 良かったら一緒に食べようユウカ! っとごめんごめん、今器と箸持ってくるね! ”
「あっ、ちょっと……」
私の答えを聞かないまま、先生はキッチンへと飛んで行ってしまった。まだ食べるだなんて言ってないのに。……私の追求から逃れる為。というのは見なかったことにしておこう。
それにしても随分といい匂いがする。
ただのインスタントの味噌ラーメンだと言っていたのに。みその香りにラー油の、食欲を増す辛味の効いたごまの香り。
見た目にもこだわっているのか、おそらくレンジで少し温めた卵はまさしく「良い感じ」としか表現できない白身と黄身の火の通り具合。
そしてその横には添えるように刻まれたネギと海苔。
そういえば最後に夕飯を食べてから結構な時間も立っていて、そして深夜の散歩がてらで軽い運動も済んでいて。
夏から秋への移り変わりの今の時期、夜は結構肌寒く、丁度あったかい飲み物でも飲みたいなと思っていたタイミング。
そんな風に冷えた私の体を温めてくれそうなスープに、それを後押す辛味の赤色。
ごくりと、思わず喉が動く。気づけば私は机の上のラーメンから目を離せなくなっていた。
*
”はいお待たせ! これ使って! ”
声に導かれてラーメンから視線を外せば、丁度先生が食器を持ってきてくれたところだった。というか先生、仕事溜まりすぎで若干ハイになってる。それに多分二徹くらいしてるんじゃないだろうか。目元のクマが大体そんな感じの濃さだし、全体的なふいんきがこうちょっとよれっとしててすごく……。
”どうしたのユウカ、食べないの? ”
「はっ。い、いえ! せっかくなので頂きます!」
……思わず流れで食べることにしてしまった。まだこんな深夜にこんな高カロリーなものを食べることの是非について話が終わっていないのに。
そう考えて悶々としていると、先生が手際よくラーメンを分けていく。
最初にスープを、もう一つの器へ。
その動きだけでラー油と味噌の香りが周りへ広がり、先程よりも動きをもって私の鼻孔をくすぐる。
そしてメインの麺も。
「先生、固めが好きなんですか?」
”うん、まあね。でもきっと丁度いい感じになってると思うよ”
今こそが食べごろになっている面の堅さを見ると、恐らく先ほどのタイミングでは気持ち硬めの状態になっていたのだろうと想像がつく。
そして黄身。
先生が持った箸がゆっくりと黄身をわり、中身の黄色がとろんとあふれる様に。それを上手く箸にまとわせて、私用の器の中、ラーメンへを纏わせていく。
ひと回し、ふた回しと。
お箸が麵の上を旋回し、綺麗に黄身が麺に絡みついていて、見た目からも食欲を誘って来る。
最後に薬味は、きっと食器を取りに行ったときに準備してくれたのか、追加分は小皿に乗っていた。それを私の器へと移し。かんぺき~に当分されたラーメンを私へと差し出してくる。
そこまでされてしまっては、「食べない」という選択肢は、私の中からきれいさっぱり無くなっていた。……これはヴェリタスには絶対内緒にしておこう。またからかいのネタにされる。そう強く誓って私は温かい器を、いや、どんぶりを受け取った。
*
”じゃあ、いただきます”
「い、いただききます」
そう言って、一度は机に置いたどんぶりを、改めて持ち上げると。それだけでかじかんだ指先がほぐれるよう。
温かさに誘われて顔を近づければ一層香りが強まり、それに惹かれる様に。ちょっとはしたないとは思いつつどんぶりに口をつけて、一口。
あったかくて、ちょっと辛い。インスタントのスープをただお湯で溶かしただけでなく、牛乳も使われている為かより濃厚さを感じる。
そこに、普段の私なら入れないくらいの多めのラー油。確かに辛い。けど、牛乳のまろやかさと、先程割られた黄身が優しく辛さを中和してくれて、私でも「辛いけどおいしく食べられる」レベルの辛味に収まってくれている。
こうなってくると辛味はマイナスではなく、食欲を促すプラスの要素として私の背を押す。堪え切れなくなって、麺をすする。
「! 美味しい……!」
重ねて言うが、ただのインスタント麺のはず。乾麺でちぢれている、百人に聞けば百人が想像するタイプの麺。なのに、美味しい。
インスタントラーメンがまずくなることなんて基本的にあり得ないけど、それでもスープにひと手間加えるだけでここまで変わるとは。牛乳によって濃厚になった味噌とラー油の辛味、そして黄身が麺によく絡む。
普段何気なく食べてる時よりしっかりと味噌の風味が口の中に広がって、思わず頬がほころんだ。
”ぷはっ。~~~っああ美味しいっ! ”
ふと横を見ると、先生がとびっきりの笑顔でビールを飲んでいる。普段生徒達に見せる顔とはまた別の、自分の為だけの笑顔。……へぇ。あんな顔するんだ、先生。お酒飲むときって。ふーん。ふふっ。なんだか、かわいい、ような。
……ごくごくと鳴るその喉の、いわゆる喉仏、だろうか? 思わずさすった私の喉には当然なくて、でも先生の首筋の筋張ったごつごつしさがこうすごくすごいかんじがたまら
”……そんなにみられるとちょっと恥ずかしいんだけど”
「はっ……そんなにみてた訳ではなく、そっ、そうです! 普段先生は生徒の前ではお酒は飲まない様にしていると聞いてたので珍しくて!?」
慌てて顔を逸らして、口早に誤魔化すように理由を述べた。そう聞いた先生は納得がいった様子で、
”ああ、そういえばそうだね。それもあるけど、普段みんなと会うタイミングって日中じゃない? だからそもそも生徒関係なしに飲んでないよ”
”今回は……ほら。元々一人での予定だったし、それにもう開けちゃってるからさ。棄てるのはさすがにってのもあって”
今は業務時間外。だから、ね?
そう述べる先生のちょっと悪戯っぽさを帯びた表情に、どうにも自分の頬が熱くなってしまい。
……今まさに辛いラーメンを食べているのだから当然だ。そう決め込む私は、やっぱり顔をそむけたままだった。
─
──
───
"ごちそうさまでした! "
「御馳走様でした、先生」
元々一人分を半分にしていたのもあり、量はそれほどでもなく早々と食べ終えた。……なんとなくだけど、熱々のラーメンを熱々のまま食べきる丁度いい量だった気がする。
”あー美味しかった。やっぱりあったかいご飯はいいねえ。精神が安定するよ”
そうしみじみとつぶやく先生の背中には哀愁が漂っていて、今更だけど夜食について咎めるのも(そんな気はもうさらさらないとはいえ)憚られてしまう。
「先生はこの後どうされるんですか?」
”うーん……もう完全に気が抜けちゃったからなあ、アルコールも入れちゃったし。今から仕事って気分でもないからシャワー浴びて仮眠取るよ。頑張れ明日の私! ”
今ならちょっと目もさえてるし、仕事をやるなら手伝おうと思ったのだが。どうやら今回はこれでおしまいのようだ。
「それでは先生、私も帰ります」
”あ、うん。夜遅いけど大丈夫? ”
「ええ、タクシー使いますから」
”おぉ、個人でタクシー乗っちゃうなんて……流石セミナーの大黒柱”
……そんな良く分からない称賛の目を向けられたりもしたが。そんなやりとりをして、執務室を出るタイミングで。
”じゃあ気を付けてね、おやすみ”
「はい、おやすみなさい。先生」
さようなら、ではなくおやすみ。普段と違う挨拶を交えた新鮮さに心が温かくなって。体はラーメンが温めてくれて。
そういう「よふかし」が。私の夜をとても豊かなものにしてくれた。
……削れた睡眠時間分遅刻しかけて朝に大慌てすることになるのだが、それはまた別の話。