※シャーレに具材がいっぱいあったのはフウカが前日に料理作った残りで、いいおにくは近所から問題解決のお礼での貰い物。
”それじゃあ私は先に割り下作るから、”
「ええ、こちらは野菜を切っておけばいいのね。そんなことくらい、この私に任せなさい!」
時刻は二十二時。場所はシャーレの執務室……の、キッチン。
普段は足を踏み入れないその場所で、私と先生は二人揃ってエプロンを付けて料理に励んでいた。
腕をまくり、手を洗って、いざ切らんと包丁を手にした所で。なぜこんなことになったのかと、たった三十分前の事に思いを馳せる。
*
”お疲れ様アル……”
「ええ、先生こそお疲れ様……」
時刻は21時半。夜も更けているという程ではないが、夕飯時はもう逃したくらいの時間。先生と私はお互いによれよれになりながらシャーレの執務室にたどり着いた。
”ごめんね、こんなに長い時間拘束する羽目になるとは思ってなくて……”
「いえ、当番を受けたのはこちらなんだからそこに文句を言うつもりはないのだけど。……それにしても、あのカイテンジャーというのは一体どこまで厄介なの?」
今回の当番はいつものシャーレの執務室での手伝いではなく。連邦生徒会(のなぜか交通室)から定期的に降りてくる指名手配の依頼だった。
それだけならいつも、ではないがシャーレからの要請で駆り出されることもあって珍しい事ではないのだが。奴らの装備はいつの間にか無駄にアップデートされていて、普段の三倍くらいの厄介さが私達に牙を剝き。結局こんな時間までかかってしまったのだ。……我が便利屋68の会計状況はいつも火の車だというのに、なぜあんなテロリスト達には潤沢にお金があるのか。
”どう考えても家賃だと思うよ? ”
「んなっ……い、いきなり考えてること当ててこないでくれる!?」
”そんなこと言っても、思いっきり顔に出てたよアル……”
なんですって!? 敏腕でクールなアウトローで社長であるところのこの私が!? ……と言いたいが如何せん、思い当たる節はたくさんある。
抗議の声を上げようと口を開きかけた時。ぐぅ、と。空腹を訴える腹の虫が、私と先生の双方から響いてきた。思わず顔を見合わせる。
”お腹、空いたね……”
「そうね……」
そんなつぶやきが、天井に虚しく反射した。
*
”エンジェル24でお惣菜を買ってきても良いんだけど、せっかくアルも頑張ってくれたし。丁度いいものがあるんだ”
「良いもの?」
すきっ腹を抱えていた私に、先生がそう声を掛ける。
”こっち。多分見た方がインパクトあるよ”
そんな風に促されればいやでも興味がわく。先生の後をついて行って案内されたのは冷蔵庫の前。
良いもの。インパクト。冷蔵庫。……私の頭にもしや、という予感が走る。
そして先生が取り出したのは。全身から高級オーラを放つ存在にしか許されない、竹で出来た包み紙。
「!!」
「せ、先生それって……!」
”そう、そのまさかだよ! ”
殊更に丁寧な手つきで開かれたそれには。鮮やかな赤身と、それを際立たせる美しい白。つまり、見事なサシの入り具合の。
霜降り牛肉。
……高級なお肉って本当に竹の紙に包まってるのね。創作の中だけだと思ってたのに。そんなどうでもいい感想が浮かんでしまうくらいの衝撃だった。
”という訳でせっかくの牛肉! 労いも込めてこのお肉、すき焼きにしようかと思うんだ! ”
「最ッ高じゃない! それでこそ経営顧問だわ!!」
───
──
─
すき焼き。その甘美な響きに、カイテンジャー達に舐めさせられた辛苦は吹き飛び、疲労でハイになった私達はノリノリで料理に勤しんでいた。
具材はしいたけ、ネギ、えのき、しらたき、豆腐。人参に白菜。そして忘れてはいけないお肉。
……普段私達に差し入れしてくれる時も弁当が主だし、先生がそこまで料理を作る人って言う印象はあまりなかったのだけど。
一瞬頭を過った疑問は、空腹とすき焼きの魅力に押し流されて一瞬で頭の中から消え去っていった。
そんなことより料理をしないと。と言っても、すき焼きに関してはそこまで凝った工程は必要ないらしい。極論、具材が食べやすい大きさになっていて火がきちんと通っていれば大丈夫との事。
しかし。せっかく先生が見るからに高級なお肉を振舞ってくれているのだから、見た目にもこだわりたい。
そう思えば、包丁を握る私の手にも自然と力が入ってくる。
そう意気込んだ時、先生から声がかかる。
”アル? 気合い入れてくれるのは嬉しいけど、包丁で指切ったりしないようにね”
「うふふ、心配無用よ先生! このオーダー、確実に遂行するんだから!」
……ちらっと見えた先生の横顔に、幾分か不安げな様子が見て取れた。
*
まずはしいたけ。水で濡らしたキッチンペーパーで綺麗に吹き、石突を切り落とす。かさをひっくり返して表を上に。Vの字に抜く様に切り込みを2、3回ほど入れれば、まさにイメージ通りのしいたけが出来上がる。
えのきたけは菌床を切り離し、更に可食部の真ん中程で切断する。それを手でほぐして、食べやすい大きさに。
ネギは外側の皮をはがして、5センチ幅程度の大きさに切り分ける。これ以上大きいと食べにくいし、小さいと火が通った時に思った以上に縮んでしまい食いでが無くなる、との事だった。
その次はしらたき。まずは水で洗い、熱湯で1,2分程ゆでる。その後もう一度冷水に通して食べやすい長さにカット。
白菜は根元の部分を洗い、一口大の大きさへ。人参は洗って皮を剝き、飾り切りに……しても良かったのだが、そこは火の通りを優先していちょう切り。
サラダでも無ければ厚さは5-7mmくらいがちょうどよい食感らしい。
豆腐は生のままではなく、焼き目を入れた焼き豆腐の状態に。……さっき見た時にはまだそのままだったはずだが、はて。と、そんな疑問に答える様に、先生が応じてくれた。
”もう割り下は終わったからね、アルの手伝いをと思って”
その答えに周りを見渡せば、もう既に鍋に割り下は投入されていて、後は具材と火を待つばかりの状態になっている。
「流石の手際ね、先生!」
完成形が見えてくれば、更にやる気もはいるというもの。気合いを新たに包丁を握り直し、いつの間にかこんがりとした見た目になった焼き豆腐を六等分にしていく。
最後の具材の焼き豆腐を切り終わり、野菜とその他を準備は完了した。それらを、ネギだけ避けつつ鍋に綺麗に並べて火を入れる。見れば、もう八割がた完成してるといっても良い程。
しかし。私達はまだメインには手を付けていないのだ。
”やっぱりさ、肉に火を通す瞬間は一緒に楽しんだ方が良いと思ったんだよね。こんないい肉焼くのなんて絶対に楽しいんだからさ! ”
そう言って先生はフライパンを取り出し、火にかける。
煙が上がり、十分に熱されたフライパンにまずは先ほど分けておいたネギを入れれば。ジュージューという、焦げ目をつける為だけの工程のはずの音とネギが焼かれるその匂いの二重奏に、たまらない程空腹が唸るのが分かる。ある程度火が通ったのを見越して、お待ちかねの牛肉をフライパンへ投入する。
鮮やかな赤が、瞬く間に「食べられる色」に変わっていく。その変化の最中、火が通り切る前にフライパンへ割り下を投入する先生。
そうすると、一気に香りが。
ネギの、香味野菜特有の食欲を総進する匂い。
牛肉に火が通った、口の中によだれが止まらなくなるような油の香り。
それらに味を付ける、割り下が蒸発する香り。
全部が混じりあって、鼻腔から直接胃袋を殴ってくる。
確かにこれは、楽しい。先生がわざわざ私の作業が終わるまで待っていたのも頷ける。今からあれを食べるのだ、そういう期待に満ち満ちて、もう耐えられない程。
随分と長く焼いていたように感じこそしたが、実際には軽く火と味を付けるための焼きで。若干肉に赤みが残っている状態で、すき焼き鍋にネギと肉が投入される。
待つ事しばらく。
ぐつぐつと音を立てる鍋。割り下が染みて「食べごろ」な野菜たち。
そして焼かれたことで濃縮され、幾分か味の濃くなったそれを下味として纏い、更に煮込まれて十分に火の通った牛肉。
ようやくここに、すき焼きが完成したのだ──
”いや、まだだよアル! ”
「え? だってもう十分に食べごろ……って自然と考え読まないでって言ったでしょう!?」
”だって全部顔に出てるし……。じゃなくて、すき焼きで完成って言ったらほら”
手渡されたのは卵。合点がいった。確かにすき焼きといえばこれでようやく完成だ。
”いただきます! ”
「いただきます!」
もう夜も深くなってきたシャーレの執務室に、元気のよい言葉が響く。
”さ、がっつり行っちゃってよ。元々遅い時間まで仕事を手伝って貰ったお礼だからね”
「え? そ、そういえばそうだったかしら!? ま、そういう事ならお言葉に甘えて……」
空腹ももう限界に近く、先生の言葉に導かれるようにして。まずは卵を割る。殻の一つも入っていない綺麗な生卵。そこに、鍋から割り下を少々お玉へ移す。熱々のそれを卵の上に掛けて、箸で数回かき回せば。立派な卵液の出来上がり。
後は鍋からお肉をツマみ、出来立てほやほやの卵液へとくぐらせる。
これこそがすき焼きの、本当の完成形。
熱々のお肉も、卵液を潜ったことで火傷しない温度に下がっている。
それでも念の為、ふーふーと息を吹きかけ熱を飛ばす。そして。
ぱくっ。
「~~~~ッ!!」
”どう? 美味しい? ”
こくこくと。大きく頷くことでしか美味しさを伝えられない自分が恨めしい。そう思えるほど、美味しい。
まずはお肉。こんなにおいしいお肉は生まれて初めて食べたと確信できる、そんな味。しっかり油は乗っているのにしつこくなくて、赤身のしっかりしたおいしさが噛むたびに舌に伝わる。
そしてすき焼きとしての美味しさ。肉にしっかり付けた下味。煮込んで、野菜とキノコのうまみまで染みこんだ割り下。そして、例えばそのまま食べてしまったなら少ししょっぱく感じてしまうだろう。けれど、卵液を潜ったことでようやく完成の日の目を見たその味は。
卵液で薄まることを見越された味付けなのだと。そう主張している。
咀嚼して、咀嚼して、飲み込む。
食べたお肉が胃の中に滑り込めば、まだ足りないといわんばかりに空腹感が強まる。
次はネギと一緒に。ネギの香りが風味を変えて新しい美味しさに変わる。けれど結果は一緒だ。食べているのに、空腹感が押し寄せる。
さらに次は白菜と一緒に口へ運ぶ。噛んだ瞬間、まるで白菜のみずみずしさの部分がうまみに置き換わったような溢れてくる美味しさが止まらなくて。
そうやって夢中で食べ進め、ふと。
先生が私を眺めている事に気が付いた。……それも、顔に笑みを浮かべて。
途端に恥ずかしさが押し寄せてくる。まるで子供みたいに、いや実際に子供ではあるのだがそうではなく。結局その羞恥に押し勝てなくて。言葉を紡げずにいたら。
”ごめんごめん、あまりにも美味しそうに食べるからつい見とれちゃって”
「ちょっともう! またからかってるでしょう私の事!!」
”まあからかいが無いとは言わないけど。でもやっぱり美味しそうに食べてくれるのは嬉しいものだよ。一緒に作ったから余計にね”
そう言われてしまえば、それ以上反論を重ねるのもはばかられる。
「一緒に作ったのなら私が言っても大丈夫よね……。その、先生もどうぞ? まだ全然食べてないでしょう?」
”そうだね、冷める前に食べないと……、うん、美味しい! ”
私と同じくすき焼きに舌鼓を打つ先生の姿に。確かに自分が作った料理を誰かが美味しそうに食べる姿は嬉しいものだと。そう実感したのだった。
*
”ごちそうさまでした”
「御馳走様でした!」
豆腐を足したりお肉を足したり、最後は〆にラーメンまで投入して。
そこまで食べてようやく、私達は人心地付けられた。
先生が述べた後はこちらでやっておく、との言を強引に退け、今は二人で流しで洗い物の作業中。
”改めて、こんな遅い時間までごめんね、アル”
そう言われて時計を見れば、時刻はてっぺんを回るかどうかと言った所。
別に謝るようなことではない。結果的に美味しい夕食まで頂けたのだから。であれば、返す言葉は決まっている。
「いいのよ先生、そんなこと気にしないで。私達の関係は忘れたの?」
”……社長と経営顧問、かな? ”
「ええ、その通り! なら困った時は持ちつ持たれつでお互い様よ! でもどうしてもと言うなら──」
”と、言うなら?
言葉を出す前に一拍の間。私が緊張を飲み込むための猶予。
「──今度は私だけじゃなく、我が便利屋68全員で! すき焼きパーティをやりましょう!! 私達だけでもこんなに楽しくて美味しかったのだから、みんなでやったらもっとすごいことになるわ!!」
”……あはは。そうだね、間違いない。お安い御用だよ。その時は、流石にランクが下がったお肉になりそうだけど”
何の心配をしているのやら。先生の目の前にいるこの私が。冷静沈着なアウトローかつ、最精鋭の集まる便利屋68を取り仕切る敏腕社長だという事を。思い出させてあげないと。
「心配ご無用よ、先生。その時は我が社で大きな仕事でたくさん稼いで、もっといいお肉をたくさん買ってきてあげるんだから!!」
新たな