空の凪   作:灯火011

2 / 31
こちらのハサウェイもまた、少し違った家庭環境で育っているようです。


第2話:ブライトの息子、眼差しの交錯

 父アデナウアー・パラヤの執務室での会話から数日後。

 

 クェスは、父の言葉通り、彼の公務に同行する機会を得た。行き先は、サイド1の中でも比較的新しいコロニー、「ロンデニオン」。

 

 その宇宙港では、地球連邦軍の最新鋭艦艇の就役式典と、それに伴う軍民交流を目的としたレセプションが開催されることになっていた。

 クェスにとっては、いかにも大人たちの都合で塗り固められた、退屈極まりない行事としか思えなかったが、父の「たまには違う空気に触れるのも悪くないだろう」という言葉と、何よりシャングリラの閉塞感から一時的にでも逃れられるという事実に、僅かな期待を抱いていた。

 

 ロンデニオンの宇宙港は、その規模も設備もシャングリラを遥かに凌駕していた。

 

 巨大なドックに停泊する灰色の艦影、整然と行き交う軍服姿の人々、そして華やかなドレスや仕立ての良いスーツに身を包んだ招待客たち。

 その全てが、ある種の非日常的な高揚感と、同時に張り詰めた緊張感を漂わせている。

 

「……やれやれ、どこもかしこも、同じような顔ぶれと、同じようなお追従ばかりね」

 

 父の傍らで、シャンパングラス、とはいっても中身はノンアルコールのフルーツソーダだが、を形ばかり手に持ちながら、クェスは内心で溜息をついた。

 

 アデナウアーは、連邦政府の高官として、次々と挨拶に訪れる人々にてきぱきと、しかし愛想良く応対している。その姿は、家庭で見せる父親の顔とは全く異なる、プロフェッショナルのそれだった。

 

 そんな喧騒の中、一際存在感を放つ一団が、アデナウアーの元へと近づいてきた。

 

 中心にいるのは、地球連邦軍の大佐の階級章をつけた、壮年の男だった。歴戦の勇士であることを物語るような、厳しく引き締まった顔立ち。

 しかし、その目元には、深い疲労と、そしてどこか拭いきれない憂いのような影が宿っている。

 

 男の名は、ブライト・ノア。

 

 一年戦争以来、数々の激戦を潜り抜け、連邦軍艦隊の司令官としてその名を轟かせた、生ける伝説。その彼が、今は地上勤務に近い部署に籍を置いているという噂を、クェスも耳にしたことがあった。

 

「パラヤ局長、本日はお越しいただき恐縮です」

 

 ブライトの声は、その風貌に違わず、低く、重々しい響きを持っていた。

 

「これは、ブライト大佐。こちらこそ、ご招待いただき光栄です。素晴らしい艦ですね。我が連邦軍の抑止力として、大いに期待しております」

 

 アデナウアーもまた、外交辞令を交えながら応じる。二人の間には、互いの立場を尊重しつつも、どこか見えざる一線が存在しているかのような、微妙な空気が流れた。

 

 その時、クェスの視線は、ブライトの斜め後ろに、まるで父の影に隠れるようにして立つ一人の少年に吸い寄せられた。

 

 年の頃は、自分とさほど変わらないだろう。軍人の息子にしては線が細く、どこか頼りなげな印象さえ受ける。

 

 仕立ての良い、しかし彼には少し不似合いなフォーマルな服装に身を包み、居心地が悪そうに視線を彷徨わせている。その表情には、この華やかな場所に対する戸惑いと、早くこの場から立ち去りたいという切望が、ありありと浮かんでいた。

 

「ご紹介が遅れました。こちらは、娘のクェスです。社会勉強の一環でして」

 

 アデナウアーが、クェスを手で示した。

 

「ほう、お嬢さんでしたか。利発そうな瞳をしておられる」

 

 ブライトは、ほんの僅かに表情を和らげ、クェスに視線を向けた。その眼光は鋭く、まるで全てを見透かされているような気にさせられる。

 

「私の息子、ハサウェイです。今日は非番でしてね、時間を持て余していたものですから、無理に連れてまいりました」

 

 ブライトは、そう言って少年の肩を軽く叩いた。

 

 ハサウェイ・ノア。それが少年の名だった。

 

 その姓が意味するものの重さを、少年自身がどれほど理解しているのか。クェスは、そのハサウェイと名乗った少年の瞳を、真正面から見つめた。

 彼の瞳は、父ブライトのそれとは異なり、まだ何色にも染まっていない、どこか純粋で、そして傷つきやすそうな光を宿していた。

 だが、その奥には、強い意志の萌芽のようなものも、微かに感じ取れる。

 

「クェス・パラヤです。よろしくて?」

 

 クェスは、周囲の大人たちの存在など意に介さず、一歩前に出て、ハサウェイに向かって自ら名乗り、そして悪戯っぽく微笑みながら右手を差し出した。

 その行動は、この格式張った場においては、やや奔放に過ぎるものだったかもしれない。

 

 アデナウアーが僅かに眉をひそめ、ブライトも少し驚いたような表情を見せた。

 

 ハサウェイは、突然差し出された白い手と、目の前の少女の射るような青い瞳に、完全に虚を突かれたようだった。顔を赤らめ、おずおずと、しかしどこか逃れることができないといった様子で、その手を取る。

 

「は、ハサウェイ・ノアです……。こちらこそ、よろしく……お願いします」

 

 彼の声は、まだ少年特有の不安定さを残しながらも、不思議と落ち着いた響きを持っていた。

 

 クェスの小さな手に触れた、彼の少し汗ばんだ手の感触。

 

 その瞬間、クェスの脳裏に、またあの奇妙な感覚――相手の感情の微細な揺らぎが、直接伝わってくるような――が、微かに過った。困惑、緊張、そしてほんの僅かな好奇心。それらが、ハサウェイの中から流れ込んでくる。

 

「お前たち、邪魔にならんところで、少し話でもしていなさい。我々は、もう少し込み入った話があるのでね」

 

 ブライトが、ややぶっきらぼうな口調でそう言うと、アデナウアーも頷き、二人の父親は再び大人たちの社交辞令と腹の探り合いの世界へと戻っていった。

 

 取り残された形になったクェスとハサウェイは、しばし言葉もなく、互いの顔を見合わせていた。周囲の喧騒が、まるで遠い世界の音のように感じられる。

 

「……あなたのお父さん、軍人さんなんでしょ? 有名な。……怖くないの? あんな大きな声で話す人」

 

 沈黙を破ったのは、やはりクェスだった。彼女の問いかけは、子供らしい率直さと、同時に相手の核心に踏み込むような鋭さを含んでいた。

 ハサウェイは、一瞬言葉に詰まったが、やがてぽつりぽつりと語り始めた。

 

「怖い……というのとは、少し違うかな。厳しい人だとは思うけど……。でも、父さんは、いつも何かに追われているみたいで……時々、すごく疲れているように見えるんだ」

 

 その言葉は、父ブライトの背負うものの重さを、息子なりに感じ取っている証だった。親の業。それは、子供の目には、かくも不条理で、そして痛々しいものとして映るのかもしれない。

 

「ふぅん……。私のパパもね、いっつも難しい顔してるわ。政府の偉い人って、みんなそうなのね、きっと。つまらない大人ばっかり」

 

クェスは、そう言って唇を尖らせた。だが、その表情には、父アデナウアーへの深い理解と愛情が滲んでいることを、ハサウェイは敏感に感じ取った。

 

「クェスさんは……あなたのお父さんのこと、尊敬しているんだね」

 

「別に、そんなんじゃないわよ。ただ……パパは、嘘がつけない人だから。だから、見てて歯がゆい時もあるけど、馬鹿正直で、ちょっとだけ……まあ、いい人かなって思うだけ」

 

 早口でそう言うと、クェスはぷいと顔を背けた。その仕草が、ハサウェイには何故か微笑ましく思えた。

 

「あなたは……宇宙(そら)は、好き?」

 

 不意に、クェスがハサウェイの目をじっと見つめて尋ねた。その青い瞳の奥には、先程までの悪戯っぽさとは異なる、真摯な光が灯っている。

 

 ハサウェイは、その問いに少し戸惑いながらも、正直に答えた。

 

「……嫌いじゃないよ。僕は、ずっと宇宙(そら)で育ってきたから。地球のことは、本でしか知らないし……」

 

「私も。でもね、なんだか息が詰まるの、コロニーって。壁があって、天井があって……どこまで行っても、作り物の空の下。もっとこう、どこまでも遠くまで、自分の力で行ってみたいって思わない?」

 

 クェスの言葉は、まるで鳥かごの中から大空を夢見る鳥の呟きのようだった。その渇望は、ハサウェイ自身の心の奥底にも、密かに存在しているものと共鳴した。

 父の敷いたレール、軍人の息子というレッテル、そして否応なく忍び寄る戦争の影。それら全てから解き放たれて、自由に羽ばたきたいという、声にならない願い。

 

「……思うよ。すごく、思う。でも、僕には……」

 

 ハサウェイは、そこまで言って口ごもった。自分には、そんな資格も力もない。そう言いたかったのかもしれない。

 

 だが、クェスは、その言葉を遮るように、明るい声を上げた。

 

「でしょ! やっぱり、あなたもそう思うのね! なんだか、私たち、少しだけ似てるかも」

 

 そう言って笑うクェスの笑顔は、何の屈託もなく、太陽のように眩しかった。その笑顔に、ハサウェイは知らず知らずのうちに心を惹きつけられていくのを感じた。

 この少女は、一体何者なのだろうか。彼女の存在は、自分の退屈で予測可能な日常に、何か大きな変化をもたらすのではないか。そんな予感が、ハサウェイの胸を微かに震わせた。

 

 二人の視線が、再び交錯する。

 

 それは、まだ言葉にはならない、しかし確かな何かの始まりを告げる、運命の瞬間のようだった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。