空の凪   作:灯火011

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第14話:5thルナの慟哭(どうこく)、魂の共振

 宇宙世紀0093年2月末日。

 

 その日、地球圏は、シャア・アズナブル率いるネオ・ジオン軍が仕掛けた未曾有のテロリズムによって震撼した。

 

 旧資源採掘基地であった小惑星「5th(フィフス)・ルナ」が、核パルスエンジンによって軌道を変えられ、地球への落下コースに乗せられたのだ。もしこれが地球に激突すれば、その被害は計り知れず、一年戦争終結以来、辛うじて保たれてきた地球圏の脆弱な平和は、確実に崩壊へと向かうであろう。

 

 ロンド・ベル隊旗艦ラー・カイラムは、この報を受け、阻止限界点到達前に5thルナを破壊すべく、麾下(きか)のモビルスーツ部隊と共に、サイド1ロンデニオンから緊急出撃した。

 

 艦橋ブリッジは、出撃準備の喧騒と、これから始まるであろう死闘への、息詰まるような緊張感に包まれていた。赤い非常灯が通路を不気味に照らし出し、艦内には、絶え間なくクルーたちの怒号にも似た指示と、機械の駆動音、そして警報音が鳴り響いている。

 

「クェス、ハサウェイ。君たちは、私の指示があるまで、このブリッジ後方の待機区画から動くんじゃない。いいな、絶対にだぞ」

 

 出撃直前、ブライト・ノアは、艦長席から二人を厳しい眼差しで見据え、そう命じた。その声には、有無を言わせぬ艦長としての威厳と、同時に、彼らを戦火に直接晒したくないという、父親としての苦悩が滲んでいた。

 アデナウアー・パラヤとの約束もある。この子供たちを、無事に地上へ帰すまでは。

 

「……はい、ブライト艦長」

 

「分かりました、父さん……いえ、艦長」

 

 クェスとハサウェイは、緊張した面持ちで頷いた。彼らもまた、この艦が今、人類の存亡を賭けた戦いへと向かっていることを、肌で感じ取っていた。

 

 

 ラー・カイラムが戦闘宙域へと到達すると、ブリッジのメインスクリーンには、絶望的な光景が映し出された。先行していた連邦軍の艦隊は、ネオ・ジオンの巧妙な防衛ラインと、新型モビルスーツ「ギラ・ドーガ」の猛攻の前に苦戦を強いられ、次々と火球となって宇宙(そら)の藻屑と化していく。

 

 そして、その向こうには、巨大な岩塊――5thルナが、地球の青い輝きを背景に、不気味な影となって迫っていた。

 

「アムロ大尉、νガンダム、発進準備完了!」

 

「ケーラ中尉、リ・ガズィ、同じく!」

 

 格納庫からの通信が、ブリッジに響く。

 

「よし、モビルスーツ隊発進! 5thルナに取り付き、核パルスエンジンを破壊しろ! 我々は、本艦のメガ粒子砲で、可能な限り敵防衛ラインをこじ開ける!」

 

 ブライトの号令一下、νガンダムとリ・ガズィを先頭とするロンド・ベルのモビルスーツ部隊が、死地へと射出されていった。

 

 そして次の瞬間、クェスは、自分の席で身を固くする。彼女のニュータイプとしての感性が、これから起こるであろう激しい「魂の応酬」の予兆を、まるで嵐の前の静けさのように感じ取っていたのだ。

 

 

 クェスの予感は悪い意味で当たってしまう。戦闘が始まると、ブリッジは情報と指示の奔流に包まれた。レーダーが捉える無数の敵影、味方機からの悲鳴に近い報告、炸裂するミサイルの閃光、そして艦体を揺るがす被弾の衝撃。

 

 ハサウェイは、食い入るように戦術モニターを見つめ、オペレーターたちが交わす専門用語の洪水の中から、必死で戦況を理解しようと努めていた。だが、彼の隣で、クェスの様子がおかしくなり始めたのは、戦闘開始から数分も経たないうちだった。

 

「う……あ……」

 

 クェスは、小さな呻き声を上げ、両手で頭を押さえた。顔面は蒼白になり、額には脂汗が滲んでいる。彼女の青い瞳は、焦点が定まらず、虚空を彷徨っていた。

 

「クェス? どうしたんだ、大丈夫か!?」

 

 ハサウェイが心配そうに声をかけるが、クェスの耳には届いていないようだった。彼女の意識は、今、このブリッジではなく、遥か彼方の戦場へと飛んでいたのだ。

 

――赤いビームが交錯し、ギラ・ドーガの緑色の機体が、無残に爆散する。そのコックピットの中で、若いパイロットが恐怖に顔を引き攣らせ、短い絶叫と共に意識を失う、その瞬間。

 

――リ・ガズィを駆るケーラ・スゥが、敵の集中砲火を浴びながらも、必死で5thルナの表面に取り付こうと奮戦する。その彼女の焦燥と、死への恐怖、そしてそれでも仲間を信じようとする健気な意志。

 

――黒髪の若い男。異様な圧力を感じる男が駆るヤクト・ドーガが、圧倒的な火力で連邦軍のジェガンを蹂躙していく。そのパイロットの、シャアへの狂信的なまでの忠誠心と、敵を屠ることへの冷たい悦び。

 

――そして、名も知らぬ多くの兵士たちが、一瞬の閃光と共に命を散らし、その魂が宇宙(そら)へと霧散していく、その時の、言葉にならない叫び、後悔、未練、そして……虚無。

 

 それら全てが、クェスの五感を超えた領域から、直接彼女の魂へと流れ込んでくる。それは、もはや単なる情報ではなく、それぞれの人間が抱える強烈な感情の追体験だった。他人の死の痛みが、自分の痛みとして感じられる。他人の恐怖が、自分の恐怖として身体を震わせる。

 

「いや……やめて……来ないで……痛い……苦しい……助けて……!」

 

 クェスは、頭を抱えたまま床にうずくまり、子供のように泣きじゃくり始めた。その姿は、あまりにも痛々しく、ハサウェイは、どうすることもできずに、ただ彼女の震える肩を抱きしめることしかできなかった。

 

「クェス嬢の様子がおかしい! 医療班を!」

 

 ブリッジのクルーの一人が叫んだ。

 

 ブライトも、苦渋の表情でモニターからクェスへと視線を移す。

 

 アムロから、彼女のニュータイプ能力の特異性については聞かされていた。

 

「アムロから聞いていた通りか……。だが、これほどまでに戦場の狂気に共鳴してしまうとは……」

 

 そう呟いたブライトの脳裏には、過去、自らの艦で共に戦ったカミーユの姿が脳裏に浮かぶ。

 

「……二の舞になってくれるなよ」

 

 医療班の手当てを受けながら、しかし、未だ泣きじゃくるクェスを見ながら、ブライトはそう呟いていた。

 

 

 ラーカイラムのブリッジが根らをしているその間にも、戦況は刻一刻と変化していた。アムロのνガンダムは、鬼神のごとき強さで敵機を次々と撃破し、ケーラのリ・ガズィを巧みに援護していた。

 

「ケーラ! 無理はするな! 敵のファンネルだ!」

 

 アムロの警告が、ブリッジにも届く。

 

『分かっています、大尉! でも、ここでやらなきゃ!』

 

 ケーラの気丈な声。彼女は、威圧感のある男、ギュネイ・ガスが操るのヤクト・ドーガの執拗な追撃を振り切り、ついに5thルナの核パルスエンジンの一つに爆薬を仕掛けることに成功する。だが、その直後、ネオ・ジオン軍の強化人間であるギュネイ・ガスのヤクト・ドーガのファンネルがリ・ガズィの左腕を吹き飛ばした。

 

『きゃあああっ!』

 

 悲鳴と共に、リ・ガズィはコントロールを失いかける。

 

「ケーラ!」

 

 アムロのνガンダム、そのフィンファンネルが、間一髪で追撃を行おうとしていたヤクト・ドーガのファンネルを撃墜する。反撃をしようとしていたヤクト・ドーガだが、アムロのビームライフルとファンネルの追撃で、その場に釘付けになっていた。

 

「ガンダム、一時戦線を離脱する!」

 

 撤退信号を出しながらアムロの駆るνガンダムは、損傷したリ・ガズィを抱えるようにして戦線を離脱させていく。

 

『逃がすか!ガンダム……ッ!?』

 

 ギュネイのヤクト・ドーガもまた、νガンダムの反撃で右腕部を損傷し、さらに後続のジェガン隊の集中砲火を浴びて機体各部にダメージを受け、忌々しげに戦場を離脱していった。

 

 

「……ケーラ機、帰艦します! 機体大破、ですが……パイロットは無事の模様!νガンダムは推進剤補給後、再出撃。現在、既に5thルナへ取りつき、核パルスエンジンを破壊中の模様!」

 

 ブリッジに、安堵と興奮が入り混じった報告が入る。

 

「よし! よくやった! これでフィフスの落下は防げるはずだ!」

 

 ブライトが叫んだその時、クェスの口から、虚ろな声が漏れた。

 

「……ダメ……間に合わない……」

「何っ……!?」

「シャアが…邪魔をするの……!5thルナが……地球に……落ちる……たくさんの人が……死んじゃう……」

 

 その言葉は、ニュータイプとしての彼女が見た、絶望的な未来のビジョンだったのかもしれない。

 

 

 そして、その予言は、非情な現実となる。ロンド・ベル隊の決死の抵抗も虚しく、5thルナの破壊は完全には成功せず、巨大な岩塊の一部は、大気圏で燃え尽きることなく、地球へと落下していった。

 

 チベットのラサに、それは激突した。

 

 直接的な被害は限定的だったかもしれない。だが、その心理的な衝撃は、地球圏全土を覆い尽くし、シャア・アズナブルという男の狂気と、ネオ・ジオンの脅威を、全世界の人々に改めて認識させるには十分すぎるものだった。

 

 ラー・カイラムのブリッジは、重苦しい沈黙に包まれた。戦術モニターには、ラサ周辺の被害状況を示す赤い警告が表示され続けている。クルーたちは、言葉もなく、自分たちの無力さを噛み締めていた。

 

 ハサウェイは、ぐったりと意識を失いかけたクェスを抱きかかえながら、その絶望的な光景をただ見つめることしかできなかった。クェスの頬を伝う涙は、彼女自身の悲しみなのか、それとも地球で死んでいった名もなき人々の涙なのか、彼にはもう分からなかった。

 

 ただ、この宇宙(そら)で起こっていることの、あまりにも大きな無慈悲さと、それに翻弄される人間の魂の慟哭を、彼はこの小さな少女の震える身体を通して、確かに感じ取っていた。

 

 5thルナの悲劇は、彼らの心に、消えることのない深い傷跡を刻み付けた。そしてそれは、来るべきアクシズの脅威へと向かう、長い戦いの序章に過ぎなかったのである。

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