ラー・カイラムがアクシズへと向かう最後の航程。艦内には、嵐の前の、息詰まるような静寂が支配していた。
その静寂を破るように、全パイロットと主要クルーに対し、第一ブリーフィングルームへの召集がかかった。アクシズ破壊作戦、コードネーム「オペレーション・レクイエム」の最終作戦要項が、ブライト・ノア艦長とアムロ・レイ大尉から直接伝えられるのだ。
広々としたブリーフィングルームの正面に設置された巨大なホロスクリーンには、ゆっくりと回転する小惑星アクシズの立体モデルが映し出されている。その威圧的なまでの質量を前に、集まったパイロットたちは、皆一様に固い表情で席に着いていた。その中には、ロンド・ベルのエース、ケーラ・スゥ中尉の快活な姿も、そして、パイロットスーツではないものの、オブザーバーとして参加を許可されたクェス・パラヤとハサウェイ・ノアの姿もあった。
「諸君、よく聞いてほしい」
ブライトが、重々しく口を開いた。その声は、艦内スピーカーを通じて、部屋の隅々にまで響き渡る。
「我々の作戦目標は、ただ一つ。アクシズの地球落下を、いかなる手段をもってしても阻止することにある。作戦は、二段階で構成される。フェーズ1。アムロ大尉率いるモビルスーツ部隊が、敵の防衛ラインを強行突破し、アクシズの後部に設置された核パルスエンジンのメインノズルへ、艦載の核ミサイルを可及的速やかに撃ち込む。ノズルを破壊し、最終加速を阻止することで、アクシズの軌道投入を阻止する試みだ」
ブライトは、そこで一度言葉を切り、パイロットたちの顔を一人一人見渡した。
「……だが、敵の抵抗は熾烈を極めるだろう。核ミサイル攻撃が失敗した場合、我々はフェーズ2へと移行する。本艦ラー・カイラムを、直接アクシズの居住ブロックのハッチに接舷、揚陸部隊を内部に送り込み、艦内に搭載した核爆弾を、アクシズの内部構造の基幹部で起爆させる。爆発によってアクシズを二つに分断し、地球への落下軌道から逸らす。これは、まさに最後の手段だ」
そのあまりにも壮絶で、そして無謀な作戦内容に、ルーム内にはどよめきと、絶望的な沈黙が広がった。ラー・カイラムを直接接舷させるなど、自殺行為に等しい。
続いて、アムロが立ち上がり、モビルスーツ部隊の具体的な作戦内容を説明し始めた。
「νガンダムを先頭に、一個小隊で楔(くさび)を打ち込む。敵のファンネル搭載機、特にシャアのサザビーは、俺が引き受ける。他の部隊は、その間にミサイル運搬艦の護衛と、ノズルへの到達ルートを確保してほしい」
そして、アムロは、静かにクェスへと視線を向けた。
「この作戦には、特務士官候補生、クェス・パラヤにも、サイコフレーム試験型ジェガンで参加してもらう。彼女の任務は、俺の直属の僚機として、νガンダムのサポートに徹することだ。彼女のニュータイプ能力は、諸君も先の模擬戦で確認した通り、俺に匹敵する、あるいはそれ以上のものがある。彼女は、我々の『目』となり、そして『盾』となるだろう。彼女を、子供扱いするな。彼女は、我々と共に戦う、一人の戦士だ」
アムロの言葉に、そしてブライトがその言葉を補足するように頷いたことで、クェスがこの決死の作戦の、それも中核を担う一員であることが、全パイロットに明確に示された。パイロットたちの間に、再び驚きと、そしてある種の納得感が入り混じった空気が流れる。
クェスは、背筋を伸ばし、その視線を一身に浴びながら、固く唇を結んでいた。ハサウェイは、隣で、自分のことのように拳を握りしめていた。作戦の過酷さ、そしてその中でクェスが担う役割のあまりの重さに、彼の心は恐怖と誇らしさで引き裂かれそうだった。
■
ブリーフィングが解散した後、クェスはアムロに呼び止められ、アムロの私室へと向かっていた。そこでは、良い芳香を漂わせる珈琲がテーブルに置かれ、簡易的な椅子へと座るように促され、クェスは静かに椅子へと腰掛けていた。
「クェス」
アムロは、いつもの冷静な口調で語りかけた。
「君に、一つだけ、個人的に伝えておかなければならないことがある。それは、『殺す』ということについてだ」
その直接的な言葉に、クェスは息を呑んだ。
「……戦場に出れば、君は敵を撃つことになる。それは、コックピットの中にいる、君と同じ人間を、殺すということだ。その時、戸惑うな。迷うな。敵の顔を想像するな。撃墜の確認は、スコープの中だけでいい。それ以上の感傷は、君の命取りになる。特に、君のようなニュータイプは、相手の死の感情に引きずられやすい。意識して、心を閉じろ。いいな?」
その言葉は、アムロ自身が、幾度となく経験してきた地獄からの、血の滲むようなアドバイスだった。
クェスは、こくりと頷くことしかできなかった。その顔が、恐怖で強張っているのを、アムロは見逃さなかった。彼は、ふっと表情を和らげ、続けた。
「……最初は、俺も震えたよ。サイド7で、初めてザクを撃破した時のことだ。訳も分からずガンダムに乗ってしまって、マニュアルを片手にな。必死だった。コックピットから降りた後、しばらく手足の震えが止まらなかったのを覚えている」
アムロは、遠い目をして、まるで自分自身に言い聞かせるように語った。
「……でも、当時は俺も十五歳だった。君は、まだ十三歳だが……。あの頃の俺より、君は遥かにしっかりとシミュレーションも積んでいるし、何より、ニュータイプとしてのカンも強い。そして覚悟も当時の俺なんて比較にならないぐらい極まっている。君なら、きっと乗り越えられるさ」
その言葉は、気休めではなかった。アムロの、心からの励ましであり、そして次代を担う者への、信頼の言葉だった。クェスは、その言葉に、胸の奥が熱くなるのを感じた。
■
戦いへの準備が続くラー・カイラムのモビルスーツデッキは、その中でも特に、人間の熱気と機械の匂いが渦巻く、戦場の最前線だった。最終調整を終えたモビルスーツが、次々とカタパルトデッキへと運ばれていく。
その一角に、トリコロールカラーのνガンダムと、純白に塗装されたサイコフレーム試験型ジェガンが、まるで兄弟のように並んで佇んでいた。
ジェガンは、クェスの搭乗が決まってから、メカニックたちが総出で彼女の身体能力とニュータイプ的な反応パターンに合わせた微調整を施し、その機体色は、彼女の純粋さと、そしてこれから彼女が舞うであろう戦場での姿を、まるで白鳥になぞらえるかのように塗り替えられていた。
「いいか、クェス」
整備兵のアストナージはその純白のジェガンのコクピットにクェスを座らせて、機体の説明を行なっていた。
「操作方法はアムロ大尉との模擬戦の時と何も変わっていない。ただ、反応速度は上げてある。ニュータイプの君の能力に合わせてな」
クェスは頷いて、アストナージの説明を頭でよく咀嚼しているようだった。
「武装も基本的に変更はない。唯一、ビームライフルだけはνガンダムの予備、ロングバレルの物を載せてある。他にも、ビーム減衰の効果がある塗料を装甲に塗り付けた。νガンダムの盾の下地にも使われてる物だ」
「νガンダムの、ですか?」
「もちろん、突貫作業の簡易塗装だから直撃には耐えられない。お守り程度に思っておいてくれ」
その時、クェスの心に伝わったのは、アストナージの、整備兵達の優しさだった。自分たちよりもずっと年下の子供が、戦場に出ると決めた。それならば、少しでも彼女が生き残れるように。
「アストナージさん」
「ん?なんだい?分からない所でもあったか?」
クェスは首を振る。そして、暖かな笑顔を浮かべていた。
「私のために、ありがとうございます」
「……気にするなって。俺達は整備兵だからな。戦場に出るモビルスーツは、最高の状態にしておきたいってだけだ。続きを説明するぞ。このジェガンは試験機だ。だから、かなりの設定がマニュアルで調整することが出来る」
「そうなんですか?でも、わたし、よくわからないです」
「心配しなくていい。基本的には調整はこっちでやっているからな。戦闘で役に立ちそうなものを教えておく。右の操縦桿の所に、2本レバーがあるだろ?それはビームサーベルとビームライフルの出力を調整出来るレバーなんだ。前に押し込めば出力が上がって、カタログ値以上の出力を出せる。ただ、最大出力を出してしまうとジェネレーターが焼き切れるから、緊急時以外は出しても6割程度に………」
■
「アストナージさんったら、気合い、はいっちゃってますね」
νガンダムのコクピットでは、アムロ・レイとチェーン・アギがサイコミュの最終チェックを行なっていた
「ん?ああ、クェスのジェガンか。出撃が決まってからアストナージは付きっきりだったからな」
「それにしてもですよ。ガンダムのビームライフルまで持ち出して、しかもエネルギーラインをバイパスまでして、ジェガンで最大出力を出せるようにしてるんですよ?その上アポジモーターの反応速度を上げるために機体のリミッターにまで手を出して。」
「アストナージらしいな。ま、あのジェガンは最悪、この戦闘だけ持てば良い、って考えだろう。クェスが生き残る可能性が少しでも増えるのなら、な」
アムロはモニターに映る、ハンガーの風景を見る。未だに熱を持って、クェスに機体のことを説明しているであろうアストナージの背中が見えた。
「大尉」
「なんだい?チェーン」
「必ず、生きて帰ってきて下さいね」
その言葉には、心からの願いが込められていた。だが、アムロは冷静に、そして残酷に首を横に振った。
「今回ばかりは、約束出来ないな」
チェーンは驚き、不安そうに目を見開く。その不安を感じ取ったアムロは、やわらかく、微笑みを浮かべた。
「相手はシャアだ。それに、アクシズを止めなきゃならない。それこそ、命を懸けても」
「そう、ですか」
「チェーン、そんな顔をしないでくれ。俺だって、死ぬ気はさらさらないさ。でも、そうだな」
一度チェーンから視線を外し、考え込むような仕草を見せた。
「もし俺が戻って来なかったら、その時はクェスとハサウェイを頼む。俺達、大人が巻き込んでしまったようなものだしな」
「……わかりました。でも、アムロ。必ず、帰ってきて」
「わかっているよ。チェーン」
チェーンを抱き寄せ、アムロは軽く口付けを交わす。その顔は、死地に赴く軍人とは思えないほどの、穏やかな表情が浮かんでいた。
■
出撃の少し前、パイロット達は思い思いの時間を過ごしていた。アムロやケーラなどのエースたちは、整備兵と何やら打ち合わせを行い、他のパイロット達も最後の食事などを取っている。
「……本当に、行くんだね、クェス」
格納庫の片隅、巨大なモビルスーツの脚部が作る影の中で、ハサウェイ・ノアは、自分と同じパイロットスーツ――ただし、彼の場合は緊急避難用の予備――に身を包んだクェスの前に立ち、震える声で言った。彼の顔には、悔しさと、無力感と、そして何よりも、愛する者を死地へ送り出すことへの、耐え難いほどの不安が浮かんでいた。
「うん。行くわ」
クェスは、真っ直ぐにハサウェイの瞳を見つめ返した。その青い瞳には、もう迷いの色はなかった。恐怖がないわけではない。だが、それを凌駕するほどの、強い意志と使命感が、彼女の全身を満たしていた。
「……死なないでくれ。絶対に……。僕、待っているから。君が帰ってくるのを、ずっと……」
ハサウェイの言葉は、途切れ途切れだった。彼は、クェスの手を握りしめ、その小さな手に自分の額を押し付けた。その肩が、微かに震えている。
クェスは、そんなハサウェイの姿に、胸が締め付けられるのを感じた。そして、そっと空いている方の手で、彼の髪を優しく撫でた。
「……死なないわ。絶対に。あなたを、一人にはしない。私、必ず帰ってくる。あなたと、パパの元へ。だから……信じて待っていて、ハサウェイ」
それは、誓いだった。この宇宙(そら)で、たった一人、自分の魂の半分を預けられると信じた少年への、命を賭した約束。クェスは、ハサウェイの手を握り返し、その温もりを、自分の記憶に深く刻み付けるように、強く、強く握りしめた。
「あなたの声、ブリッジからでも、私には聞こえるはずだから。だから、私のこと、見ていてね」
そう言って微笑んだクェスの笑顔は、この世のものとは思えないほど、美しく、そしてどこか儚げだった。
「……判った。クェスの声も、僕には届くはずだから。君をしっかりと見ているよ。待ってるから!」
ハサウェイは、クェスから離れると、踵を返し、ブリッジへと向かった。その足取りは重かったが、その背中には、新たな決意が宿っていた。パイロットとして彼女の隣に立つことは叶わなかった。
だが、自分には、自分にしかできない戦いがある。ブリッジで、艦長である父の隣で、戦況を見極め、クェスからの情報を的確に伝え、彼女が生きて帰るための道を、必ず切り開くのだと。
■
『出撃15分前。モビルスーツパイロットはコックピットにて待機。整備兵は担当機体の最終チェックに入れ』
アナウンスが為されると同時に、艦内には緊張が走る。
クェスは、アムロ・レイと共に、νガンダムとジェガンのコックピットへと向かった。ハッチが閉まる直前、アムロがクェスに声をかけた。
「クェス。戦場に出れば、もう子供扱いはしない。君は、ロンド・ベルの一人のパイロットだ。俺の指示には、絶対に従ってもらう。そして、何があっても、俺から離れるな」
その言葉は、上官としての厳しさと、そして彼女を絶対に死なせはしないという、アムロ自身の強い決意の表れだった。
「はい、アムロ大尉。あなたの目となり、盾となります」
クェスは、ヘルメットの中で、力強く頷いた。
『出撃5分前。各モビルスーツパイロットは機体の最終チェックを行え』
それぞれのコックピットが閉鎖され、機体がカタパルトデッキへと移動していく。ブリッジに戻ったハサウェイは、メインスクリーンに映し出される、クェスが乗る白いジェガンの姿を、息を詰めて見つめていた。
その隣で、ブライト・ノアは、艦長席に深く身を沈め、静かに目を閉じていた。彼もまた、父親として、そして司令官として、この上なく重い決断を下したのだ。その胸中は、万感の思いで張り裂けそうだったに違いない。
『ラー・カイラム、モビルスーツ隊、全機発進準備完了!』
『アムロ・レイ、νガンダム、いつでもいけます!』
『クェス・パラヤ、ジェガン、準備完了です!』
パイロットたちの、覚悟を決めた声が、ブリッジに響き渡る。
ブライトは、ゆっくりと目を開き、その瞳に全ての感情を押し殺し、艦長としての冷徹な仮面を被った。
「……よし。現時刻を持って作戦を開始する。モビルスーツ隊、全機、発進!」
その号令と共に、ラー・カイラムの、ロンド・ベル艦隊のカタパルトデッキから、一条、また一条と、人類の未来をその双肩に担った光の矢が、最後の決戦の舞台となる、アクシズが待つ漆黒の宇宙(そら)へと、射出されていった。
その中の一条、純白の光を放つジェガンを見つめながら、ハサウェイは、心の中で強く、そして何度も繰り返した。
――帰ってこい、クェス。必ず、帰ってくるんだ。
その想いが、サイコフレームを通じて、遥か彼方の戦場(そら)へと向かう彼女の魂に、届くことを信じて。それぞれの誓いを胸に、運命の戦いの幕が、今、静かに上がろうとしていた。