空の凪   作:灯火011

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第17話:赤き彗星の謀略、迫るアクシズの影

 ラー・カイラムの訓練宙域で行われた、νガンダムとサイコフレーム試験型ジェガンとの模擬戦。

 

 それは、クェス・パラヤという恐るべきニュータイプの才能を白日の下に晒すと同時に、その情報を、最も知られてはならない男の元へと、より確実に届けてしまう結果を招いた。

 

 シャア・アズナブル。

 

 赤き彗星は、この新たな「星」の出現を、自身の壮大な計画における重要な駒として、あるいは排除すべき障害として、冷徹なまでの関心をもって注視し始めていた。

 

 

 模擬戦から数日が経過した頃、ラー・カイラムの艦内、そしてクェスの周囲には、目に見えない、しかし確実に蝕んでくるような、陰湿な「何か」が漂い始めた。それは、直接的な武力攻撃よりも巧妙で、そして人の心を内側から崩していくような、シャア・アズナブル特有の謀略の匂いだった。

 

「何かしら?」

 

 最初に異変を感じたのは、クェス自身だった。彼女のパーソナル端末に、発信元不明の、しかし巧妙に偽装されたメッセージが届くようになったのだ。

 

 それは、ある時は「宇宙(そら)を愛する若者たちのサークル」からの招待状の形をとり、またある時は「ニュータイプとして覚醒した者たちの苦悩を分かち合う会」からの誘いであった。

 その文面は、クェスの孤独や、彼女が抱えるであろうニュータイプとしての葛藤に、巧みに寄り添うような言葉で綴られていたが、その行間からは、シャアの思想――地球に固執する旧人類への批判、宇宙に適応した新人類への賛美――が、巧みに滲み出ていた。

 

『あなたは、特別な存在です。その力を、旧い体制のために浪費する必要はありません。真にあなたの価値を理解し、その力を未来のために活かせる場所が、ここにはあります』

 

 そんな甘言が、クェスの心を揺さぶろうとする。

 

『ぜひ、我が団体の代表とお会いして頂ければと存じ上げます。場所は……』

 

「シャアって人、馬鹿じゃないの?こんなので私が引っ掛かるわけないじゃない」

 

 だが、アムロとの対話を経て、自分の力と向き合い始めていたクェスは、その言葉の裏に潜む毒を、以前よりも明確に見抜くことができた。

 

 それでも、その執拗なまでの「誘い」は、彼女の心に小さな棘のように刺さり、不快なざわめきを残していた。

 

 

 同時期に、ラー・カイラムの艦内ネットワークにも、不審なアクセスログや、原因不明のデータ欠損が散見されるようになる。それは、外部からのハッキングというよりは、内部に協力者がいる可能性を示唆していた。

 

 ブライト・ノアは、艦内の情報セキュリティを最高レベルに引き上げ、秘密裏に内偵調査を開始したが、相手は巧妙で、なかなか尻尾を掴ませない。艦内には、クルーたちの間に疑心暗鬼と不信感が広がり始め、元々高かった緊張感が、さらに息苦しいものへと変わっていった。

 

「アデナウアー氏に協力を仰げればもう少し、ロンド・ベルとして踏み込んだ対応が出来るんだがな」

「出来ないのか?」

「ああ。シャアのシンパが彼の周りを嗅ぎまわっているらしい。狙いはアデナウアー氏の失脚と、クェス嬢そのもの、だとさ」

「失脚はまだ判る。でも、クェス一人のためにそこまでするのか?……子供相手に、情けない奴」

 

 そして、現在、ネオ・ジオンに対応する会議のために、地球連邦政府の都市、ダカールにいるアデナウアー・パラヤにもまた、シャアの魔手は別の形で伸びていた。

 

 連邦政府内での彼の立場を危うくするようなデマや中傷が、匿名の情報源からリークされ始めたのだ。それは、彼がロンド・ベル隊やアムロ・レイと不適切に癒着しているというものや、娘クェスを政治的に利用しようとしているという、根も葉もないものだった。

 

「少々厄介だな。以前からロンド・ベルを支援している私を、快く思っていない連中が居る事は知っていたが……」

 

 アデナウアーは、そうした卑劣な情報操作に毅然と対処しようとしたが、その背後には、シャア・アズナブルという巨大な存在の影がちらつき、彼に重いプレッシャーを与えていた。更に言えば、それによって今まで抑えていた、ニュータイプを嫌う者たちによる、連邦政府内での政治闘争の活発化も意味することとなる。

 

「シャアが何をするか解っていないこの状況下で、分裂している場合ではないだろうに」

 

 彼は、娘にその苦悩を見せることはなかったが、クェスは、父との短い通信の中で、その声に滲む疲労と、隠しきれない苛立ちを敏感に感じ取っていた。

 

『パパ……大丈夫? なんだか、すごく疲れているみたいだけど……』

 

「ああ、クェスか。心配ないよ。少し、地球では面倒なハエが飛んでいるだけだ。それよりも、君こそ、ラー・カイラムでの生活には慣れたか? アムロ大尉や、ブライト艦長によろしく伝えてくれ」

 

 父の気丈な言葉とは裏腹に、クェスは、父が自分には言えない何か大きな問題に直面していることを、痛いほど感じていた。そして、その問題が、自分自身と無関係ではないことも。

 

 そして、彼らは知ることとなる。

 

 この流れは、ロンド・ベルと、それを取り巻く地球連邦を混乱させるための、赤い彗星の謀略の一つであったのだ、と。

 

 

 そんな息詰まるような状況の中で、ついに、地球圏全体を震撼させる情報が、ラー・カイラムのブリッジにもたらされた。

 

 ネオ・ジオン軍が、地球連邦政府から買い取った小惑星アクシズを、その軌道を変えて地球へと落下させようとしている。その質量は巨大で、直径約15キロメートル。5thルナの比ではない、まさに「星」そのものを凶器とした、人類史上最大級のテロリズム。

 

 それが、シャア・アズナブルが描く、「地球寒冷化作戦」の全貌だった。

 

「シャアの狙いはこれだったのか!」

 

ブライトはやられた、と叫ぶ。そしてブリッジのメインスクリーンに映し出された、アクシズの威容と、その絶望的なまでの質量、そして予測される地球への衝突コース。それを見た瞬間、ラー・カイラムのクルーたちは、一瞬、言葉を失った。艦内に、死のような沈黙が訪れる。

 

「……馬鹿な……。これほどの質量を、どうやって止めろというのだ……」

 

ブライト艦長が、絞り出すような声で呟いた。その顔からは、血の気が失せ、深い絶望の色が浮かんでいた。連邦宇宙軍の総力を結集しても、このアクシズを完全に破壊することはおろか、その軌道を僅かに逸らすことさえ、不可能に近い。

 

 そして、現在のネオ・ジオンのシンパに混乱を強いられていた地球連邦にとって、ロンド・ベルにとって、寝耳に水であった。

 

「シャアめ……これほどまでに、人間を憎んでいたというのか……!」

 

 アムロ・レイもまた、哨戒任務中のνガンダムのコックピットでその情報を受け、歯噛みしていた。νガンダムの性能は、確かにサザビーに匹敵するかもしれない。だが、このアクシズという、あまりにも巨大な「敵」を前にしては、一個のモビルスーツの力など、あまりにも無力だった。

 

 そしてクェスは、ブリッジの片隅で、ハサウェイと共にその絶望的な光景を見つめていた。

 

 彼女のニュータイプ能力は、アクシズという「死の塊」が放つ、途方もない負のプレッシャーと、そしてそれに呼応するかのように地球全土から湧き上がる、無数の人々の恐怖と絶望の叫びを、直接的に、そして何よりも強烈に感じ取っていた。

 

「ああ……ああああ……このままじゃ……地球が……みんなが……死んじゃう……!」

 

 彼女の身体は、まるで極寒の宇宙空間に直接放り出されたかのように激しく震え、その青い瞳からは、止めどなく涙が溢れ出した。それは、5thルナの時とは比較にならないほどの、魂の奥底からの絶叫だった。

 

 ハサウェイは、そんなクェスを力強く抱きしめ、彼女の耳元で必死に呼びかけ続けた。

 

「クェス! しっかりしろ! クェス!」

 

 だが、彼の声は、クェスが感じている巨大な絶望の奔流の前には、あまりにもか細く、届かないかのようだった。

 

 

 赤き彗星が仕掛けた、最終にして最大の謀略。

 

 そして、地球に迫る、絶対的な破滅の影。

 

 ラー・カイラムは、そしてそこにいる全ての人々は、抗いようのない運命の渦へと、否応なく巻き込まれていく。

 

 クェスのニュータイプとしての覚醒は、この絶望的な状況の中で、果たして希望の光となり得るのだろうか。

 

 それとも、さらなる悲劇を呼び寄せる、破滅の呼び水となってしまうのだろうか。その答えは、まだ誰にも分からなかった。

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