空の凪   作:灯火011

13 / 31
第13話:予兆の赤い星、覚悟の萌芽

 ラー・カイラム艦内で発生したネオ・ジオン工作員による破壊活動未遂事件は、その後の艦の空気を微妙に、しかし確実に変化させた。

 

 それは、日常の中に潜んでいた「戦い」という現実が、生々しい手触りをもってクルーたちの前に突きつけられたことによる、ある種の覚醒にも似ていた。

 通路を行き交う兵士たちの顔には、以前にも増して緊張の色が濃くなり、モビルスーツデッキでは、昼夜を分かたず整備と調整作業が続けられ、金属の打撃音と機械の駆動音が絶え間なく響いていた。

 

 事件の渦中にいたクェス・パラヤは、数日間のメディカルチェックと精神カウンセリングを経て、表面的には落ち着きを取り戻しつつあった。

 

 だが、彼女の内面では、あの戦闘と、それに伴うニュータイプ的な共鳴体験が、深く静かな波紋を広げ続けていた。自分の発した情報が、結果的に警備兵たちの命を救い、艦の危機を未然に防ぐ一助となったかもしれないという事実は、彼女にこれまで感じたことのない、微かな、しかし確かな手応えを与えていた。

 

 それは、無力な子供ではない、自分にも何か「できる」ことがあるのかもしれないという、自己肯定感の萌芽だった。

 

「アムロ大尉……私、あの時、怖かったです。でも……それだけじゃなかった。あの人たち(工作員)の考えていることや、警備の兵隊さんたちの焦りが、まるで自分のことみたいに分かって……そして、どうすればいいのかが、一瞬だけ、見えたような気がしたんです」

 

 事件から数日後、クェスはアムロ・レイの私室を再び訪れていた。彼女は、あの夜アムロに自分の苦悩を打ち明けて以来、以前よりも少しだけ、自分の内面について彼に話せるようになっていた。

 

 その言葉は、まだ整理されておらず、感情のままに発せられるものだったが、アムロは辛抱強く耳を傾けた。

 

「……それは、君のニュータイプ能力が、危機的状況下でより明確な形をとって発現したということだろう。だが、クェス、忘れるな。それは、君が感じたように、大きな可能性であると同時に、大きな危険性も孕んでいる。他者の思考や感情に過度に同調すれば、君自身の精神が摩耗し、最悪の場合、自我を失うことにも繋がりかねない」

 

 アムロは、コーヒーカップを静かにテーブルに置きながら、諭すように言った。彼の瞳は、クェスの奥底まで見透かすように、真っ直ぐに彼女を見つめている。

 

「大切なのは、バランスだ。感じる力と、それを客観的に分析し、自分の意志で制御する力。その二つを、君はこれから意識的に鍛えていかなければならない。それは、孤独な作業になるだろう。だが……君なら、できると俺は信じているよ」

 

 その言葉は、厳しいながらも、クェスへの深い信頼と期待を滲ませていた。そして、アムロは、以前教えた精神集中の方法に加え、サイコフレームとのより高度な同調と制御に関する、彼自身の経験から得た具体的なアドバイスを、少しずつクェスに授け始めた。それは、師から弟子への、秘儀の伝授にも似ていた。

 

 

 クェスの変化は、ハサウェイ・ノアの目にも明らかだった。

 

 以前のような、理由の分からない情緒不安定さは影を潜め、代わりに、どこか芯の通った、静かな集中力のようなものが彼女の全身から発散されているのを感じた。

 

 MSシミュレーターでの彼女の動きは、さらに洗練され、もはやラー・カイラムのトップエースであるケーラ・スゥ中尉でさえ、模擬戦で彼女に翻弄されることがあるほどだった。

 

「クェス……君、本当にすごいよ。僕なんか、まだ足元にも及ばない」

 

 訓練の後、汗を拭いながらハサウェイが称賛の言葉を向けると、クェスは悪戯っぽく笑って答えた。

 

「あら、そうかしら? でも、ハサウェイだって、最近ブリッジでブライト艦長のお手伝い、頑張ってるじゃない。私には、あんな複雑な戦術マップ、見ただけで頭が痛くなっちゃうわ」

 

 その言葉には、ハサウェイの努力を認める響きと、そして彼への変わらぬ親愛の情が込められていた。二人の間には、互いの才能や役割の違いを認め合い、尊重し合う、新たな関係性が築かれつつあった。

 

 そんな中、ラー・カイラムのブリッジには、地球圏の不穏な情勢を伝える情報が、次々と集約され始めていた。ネオ・ジオンを名乗る艦隊の、これまでにない規模での集結。サイド5やサイド2の暗礁宙域での、不審な物資輸送。

 

そして、アステロイドベルトから、何者かによって持ち出されたと思われる、旧ジオン公国軍の遺棄された小惑星基地「アクシズ」の、不気味なまでの沈黙。

 

そして、それを放置している連邦軍の上層部の緩慢な動き。

 

「……シャアめ、一体何を企んでいる……。この動きは、尋常ではないぞ」

 

 ブライトは、戦略モニターに映し出される赤い警告マーカーの群れを睨みつけながら、苦々しげに呟いた。彼の第六感は、かつてグリプス戦役や第一次ネオ・ジオン戦争で経験した、大規模な軍事行動の予兆を、明確に感じ取っていた。

 

 

 艦内の空気は、日増しに張り詰めていった。

 

 非番のクルーたちも、自主的に訓練に参加したり、装備の点検を行ったりする姿が目立つようになる。

 

 食堂での会話も、自然と戦術論や、ネオ・ジオンの新型モビルスーツの噂話といった、物騒な話題が多くなっていった。

 

 νガンダムの最終調整も、いよいよ大詰めを迎えていた。アムロは、ほとんど寝る間も惜しんで格納庫に籠り、チェーン・アギと共に、サイコフレームの応答特性や、フィン・ファンネルの制御プログラムの最適化に没頭していた。その背中には、来るべき決戦への、悲壮なまでの覚悟が漂っていた。

 

 クェスは、アムロから教わった精神集中の訓練を続けながらも、時折、ラー・カイラムの窓から見える、漆黒の宇宙(そら)を見つめていた。

 彼女のニュータイプ能力は、まだ不完全ながらも、その宇宙(そら)の彼方で蠢く、巨大な悪意の波動や、それに呼応するかのように高まっていく人々の不安や恐怖を、微かにだが感じ取ることができた。

 

 それは、かつてのように彼女をパニックに陥らせるものではなかったが、それでも、胸の奥底に重たい鉛を沈められるような、言い知れぬ圧迫感を与えた。

 

「……何かが、始まろうとしているのかな……。すごく、大きくて……そして、とても悲しい何かが……」

 

 彼女の呟きは、誰にも聞かれることなく、艦内の無機質な反響音の中に消えていった。

 

 だが、その青い瞳の奥には、恐怖だけではない、来るべき運命に立ち向かおうとする、覚悟の萌芽が、確かに宿り始めていた。

 

 予兆の赤い星は、確実に地球圏へとその魔手を伸ばしつつあった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。