空の凪   作:灯火011

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第16話:立ち上がる白鳥、νガンダムとの対峙

 5thルナの悲劇がもたらした精神的衝撃から、クェス・パラヤがゆっくりと、しかし確かな足取りで回復し始めたのは、アムロ・レイとの魂の対話を経て数日が経過した頃だった。

 

 ラー・カイラムの無機質な艦内通路を、以前のように俯き加減に歩くのではなく、僅かに背筋を伸ばし、その青い瞳に意志の光を取り戻しつつあった彼女の姿は、ハサウェイ・ノアにとって何よりも大きな安堵だった。

 

 アムロから授かった精神統一の術は、彼女のニュータイプとしての過敏な感受性を完全に遮断するものではなかったが、押し寄せる情報の奔流の中で、かろうじて「自分」という一点を見失わずに済むための、小さな浮標(ブイ)の役割を果たしていた。

 

「アムロ大尉の……あのνガンダムの力に、私はなりたいんです。もし、私のこの『感じる力』が、大尉の戦いを少しでも助けられるのなら……」

 

 ある日の訓練後、珍しく自分からアムロを訪ねたクェスは、格納庫の片隅でνガンダムの最終チェックを行っていた彼に、緊張しながらも、はっきりとした口調でそう申し出た。

 

 その言葉は、単なる憧憬や子供じみた英雄願望から発せられたものではない。5thルナで感じた無数の魂の慟哭と、それを前にした自身の無力感。そして、アムロが背負うもののあまりの重さ。

 それらが、彼女の中で化学反応を起こし、「誰かのために役立ちたい」という、純粋で切実な願いへと昇華されていたのだ。

 

 アムロは、黙ってクェスの言葉を聞いていた。その真摯な瞳を見つめながら、彼は、この少女が持つ恐るべき潜在能力と、同時にその危うさを改めて感じていた。

 

「そうか。ありがとう、クェス。でも、まだ君は子供だ。今出来る事は……」

「アムロ大尉?」

 

 だが、それと同時にアムロの頭の中では、一つの懸念が生まれていた。

 

 5thルナの戦いで、νガンダムは確かに圧倒的な性能を示した。並みの相手であれば、圧倒することが出来る。しかし、シャア・アズナブルが駆るであろう新型のMSサザビー、そしてそれを支援するであろうニュータイプ部隊との戦いは、νガンダム一機の力だけでは、あまりにも分が悪い。

 

 アムロ自身、ファンネルというオールレンジ攻撃兵器の扱いは熟知しているつもりだったが、それはあくまで過去の経験とシミュレーション上の話であり、この先予想されうる実戦において、予測不可能な動きをするであろう敵ニュータイプのファンネルと、いかに渡り合うか。その答えは、まだ見出せていなかった。

 

「……クェス、君に、一つ頼みたいことがある」

「はい!」

 

 アムロは、工具を置き、クェスに向き直った。

 

「νガンダムの戦闘データ、特にファンネルの運用と、対ニュータイプ戦闘における機体の応答限界を、実戦に限りなく近い形でテストしたい。その相手を……君に務めてほしいんだ。君が乗るのは、あのサイコフレームを試験的に搭載したジェガンだ」

 

 その提案は、クェスにとって予想外のものであり、同時に、彼女の心の奥底にあった願いに応えるものでもあった。アムロが、自分を、一人のパイロットとして、そしてニュータイプとして認めてくれた。その事実が、彼女の胸を高鳴らせた。

 

 

 この異例とも言える模擬戦の計画は、すぐにブライト・ノア艦長の耳にも入った。彼は、アムロの真意と、クェスの才能を理解しつつも、その危険性に深い懸念を抱いた。アデナウアー・パラヤから預かっている大切な娘だ。万が一のことがあれば、取り返しがつかない。

 

「アムロ、本気で言っているのか? 彼女はまだ子供だぞ。それに、あのジェガンはあくまでテスト機だ。νガンダムの相手が務まるとは……」

 

 艦長室で、ブライトは苦渋の表情でアムロに問い質した。

 

「ブライト、5thルナの二の舞は避けたい。シャアはまた必ず同じような手で来る。その時、今の俺では対応は厳しい。だが、クェスに協力してもらえれば、対ニュータイプ戦のデータが取れる。彼女のニュータイプ能力は、未知数だが……。この艦でもトップクラスのシミュレータースコアを持つクェスなら、あるいは俺のファンネルの動きを完全に読み切り、対応できるかもしれない。もしそうなら、その演習データは、シャアとの戦いにおいて、大きなアドバンテージになる」

 

 アムロの言葉には、切羽詰まった響きがあった。

 

「お前がそこまで言うほどなのか、クェスは」

 

 アムロの言葉を受けたブライトは最終的に、模擬戦にGOを出していた。今後予想されうる、シャア率いるネオ・ジオンの大規模攻勢には必要な事だと判断したからだ。そして、アデナウアーに極秘回線で連絡を取り、事情を説明した。

 

「……と、言う訳なのです。今度予想されうるシャアの攻勢に対応するべく、模擬演習のデータを取りたいのです。そのためにはお嬢様……クェス・パラヤのご協力を仰ぎたいのです」

 

 画面の向こうのアデナウアーの声は、数秒間、沈黙した。そして、絞り出すような声で、こうブライトに告げていた。

 

『……クェス本人が、それを望んでいるというのなら……私に、止める権利はないのかもしれない。だが、ブライト大佐……くれぐれも、娘に怪我だけはさせないでいただきたい。もし、あの子の髪の毛一本でも傷つけるようなことがあれば……私は、あなた方を許さないだろう。アムロ大尉にも伝えておいてくれ。父親として、それだけは……』

 

 その言葉には、娘の才能と意志を信じたいという願いと、それでもなお拭いきれない父親としての深い愛情と不安が、痛いほどに込められていた。

 

「承知しております。安全には最善を尽くしますので、ご安心ください」

 

 ブライトの言葉に、アデナウアーは渋い顔で頷いた。そして、話題を変える為か、軽く咳払いをする。

 

『ああ、それと。これだけは君たちの耳に入れておかなければなるまい。カムラン君から連絡があってね。――アクシズが、私の知らぬ間にネオ・ジオンの手に渡っていた』

 

「何ですって?」

 

『派閥の違う連中の仕業だ。連邦に資金提供する代わりに、アクシズを要求してきたらしい。私が知ったのは既に取引後だ。ネオ・ジオンの動きは此方でも追うが、ブライト大佐。フィフスが落とされた今だ。そちらも警戒レベルを引き上げておいてくれ』

 

「承知しました。アデナウナー長官」

 

 ブライトは通信を切ると、深くため息を吐いていた。

 

 

 模擬戦は、ラー・カイラム近傍の、デブリがほとんど存在しない訓練宙域で、極秘裏に行われることになった。クェスは、白いノーマルスーツに身を包み、サイコフレーム試験型ジェガンのコックピットに収まった。

 

 初めて触れる実機の操縦桿の感触。

 

 全身を包み込むサイコフレームの微かな共鳴。

 

 それは、シミュレーターとは比較にならないほどの、生々しいリアリティと高揚感を彼女にもたらした。

 

「クェス、聞こえるか。無理はするな。これはあくまでテストだ。危険を感じたら、すぐに中断しろ」

 

 アムロの声が、通信回線から冷静に響く。彼の駆るトリコロールカラーのνガンダムは、ジェガンの数キロ前方に、静かな威圧感を放ちながら浮遊していた。

 

「はい、アムロ大尉。お手柔らかにお願いします……なんて、言いませんから!」

 

 クェスは、深呼吸を一つすると、悪戯っぽく笑って見せた。その声には、緊張と、それを上回る興奮が混じっていた。

 

 模擬戦が開始されると同時に、νガンダムの背部から、6基のフィン・ファンネルが、まるで生き物のように分離し、予測不可能な軌道を描きながらジェガンへと迫った。その動きは、シミュレーターで体験したものとは比較にならないほど速く、そして殺意にも似たプレッシャーを放っていた。だが。

 

「……見える!」

 

 クェスは、操縦桿を握る手に汗を感じながらも、その青い瞳を大きく見開いた。ファンネルから放たれる模擬戦用のレーザーの弾道が、まるでスローモーションのように、彼女の意識に流れ込んでくる。ジェガンの機体が、彼女の思考と完全にシンクロし、まるで手足のように宇宙(そら)を舞う。

 

 回避、反撃、そして再び回避。

 

 その動きは、もはや訓練の域を超え、一種の芸術のようでもあった。

 

 アムロは、クェスの驚異的な反応速度と、ファンネルの複雑な包囲網をことごとく見破る空間認識能力に、内心で舌を巻いていた。彼は、徐々にファンネルの攻撃パターンを複雑化させ、νガンダム本体もビームライフルによる精密な牽制射撃を加えていく。それは、もはやテストではなく、本気の戦闘に近いものだった。

 

「この子は……本当に、初めて実戦に近い状況でファンネルを相手にしているのか……? ララァでさえ、これほどの速度で適応はできなかった……!」

 

 クェスもまた、アムロの本気を感じ取っていた。全身の神経が極限まで研ぎ澄まされ、サイコフレームを通じて、アムロの思考の断片さえもが流れ込んでくるような錯覚に陥る。

 

 それは、恐ろしくもあり、同時に、これまで感じたことのないような、他者との深遠な一体感でもあった。彼女は、ただ夢中で操縦桿を握り、アムロの繰り出す無数の攻撃の糸を、一本一本手繰り寄せるようにして、その意味を解き明かしていく。

 

 模擬戦は、数十分に及んだ。最終的に、クェスのジェガンは、νガンダムの巧妙な連携攻撃の前に、行動不能判定を受けた。

 

 だが、その内容は、アムロにとって、そして観戦していたブライトやチェーンにとって、驚愕以外の何ものでもなかった。クェスは、νガンダムのファンネル攻撃を、その大半を回避し、あまつさえ数基を模擬弾で「撃墜」さえしてみせたのだ。

 

「……参ったな。本気で、肝を冷やしたぞ、クェス」

 

 通信機越しのアムロの声には、疲労と、それ以上の興奮が混じっていた。

 

「アムロ大尉こそ……。私、もうヘトヘトです……」

 

 クェスの声もまた、息が上がっていたが、その表情は、達成感と、そしてアムロという偉大なパイロットと魂をぶつけ合えたことへの、純粋な喜びに輝いていた。

 

 

 ラー・カイラムのブリッジで、その模擬戦の記録映像を食い入るように見つめていたハサウェイは、言葉を失っていた。

 

 クェスの才能は、自分の想像を遥かに超えていた。

 

 そして、アムロとクェスの間に流れる、あの特別な空気。それは、彼には決して踏み込めない、聖域のようにも感じられた。微かな寂しさと、そしてそれ以上に、クェスへの誇らしさが、彼の胸の中で複雑に交錯した。

 

 そして、この模擬戦は、クェス・パラヤにとって、ニュータイプとしての戦闘能力を飛躍的に向上させる、大きな転換点となった。アムロ・レイにとっても、シャア・アズナブルとの決戦に向けて、新たな希望の光を見出す、重要な一歩となったのかもしれない。

 

 ラー・カイラムの艦内に、二羽の白鳥が舞い降りたかのような、清冽な風が吹き抜けた。だが、その風は、同時に、赤き彗星の影を、より一層色濃く引き寄せようとしていた。

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