空の凪   作:灯火011

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第18話:魂の叫び、戦場(そら)への嘆願

 小惑星アクシズ地球落下――その絶望的な報は、ラー・カイラム艦内に鉛のように重く垂れこめ、クルーたちの最後の希望さえも打ち砕かんとしていた。

 

 ブリッジでは、ブライト・ノア艦長以下、幕僚たちが不眠不休で迎撃作戦の立案と、連邦宇宙軍本隊との連携を模索していたが、現在、アクシズの落下阻止に向かえるのはロンド・ベル隊と、哨戒任務についていた数隻の戦闘艦だけだ。

 

 ルナツーや月、各コロニーに控えていた連邦軍の本隊は、どう計算しても、アクシズの落下阻止には間に合うことはない。

 

 戦術モニターに映し出される戦力比較は、誰の目にも明らかに見えた。

 

 シャアの謀略に嵌められた地球連邦軍。アクシズを止めるには、動かせる戦力から鑑みるにあまりにも、無謀。あまりにも、絶望的。艦内には、死と隣り合わせの任務に赴く兵士特有の、どこか乾いた諦観と、それでもなお抗おうとする僅かな反抗心とが入り混じった、異様な空気が充満していた。

 

 そんな中、クェス・パラヤは、自室のベッドの上で、外界からの情報を遮断するように毛布を頭まで被り、ただひたすらに震えていた。彼女のニュータイプとしての感性は、アクシズという巨大な「死の塊」が地球へと迫るにつれて増幅していく、何億という人々の恐怖、絶望、そして諦めの思念を、二十四時間、一瞬の休みもなく受信し続けていたのだ。

 

 それは、もはや5thルナの比ではない。地球という星そのものが発する、断末魔の叫び。その奔流に、クェスの脆弱な精神は、今にも押し流され、砕け散ってしまいそうだった。

 

「やめて……もう、聞きたくない……見たくない……感じたくない……!」

 

 彼女の唇からは、意味をなさない呻きと、懇願の言葉が途切れ途切れに漏れ続けた。ハサウェイ・ノアは、そんなクェスの傍らで、ただ無力に彼女の手を握りしめることしかできなかった。医療班の鎮静剤も、アムロから教わった精神集中の術も、この圧倒的なまでの負の共鳴の前には、ほとんど効果を示さなかった。

 

 だが、数時間に及んだ悪夢のような状態の後、クェスの震えが、ふと止まった。

 

 彼女は、ゆっくりと毛布から顔を出し、虚ろだった青い瞳で、一点を凝視した。その瞳の奥には、恐怖や絶望とは異なる、まるで何かに憑かれたような、異様なほどの静けさと、そして燃えるような決意の光が宿っていた。

 

「……ハサウェイ……私、行かなくちゃ……」

 

「クェス……? 何を言っているんだ、しっかりしろ!」

 

 ハサウェイは、彼女のあまりの変貌ぶりに狼狽し、その肩を掴んだ。

 

「何もしないままなんて、嫌!」

「クェス!待ってよ!」

 

 クェスは、ハサウェイの手を振り払うと、おぼつかない足取りでベッドから立ち上がり、一直線に部屋のドアへと向かった。彼女の目的地は、一つしかなかった。ラー・カイラムのブリッジ、あるいはアムロ・レイの元へ。

 

「アムロ大尉! ブライト艦長!」

 

 ブリッジの喧騒の中に、クェスの甲高い、しかし凛とした声が響き渡った。作戦会議の最中だったアムロとブライト、そして周囲のクルーたちが、一斉に彼女へと視線を向ける。そこには、数時間前まで絶望の淵にいたとは思えないほど、強い意志を瞳に宿した少女の姿があった。その顔は蒼白で、目の下には深い隈が刻まれていたが、その佇まいには、鬼気迫るほどの覚悟が漲っていた。

 

「クェス・パラヤ……! どうしてここに! 君は自室で待機しているはずではなかったのか!」

 

 ブライトが、驚きと困惑を隠せない声で問い質した。

 

 すると、ラー・カイラムの第一艦橋(ブリッジ)に、クェス・パラヤの魂からの叫びが木霊した。それは、アクシズ落下の報に重く沈黙していた空気さえも切り裂くような、あまりにも純粋で、そしてあまりにも悲痛な嘆願だった。

 

「私を……私を、戦場(そら)へ連れて行ってください! あの、サイコフレームを積んだジェガンで、アムロ大尉と一緒に出撃させてください!」

 

 その言葉に、作戦会議の最中だったブライト・ノアやアムロ・レイ、そしてブリッジクルー全員が、一瞬、思考を停止させた。彼らの視線の先にいるのは、顔を蒼白にし、大粒の涙を流しながらも、その青い瞳に恐ろしいほどの意志の光を宿して立つ、一人の少女。

 その小さな身体から放たれる気迫は、この歴戦の兵(つわもの)たちでさえ、気圧されるほどのものだった。

 

「馬鹿なことを言うな! お前のような子供が、あの地獄のような戦場に出て、何ができるというのだ! これは遊びじゃないんだぞ!?」

 

 我に返ったブライトが、怒声に近い声で一喝する。だが、クェスは一歩も引かなかった。

 

「遊びなんかじゃありません! 私には、聞こえるんです! 地球で怯えている、たくさんの人たちの声が! アムロ大尉や、ラー・カイラムの皆さんが、どれほど絶望的な戦いをしようとしているのかも……! 私のこの力は、そのためにあるのかもしれない! お願いします、アムロ大尉。私に、戦うチャンスをください!」

 

 アムロの前に進み出て、その戦闘服の袖を掴み懇願するクェスの姿は、あまりにも痛々しく、そして切実だった。

 

 アムロは、クェスの掴む手に視線を落とし、そして彼女の瞳を真っ直ぐに見返した。その瞳の奥にあるもの――それは、恐怖を乗り越えた先にある、ニュータイプとしての、あるいは一人の人間としての、純粋な使命感。

 

 アムロは、彼女の中に、かつてのララァ・スンの面影と、そして自分自身が持ち得なかったかもしれない、汚れのない強さを見た気がした。

 

「……艦長」

 

 アムロが、静かにブライトへと視線を移す。その目には、言葉以上の、複雑な感情が渦巻いていた。

 

 ブライトは、深く息を吸い込むと、クェスに向かって、努めて冷静な声で告げた。

 

「クェス・パラヤ。君の気持ちは分かった。だが、これは君一人で決められることではない。我々にも、君の父親であるパラヤ局長にも、責任がある。……少し、待ってくれ。自室にて待機していなさい。後ほど、改めて結論を伝える」

 

 その言葉は、艦長としての、拒絶でも承諾でもない、ぎりぎりの判断だった。

 

 クェスは、唇を噛み締め、何かを言いかけたが、アムロの静かな頷きを見て、黙って踵を返し、ブリッジを後にした。心配そうに付き添うハサウェイと共に。

 

 

「……で、どうするつもりだ、アムロ。本気であの子を戦場に出すつもりか?」

 

 ブリッジから艦長室へと場所を移したブライトは、アムロに向き直り、苛立ちを隠せない声で言った。

 

「……正直、判断しかねるというのが本音だ。だが、あの模擬戦での彼女の能力は、本物だと思う、ブライトも見ていただろ?そして、彼女のニュータイプとしての感応力は、あるいは、この絶望的な戦況を覆す、万に一つの可能性になるかもしれない」

 

 アムロは、静かに答えた。

 

「可能性だと? そのために、あの子を死なせるつもりか! 我々は、パラヤ局長に、彼女の保護を約束したんだぞ!」

「だからこそだよブライト。シャアは、おそらく彼女の存在に気づいている。しかも、この船の中にもスパイがいる可能性が高いだろ?このまま艦内に留め置くことが、本当に彼女にとって安全だと言い切れるのか?シャアの手に彼女が渡るくらいなら、せめて俺の目の届く範囲に……」

 

 二人の議論は、平行線を辿った。それは、艦長としての責任と、エースパイロットとしての戦術的判断の対立であり、同時に、子供たちを戦場に送り出すことへの、大人としての深い葛藤でもあった。

 

 議論の末、ブライトは、一つの結論に達した。彼は、通信席に座り、重い指先でコンソールを操作し、地球のアデナウアー・パラヤへと極秘回線を繋いだ。

 

「……パラヤ局長、緊急の報告があります。実は、お嬢さんのことで……」

 

 ブライトは、これまでの経緯、クェスのニュータイプ能力の覚醒、そして彼女自身の、戦場への参加という、あまりにも衝撃的な嘆願について、包み隠さず説明した。

 

 通信モニターの向こう側で、アデナウアーは、言葉もなく、その報告を聞いていた。彼の顔は、みるみるうちに蒼白になり、その瞳には、深い苦悩と動揺の色が浮かんだ。娘が、自ら死地へ赴くことを望んでいる。父親として、これほど胸が引き裂かれるようなことがあるだろうか。

 

『……反対です。当然でしょう、ブライト大佐。あの子は、まだ子供だ。軍人でもない。そんな子を、人類の存亡がかかっているからといって、戦場に駆り出すなど……断じて認められん!』

 

 アデナウアーの声は、怒りに震えていた。

 

「お気持ちは、痛いほど分かります。ですが、局長。これは、お嬢さん自身の、魂からの叫びでもあるのです。我々が、ただ反対するだけでは、彼女は納得しないでしょう。そして……シャアは、彼女を狙っている」

 

 ブライトの言葉に、アデナウアーは唇を噛み締めた。シャア。その名が、彼の最後の抵抗を打ち砕く。

 

 アデナウアーは、シャアの誘惑にも靡かず、そして、ラー・カイラムに乗艦することを決めた娘の強さを思い出していた。そして、あのシミュレーターでの驚異的な才能。あの子は、自分が思っている以上に、特別な運命を背負って生まれてきてしまったのかもしれない。それを、親のエゴで縛り付けて良いものだろうか。

 

 長い、長い沈黙の後、アデナウアーは、まるで十年も歳をとったかのような、疲れ切った声で言った。

 

『……分かりました。それならば……あの子の好きにさせてやってください。クェスは……あの子は、私が思うよりも、ずっと強い子だ。ラー・カイラムに向かってからは、シャアの誘惑にも靡かないほどに、その意志を強くした。……それならば、私は、父親として、その意志を信じるしかない』

 

 その言葉は、諦めであり、そして究極の、親としての信頼の証でもあった。

 

 

 ブライトは、改めてクェスをブリッジに呼び戻した。ハサウェイも、心配そうに付き添っている。

 

「クェス・パラヤ。君の父親、アデナウアー局長から、君の意志を尊重するとの連絡があった。我々ロンド・ベルも、君の出撃を、特例として許可する」

 

 ブライトの言葉に、クェスの瞳が、驚きと、そして微かな喜びで見開かれる。

 

「ただし」

 

 と、ブライトは続けた。その声は、氷のように冷たく、そして厳しかった。

 

「命の保証は、一切できない。君が乗るジェガンはテスト機であり、敵はネオ・ジオンの最新鋭機だ。生きて帰れる確率は、限りなくゼロに近いだろう。それでも、君は行くのか?」

 

 それは、最後の確認だった。

 

 クェスは、一度ぎゅっと目を閉じ、そして、ゆっくりと開いた。その青い瞳には、もう涙はなかった。ただ、澄み切った、覚悟の色だけが浮かんでいた。

 

「はい。行きます」

「待ってください! クェスが行くなら、僕も行きます!」

 

 その時、それまで黙ってクェスの傍らに立っていたハサウェイが、叫ぶように前に出た。

 

「僕だって、シミュレーターで訓練を受けています! クェスを守るくらいなら……!」

 

 だが、その言葉を遮ったのは、アムロの静かな、しかし有無を言わせぬ声だった。

 

「ハサウェイ、お前の気持ちは分かる。だが、まだ実力が足りない。今の戦場に出れば、お前は一分と持たずに死ぬだろう。それは、クェスの足手まといになるだけだ」

 

「そんな……!」

 

「お前の役目は、ここにある。ブリッジで、クェスから送られてくるかもしれない情報を分析し、我々に伝えることだ。それもまた、重要な戦いだ。分かるな?」

 

 アムロの言葉は、残酷な現実だった。だが、ハサウェイは、反論することができなかった。彼は、悔しさに顔を歪め、ただ拳を握りしめるしかなかった。

 

 

 場面は変わり、連邦議会ビルの一室。アデナウアー・パラヤは、一人、執務室の端末を操作していた。彼の顔には、父親としての苦悩はなく、連邦軍高官としての、冷徹なまでの表情が浮かんでいた。彼は、その職権を行使し、二つの特例人事を発令していた。

 

『クェス・パラヤ、及びハサウェイ・ノアの両名を、本日付けで地球連邦宇宙軍・ロンド・ベル隊所属の特務士官候補生として、一時的に軍属に編入する』

 

 それは、苦肉の策だった。いや、父親としての、最後の悪あがきだったのかもしれない。

 

「……これで、万が一、君たちが敵の捕虜となったとしても……。条約に基づき、捕虜交換のテーブルに乗せることができる。……生きてさえいれば、必ず、私が救い出してやるからな……クェス……」

 

 誰に言うでもなく呟かれたその言葉は、静かな執務室の空気に、虚しく溶けていった。

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